第20話

 ───珍しい、紫の瞳。


 青くもなく、赤くもなく。完全な紫の瞳を持つ者を、カルスはライラ以外に知らなかった。

 確かに紫っぽい瞳はいる。けれど。


(完全な紫?)


 そう、恐らくはライラ以外にはいない。


(でも……)


 シアンがいる。ライラと全く同じ色の瞳を持つ者が。


「シアン……?」


 俯いていたカルスが、急に顔を上げた。キュアリスが驚いたように尋ねる。


「カ、カルス陛下?」


 しかしその声は届いていなかった。


「そうだよ、何で気付かなかったんだ」


 全く同じなんて有り得ない。必ず違いはある筈なのだ。

 普通なら。


「行くぞ」


 何だかすっきりした表情で歩き出したカルスに、キュアリスは慌てて問い掛ける。


「え?あの、陛下。どこに?」


 ニッと笑ってカルスは言った。


「ギルア皇宮」





「ライラ?」


 微かな月の光さえ差し込まぬようカーテンを閉め、彼女はベッドの上で猫のように丸まっていた。

 紫杏しあんは溜め息を一つ付くと、シャッとカーテンを開け、ライラの隣に腰掛ける。そしてシーツの上に広がった長い黒髪を撫でてやった。慈しむように、とても優しく。


「月の光は癒しの力がある。カーテンを閉め切るより、開けておく方がいい」


 一日の元気を与えてくれるのが太陽なら、月は一日の疲れを癒してくれるもの。ほのかな優しい光は、今のライラに丁度良い筈だ。


「ラ・イ・ラ?」


 指先で頬をくすぐってやると、もぞもぞと向きを変える。


「……わかってるけど、今は凄く……眩しいのよ。石もないし……」


 肌身離さず持っていた皇妃の石───ブラッディ・ジュエルは、カルスに渡してしまった。己の力を総て石に託して。

 決して充分とは言えない明るさの、月の光。けれどそんな光さえ眩しいと感じる程、ライラの体に力は残っていないのだ。

 こうして話をしている今も、瞼は開かないし意識は夢現。ぷかぷかと宙に浮いている気分である。


「ねぇ、それより……」


 瞳は閉じたまま、半分不明瞭な口調で問い掛ける。


「だいじょーぶかな?」


 何を、とは訊かない。


「大丈夫だろう。信じてやれ、お前の夫だ」

「……うん」


 それだけ言うと、ライラはすーっと眠りの世界に落ちていった。


(始まりは、いつだった……?)


 あれは、まだたった七歳の時。両親も健在で、カルスの事を『皇子』と呼んでいた頃。





◆◇◆◇◆◇◆


 暗い暗い土の中。それは広くて、まるで洞窟のようなのに、何故か入口も出口も無かった。

 どこから入ったのか、自分達にもわからない。けれど、どうやってここに入ったのか、それだけは何となく理解できた。

 ここはギルア帝国。かつては龍の生息していた不思議な国。そして皇族は、龍と深い関係を持っている。


「ね、カルス皇子。これってやっぱりそれのせいかなぁ?」


 出入口も無ければ窓も無い。明かりのまったく差し込まないその場所で、それでも相手が見えるのは。


「多分な」


 首からぶら下げた、龍の紋章のペンダント。埋め込まれた赤い宝石が、まるで何かに導かれているかのように光を放っている。


「それが龍の心臓だって言う話、ホントだったみたいね」


 こくんと頷くカルス。


「ただの言い伝えだと思ってたんだけどな」


 うんうんとライラも頷く。

 あの時。皇帝である父も、皇妃である母も会議で忙しくて。

 カルスはライラと二人、ある事を思い付いた。皇帝の証であるペンダントをこっそり持ち出し、皇宮の中央にあたる場所へ行ったのである。

 収穫祭が近くて皆忙しいと言う事もあったのだろう。そこには誰もいなかった。

 美しく磨かれた大理石の床に、皇家の紋章と同じ龍が刻まれ、ドーム状の天井は全面水晶張り。太陽の光を目一杯取り込めるようになっている造りは、そこに眠る龍の為の物だと教えられている。

 八百年前に絶滅してしまったと言われる龍だが、その死体も、骨や化石さえ誰も見た事がない。本当に生きていたのか、知る者は誰一人いない。

 だからこそ興味を持った。ギルアに住む者として。ギルア皇家の正当な血を引く者として。


「『ギルア皇宮に眠る龍族の王。命の源・生命石を初代皇帝・ザイトに与え、永い眠りについた』」


 語り継がれる神話。その真意を確かめたくて仕方がなかった。

 本当にこの皇宮に龍が眠っているのか。


「『龍の掴む宝玉に光映る時、道は開かれる。ザイトの血を濃く受け継ぐ者、ザイトの魂を強く受け継ぐ者、この道を通れる者なり』」


 一日に一度、太陽が真上に昇る。その中でも僅かな時間だけ、一筋の光が龍の掴む宝玉に伸びる時があるのだ。

 ドーム状になった水晶張りの天井が、まるで虫眼鏡のように光を縒り集め、寸分違う事なく宝玉に当たる瞬間。


「本当だったなんてな」


 はぁ~と感嘆の溜め息をもらし、カルスは周りをぐるっと見回した。

 言い伝え通りの『宝玉に光映る時』、突然紋章に埋め込まれた赤い石が眩い光を発したかと思うと、彼らはいつの間にかここにいたのである。


「でもまだ龍が眠ってるってわかった訳じゃないわよ?それに、どうやってここから出るの?」


 うっ!と言葉に詰まるカルス。

 道の開き方は知っていても、帰り方なんか聞いていない。


「どうしようか……」


 まさか本当に道が開くなんて思っていなかったのだ。ただ好奇心で、遊ぶだけのつもりでペンダントを持ち出した。


《ザイ……。我が……ん……》

「何?」

「どうした?」


 急に立ち止まったライラを振り返り、カルスは首を傾げる。


「今、何か聞こえた」


 頭に、心に直接届く声。何故かわからないけれど、胸が騒ぐ。

 懐かしいような、そんな不思議な感覚。


「カルス皇子、私、この場所知ってる」

「え?」


 恐らく自分自身にも理由がわからないのだろう。もどかしげに額を押さえ、眉根を寄せる。

 その時、再び石が強い光を放ち始めた。


「うわぁっ!」


 驚き、慌てるカルスとは反対に、ライラは悠然と手を差し出す。つられて浮かび上がる石を掲げ、口を開いた。


「『龍族の命の源・生命石よ、力を解き放て。半身たる我が命じる』」


 それは初めて見る表情だった。貴族の姫として育てられ、他よりは大人びた所もある少女だけれど、確かに普通の女の子である。

 それが。

 近づけない程神々しく、言葉を紡ぐ。


「『目醒めよ、龍族の王・紫杏っ‼』」

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