第29話 ボムズ・アウェイ


 陸路では長かった道のりも、空路だとすぐ。

 散発的に立ち上る土煙が、街のおおよその場所を告げている。

 フロートが無くなって爆弾が着いたせいで随分操縦感覚の変わった愛機の中で、少年は重たい操縦桿を握りながら機体を傾けて地上を見下ろす。

(こう見ると、地下試験都市ってのはほんと空からは分かんないもんだな。今まで接触がなかったわけだ)

 戦場と思しきところから少し離れたところを円を描いて飛ぶ少年だったが、対空砲の砲弾が飛んでくるようなこともなく、土煙以外は平和な廃墟そのものに見える。

 ここまで来たものの、タロスの別動隊が戦車型を見つけて合図を上げてくれなければ、ただの遊覧飛行。背面飛行をしたりして地上の様子を観察するものの、それらしき煙が上がる気配はない。

 静かな後部席からひしひしと伝わってくる少女の不在。出来ることならば低空飛行で自力で目標を探しに行きたい気持ちを抑えて、旋回を続ける。無駄に低空を飛んでアンドロイドの小火器に堕とされたり木や建物に突っ込んだりしたのでは本末転倒もいいところ。

 上空で小一時間も滞空しただろうか。

 いくら燃費のいい探索用の機体とは言え、これまでの行程と主翼下の大型爆弾、増槽を取り外したこともあってそろそろ燃料が不安になるだろうかという頃。

 視界の端に何か、周囲の緑と灰色と馴染まない色彩がちらりと映った。

 食いつくようにそちらに頭を向け、目を凝らす。

 あの時と同じ赤紫の細い一筋の煙だった。

 少年自身も驚くほどの反応速度でぐっと操縦桿を倒すと、それに応えてベージュ色の機体は滑らかに旋回し、赤紫色の筋が少年の視界の真ん中に収まる。

(よしきたっ!)

 微かに操縦桿を奥に倒し、機首を下げる。

 滑るように高度を下げた単発のレシプロ機は、梢に掠りそうなすれすれの高さをまっすぐに飛び、その後ろには風に煽られた梢がまるで航跡波のような模様を残す。

(こんだけ低けりゃ防空網があったとしてもスピードで抜けられるはずっ)

 翼端を木にすらないように、時折現れる数百年の建物に激突しないように、細心の注意を払いながら地面すれすれを駆け抜ける。

 木々の隙間から見えるアンドロイドも猛烈な速度で景色と共に後ろに流れていくが、彼らが手に持った銃を空に向ける頃には少年の機体はすでにその視界からは外れている。

 少しずつ、赤紫の煙が近づいてくる。

 操縦桿に取り付けた、爆弾投下用のスイッチに指をかけ、それを強く意識する。

 つぎの瞬間、森が途切れて灰色の住宅街だったと思しき場所の上に出た。

(これじゃあ地面が見えないぞっ)

 乱立する建物の残骸で視界が悪く、煙の根元まで見渡せない。

 仕方なく少年が操縦桿を引き飛行機が高度を上げたその時。

 唐突に機体に振動が走った。

 反射的に操縦桿を倒して軸をずらし、バレルロールと呼ばれる機動に入るが、再び嫌な振動が少年を襲う。

 前を向く少年の目の前でいくつかの火花が散り、機首先端のカウルにくっきりとした穴が開く。

 高度を上げたせいで、対空砲につかまったのだ。

 バレルロールの途中で所謂裏返しの状態になった少年の頭上では、20ミリ機関砲2門を備える例の軽戦闘車型が、砲身をほぼ垂直に上げて二本の砲身で交互に親指の先ほどは有ろうかという弾丸を撃ちあげる。

 キャノピーに直撃すれば、多少の防弾ガラスくらいは突き破る。生身の人間が耐えられる弾丸ではない。

 状況を理解した少年の喉は干上がり、その脳は猛烈な速度で回転を始める。思考停止をしなかったのは、それでも伊達に命懸けの探索者をやっていたわけではないという事か。

 ラジエータフラップを閉め、エンジンの最高出力を叩き出して全速で離脱を図る。

高度を取るのはやめ、低空飛行で一刻でも早く機関砲の射程距離から離れる事に全力を尽くす。

 幸いだったのは、その軽戦闘車型のすぐ脇に、いつぞや見た戦車型らしき無人兵器が鎮座していたことか。

 それでも、目標の場所が分かったところで機関砲が空に睨みを利かせているようでは近づくこともままならない。

 少し時間をおいてからもう一度仕掛けようか。

 だが、その考えも即座に否定される。後ろから飛んでくる弾丸も無くなり、一息ついて周囲を見渡した少年の目に飛び込んでくるのは、機体の後ろに伸びる白色の飛行機雲のような帯。ただし、この高度で飛行機雲ができるとは考えにくい。

(エンジンの冷却液が漏れてるかっ)

 こうなれば、エンジンも長くは保たない。冷却できなくなったエンジンは温度が上がり、最悪勝手に壊れてしまう。

 今回の作戦は短期決戦だ。どこかに着陸してエンジンを修理しているような時間は無い。

 対空砲と相打ちになる危険を冒してでも、エンジンが生きているうちに爆撃を行うべきか。

 180度折り返すべく少年が操縦桿を傾けようとしたその時。コクピットの中で妙な存在感を放っている換装したばかりの無線機から、雑音に混ざって声のような物がした。

「……第五防……の全部……通達。味方爆……援護のため、全部隊は攻勢……れ。優先………………軽戦闘車。第一か………歩兵小隊は……衛部隊を突…………陣地を側……ら攻撃、第二機甲………正面か……撃し、敵弾……け持て。爆撃……撃たせるな!繰り返す!爆撃機を……………!」

 途切れ途切れの雑音交じりの無線では、正確な内容は分からない。けれど、地上の部隊の間で使う無線の周波数に、少年は合わせた覚えはない。わざわざ少年にも聞こえる周波数でも呼びかけたという事は、関係ないはずがない。

 そこまで少年の思考が至った直後、後方で大きな爆発炎が立ち上った。

 爆弾を投下したわけではない。500キロの物騒な形をした希望は、二つともまだ少年の翼の下にぶら下がっている。

 そこで、かちりと何かが噛み合った。

 先ほどの掠れた無線の内容が、唐突に理解できるようになる。

(今しかっ!)

 賭けのようなもの。いくら機械相手とは言え、地上の部隊の思惑通りに相手が動いている保証もないし、思惑が外れていれば少年の駆る飛行機は恐らく今度こそ、一瞬にして慣性と重力に従って落下する金属ゴミと化す。

 それでも迷う余地は無かった。

 少しずつ温度が上がり始めたエンジンに鞭打ち、スロットルを全開にして操縦桿を引き、跳ねるように高度を取る。

 親指を改めて爆弾の投下ボタンの上にかざし、昨夜着けてもらったばかりの爆撃照準器に目をやる。

 と。機体の下面に取り付けたカメラの映像を映すはずの画面に、少年の顔がくっきりと映った。

(これもやられたかっ)

 真っ黒な画面。

 だからと言って、今更やめられないし、やめるつもりもない。

 計画通りに水平爆撃ができないとなっても、まだ手は残っている。

 速度計を睨みながら、失速直前まで上昇を続ける。

 エンジンの温度が危険な域に突入するが、無視。次第に地面が下から後ろ側になり、少しずつ頭の上に地面がせりだしてくる。

 そしてもうすぐ速度が200キロを切りそうだというタイミングで操縦桿を左側に思いっきり倒し、ロールして背面飛行に移った。

 頭上前方には彩度の低い数百年前の街並みに、その中でひときわ目立つ鮮やかな紫色の煙。

 その周囲ではどちらの物ともしれない橙の爆発炎と白い土煙が立ち上り、弾を弾き火花を散らしながら前進する装甲車列が小さく見える。

 煙の位置を頭に叩き込んでから、背面飛行から戻り、しっかりと座席に腰掛けなおす。

 エンジンの出力も明らかに低下していたが、ここまでくればもう問題ではない。

 地上部隊の兵士たちが命を懸けて作ってくれた隙だ。無駄にはしたくない。

 発煙弾の真上を通り過ぎて少し過ぎたあたりで、操縦桿を倒し、少し遅れて手前に引く。

 急降下爆撃。専用の機体ではないので機体強度が足りるかは分からないが、照準器なしでの水平爆撃での命中はまず望めない今、精度が良くなおかつ照準器が無くてもある程度の狙いが定められるこれしか選択肢はない。

 ゆるく縦に円を描くようにして降下に入ったベージュの機体は、垂直よりややゆるい程度の角度でまるで落ちるかのように一気に高度を下げてゆく。

 高度が下がるのに従って機体の速度は増加し、速度計の針は類を見ないスピードで振れる。

 ただ、空気にも抵抗というものがある以上、速度を出しすぎるとその抵抗で機体が分解しかねない。

 スロットルを絞り切ってエンジン出力をゼロにし、エアブレーキ代わりにフラップを一段階下ろす。

 小さい点にすぎなかった建物が一気に大きくなり、内臓が浮くような浮遊感が少年を襲う。

(まだだ、まだだ、まだだっ)

 爆弾投下ボタンに駆けた親指に神経を集中させつつ、目を凝らして急速に接近する地面との距離を確かめる。

 一刻も操縦桿を引いて安全な水平飛行に戻りたい気持ちを抑え、降下を続ける。

 途中で速度に耐えきれなくなったフラップが後ろの方へ飛んで行ったが、もはやそれに構っている余裕もない。

 途中からは周囲にいるアンドロイドが反応して手に持った小銃を上に向けて乱射し、コクピット正面の防弾ガラスに丸い弾痕と蜘蛛の巣のような亀裂が走り、機体では火花が散り構造材が小さく舞う。

 そして、くっきり見えてきた戦車型の横で、水平射撃をしていた軽戦闘車型の機関砲を搭載した砲塔もゆっくりと動き始めたのを確認したその瞬間。

「…………っ!」

 親指で爆弾投下のスイッチを押し、一拍遅れて全力で操縦桿を引く。

 主翼から切り離された爆弾は、直ぐに尾部の安定板が空気を掴み、回転しながら、ゆっくりと砲塔を回す戦車型に吸い込まれるように向かってゆく。

「上がれ上がれ上がれ上がれーーっ」

 水平尾翼の昇降舵が限界まで上がり、水平尾翼で生じた下向きの揚力が機体後部を押し下げ、それに呼応して機首が上がる。

 それでも、速度がついた飛行機の機首はゆっくりとしか上がらない。

 墜落も覚悟しつつ、目を見開いたまま全身の力で操縦桿を引き続ける。

 銃弾で穴の開いた左側の風防から、風を切る甲高い音と地上の発砲音が聞こえる。

 地面が近づく。

 建物の中までくっきり見えるようになる。

 荷重に耐えられず、穴の開いていた右主翼の端が飛ぶ。

 血液が搾り取られるような感覚と共に、視野が少しづつ狭くなる。

 そして、地面にキスをしようかというところで、機首が上がり切った。

 地面に砂埃を舞い上げつつ、アンドロイドたちの頭をかすめるようにして地面と平行に飛び去る。

 目の前にビルだったと思しき建物が迫るが、機体を立て直した今なら問題はない。

 操縦桿を倒して機体をロールさせると、その側面を這うようにして突破。スロットルを戻してもう一度操縦桿を引き、建物と木々の上に出る。

 直後、巨大な雲のような物がその後方に出現した。正確には土煙。

 その入道雲のような高く上る土埃と煙が、遅発信管をセットされた合計1トン近い爆弾が炸裂したことを示している。

 この量なら、今は失われた技術の詰まった装甲で身を固めた戦車であったも、至近弾すら致命傷になる。

「っしゃっ!」

 空から見ると、意外なほど光は無かった。

 地上にいたら爆炎も見えていたのかもしれないが、少年には知ることはできない。

もう地上から銃弾も砲弾も飛んでくる様子はない。

 煙に遮られて地上の様子は分からないが、撃破したとみて間違いはない。

「スプラッシュツウッ!」

 無線機を掴み、叫ぶようにして目標撃破を伝えるコードを叫ぶ。

 傷だらけのベージュの機体が飛び去った勢いで煙が吹き飛ばされ、砲塔と車体が別々になって残骸となった戦車型がちらりとその隙間から覗く。

 それを確認した少年が左手で小さくガッツポーズをした.

 直後。

 ぷすん、といういっそ滑稽なほどにあっけない音と共にエンジンからの音が消え、黒煙が噴出した。

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