第02話 記憶喪失
「まず、悪いんだけど何か食べるものをもらえるかな。実はここ数日まともな物食べてないんだよ」
フロートの上で、ささやかな胸を張って仁王立ちになった少女があたかも当然のように要求する。
少年はザックを下ろして中から缶詰を取り出して、
「これでいいか?」
「ちょっと物足りないけど、まあ、贅沢は言わないよ。ありがと」
「で、どういうこと?」
「私をあなたの飛行機に乗せてほしいの。これ、二人乗りでしょ?食べ物と、最低限のものがもらえればそれ以上は求めないし、もし邪魔になったら好きなとこで下ろしてくれて構わないよ」
そう言ってフロートの上に腰を下ろした少女は缶詰を開け、
「……箸とかある?」
「あ、ごめん。忘れてた」
少年はザックから取り出した割り箸を手渡しながら、
「君の飛行機は?」
「私の飛行機?」
「ここにいるなら君も『探索者』だろ?」
「たんさくしゃ?」
きょとん、と首をかしげる少女に、少年も首をかしげる。
「遭難でもしたのか?」
「かもしれないね」
「かも?」
「そう」
少女は缶詰を半分ほど口にかきこんでから、
「これはあんまり言いたくなかったんだけどね。まあ、言わなきゃ説明できないから言うよ。私ね、ここ数日より前の記憶がないの」
さらっと、今日の夕食を告げるような軽さで、重大なことを打ち明けた。
「だから、私は自分の名前もわからないし、なんで自分がここにいるのかもわからない。帰ろうにもどこが帰るべき場所なのかすらわからない」
そういう少女の口調には、悲壮感などはみじんも感じられない。
残りの半分も一気にかきこんで、空になった缶を片手に少女は続ける
「だから、あなたに私の記憶を探すのを手伝ってほしいの。別に何か特別なことをしてほしいわけじゃないよ。ただ、私を後ろに乗せてくれればいい」
断られることはないと思っているのか、それとも断られても問題ないと思っているのか。
微笑んだまま、彼女は少年の答えを待つ。
「いいよ」
数秒間考えたのち、少年は答えを出す。
「君の記憶探しを手伝おう」
流石に、この少女をここに置いていくという気にはなれなかった。
それに、少年にとっても一人旅から二人旅になるのではずいぶんと楽になる。給料や分け前もいらないというなら、なおさら。
「じゃあよろしくね、レイ」
彼女はするり、とフロートの上をすべるようにして降りると、右手を差し出す。
「よろしく」
少年はその手を取ってから、ふと思って、
「ところで、俺が言うのもなんだけど、全く知らない男に頼んじゃっていいのか、それ」
一瞬、ひょっとしたらどこかのいい所の箱入り娘だったりして、世の中を知らないのではないか、と思ったけれど、
「それなら大丈夫。レイは話した感じまともな人っぽいし。それに、私はそういう心配はいらないの」
「?」
「さ、そろそろ行こ。ここから飛ぶつもりで戻ってきたんでしょ」
少女はそういって威勢よく飛行機の方に向き直ってから、
「ねえ、これってどうやって乗るの?」
少女に水上機の乗り方から注意事項まで手取り足取り教えるために、少年はそのあと数十分かけることになった。
***
「ベルトしたか?」
「したよーっ」
少年の頭の後ろからテンション高めの声がひびく。少女は回転式の座席をまわして、前を向いていた。
「一応もう一回言っとくけど、後ろにある機銃には触るなよ。弾は入ってないけどレールに指を挟んだりしたら危ないからな」
「大丈夫だって。それより、この前にあるやつって何?」
「ああ、それか。後部席用の操縦装置だ。今は切ってるから触ったからって墜ちたりはしないから触ってもいいけど、あんま変なことはしないでくれ」
「なんで後ろにもあるの?」
「本来なら、そこに乗ったやつと交代で操縦して長距離を飛ぶためのものだよ。まあ、視界が悪いから飛ぶ以上のことは難しいけどな」
ふうん、と呟いて、少女は物珍しそうに操縦桿を左右へと動かす。
「じゃあ動かすぞ」
少年がそう言って左手でつまみを回すと、低い音と共にエンジンが回り始め、少し遅れてゆっくりとプロペラが回りだす。
「わ、本当に回った!」
「動き始めたら顔ひっこめろよ」
操縦桿を前後左右に動かし、ペダルを踏んで、エルロン、ラダー、エレベータの動作を確認する。
プロペラピッチを操作してからスロットルを少しだけ上げると、機体は海面上をゆっくりと後ろ向きに滑り出す。
しばらく後ろ向きに進んでから再びプロペラピッチを切り替えて、今度は前に進む。
ラダーで曲がり、機体を海岸線と並行にすると
「風防閉めて。そろそろ飛ぶよ」
フラップを下げてから一気にスロットルを押し込む。
少しづつ加速が始まり、二人の背中が座席に押し付けられる。
そしてある時を境に、下から伝わってくる振動がなくなり、
「飛んだ!!」
ふわり、と機体が海面から浮き上がる。
「わ、飛んでるよ飛んでる!」
少女のテンションが高いのは飛行機に乗ったことがないからか、はたまた乗った経験を忘れているからか。
フラップを上げて操縦桿を引くと、機首が上がった機体は一気に空へ舞い上がる。
「うげっ」
さっきほどまではしゃいでいたせいで座席にしたたかに頭を打ったらしい少女が悶絶するが、
「へえ、陸地って空から見たらこんな感じなんだ」
大したことではなかったようで、少女の先ほどからのハイテンションは収まる気配はない。
自分の飛行機で、それこそ初めて空を飛んだ子供みたいに大騒ぎされて、少年としても悪い気はしない。
「景色見たいならこっちの方がいいかな」
ちょっとサービス、くらいの気分で、操縦桿を左手前に倒すと、機体は完全に横転して旋回を始める。
「え、あ、ちょ、これ大丈夫なの?墜ちない?」
「ダイジョーブダイジョーブ」
そのまま機体は旋回を続ける。少女の視界の右側には真っ青な空と高く上がった太陽。左側では、さっきまでいた海岸線が遥か彼方でぐるぐるとまわっている。
そして、あまりにも純粋な少女のリアクションが少し面白くなってきた、少年は、
「これなんてどう?」
海岸を凝視していた少女が答えるより先に、少年は更に操縦桿を左に倒す。
機体はさらにロールしてフロートが空を向いて、
「背面飛行d
「あちょっもどしてもどして流石に頭の上に地面があるのはまずいと思うの重力が逆向きだしこわいこわいこわいすとっぷすとっぷ」
どうやら空の上が(覚えている限り)初めてな少女にサプライズ背面飛行は少し刺激が強すぎたようだった。
流石に会って一時間もたってない少女を泣かせたくはないので、少年は機体の向きを戻す。
しかし、機体が戻っても少女はうんともすんとも言わない。
あれ、やっちゃったかな、と思った少年が恐る恐る後ろを振り向こうかとしたとき、
「ははははっ」
唐突に機内に響く軽快な笑い声。
「え?」
背面飛行が怖くてどこか壊れてしまったのかと一瞬思うが、
「今のもう一回やってくれる?」
壊れたわけではないようだった。
「さっきすごいパニクッてたけど大丈夫なの?」
「さっきのはびっくりしただけだよ。いきなりひっくり返ったら誰だって驚くでしょ」
「ならいいけど……」
「ね、もう一回やって。今度は落ち着いて楽しみたいの」
「じゃあいくぞー」
初めてかどうかは大した問題ではなかったらしい。
結局二回目の背面飛行でも、少年は少女の叫び声に、最初ほどではないにしても、操縦桿をはなして両耳をふさぎたくなる衝動を抑えなければいけなかった。
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