第五章 引き波は津波の予兆 ~Bread, Butter and Momentary Quiet~
第16話 8番アーク
「8番アーク管制塔。こちら、登録番号MS-836W、着水許可を求む」
「了解。MS-836W着水路135Rに着水を許可。風向きは150度、風速は3メートル。135LにMS-817Wが着水中。注意されたし」
「MS-836W了解。着水路135Rに着陸する」
あたり一面の海に、ポツンと浮かんだ四角形の物体。
船にしては大きいが、島と呼ぶには人工的すぎる。
その「方舟」に近づく、小さな点があった。
ベージュの機体に、同じくらい大きなフロート。推力を生むプロペラは機首に一つだけで、人が乗るキャノピーは少しアンバランスに縦長い。
「ねえねえ、あれがレイの街?」
「そう。大体人口は千人弱。主なエネルギー源は風力とか波力とかの再生可能エネルギー。人類に残された最後の生活空間「方舟」、その8番艦だ」
遠足に行く前日の子供のように浮かれた様子の少女に、管制塔との通信を切った少年は操縦に集中したまま説明する。
ただ、8番艦、というのは少々語弊があるかもしれない。ばらばらに建造された「方舟」に通し番号を振っただけなのだから。それに、「方舟」には航行機能はない。海に浮かんではいるものの、実態は人工島のようなものだ。
少年たちの乗るベージュの機体が洋上に浮かぶ「方舟」に近づくにつれ、その詳細が鮮明に見えるようになる。そして、「方舟」以外のものも。
「ねえレイ、あれは何?飛行機みたいだけど、なんか形が変じゃない?」
「ん?ああ、あれは多分戦闘機だろうな」
四角い「方舟」の上空を鋭角的な軌道で飛び交う2つの点。よく目を凝らせばその点が鏃のようなシルエットをしていることが分かる。
機体の後ろ側に取り付けられたプロペラに、本来なら水平尾翼があるべき部分で存在感を放す鋭い主翼。機首にはプロペラはなく、その代わりではないが小さな長方形の前翼、カナードが装備されている。2つある垂直尾翼は左右の主翼両方の中ほどから上下に長く生えており、そして何より、普通なら胴体の下にあるはずのフロートがない。
「ほかの飛行機を撃ち落とすことに特化した飛行機だよ」
そういう少年の目に、焦りや恐怖といったものは無い。むしろ、古い友人を見るような目でその点を眺める。
それもそのはず。その2つの「点」は、少年の生まれたこの「方舟」を守るための物なのだから。
いつの時代だって、たとえ人口が冗談抜きに最盛期の何千何万分の一になったこの時代にだって、人間同士の争いは絶えないし、普段は文書で行われているそれがより見えやすい形になって出てこないとは限らない。
鋭く切りし返しながら空を舞う2機のエンテ型の戦闘機を横目に見ながら、少年たちの機体は着水動作に入る。
この「方舟」付近に降りるときだけ、接触事故防止のため海上にブイで示された「着水路」の上に降りる必要がある。
他の機体に気を付けながら管制塔の指示通りの着水路に降り、新たに受け取った指示の通りに誘導航路を進むのだが、これが長い。とろとろと航路を進んでいる間に少し離れたところにある滑走路に先ほどの戦闘機が着陸してパイロットが降りるところまで見届けられた。
やろうと思えば数分で進める距離を安全のために数十分かけて進み、小さな港のような駐機場につけると、ようやく着水完了。
この間もずっとワンピースの少女は近くで見る街の様子に興味津々といった様子で開いた風防から身を乗り出していた。
港の方に設置してある小さな脚立のようなタラップで機体から降りてから、その辺で暇そうにしていた職員に燃料の補給と整備のための申込書類のようなものを渡し、これでやっと自由の身。
「すごいっ。人がいっぱいいる!」
「まあ、これでも街だからな。とにかくまずは今日の宿とお前の服の替えを買わないと」
横に並んでそんなことを話しながら、入国管理ならぬ入船管理を受けてから正真正銘の街へ足を踏み入れる。ちなみに、素性不明の少女は少年の連れと言ったらノーチェックで入れた。もちろん手足は肌の色に偽装しているが、ザルもいいところである。
「お、おぉぉぉぉ」
入船管理の建物から出た途端に、改めて雑踏と建物に圧倒されるように驚嘆の声を出す少女だったが、その声は突然横から聞こえてきた声で途切れた。
「おかえり。今回はずいぶん早く帰ってきたのね」
その言葉から、少女は少年の母親がやってきたのかと思ったが、声質からそれは無いなと即座に否定する。
そして、声のする方を向いた瞬間に、その声の主が一体誰だったのかはすぐにわかった。
なぜ、口が一瞬への字に曲がってしまったのかは少女にはわからない。
「お、久しぶりだな、宇月。まあ、いろいろあってな。今回もあんまり長居はしないと思う」
「それって、澪の後ろからこっちを見てるその子に関係が?」
「ちょっと、あなたも見た感じ同じくらいの年だよね。その子扱いは納得いかないんだけど」
ワンピースの少女よりも長い髪は白より銀と形容する方が適切に思えるほど透き通った色で、身長は彼女より少し高いくらいか。髪とおそろいのように白い肌に、薄く青みがかった白っぽい瞳。
その並外れてとまではいかないものの整った顔立ちも相まって、ぱっと見ただけではか弱い乙女といった風な印象を与える。あくまで、ぱっと見ただけでは。
けれど、その宇月と呼ばれた少女が来ているのは少女の着ていたものとと同じフライトジャケットに、同じような色と素材の長いズボン。そして、明らかに少女の来ていたそれよりも使い古されている。
「あーごめんね。けど、呼ぼうにも名前が分からないのよ。名前を教えてもらえたらそれで呼ぶけど」
「じゃあ教えてあげる。私はね、」
そこまでいったところで少女が言葉に詰まった。それはそう。少女は名乗るべき名が分からないのだから。
それに気が付いた少年が慌てて会話に割って入る。
「あ、紹介するよ。こいつは夏凪宇月っていって、俺の昔馴染みというか、昔からの知り合い。一応ここの防空隊でパイロットをやってるけど実戦なんてないからまあ実質暇人みたいなものだな。ちなみに俺が言った空戦をみっちり仕込まれたやつってのもこいつの事。多分さっき見た戦闘機のうちどっちかは宇月が乗ってたはずだ」
「昔馴染みなんて爺臭い言葉使わずに幼馴染って言えばいいじゃない。あと、何百回でも言うけど私は暇人じゃないわよ。ちゃんとした公務員なんだから、少なくとも澪よりはまともな職なのよ」
「ってまあ、こんな感じだ」
少年は自分の方に顔を寄せて力説する宇月を軽くあしらいながら、真横で仁王立ちする少女に説明する。
そして、茶髪と銀髪の少女がぎこちなく互いに頭を下げて再び上げると、少年は困ったような顔をして、
「で、こいつはいろいろ訳あって一緒に旅をしていたやつなんだけど、詳しい話はここではしにくいからどこかゆっくり話せる場所が欲しい。頼めるか、宇月」
「じゃあうち来る?最近来てなかったでしょ。予定とかもないし好きなだけ時間は取れるわ」
「んじゃ遠慮なく。ついでに飯でももらえると助かるんだけど」
「帰ってくるといつもそれね。ま、今日くらいはいいわよ。けど、あんまり凝ったものとかは出せないからそこのとこはよろしくね」
「缶詰じゃないものが食えるだけで充分ありがたいさ。それに宇月の言う凝ってないものは俺からしたら十分凝ったものだしな」
テンポよく進む会話に置いて行かれた少女がしびれを切らして少年の膝裏に強烈な膝カックン、もとい蹴りをお見舞いするまでそう時間はかからなかった。
「えっと、どこから話したもんかな」
オレンジ色の照明に包まれた、冷房の効いた空間。
夏に入る前のこの時期に冷房というのも変な話なのだが、少年たちにそれを気に掛ける様子はない。
理由は一つ。この「方舟」ではそれが当たり前なのだ。海の上にある都合上常に外は潮を含んだ海風が吹いており、窓を開けて換気などしようものなら部屋の仲がべたべたになりかねない。かといって密閉すれば当然照明や体温の熱がこもるので、冷房が必須になる。
「まずはどうやってこいつと会ったのか、からが妥当か」
場所は夏凪宇月の家、その食卓である。
一人暮らしには少し大きいくらいの丸いテーブルを囲って座った少年と二人の少女。銀髪の少女は先ほどまでの飛行服ではなく、部屋着と思しき普通の格好で、そのテーブルの上には彼女が先ほどまでやけに気合を入れて作っていた手料理の数々。
肉が少なく魚介類ばかりなのは立地上仕方がない。むしろ、今や高級品となっている肉がほんの少しとはいえ出てきたことに少年は驚いていた。腐っても公務員というだけあって手当はしっかりとしているのか。
「その子、少なくとも澪がここを出たときには連れてなかったわよね」
「まあ、そうだな」
少年は魚の骨を箸でとりながら、少女に尋ねる。
「どこまでなら話していい」
「この宇月って人、信用できるの?」
それを聞いた宇月はレタスを刺したフォークの先をくるくると回して、
「口は堅いほうよ。昔、澪が勝手に他人の飛行機で飛んだ時も大ごとにならないように黙ってこっそり後処理したのは私だからね」
「あの時はお前も関わってただろ」
「ウヅキには聞いてない」
二人から同時にツッコまれて首をすくめた宇月は、レタスを口に運んでから、
「らしいわよ、零。どうなのかしら」
「まあ、俺の知ってる中だと一番信用できるんじゃないか」
ワンピースの少女はぐっとスープを一気に半分ほど飲み干すと、
「なら好きなとこまで言っていいよ」
「え、いいのか?」
「私はレイを信用することにした。そのレイが信用するって言ってるんだから私もウヅキを信用するよ。それに、レイはここでこれからの準備をするつもりなんでしょ。一人だけでほんとに全部できるの?」
「……それもそうだな」
少年はパンを一口食べてから、宇月の方を向き直る。
「こいつがどこのだれかは俺も分からないんだ。探索の途中で偶然拾っただけだからな」
「拾った?女の子を?猫みたいに?」
トマトを口に入れる直前の状態で固まる宇月。すかさずワンピースの少女が付け足す。
「というか、私が頼み込んで乗せえてもらったって感じだね。拾ってもらえてなかったら今頃どこかで野垂れ死んでたと思うよ」
「自分の飛行機が壊れちゃったとか、そういうこと?」
「多分そうじゃないんだ」
少年は骨を取り終わった魚を一切れ口に運んでから、
「分かってると思うけど、こっから先はこいつのためにも他言無用で頼む」
「言われなくてもそうするわよ」
「記憶喪失に、機械の体、ねえ」
一通り話し終わった後でも、テーブルの上の料理の量はさほど変わっていなかった。
乾いた口をお茶で潤してから、少年は続ける。
「だから、こいつはここの正式な住民でもないし、あんまり人に知られたいような話でもないから、いまのとこ宇月以外にはこれを伝えるつもりはない」
「まあ、だてに長い付き合いじゃないからね。最初見たときから分けありそうだなとは思ってたし、他の人には言わないわ」
そして、宇月は真ん中に置いてあった皿からローストビーフを一枚とって、さらりと、
「にしても、あなた澪に機械とはいえ身体を直接見せるって、ずいぶん大胆なことしたのね」
「……ぶっ、げほっげほっ」
ワンピースの少女は飲んでいたお茶を盛大に噴出してむせこんだ。
自分のしたことの恥ずかしさに悶えるのはとっくのとうにやっていたはずなのだが、他人、それも同じ女性にそれを言われるのではまた別の恥ずかしさがあるらしい。
「き、機械じゃないとこは隠してたよ。この辺とかは隠してたしっ」
「それってつまりは、そこ以外は見せたってことよね」
見事に墓穴を掘ったワンピース少女は、あ、いや、と声にならない言葉を漏らすもそれが言葉にならない。
「で、澪君よ。君はこの子の体を見て何と言ったんだね。もし気持ち悪いとか言ってたなら私がこの子に代わって殴ってあげるけど」
「いや、まあ、綺麗だな、って」
今度は宇月がお茶を噴出す番だった。
「別に変な意味じゃなくって、その、機械特有の美しさというか、なんというかね……」
「あーわかったわかった。それ以上は言わなくてもいいわ。そっちの子が今にも頭から煙出しそうになってるし」
どうやらこのワンピース少女、銀髪少女宇月の前では少年と二人でいたときの威勢のようなものはどこかに行ってしまうらしい。
焼けになったようにサラダをかき込む様に食べる少女を横目に、宇月は続ける。
「で、大体の事情は分かったけど、それで澪はどうするつもりなの。その子の体を治す技術も道具も、この街には無いのは分かってるでしょう。というか、そんな高性能な義肢、もはやロストテクノロジーになっててもおかしくないわよ」
声色が、変わった。先ほどまでのふざけたような調子から、真剣な調子に。
「それは分かってるさ。けど、だとしたらおかしいと思わないか?」
「何が?」
「こいつの存在自体。俺らと同じくらいの年なら、この体だってそう古いものじゃないはず。だったら、ここ何年かのうちにこいつの体を作った誰かがいるはずなんだ。だから、絶対に直せるはず。このレベルの技術は十年もせずにきれいさっぱりなくなるような物じゃない」
「けど、事実として今ある技術じゃ多分その体は直せないわよ」
銀髪の少女は、淡々と事実を述べる。少年を打ち負かすためではなく、少年が正しい方向へ進めるように。間違った方向へ突き進まないように。
そして、少年の次の言葉はそんな少女さえも思わず言葉に詰まるようなものだった。
「なら、今ない技術を探せばいい」
「……タイムマシンでも作るつもり?」
プチトマトの表面で滑ったフォークが皿とぶつかって甲高い音を立てる。
「そうじゃない。俺たちの知ってるこの「方舟」の技術で直せないなら、「方舟」以外の技術を頼るしかない」
「「方舟」の外の技術って、人類はもう方舟でしか暮らせないのよ」
「それは本当か?「ない」の証明は悪魔の証明だ」
「ひょっとして、「方舟」以外にも人が残ってるっていうの?」
ドレッシングを振っていた少年はその手を止め、ふたを開けながら、
「俺はそう思ってる。こいつの体は「方舟」に残ってる技術じゃあ作れないし、それに何よりこいつは飛行機が操縦できない。銃の扱いとかは全部わかるのに、だ」
「今の澪みたいに、だれか乗せてくれる人がいてはぐれた、とかの可能性は無いの?」
「ないとは言い切れないけど、それでも体の方の疑問は残る。それに、ワンピース一枚で持ち物なしっていうのも変だ。ピクニックじゃないんだからそんな恰好で陸地に行くやつは滅多にいない」
「……当てはついてるの?」
食器から手を放し、少年の方をまっすぐに向いて言う宇月。
「正直さっぱり。この辺の海だったら知らないはずはないだろうからいるとしたら陸の方だろうとは思ってるけど」
「なるほどね。じゃあ、澪は、」
「こいつを連れて内陸の方まで飛んで、だれか人に会えないか試してみるつもりだ」
「会えなかったらどうするの」
「その時はその時。少なくともこの街でじっとしてたとこでこいつの寿命は削れてくだけだ。だったらダメもとでも行動を起こさなきゃ」
そこまでいったところで、今まで一心不乱にテーブルの上に並んだ料理を食べていたワンピースの少女が唐突に叫んだ。
「そうだレイ、街についたらお酒おごってくれる約束だったでしょ!あれどうなったのっ。どう考えても街についたでしょっ」
先ほどまでの重苦しい空気が一瞬で吹き飛ばされる。
「あーそういやそんなこと言ったな」
「何、ひょっとしてなかったことにするつもり?」
「まさか」
少年はサラダを一口頬張ってから、
「ってわけで、酒ないか、宇月。金は後で俺が出すから」
「それくらい持つわよ。ちょっと待ってね」
宇月は椅子から立ち上がって冷蔵庫にビールを取りにいく。
昔は酒には年齢制限があったようだが、今の世の中では自己責任。さすがに小中学生が飲むのは暗黙の了解で駄目だが、少年たちくらいの年ならば酒を飲むのも珍しいことではない。
「そういえば、あなた何か適当な名前を名乗るつもりはないの?名前がないと不便でしょ」
戻ってきた宇月がコップに注いだビールを一口飲んでワンピースの少女に尋ねる。
ぐびびびびっ、と一気にコップ半分ほどのビールをのどに流し込んだ少女は、
「それなら、レイが考えてくれるはずだよ」
思わずむせ込んで炭酸が鼻に入った宇月に涙目になって睨みつけられながら、少年はビールの入ったコップを小さく傾けたのだった。
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