第03話 ワールドエンド


 結局その後も、怖い怖いといいながらも何度か背面飛行をさせられ、後部席と操縦席は思いのほか近いというのを身をもって、というか主に耳をもって思い知った少年はようやく平穏の時を手に入れていた。

「いやー、安全が保証されたスリルがこんなに楽しいものだとは思わなかったよ」

「どういうわけか俺の操縦を信頼してもらえてるのはうれしいけど、せめて声を挙げないようにはできないのか」

「それは無理だよ。黙ってたら気分が乗らないからね」

 はあ、と気の抜けた相槌を打つ少年に反論するだけの気力は残っていなかった。主に先ほどまでの大騒ぎのせいで。

 パイロットは少年で、後ろの少女は一時間ちょっと前に会ったばかりの同乗者のはずなのに、主導権があちらにあるように思えるのは気のせいだろうか。

 そんなことを考えながら、少年はどこかで聞こうと思っていたことを切り出す。

「確かさ、君ってここ数日の記憶以外はないって言ってたよね」

「そうだよ。まあ、記憶がないって言っても、この通り言葉とかは覚えてるし、最低限の知識とかも残ってるみたいだけどね」

「ならさ、ここ数日間って、どうやって過ごしてたんだ?」

 そこなのだ。

 彼女は武器の類は持っていなかった。奇妙にも、だ。

 そして、食べ物飲み物以前に、ワンピースの少女が身一つで、数日間も生き残れるはずがないのだ。既に陸地が人類の勢力圏ではなくなってから、数世紀は経っているのだ。

 そして、その最大の原因が

「数日あったら、どう考えても一回はあいつらに会うだろ」

 そう。陸地ではもはや人間は生態系のトップではない。いや、生態系と言うと語弊があるか。

「あいつら?」

「無人兵器だよ」

 言わずとも知れたすべての元凶。今や、彼らが陸地の至る所を徘徊している事によって、人類が陸地に戻ることはかなわなくなっている。

「ああ、パッケージのこと?」

「パッケージ?」

 あれ、違うのかな、と少女は軽く首をかしげる。

「じゃあAASって言った方がいい?」

「AAS?」

 聞きなれない単語からの、今度は略称のような何か。少年としてはどちらもちんぷんかんぷんである。

「えっと、俺が言ってるのはあの陸でちょくちょく見かける無人兵器たち。人型だったりドローンみたいだったりするやつなんだけど、それの事」

 多分彼女が言ってるのは自分の語彙にない単語だ、と確信した少年は、決して豊富とは言えない語彙で何とか説明をして意思疎通を図る。

「じゃあパッケージだね、それは」

「君がいたとこだとそんな風に呼んでたのか?」

「多分、ね。今の私が覚えてるのはその呼び方だからそうだと思う。レイのとこだとなんて呼んでるの?」

「無人兵器って呼ぶ人が多いけど、徘徊者って呼ぶ人もいる」

「響きが微妙だね」

「それは俺も思ってる」

 事実、徘徊者と呼ぶ人が少ないのはそのせいだろう。

 と、今知りたいのは呼び方なんかではなくって、

「そのパッケージには、遭遇しなかったのか?」

「少しは見かけたけど、襲われはしなかったよ」

 丁度彼らの死角にいたのだろうか。あれは人と見れば見境なしに襲ってくるし、丸腰の時に彼らに襲われたら無傷では済まない。

「そりゃ運がよかったね」

 三日間それで生き延びたとは、ひょっとして彼女は一生分の運を使い切ってしまったのではないだろうか、とも思ってしまう。

「でさ、ちょっと気になったんだけど、君ってどこまで覚えてるの?例えば今言ったみたいなこととか」

 何か大切な、ことを忘れていたりすると命に関わる。今の大地はそういう場所だ。少年としても、そういうことを忘れているようなら教えてあげたいところ。

 少女は表情を少し曇らせて、

「大体の知識は覚えてるけど、そうだね、あってるのか不安だから私が今から言うのを聞いてあってるか教えてくれる?」

 自分の記憶が間違っているかもしれない、という可能性は、例えわずかな物だったとしても、確実に少女の心を揺さぶってくる。

「大体200年くらい前に大きな戦争があった。第何次かは知らないけど、世界大戦だね。その中で、自律型の無人兵器を大量に投入した国があった。それが私が言うパッケージ。起死回生の策のつもりだったのかな」

 少女はすぐ上に広がる空を見上げながら淡々と続ける。

「けど、その国が崩壊して、パッケージが人間の制御を外れた。原因は分からないけど、制御を外れたパッケージが世界中を闊歩して、手当たり次第に人を攻撃するようになった。それで結局、人間はそれまでみたいには暮らせなくなった」

 そこまで言って、言葉が途切れた。

「あってる?」

「あってるよ」

 少年がそう言うと、ほっ、と少女は少年にも聞こえるほど大きく息を吐いた。

「その後は覚えてないのか?」

 少年が後ろを向いて尋ねる。

「そっからは思い出せないんだよね。だから、今人がどこで暮らしてるのかは分からなかったし、私がどこで暮らしてたのかとかも全く分からないの」

「……そっか」

 自分以外の人間がどこにいるかすらわからない状態。それがどのような物か他人である少年にはわからないが、楽なものではないだろうというのは想像がついた。

「レイはどこで暮らしてるの?」

 少女が身を乗り出すようにして尋ねる。少年の首のあたりに、少女の吐息が触れる。

「生まれは8番アークだし、今もたまにそこにはいく。けど、今は基本的にはこの飛行機で寝泊まりしてる」

「8番アーク?」

「あー、分かんないか。まあ、海の上にある街だよ」

「ってことは、街があるの?」

 食い気味で尋ねる少女。心なしか、少年の首元にかかる吐息が熱くなっているような気がした。

「あるよ。いくつか」

 言ってから、これだけじゃ分からないよな、と思って付け加える

「さっき言ってた通り人間が陸に住めなくなった。機械による虐殺のせいで。一説には生き残った人類の数は千万を下回るとも言われてる。だから、陸を失った人間は海に出た。とはいっても、船の上で生きていくのにも限界があるから、脱出したわずかな人間で海の上に街を作ることにした。細々と、ただその日その日を生き抜くために。で、誰が言ったかそれを聖書に出てくる方舟に見立ててアークって呼んだりするようになった。当時はまだ文明時代の技術が無くなってはいなかったんだろうな。多分今の人類に一から新たな街を作る技術はない。ロストテクノロジーってやつさ。んで、そのうちの一つが俺たちが今暮らしてる街」

「へぇ。そうだ、こんど連れてってよ。ね、お願い」

「もちろんそのうち戻るよ。けど、まだ燃料もあるし、しばらくはこの辺を探索してからでもいい?」

「本当なら今すぐにでも、って言いたいとこだけど、まあ乗せてもらってる身だし我儘は言わないよ」

「助かる」

「ところでさ、探索って何するの?」

「廃墟を漁って、使えそうなものを回収する。水素とか、燃料電池とか、機械とか。売れば金になるし、文明時代の機械とかは今じゃあもう作れない者も多いからな」

「それって危なくないの?」

「もちろん危ないよ。無人兵器に鉢合わせて戻ってこないやつらも少なくないしな」

 そう言ってから、慌てて付け加える。

「あ、探索してる間は飛行機の中で休んでてもらっていいからな」

 流石に、少年はさっきまで一人で彷徨っていたらしいワンピースの少女に、乗せてるんだから手伝え、とは言えなかった。会って間もない人間に自分の生計のために命の危険を冒せだなんて、言えるわけがない。

 しかし、少女は再び座席に深く腰を掛けなおすと、

「いや、私も手伝うよ。人手はあった方がいいでしょ。それに面白そうじゃない」

「いいのか?俺が言うのもなんだけどろくな作業じゃないぞ」

「拾ってもらった恩があるしね。その恩返しってやつだよ。手伝えるなら手伝いたいの」

 また一人にはなりたくない、という言葉は飲み込んだ。恩人でもある少年に余計な重荷は背負わせたくない。

 そして、少女にはもう一つ切実にやりたいことがある。

 少女は大きくあくびをしてから。

「最近ずっとろくに寝られてないからちょっと寝るね。次の場所についたら起こしてね」



 すごい幸せそうな顔で眠るな、というのが第一印象だった。

 少年の目の前では、少女が無防備に眠りこけている。とはいっても、わざわざ少年は少女の寝顔を見に来たわけではなく、

「おーい、着いたぞ」

 言われたとおりに起こしに来たわけだ。

 あれから小一時間飛んで着水したところなのだが、よほど眠かったのか、少女は結局最後まで眠り続けていた。

 着水の衝撃はかなりの物なのに、それでも起きないというのは相当である。

 先程から何度か声をかけてはいるのだが、久方ぶり、もとい記憶のある限り初めてまともに寝られる環境を得た少女に起きる気配はない。

「相当疲れてたのか」

 少年としても起きてもらえないとここから動けないので困るのだが、それでも信用されているような気もして悪い気はしない。

 まあ、さすがにここで起きるまで待つわけにもいかないので、少年は少女の右肩をゆすって

「おーい、起きろって。着いたぞ」

「ん……ん!?」

 目を覚ました少女はいきなり目をぱちりとひらいて、ほぼ反射的に肩に置かれた少年の手を振り払って、

「?」

「え、あ、ごめんね。ついびっくりして」

 そういって軽く手を合わせる。その顔には警戒感や不信感といったものはない。

「いや、気にしなくていいよ」

 まあ、陸地でずっと一人だったんだから無理もないだろう、とそんなことを思いながら、少年はコクピットから出て主翼の上に立つ。

 そのまま飛び降りて、コンクリートの斜面の上に降りる。

 少女が続いて飛び降りたのを確かめてから、

「ちょっと引き上げるの手伝ってくれない」

「引き上げる?」

「飛行機が流されたらいやだからできたら陸に上げときたいんだ」

 幸い、もともと漁港だったと思しきここの斜面には、ボロボロになったゴムが横向きに走っている。引きずったとしてもフロートが壊れることはないはずだ。

「おっけー」

 靴を脱いでズボンをまくり、ひざ下あたりまで海に入って機体を押す。

 陸に上げてからは少女も手伝い、五分ほどで機首を海に向けた機体が完全に斜面に乗り上げる。

「じゃあ行く?」

 相変わらずテンション高めな少女。

「ちょっと待って」

 少年は足を拭いてから靴を履き、陸に上がった飛行機の翼の下に歩いていくと、主翼の下に懸架されている紡錘形のコンテナの側面を開いて、

「これ羽織っときな。ワンピース一枚だと汚れたり破けたりするかもしれないし」

 茶色の無骨なフライトジャケットを放る。

 少女は両手でそれをキャッチして、ごそごそと羽織りながら、

「それ、荷物入れだったの?」

「そう。こうやって生活してるから、拾ったものはできるだけ沢山持って帰りたいんだ。ちなみに、胴体の後ろの方にもいくらか荷物が入るスペースがある」

 少女がジャケットを羽織り終わって、少年はいつものザックを背負って靴ひもを結ぶ。

「さて、行くか」

 海に背を向けて立つ二人の前には、海風で錆び付いた茶色い町が広がっていた。

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