第17話 「日常」


「んー、どれがいいかしらね」

 顎に手を当ててつぶやく夏凪宇月の周りに、葉ノ月澪の影はない。

 ただ、その代わりというわけではないが、横から宇月の手元を覗き込んでいるのは白いワンピースの少女。

「あなたはどれがいいとかないの?」

 白い服に茶色がかった髪と、ベージュの服に銀色の髪。図らずも市松模様のようないでたちの二人の少女がいるのは、小さな服屋の前だった。

 銀髪の少女はハンガーにかかった服を順番に手にしては少女にかざし、首をかしげてはラックに戻すのを繰り返している。

「うーん、気が付いた時からこの格好だから服とかはあんまりわからないんだよね」

「ならこの私にどんと任せなさい。あいつから金は預かってるからね。予算の許す限りかわいい服を見繕ってあげるわ」

「できれば動きやすいほうがいいんだけどね」

「さて、そうと決まれば本気で選ばなきゃよね」

 なんだかんだで面倒見のいい、というか姉御気質のある銀髪少女にワンピース少女の声は届かなかった。

 あれでもない、これでもない、という宇月の勢いに押され、少女は着せ替え人形のように試着室に出たり入ったりを繰り替す。店員がいい加減何か買えやという雰囲気を醸し出しても、宇月は気にもかけない。

「これとかどうかしら」

「肩全部出てちゃってるよねっ。それほんとに服?ストンって落ちないの?」

「うーん、これは?」

「スカート短すぎて、ちょっと動いたら中が見えちゃいそうだね」

「それなら、これとかはどう?」

「これ、前が全開な上にボタンすらないんだけどっ?」

「……いや、それは羽織るやつだからね。それだけできる人はまずいないわよ」

 こんな感じで、銀髪の少女が納得する買い物を終えるまで、かれこれワンピースの少女の体感で二時間くらいたった。ちなみに、実際はもっと短いと思っていたのだが、壁にかかった時計を見たら実際は二時間半ほどかかっていたりする。

 買い物はつくづく時間がかかる、とこれ以前に買い物をした記憶もないのに思う少女。

 あっざーしたー、とどこか運動部のような雰囲気のするあいさつに見送られて店を出る。

「ねえ、ウヅキ」

 しばらく雑踏の中を歩いたところで、ワンピースの少女が立ち止まった。

「ん、どした?」

「ウヅキって、レイとは長い付き合いなんでしょ」

「まあ、そういって間違いはないと思うわ。物心ついた時には一緒に遊ぶような仲だったしね」

「レイって、なんであんな生活をしてるの?」

「探索者をやってること?」

「そう。正直、この街の様子を見た感じ、街の中で暮らすこともできそうだし、実際ウヅキもそうだよね。それに、港にいるのはもっと年をとった人たちばっかりだったよ」

「あー、まあいろいろ深いわけがあるのよ。まあ、澪がそういうのが好きだっていうのもあるんだけど」

 そこまでいった宇月は未知の向かいを指さして、

「立ち話も何だしカフェにでも入らない?もちろんおごるわよ」



 カフェとはいってもメニューにある飲み物はコーヒーと紅茶がホットとアイスで4通りくらいで、あとはカレーとかサンドイッチとかの洋風定食屋といっても間違いではないような物ばかりだった。もちろん、ミルクとか砂糖で多少変化はつけれるが。

「そもそもね、澪はここに家を持ってないのよ」

 ホットのコーヒーにミルクだけ入れながら、銀髪の少女が言う。

「一応小さい倉庫みたいなものは借りてるみたいだけどね。だからここに戻ってきたときは宿に泊まってるし、宿が埋まってるときは私の家に泊めてくれって言ってやってくるわ」

「ウヅキの家に?実家とかじゃなくって?」

 アイスのストレートティーをストローで飲みながら尋ねる少女に、宇月はコーヒーを混ぜながら

「実家ってものが無いのよ、澪には」

「それって、」

「そうよ。澪のお母さんは私が物心つく前には亡くなっていたらしいし、お父さんも3年くらい前に亡くなったわ。飛行中の事故で」

 ストローの中の紅茶の色が、すとんと一気に無くなった。

「別に珍しいことじゃないわよ。いまじゃ衛生状態も医療レベルも何世紀も、下手したら何十世紀も前のレベルなんだから。そうはいっても、この年で親を両方とも亡くすっていうのは多くはないけどね」

「……もしかして、そのお父さんが探索者をやってたってこと」

「半分あたりで、半分外れ。澪のお父さんがやってたのは他の方舟とを繋ぐ飛行艇の定期路線で操縦士よ。けど、澪が生まれる前、というか結婚する前は探索者をやってらしいわ」

 宇月はコーヒーに唇をつけてすぐに離すと、ふーふーと表面を吹きながら続ける。

「本人から聞いたことは無いけど、探索者っていう発想があったのは間違いなくお父さんの影響でしょうね。けど、それで実際になろうって思ったのには私も関わってるかな」

「ウヅキが?」

「そう。澪のお父さんが亡くなったころ、私は丁度ここの防空隊で訓練を始めたころだったのよ。それで、澪はお父さんに飛行機の飛ばし方とかは教わってたからね。いろいろと教わって上機嫌だった私はよく複座の水上機を借りて澪に自分が教わったことを嬉々として教えてたわけよ。澪が前に、私が後ろに座ってね」

「それがどうして探索者の話に?」

「本人曰く、あれで軽量な単発機で空を飛ぶことにはまったらしいわ。双発以上の飛行機は重すぎて楽しくない、とかなんとか」

「……以外に単純な理由なんだね」

「ま、それだけではないとおもうけどね。探索者なら家を持ってなくても大きな問題はないし、年齢に関係なく収入は悪くないのよ。そのぶん危険が大きいのも勿論だけど」

 そこまでいったところで、ワンピースの少女が頼んだサンドイッチが届いた。

「さっきあんなに食べたばかりなのにまだ食べるのね」

「おなかが減るんだから仕方ないよ」

 宇月は今度こそ唇をコーヒーにつけるとちびちびとそれを飲みながら、

「ま、少なくとも澪は私が家を用意しても稼ぎのいい仕事を用意しても、探索者の仕事は止めないと思うわ。だからそんなに気にすることでもないわよ。きっかけは何であれ、あいつが好きでやってるんだから」

「そんなものなのかな」

「そんなもんよ。子供のころからの付き合いだし澪のことはなんとなくは分かるけど、心配するようなことでもないわ」

 首をかしげてスティックシュガーを少しだけ加えてから、宇月は続ける。

「それより、あなたの事を聞かせてよ。せっかく女同士水入らずなんだし」

「え、私のこと?」

「というか、あなたと澪のことね。さすがに記憶が無いあなたに自分について語れなんて酷な事は言わないわよ」

「一通りのことは昨日レイが話したよ」

「そういうことじゃなくってね。例えば、澪の第一印象とかどうだったのよ。あなたにとったら右も左も分からず彷徨ってたとこで出会った初めての人間ってわけでしょ。白馬の王子様、とはいかないでしょうけど何かしら思うところはあったんじゃないかしら」

「いや……、それほど危機感もなかったから運がいい、程度にしか思わなかったよ。まあ、悪い人じゃなさそうだとは思ったけどね」

「探索してるときの澪ってどんな感じなの?私、探索には行ったことも連れてってもらったことないから分からないのよね」

「どんな感じって言われても…………」

「ぶっちゃけ、あなたってレイのことどう思ってるの?すごい大胆なこともしてたみたいだけど」

「えふ、げほっげほっ。あれはその場の勢いというか……」

 半ば尋問のような勢いの質問に、途中からは今はこの場にいない少年を話のタネに酒が入ったテンションも相まって飲み会並みの大騒ぎ。元から客が多い店でもないので遠慮する必要もなく、時間だけが過ぎていく。

 ついにしびれを切らした宇月の顔見知りの店員に穏便に店を追い出された時には、もう西日が差していた。


***


 そして、女性陣二人が優雅なお茶会(?)をしていた間、一人で買い出しに行ったり水上機の整備の人たちと話をつけに行ったりと、せわしなく街中を歩きまわっていた葉ノ月澪は、すっかりへとへとといって差し支えない状態だった。

 もちろん、一日歩いただけでへたるような体力はしていないのだが、買い物をしたり人と交渉したりというのは体力ではない何かをごりごりと削っていく気がするのだ。操縦桿を握ってに命懸けの空中戦をしても削れないところを、だ。

 夏凪宇月の家に帰り、妙に仲良くなって帰ってきた女性陣と三人でまた軽い夕食を食べ、久々のシャワーと風呂で体の表面の汚れだけでも洗い流した少年は、そのまま少し湿り気の残る体でベッドに飛び込む。

 もちろん、銀髪の少女のベッドに飛び込んだわけではない。そんなことをしたらただの変態である。

 彼が飛び込んだのは夏凪宇月の家にある少年用のベット。こういうとまるで同棲でもしているようだがそういうわけではない。家を持たない少年が寝床を求めて転がり込んでくるたびに客用布団を出しては片づけるのが面倒になった宇月が、出しっぱなしにしててもいいように買ったものである。ちなみに、頼んでもいないベッドの代金は少年が払わされる羽目になったのだが。

 だからもちろんベッドが置いてある部屋も夏凪宇月の寝室とは別だし、そもそも聞いた話によると今少年がいる部屋はもともとは物置部屋のようなものだったらしい。不本意ながらその元物置部屋が自分の家のように思ってしまっている自分もいるのだが。

(あー、成り行きだったけどベッド買わされたのは正解だったな。気楽にごろごろできるっていうのは慣れると手放せん)

 枕に顔をうずめるようにして転がる少年。仰向けではないのは、単純に髪の毛がまだ湿っているから。

 身体を動かすのをやめると、一気に疲れが押し寄せる。

 ワンピースの少女を連れていたせいか、珍しく宇月の方から泊っていっていいと言われているので、うつ伏せで少し息が苦しいけどこのまんま寝てしまおうか。そう思ったときだった。

 こんこんっ、と。

 鍵もない簡素な扉をそとからノックする音がした。

 宇月なら「はいるわよー」とかなんとか言ってやってくるので大方ワンピースの少女の方だろう、と思いながら「どーぞー」とベッドに横になったまま返事をする。

 やはり、扉をあけて顔を出したのはワンピースの少女だった。いや、この表現は不適切か。今、少女が来ているものは見慣れた白いワンピースでも茶色いフライトジャケットでもなく、青みがかったうすい灰色の柔らかそうなズボンとシャツ、どっからどう見てもパジャマだった。

 どこか見覚えがあるな、と思ってから、以前銀髪の少女が着ていたことを思い出す少年。

「どうした?」

「ちょっと話したいことがあるんだけど、今いい?」

「寝ようかと思ってたとこだけど、まあ別にいいよ」

 よっこいしょ、と心の中で言いながらベッドの上に腰掛ける。

 パジャマの少女は近くにあった椅子を持ってきてそこに腰掛けた。

「で、話したいことって?」

 少年はベッドのシーツを片手で整えながらさらりと聞いて、

「なんで私のためにそこまでするの?」

 何から話そうかとか、最初は当たり障りのない話題から始めようとか、考えていたはずの事はすべて少女の頭の中から吹っ飛んだ。単純極まりない台詞の奔流が、その口からばらばらに飛び出る。

「何の関係もない他人なのに」

「レイにはここでの生活があるのに」

「生きて帰れるかもわからないのに」

「私の言うことが本当かもわからないのに」

「ほんとうに人がみつかるかもわからないのに」

「私にかまう理由だってないのに」

「レイにもなにか利益があるわけでもないのに」

「この世じゃあもう直せないのかもしれないのに」

「私がレイになにかしてあげられたわけでもないのに」

「それは大変だね、って言うだけで済ましてもいいはずなのに」

「わざわざそんな危険を冒さなくてもいいはずなのに」

「もう街まで連れてきてもらったから面倒見る理由もないはずなのに」

 俯いたままの少女の表情は、少年には分からない。

 だから、少年にはこう言うことしかできなかった。

「そのからだのまま、生きてるだけで寿命が削れて行く体のままでいいのか?」

「……いいわけないよ。自殺願望がある訳でもないし、少しでもこれが楽になるならその方がいいに決まってるよ」

 乱れた呼吸を整えるように一旦間をおいてから、少女は続ける。

「けど、ウヅキから、レイの事についていろいろ聞いたよ。昔の話とか、探索者をやってる経緯とか、その、ご両親の話とか。本当に楽しそうに話してたよ」

 少年は、口を挟まなかった。彼女に、言いたいことはすべて言わせてやらないといけないような気がした。

「それでね。私がそのレイの日常を壊してしまっていいのかなって。一人で探索してても、なんだかんだ帰ったら迎えてくれる人がいて、食事と寝床を提供してくれる人がいて。そんな生活を、偶然会っただけの私のために傷つけさせちゃうのが申し訳なくって。いるかもわからない陸地に残った人類を探しに行くなんて、生きて帰れる保証だってないし。そもそも、私が言ったことだって、もしかしたら記憶が無くなった拍子にどこか歪んじゃった、間違った記憶かもしれないのに」

 理路整然となんて話せるわけがない。とにかく頭の中に浮かぶ感情を片っ端から言葉にするようにして、言いたいことをなんとか伝える。

「だから、私のためだけにそんなにしなくたっていいんだよ、レイは。別に、今すぐ死ぬような重病ってわけでもないしね。あの時乗せてもらって、ここまで連れてきてもらえただけでも十分だから。手伝ってやるって、その言葉だけで充分だから」

 少年はしばらく黙っていたが、少女がそれ以上続けることはなかった。

 少しの沈黙の後。

「何でって言われてもなぁ。俺もよく分からん。けど、逆に生きてるだけで寿命が削れますなんて言われて、はいそうですかだけで済ませる理由もないだろ」

 座ったまま天井を見上げるような格好で少年は言う。

「それに、前も言ったと思うけど寿命云々の話は俺から聞いたんだ。尋ねたことにくらいは責任を持つさ」

「けど、」

「あと、俺の生活云々っていうのはあんま気にすんな。ここに戻ってくる気がないわけじゃないし、帰ってくればまた同じような生活が待ってる。第一、探索者っていう職業は融通が聞くのが売りなんだ。今回だって探索先がちょっと遠くになるだけの話だ。命の危険があるのも今回に限ったことじゃない」

 そこまでいった少年が少女の両肩に手を置くと、うつむいていた少女がゆっくりと顔を上げる。

「とにかく、俺はお前が助かるための手伝いをするって決めたんだ。けど別にそれは今あるものを捨てるって意味でもないし、そんなつもりもない。だからまあ、そんな気に負うな」

 別に少女の目に涙が浮かんでいたわけではない。むしろ、うっすらと笑っているようにも思えた。けれど、その笑い顔はやっぱりどこか力無かった。

「探索者ってのは、成果があるか分からなくても、何かありそうかもって思ったら動ける生き物なんだよ」

 だから、少年はこれが少女の不安を払拭するものではなく、むしろ卑怯に丸め込むようなものだと分かっていて、こう言った。

「それに、俺にとっての日常には、もうお前も含まれてるんだ。一緒に起きて、飯を食って、飛んで、寝る。だから、俺がしようとしてるのは日常と引き換えにお前を助けよう、なんてことじゃない。ただ、その日常を守りたいだけなんだよ」

 少年が何を言ったところで、少女の不安を、恐怖を、この感情を、取り除くことはできない。むしろ、少年が決意のようなものを語れば語るほど、少女のそれは膨らむはずだ。

 合理主義に基づいた、そろばん勘定でぎちぎちに固めた理由を提示すれば、ひょっとすればできたのかもしれないが、そうしたくはなかったし、できなかった。

 対する少女の答えは、シンプルだった。

「……ありがとね」

 声の調子自体はいつもと変わらない。

 その奥にある感情は、やはり少年にはわからない。

「そろそろ戻るよ。ごめんね、休んでるとこ邪魔しちゃって」

 少年がなんといえばいいのか分からずにいると、少女は椅子から立ち上がって扉の方へ向かう。

 ふと気になって、何も考えずに尋ねていた。

「そういや、お前はどこで寝るんだ?」

「ウヅキの部屋。お客さん用の布団を出してくれるって。なんならレイも来る?どうせまだ寝るには早いでしょ。お昼のお酒の残りもあるし」

 振り返った少女が肩越しに答える。

 その声に先ほどまでの陰りのようなものは感じられなかった。

「んじゃ、俺も行くか」

 そう言ってベッドから立ち上がり、うつ伏せになったせいでぐしゃぐしゃになった湿った髪を軽く指で梳く。

 切り替えが早いなと思いながら、パジャマの少女の後についていく少年なのだった。


  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る