第15話 告白と決意


「案外何とかなるものだね」

「俺は死んだかと思ったよ。今日一日で寿命が十年は縮んだ気がする」

 建物の三階から飛び降りるようにして脱出した少年たちは、アンドロイドとの鬼ごっこの末、水上機を泊めたところまで戻ってきていた。

「あれだけ危ない目にあっておいて収穫はゼロ、か」

「パッケージがあれだけいたんだから、生きて戻れただけラッキーだよ」

「それについては感謝してる。俺だけだったらまず助からなかっただろうしな」

「レイだけだったらあそこに行くこともなかったでしょ。困ったときはお互い様だよ」

 二人がかりで飛行機を水の上に押し出すのも、もう慣れた作業。

 河原に溝のような跡を残しながら水の上に浮かんだ水上機に順番に乗り込んでいく。今度は川に落っこちることもなく、いつもの席に腰を落ち着ける。

 つまみを回してエンジンを始動し、エンジンの力で後進して川の中ほどまで進む。

 そして、プロペラピッチを操作してからスロットルを押し込んで離水する、ことはなく、少年はスロットルを絞ると操縦桿から手を放した。

 川に浮かぶ水上機は、その流れに従って笹船のように下流の方へ流れていく。

「なあ、その体のこと。昨日言ってたことが全部じゃないだろ」

 少年が前を向いたままぽつりと言った。

「んー、なんのことかな」

「昨日も言ってたその体の力。機械なら出力って言った方が正しいのかもしれないけど。それ、正常な状態じゃないだろ」

「だから言ったよ。力加減がうまくできないんだって」

「よく考えたら、正常な状態ならちょっと力加減を間違えた程度で中身が入った中身入りの缶をつぶせるはずがないんだ。そんなんだったら普通に暮らすこともままならない」

「ひどい言い草だなぁ。私はちゃんと生活できてたよ」

 そういう少女の言葉には、いつものような力は感じられない。

「それに、今日のあれ。あの汗からして、単なる機械の故障とかじゃないだろ」

 今度は、少女の言葉はなかった。

「こっからは俺の想像と推測なんだけど、」

 前を向いたままの少年は、少し間を開けて続ける。

「その出力、かなり無理して出してるんじゃないか。生身の体の方にも負担がかかるくらい。力加減できないっていうのはよくわからないけど、うっかり缶を握りつぶすのもその体本来の仕様じゃないんじゃないか?」

 返事は、すぐにはなかった。

 エンジンとプロペラのぱたぱたという音がいつもより大きく聞こえた。

「そこまで言われちゃったら嘘はつけないね。あたりだよ」

 沈黙を破ったのは少女だった。

 力なくため息をついてから、明るい声で言ったが、無理に明るく振舞おうとしているのは人と接することの少なかった少年でも分かった。

「これもなぜか覚えてたんだけどね。私の体は、一言で言うとね、故障してるんだよ。故障って言っても、普段はそこまで問題にならないけどね。リミッター、って言ったらわかるかな。出力の上限を制限するところがうまく働かないの。だから、出そうと思えばさっきみたいな人間離れした力も出せるし、ちょっとした拍子にその力が思わず出ちゃったりもするんだよ」

 そこまで言ってから、言葉を切る少女。後ろの席に座る少女の表情は少年にはわからない。

 けれど、どんな顔をしているのかは想像がついた。

 それでも、少年はこれを言わなければいけない。

 たとえ、それは少女を傷つけるかもしれないとしても。

「それだけじゃないだろ。それだけだったら、左足が動かなくなることもないし、あんな苦しそうな汗をかくこともないはずだ。それに、あんな桁外れた出力が、何にもなしの出るとは思えない。教えてくれ。その体、というか、君自身について」

 今度の沈黙は、先ほどよりも長かった。

 我慢比べのような時間が流れる。

「あーあ、これは言わないつもりだったのになぁ。」

 少年が質問を取り消そうとして口を開く直前、少女が根負けしたように言った。

「そもそも、私の体の動力源が何なのかって気にならなかった?」

「あー、考えたことなかった」

「食べ物なんだよ。もうちょっと詳しく言うと、普通の臓器とか筋肉と同じようなメカニズムで、エネルギーを生成してるの。具体的な仕組みはわからないけどね。だから、この機会の体は独立したシステムじゃなくて、もともとの私の血液とか、神経とかのネットワークの一部に組み込まれてるの」

 大きく深呼吸をするように言葉を切ってから、少女は気に吐き出すように、

「そのエネルギー生成装置が壊れかけてるんだよね。わかりやすく言ったら、燃費がすごく悪くなってるの。だから、この体で強い力を出せばにその数倍はエネルギーを消費するし、その上、機械の方の体も私の生身の臓器に繋がってるから無理な力を出した影響は機械じゃないほうの体にも響いてくる。本来ならリミッターで無理な動きはできないはずなんだけど、壊れちゃってるからね」

 そして、続く一言は、問い詰めた少年にとっても予想の数段上をいくものだった。

「多分ね。私は、今日も文字通り寿命がいくらか削れたんだよ」

 不思議と、その言葉に先ほどの陰りのようなものは感じられなかった。

「それって、」

「この体は機械じゃない方の体に本来ならありえない負担をかけているって言ったでしょ。だから、私は普通に生きてるだけで残りの体もどんどん、なんていうか、ボロボロになってくの。寿命が削れたっていうのはそういうこと」

 ぎしり、と少女が座席に座り直す音がした。

「これも運命ってやつなのかな。いっその事、これも忘れてたらよかったのにね。そうすれば、なぁんにも知らずに心穏やかに死んでいけたのに」

「いいや違う」

 ぼそり、と独り言のようにつぶやいた少女に、考えるより先に少年の口から言葉が飛び出た。

「お前があのまま一人だったんならそうだろうけど、現実はそうじゃない」

「何が言いたいの?」

「正体不明の難病ってわけじゃない。原因は分かってるんだ。なら、諦めなきゃいけない理由なんて一つもない」

「直せる心当たりでもあるの?」

 答えなんて分かり切ってる。そう言外に匂わせるようにして、少女は言う。

「ないさ、そんなもの。あったらとっくに言ってる」

「じゃあ応援のつもり?変な根性論とかなら間に合ってる。そういうことを言うなっていう綺麗事なら余所で言って」

「そうじゃない」

「なr

「俺がお前を助けてやるとは言えない。俺は天才科学者でもないし、万能のヒーローでもない。けど、どこかにお前を救えるだけのものを持った人がいるかもしれないし、俺はそれを探す手伝いならいくらでもしてやる。だから、手を貸してくれって言ってくれよ!」

 少女の声にかぶせるようにして叫んだ少年の声が、狭いコクピットの中で何重にも響いた。

 今度の沈黙は、僅かだった。

「ちょっと前に偶然拾っただけの私に迷いなくそこまで言えるって、相当のお人よしだね」

 背もたれに体重を預けて、その上に頭をのせるようにして真上を見上げた少女が言う。

 何でそこまで思えるのか、正確な理由なんて少年にだってわからない。けれど。

「こっちから聞いたんだ。聞いたことには責任を持つさ」

「……そうね」

 そう言った少女は、前の座席の肩に両手を置き、その両腕の間に顔をうずめたまま、消え入りそうな声で、今度こそ、こう言った。

「……助けて」

「当たり前だろ」

 ほとんど同時に、左手でスロットルを押し込む。

 少年の言葉は高まったエンジン音にかき消され、後ろの少女に届いたかは分からない。

 弾けるように加速した水上機は、まっすぐに空へと飛び立つ。

 空に舞い上がった少年が後ろを見ると、少女は気持ちよさそうな顔で眠っていたのだった。

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