番外編・第5話

「ねぇ、この国の皇妃さまって、どんな方?」


 ライラの後ろから、リズが身を乗り出すようにして声をかけてきた。

 フィンはゆっくりと歩いていたが、リズには少し怖いらしい。ライラの服をしっかりと握っている。


(どんな方といわれてもねぇ……)


 自分の事を表現するのは難しい。

 自分ではこうだと思っていても、他人から見られるのとでは大きな差がある。

 何と言おうかと思案していたのだが、リズは待ちきれないと言う風に、ぐいぐいと服を引っ張ってくる。


「どうなのよ!ねぇったら!」


 ライラはずれた服をなおしながら、振り返ってリズを見て言う。


「わかんない」


 リズは大きく口を開けて、固まってしまった。何かを言おうとしていたようだが、声が出てこないようである。

 それを冷静に見つめるライラ。

 何秒か経つと、リズはだんだんと固まりから溶けていった。


「わ、わ、わかんないって何なのよーっっ!自分の国の皇妃でしょう⁉……って、あっそうか、見たこと無いのか。そうよねぇ、滅多に見られる方じゃないもの」


 少し違ったが、リズが自己完結しているようなので、そのままにすることにした。いちいち説明するのも面倒だと思ったのだ。


「どうしてそんな事聞くの?」


 すると、リズは少し悲しそうな瞳をした。

 リズのこんな表情を見たのは初めてだったので、ライラは一瞬言葉を失ってしまう。


「マッティの王妃……あたしのお母様は、あたしが生まれてすぐに亡くなったから」


 ライラはリズの話を聞いて、しまったと心の中で叫んだ。

 ライラは、マッティニアの王妃が亡くなっているのを知っていたのだ。なのにその事を忘れて、うっかりとリズに聞いてしまった。少し想像すればわかる事なのに。彼女が何故皇妃と言う存在に興味を示したか等。

 自身の思慮の浅さに吐き気がする。


「───ゴメン」


 そう言うしかなかった。謝る事も違うとは思うが、他に何も思い浮かばず、ライラは自分の未熟さに歯噛みするしかない。


「いいの。お母様の記憶があるわけじゃないから、逆に寂しくないのよね。お父様はその分あたしに優しいし。ただ、王妃って言うのがどういうものなのか知りたいだけ」


 マッティニアにはこの十七年、王妃はいない。リズは母親という存在ではなく、乳母に育てられてきたのだ。

 国王は王妃を愛していたから、他の妃を取る気にはなれなかった。幸いにも後継ぎとなる娘は産まれていたし、最悪の場合姉の息子もいる。

 姉では母親の身分が低く王位を継ぐ事は出来ない上に本人も興味が無かったようだが、仮にも王女である。降嫁した先は国内で最も力のある公爵家だった。ゆえに、彼女の子はリズの次に王位継承権を持つ存在となったのだ。

 そういった事情から、リズは母親───ひいては王妃というものを知らない。

 今回が初めてなのだ。他の国に行くのも、マッティニアにはいない皇妃という存在を知るのも。

 

「いい事思いついた!」


 高飛車な王女の寂し気な姿は、嫌に胸に突き刺さる。元々悪い子ではないのだ。恐らく環境がそうさせただけで。

 それを考えると、ライラは何とかしてやりたくなったのだ。

 

「ここは皇宮からそんなに遠くないの。ここだったら、皇妃の事を知っている人もいるんじゃない?」

 

ところが、リズはいまいちよく解っていないような顔である。


「……それがどうしたのよ?」

「だから~、聞くのよ。皇妃陛下はどんな人ですか?って」


 ライラが思いついたというのは、そういう事だった。

 街の人々ならば、客観的な皇妃の姿を答えてくれる。それに今は、リズもライラも庶民のような格好だ。これなら、素直に話してくれるだろう。

 いかにも身分の高そうな格好をしていたら、悪口は言わない。反逆者として捕まるかもしれない、という怯えが出るからだ。

 良いことも悪いことも、ライラは知りたかった。

 悪く言われるのは悲しい。けれども、ライラには知る義務がある。知って、良くしていかなければならないのだから。


「聞くって誰が?」


 リズがそう言うと、ライラはニッと笑って見せた。


「もっちろん、リズに決まってるでしょ」


 当然ながら、ライラにその役は出来ない。

 街の人々に聞くという事は、ライラの顔を知っている人々に会うという事なのだ。もしもライラが皇妃だと知れたら、街は大混乱になるだろう。それに最初の目的である、「素直な話を聞く」というのも出来なくなってしまう。

 だが、そんな事はリズの知った事ではない。

 リズはライラに不平不満をぶちまけたが、「皇妃さまの事を知りたいのなら、これが一番」と言われ、渋々と従うのだった。





「皇妃さま?いい人だよ、とっても。何がって?そりゃあ、私達の事を一番に考えてくれるからさ。先の皇帝の時も勿論住みやすい国だったが、更に良い国になってると思うよ」

「国で二番目に偉い人なのに、全然威張っていない人。どっかの貴族達とはえらい違いだよ。ま、今はそんな貴族たちも少なくなったみたいだけどね。───なんでって、そりゃお二人が色々して下さっているからじゃないか」

「皇帝陛下とよく喧嘩してるって噂だけど、すごく仲がいいよ。こんな事を言ったら失礼かもしれないけど、親しみがわくよね」

「若いから頼りない気もするけれど、実際はすごく頼りになる。あのお二人がいる間は、この国は平和だ。まぁ、お二人だってご両親を無くされてそんなに日も経っていないんだ。もう少し手を抜いても良いんじゃないかとは思うけどね」


 リズが聞いて回った答えは、すべて好意的な意見ばかりだった。

 ライラはマントをすっぽりとかぶっていたが、その中では喜びで瞳を潤ませていた。もっと悪口を言われると思っていたのだ。それだけに、反動は大きい。

 リズは人々の反応に驚いて、最初の躊躇いはどこへやら沢山の人々に聞き回っている。

 そのおかげで、ライラは泣き顔を見られることはなかった。

 リズが諦めたのは、ライラも落ち着いて暫く経ってからだった。


「マッティとは違う……」

「えっ?」


 フィンに乗って進んでいるときである。

 リズがぼそりと呟いたのだ。

 突然のことに、ライラは驚いて振り返った。


「マッティではお父様の事をあんな風に言う人はいない。みんな影で悪口を言っているのよ」


 リズだって本当に何も知らない訳じゃない。噂話程度ならどこに居たって届く物なのだ。

 一息ついて、リズが続ける。


「どうしてこの国の人は、そんなに嬉しそうに話せるの?」


 ライラは、リズに答えをやらなかった。答えられないと言うのではない。皇帝の事、カルスの事ならばいくらでも話せる。

 だが、ライラはそれをしなかったのだ。


「これから皇宮に行くんでしょうが。あなた自身の目で確かめなさい」


 人に教えられてばかりでは成長しない。自分で行動して、自分の目で確かめる。

 これがライラの信条である。

 最も、皇宮の者達にとっては、少々困るところではあるが。

 ところが、リズはきょとんとしていた。

 無理もない。今までは何もしないでも教えてもらえていたのだ。自力で謎を解くのは、おそらくこれが初めてだろう。しかし自分で動く事を知ったのだ。

 リズは戸惑いながらも、小さく頷いた。

 けれども、減らず口をたたく事は忘れないリズである。


「年下のくせに指図しないでよね」


 口ではそう言っても、顔は笑っている。


「いざ!皇宮へ!」


 リズがそう言って、腕を天に掲げたその時。


「リズ王女!」


 路地から四人の兵士が飛び出してきた。

 しかも、消えたと思われていたマッティニアの兵士達だ。


「御無事だったのですね。心配しましたぞ」


 兵士の一人が言った。おそらく最年長だろう。髪の毛や髭が白くなり始めている。


「心配したって、いなくなったのはあなた達じゃない」


 リズは不思議そうに首を傾げていた。


「そんな⁉我々は今迄ずっと突然いなくなった王女を探していたのですぞ⁉」

(嘘だ)


 驚いたように声を上げる兵士を見て、ライラは直感的にそう思った。

 そしてそれはすぐに肯定されることとなる。


「変ね、あたし別にそんなに移動したつもりなかったんだけど」


 そう言いつつ、リズはフィンから降りると兵士に近づいて行った。

 リズがぶつぶつと考えてながら進んでいる時、ライラは見てしまった。

 老兵士の後ろにいた兵士が、不吉な笑みを浮かべるのを。


「リズ!よけてっ!」


 言うが早いか、ライラはフィンから飛び降りていた。

 

 ガッキィィィン!


 それは耳をつんざくような、金属のぶつかり合う音。

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