第14話 跳躍
上からはほぼ真上に上った太陽が照り付け、その熱で温められた足元からはかすかな熱気が伝わってくる。
そよ風程度の風が少年と少女の頬を撫で、その髪の毛をかすかに揺らす。
少年たちがいるのはもちろん屋外なのだが、建物から外に出たわけではない。
いや、ある意味では外に出たとも言うかもしれないが。
「距離は大体高低差を加味しても二十メートル弱。風は無視していい」
狙撃銃のスコープを覗き込んだ少年が独り言のようにぶつぶつとつぶやく。
少年たちがいるのはさっきまでいた建物の屋上。
片膝をつくようにして座った少年のすぐ脇では興味津々といった感じでそれを見つめる少女がいて、その後ろにはとっくに柱だけになった給水タンクだったはずのものが物寂しくそびえている。
「どう?やれそう?」
「絶対とは言えないけど、この距離なら台風でも来てない限り当たる、と思う。むしろ近すぎてスコープじゃ見づらいくらい」
スコープ越しの丸い視界の中には、廊下をまるで巡回でもするように二人組で歩いているアンドロイド。しかも、それがおそらくは何組かいる。
「大丈夫だとは思うけど、一応もしほかの無人兵器がここまで上がってきたら頼んだ」
「それは心配しないで。絶対に背中は撃たせないから」
少女が横で言うのを聞いてから、少年はスコープ越しの景色と右の指先に神経を集中させる。
割れた窓の端から、ゆっくりと、きょろきょろと周囲を見まわしながらアンドロイドが現れる。アンドロイドなりに警戒はしているようだが、それより幾分か高いところにいる少年たちにまでは気が付いていない。
二機のアンドロイドが窓から見えるところの真ん中に差し掛かったあたりで少年は短く指を引く。
重い反動とともに乾いた音が響き、薬莢が舞う。
さえぎる物もなく飛翔した7.62ミリの銅と鉛の弾は、斜めに着弾したにも関わらずアンドロイドの胸部装甲を熱したバターナイフでバターを抉るようにあっさりと喰い破り、文字通り心臓部を破壊された機械の兵士は棒が倒れるかのように、斜めに倒れこむ。
急いで窓の外を見上げた残りの一機と目が合った瞬間。第一射の反動を抑え込んでなんとか銃身を落ち着かせた少年が、再び引き金を引く。
アンドロイドが手にした銃を構えるより先にその歪な頭部に弾丸がめり込む。装甲も何もない頭部が弾丸を防げるはずもなく、関節部が弱くなっていたのか、銃弾の勢いで頭がごろりと転がり落ちる。
そこから先は、流れ作業だった。
まるでベルトコンベアーに乗っているかのように等間隔でやってくるアンドロイドに、工業機械のように弾丸を打ち込み続ける。
「仲間の残骸があるから気を付けよう、くらいは思わないのかな」
「あいつらは基本的には単純だからな。経験則だけど、残骸だと認識できてもそこから危険に結びつけるだけの頭は多分ないと思う」
「んー、それで人間が陸地から追い出されちゃうんだから物量って怖いよね」
そして、マガジンを付け替えて数発撃ったころ。
折り重なった残骸が廊下を塞ぎそうになってきたあたりで、急にアンドロイドがぱたりと来なくなった。
「全部やっちゃったかな?」
「多分それはない。さっき見えた数より少ないし、何より物陰に隠れてるのがちらちら見える」
「仲間の残骸には危機感を抱かないのに、狙撃され続けたら隠れることはできるんだね」
「ああ見えても頭の中身は俺たちの知らないレベルの技術の結晶だろうからな。あいつらの頭の中は俺たちにはわからん」
数を減らす、という当初の目的は達成できたが、流石に建物内のアンドロイドを全滅させるというのは無理があるだろう。
ひとまず少年はスコープから目を離し、あおむけに転がって固まった体を伸ばす。
「まあ、できる限りの事はやったしここからはまた同じように玄関からごめんくださいするしかないか」
侵入するならどのコースで、どこを伝って移動するか。ぼんやりと考え始めた少年だったが、その考えをまとまる前に状況は再び動き出した。
耳慣れない笛のような音と、硬いものが擦れるような音。
そしてそれに埋もれそうになりながらもかすかに聞こえる聞きなれた硬質な足音。
「……それは無理そうだね」
慌てて起き上がって、ぽつりとつぶやく少女の横から下を覗き込むと音の正体はすぐわかった。
まず目に入るのは、まるで昔の軍隊のように建物の周囲にぐるりと張り付いて周囲を警戒するアンドロイドたち。
これだけでもうんざりするのだが、それ以上に嫌なものがそこにはいた。
土を噛む金属の二つの履帯に、乗用車ほどの大きさがある車体。そして何より、その上で存在感を放つ二門の機関砲と、それを保持する小型の砲塔。そのうえでくるくると回っている大きな竹とんぼのようなものは恐らくはセンサー類だろう。
「……俺の街だと戦闘車型って言われてるやつだ」
話には聞いたことはある。なんなら朽ち果てて森に飲まれかけた残骸も見たことはある。けれど、実際に見るのは初めてだった。
「あれ、突破できるか?」
「私は無理だね。仮にあの戦車みたいなやつに撃たれなくても、多分ほかのアンドロイドに弾幕を張られたら手が出せないよ。それにアンドロイドの持ってるアサルトライフルと違って、あれに撃たれたら多分この体でも腕とか足の一本は持ってかれる。生身の方に当たったらまず助からなさそうだし。レイのその銃でなんとかならないの」
今までは好戦的に見えた少女があっさりと否定した。それだけで、下で待ち構える車両が今までより一回りか二回り脅威に思えてくる。
「多分無理じゃないかな。装甲を抜けるかも怪しいし、抜けたところでどこを狙えばいいのかさっぱり分からない。最悪、撃破したと思ってたら生きてましたなんてことも……」
と、そこまで言った少年は大切なことに気が付く。
「なあ。これ、脱出しようにもあの車両の射線に入らないと出られなくないか?」
「あー、うん、ほんとだ。そうだね」
沈黙。
敵地の真ん中で、出口は封じられて、立ち往生。しかも、敵地といっても話の通じない、いわば「人類の敵」が闊歩している。
一人でこんな状況に放り込まれたら絶望ものだろうが、少年には不思議とそこまでの絶望感はなかった。どうやら人間は誰かといると根拠もなく楽天的になれる生き物らしい。
そうはいっても、黙ってても状況は良くならないし、多少楽天的になったところで問題は解決しない。
少し居心地の悪い沈黙を先に破ったのは少女の方だった。
「一つ考えがあるんだけどいいかな」
「考え?」
何か変化球の妙案があるのだろうか、と思う少年だったが、少女が続けたのは変化球よいうより魔球といったほうがいい類のものだった。
「こっから直接隣の建物に行くっていうのはどうかな」
「直接?」
「あのパッケージは、見た感じあの建物を守るように展開してるよね。だから、守ってる建物に何かがあれば何かしら動くはずだよ。どう動くかは分からないけど、少なくともこのままじゃ私たちは外に出れないんだから試してみる価値はあるはず」
「それはわかったけど、直接ってどうやって?」
左手でスカートを膝の上あたりまでまくり上げた少女は、挑発的に笑いながらその白磁のような足を陽にさらして、
「跳ぶんだよ。ここからね」
すこし無理をしたような、けれどこの状況に似合わないくらい明るい笑顔でそう言った。
***
「用意はいい?」
「用意も何も、俺は何もすることないんだけどな」
少年の目の前に見えるのはざらざらとした屋上の床。
とはいっても、少年が床に転がっているわけではない。むしろ、少年は手も足も床にはついていない。
少年がいるのは少女の背中の上。わかりやすい言い方をすれば、おんぶというやつである。
この年になって同年代の少女におんぶされている図というのはなかなかに変な絵面であろうが、別に少年が好き好んでそうしているわけではない。
むしろ、少女による両手を使っての運搬、いわゆる「お姫様抱っこ」を全力で回避した結果がこれである。
流石にお姫様抱っこされたまま大ジャンプ、というのは少年のプライドの大事なところが壊れそうな気がしたのだ。
そして少女が重心が左右にずれるのが嫌だと言って代わりに提案したのが今少年がされている、おんぶである。
まあ、おんぶならいいのかというと、答えに困るところではあるが、背に腹は代えられぬ、というやつ。
そしてもう一つ。なぜ、背中に負ぶわれているのに床が見えているのか。これについては簡単にこたえられる。
少女が両手を地について腰を上げる、クラウチングスタートのような姿勢をとっているからだ。
だから、少年はいま頭から落っこちないように全力で少女にしがみついているわけである……情けないことに。
当然、人ひとりを背負っているのだから、並の人間ではこの姿勢になっただけでつぶれてしまってもおかしくない。しかし、記憶が無いが故に幸か不幸か判断はつかないが、少女は「並みの人間」ではない。
「しっかりつかまっててね」
そして、少年の右半身には少女の体温が直接伝わってきて、鼻先には少女のつむじが見えているという大変心拍数が上がりそうな状態ではあるが、少年としてはそれどころではなかった。
いや、確かに心拍数は上がっているのだ。それは認めるし、何なら顔も赤くなっていることだろう。
けれど、顔が赤いのは頭が下がる姿勢のせいで物理的に頭に血が上っっているせいだし、心拍数が高いのはこれから起こることが予想できているから。
「もう全力でつかまってるから、力尽きる前に早く行ってくれ」
「じゃあ行くよっ」
少女がちょっと近所に出かけるような調子で言うと同時。
折りたたまれていた少女の足が一気にバネのように伸び、足を置いていた屋上の淵を囲う車止めほどの高さの突起を蹴る。
強烈な後ろ向きのGとともに、少年の周囲の景色が一気に後ろに流れていく。
心の準備、なんて言っている余裕はなかった。
体感、1秒もしないうちに屋上の逆の端に到達した少女はその左足を使って屋上の端で踏み切ると空に舞った。
操縦士として、空間把握能力と動体視力は人並み以上にあったのが仇となった。
すべてがコマ送りのように思えた。
少年がずっと操ってきた飛行機よりはずっと低く、ずっと遅いはず。
そのはずなのに、少女の体越しに伝わってきていた地を蹴る感覚がなくなったとたん、少年の背筋に冷たいものが走る。とっくの昔に、何なら物心つく前には克服したはずの高さに対する恐怖が、十何年越しに蘇る。
無意識に少女にしがみつく両手足に力がこもる。
そのまま少女は放物線を描いて隣の建物の屋上へと近づいていくが、少年にとってはまさに生きた心地のしない時間だった。
慣れ親しんだはずの落下時の内臓が浮くような感覚は、まるでこれが初体験かと思うような恐怖を呼び、近づいてくる目的の建物はまるで落ちてくる釣り天井のように思える。
少女が両足を前に伸ばし、着地の姿勢をとる。
直後、時間が戻った。
着地の衝撃とともに少女の背中から投げ出された少年は、ざらざらとした屋上の床の上を勢い良く転がり、何か鉄パイプの山のようなものに突っ込んで停止する。
崩れてきた鉄パイプのうち何本かの腹が少年の背中を打ったが、ようやく足が付くものの上に戻ってきた少年にはそれに気を回すほどの余裕はない。
一方、少年が投げ出された反動でバランスを崩した少女は同じく転倒するものの、くるりと一回転して何事もなかったように立ち上がった。
「ほら、行けたでしょ」
「確かに行けたよっ。行けたけどっ、死ぬかと思ったよ!」
鉄パイプ、もとい給水塔の残骸の山の中から全力で抗議する少年。
「いいじゃない、死んでないんだから」
「多分寿命が数年縮んだ」
「私だってこんな距離跳んだのは初めてだから寿命が縮んだ気がするよ」
少女は少年が瓦礫の山の中から這い出すのを待ってから、腰の拳銃を抜き、逆の手で少年とは別に投げ出されていた。狙撃銃を手渡す。
「銃身歪んだりしてないといいんだけど」
「少なくともレイと一緒に鉄パイプの山にスライディングはしてなかったら大丈夫じゃない?」
そして、それを受け取って一歩目を踏み出した少年は、一瞬、自分がさっきの大ジャンプでとんでもないトラウマでも負ったのかと思った。
三半規管がおかしくなったのかとも思った。
けれど、そのあとに続いた出来事が、それが幻覚ではないことを証明していた。
体重を支える床を失った少年は、ついさっきまで床だったはずのものとともにまっすぐ真下に落ちていく。
断面を見ながら、天井って意外に分厚いんだな、とどうでもいいことを考えたりもした。
一瞬の浮遊感の後、ひゃっ、という少女の悲鳴も聞いた気はしたが、少年はそちらを見上げるまえに、尻から何か硬いものに衝突する。
床にしては、ぶつかるまでが早かった。
そのままついさっきと同じように半ば滑るようにして転がる。
が、さっきとは違うところが一つだけあった。
直ぐに、体の下にあった床の感覚が無くなり、再び宙に投げ出される。
あれ、と思う間もなく。
回転する少年の視界の中で、くすんだ薄緑色の床が近づいてくる。
反射的に腕で顔をかばった直後。
ゴムか何かでできていたのか、思いのほか柔らかい、とはいえ痛いことには変わりない床の上に少年は落下して、ワンテンポ置いてその頭の上にベージュの銃が、さらにワンテンポ置いて背中の上に同じく降ってきていた少女が落下した。
「うげばへぎっ」
肺の中から空気が押し出され、その拍子にこの世のものとは思えない奇妙なうめきを放つ少年。
息もままならないまま上に乗る少女を無理やり押しのけるようにして、ふらふらと立ち上がる。
そして。
やつとばっちり目が合った。
レンズと配線で構成された歪な頭部に、視線を落とせば元は白かったと思われる汚れ切った胸部装甲。
「え、あ、その、どーも、こんにちは」
混乱しきった頭を回転させた末、少年の口から出てきたのはどう考えても不釣り合いな台詞だった。
こちらの言うことなどわかっていないだろうに、どういうわけか、妙に人間臭い、首をかしげるような仕草をするアンドロイド。
カラスが首をかしげる理由ってなんだったっけ、と考え始めた少年の前で、不意にアンドロイドが殴られたように吹き飛んだ。
なんとなく視線を向けると、蹴りを放った後の左足を高く上げた姿勢のままの少女。
「弾入れなおしておいて正解だったみたいだね」
その言葉で、少年の思考の歯車が空回りをやめて噛み合うようになる。
少年が慌てて足元にある狙撃銃を拾い上げるのと、他のアンドロイドが少年たちの方を振り向くのはほぼ同時だった。
ずらりと並んだアンドロイドの描く、その円の中心に、落ちるときにぶつかった巨大な障害物を背にして立つ少年と少女。
一瞬の間の後、ちょうど少年たちの真正面にいたアンドロイドが、引き金を引いた。
それと同時に、少年の隣にいた少女も後ろの障害物を蹴って駆けだす。
火薬の力で打ち出された紡錘形の金属と、陶器のような足で加速した半分機械の少女が、一気に距離を縮める。
物理法則に従って直進する弾丸は少女の眉間を目指し、少女もそれを避けるような動作もなく放たれた矢のようにまっすぐに駆ける。
そして、両者が交差するその瞬間。少女が砂でも飛んできたかのような調子で左腕で目のあたりを覆い、錐揉み上に回転しながら突き進んできた弾丸はその白い体に浅い角度で入射すると、微かな傷とオレンジ色の火花だけを残して、進行方向を変えてその脇を通り過ぎていく。
二発目以降は、少女に当たることすらなかった。
姿勢を低くして駆ける少女の頭のすぐ上を、オレンジ色の光がかすめるように飛んでいくものの、明らかに追従しきれていない。
接近戦を挑む少女とは対照的に、少年は背中をぴたりと例の障害物に合わせ、銃を構える。
少年は元から乱戦には慣れていないし、持っている銃も接近戦向きではない。
だから、この場合はひたすら支援に徹する。
作戦なんて何もないが、それでもできる限りのことはする。
数機を相手に戦っている少女がちょっかいを出されないように、そちらに銃を向けようとするアンドロイドに、一発づつ、狙撃銃の弾丸を撃ちこむ。彼女のためのフィールドを作る。
少女が戦っているところには、手出しはしない。そんなことをしなくても、彼女はきっと負けない。
幸い、やはり軍用アンドロイド達にそれほどの知能はなかったのか、少年が背を任せる障害物を乗り越えてくるアンドロイドはおらず、少年は少女の援護に徹することができた。
とにかく必死に少女の邪魔をしそうなアンドロイドを破壊し、少女が部屋の中を跳びまわって一機づつ沈黙させて、そして少年の弾丸がもう一発という状態になった時。
少年が最後の一機に照準を合わせるより少しだけ早く、部屋の反対側にいた少女の放った拳銃の弾がアンドロイドの胸を撃ち抜いた。
糸の切れた操り人形のようにアンドロイド崩れ落ちるとともに、部屋の中に静寂が戻ってくる。
いや、少年たちがここに落ちてきた時から騒がしかったから、戻ってきたというのは不適切か。
とにかく、先ほどまでとは打って変わってしんとした静寂に包まれた緑色の床をした部屋だったが、少年と少女の荒い息以外にもう一つ、その中でかすかに聞こえる音があった。
「なんか聞こえないか」
きょろきょろと首を左右に振りながら言う少年。
けれど、少女の答えは少年の問いとは全くかみ合っていなかった。
「その前に、ちょっと助けてくれないかな」
助けて、という単語が聞こえたとたんに、慌てて銃を構えて振り返る少年。
が。
「怖いからいったんそれは下ろしてちょうだい」
少年の目がとらえたのは予想とは少し違ったものだった。
壁際で、拳銃を握った右手を投げ出すようにして座り込む少女。
右足は立てられていて、ぴんと伸ばした左足は膝のあたりからむき出しになっている。
無人兵器の類は見当たらない。
「助けるって?」
力なく笑った少女は左手で伸ばし切った足を撫でるようにしながら、
「その……ちょっとね。左足が調子悪くなっちゃってね。応急修理についてはなんとなく覚えてるから修理できなくはないんだけど、道具が足りないんだよ」
少年の方を向き直った顔の、その額のあたりには、明らかに気温と不釣り合いなだけの汗がにじんでいた。頬を伝ってきた汗が顎からしずくになり、ぽつりと茶色のジャケットに小さな染みを作る。
「調子悪くって、どれくらいだ?」
慌てて駆け寄る少年。
「んー、まあ、ちょっと左足が動かなくなったくらい」
「ちょっとじゃないだろっ」
さらっと少女の口から出た言葉に、驚きのあまり思ったより大きな声が出た。
「それ、直せるのかっ?」
畳みかけるように言う少年。少女は拳銃を放した右手で近くにあった少年の顔を押しのけるようにして、
「だから直せるって言ってるでしょ。とにかく、今から言うものを持ってきてよ。この感じならその辺にあると思うから」
「わかったけど、何を持ってくればいいんだ?」
「まずは部品をなくさないようにトレーみたいなものを一つだね。あとは、……」
中には耳慣れない単語も混ざる少女の指示を聞きながら、フロア中をひっくり返すようにして言われたものを探す少年。
すぐにとはいかなかったものの、少女の指示のもと、五分か十分ほどで言われたものは大方見つかり、無かったものも代用品が手に入った。
「これで言ってたものは揃ったけど、こっからどうするんだ?」
「あとは私一人でできるから、レイはその辺で見張りでもしておいてよ」
「手伝いくらいならするけど」
「いや、そのね、気持ちはありがたいんだけど、修理するってなるとこの辺をいじらなきゃなんだよね」
そういって、左足の内腿のあたりを軽くたたく少女。
「昨日はあんなこと言ったけどね、流石にここを開けて中を弄られるのは恥ずかしいんだよ」
「あ……下から何か来ないか見張っとくね。拳銃借りていい?」
「借りるも何も、これはレイのだけどね」
少女が投げた拳銃を危なげなくキャッチしてから、少年は部屋の出口へ向かう。
「なんかあったらすぐ呼べよ」
「なんもなくても呼ぶかもー」
このフロア、三階は先ほど道具を探したときに見て回ったので、何もいないのはわかっている。今考えると一発しか銃弾の入ってない銃でずかずか探して回っていたのだから、死なずに済んだのは幸運なのかもしれない。よほど焦っていたのか。
階段の脇に胡坐をかいて座り込み、耳を澄ませる。
アンドロイドの足音がしないか警戒していただけなのだが、聞こえるのは少女のものと思われる微かな衣擦れの音や作業音。
結局妙な背徳感にかられた結果、少年は耳をそばだてるのをやめて、目視で階段を見張ることにした。
階段が見えるところに座り直し、暇だったのでいろいろと考えを巡らせる。
昨日の図書館での逃走劇の事、少女の体の事、今日の戦闘の事、そして少女の体の「不調」のこと。
途中からは考えることに意識が向きすぎて階段の見張りをすっかり忘れていたが、幸い、少年の意識を現実に呼び戻したのは銃声ではなく少女の声だった。
「終わったから戻ってきていいよー」
ズボンを掃うようにしながら立ち上がり、伸びをしながら少女の待つ方へ歩いて戻る。
「直ったの?」
「もちろん。ほらこの通りだよ」
右足だけで立って左足を曲げたり伸ばしたりしてから、少女は突然動きを止めて、
「そういえば、さっきレイが言いかけてたのってなに?」
左足を曲げた片足立ちの状態のまま尋ねる。
「ん?何か言ったっけ」
「言ってたよ。何か聞こえるとかなんとか」
「あぁ、それか。さっき静かになった時、何か目覚ましみたいな音がしたような気がしたんだよね」
「音?」
やっと左足を下ろした少女は右手で髪をかき上げると、黙って耳に手を当てる。
犬か猫のように少女の耳たぶがぴくぴくと動くのを何となく眺めながら、少年ももう一度耳を澄ましてみる。
「ほんとだ。ぴっ、ぴっ、て鳴ってる。どこからだろ」
「それが問題なんだよな。明らかに人工音だし」
音がする方向だけを頼りに、二人で音源の方に寄っていく。
少し離れて立っていたせいで、図らずも三角測量のようにピンポイントで音源は判明した。
「これだね」
「俺たちがここに落ちたときにぶつかったやつか」
少年は改めて全体像をとらえようとするが、大きすぎて視界に収まりきらない。何歩か下がってから、ようやく全貌が一度に捉えられるようになる。
無理やり何かに例えるなら、汚れ切った巨大な鏡餅。だが、鏡餅というにはあまりにも異なる点が多かった。
鏡餅の一段目に当たる部分は多数の面から構成された平べったい歪んだ箱のようで、その脇には一抱えもありそうな円盤状のものが何枚か転がっている。平べったいとはいえ、厚さは少年の目線より少し下あたりまではある。つまりは、それだけ長さと幅があるということ。
二段目に当たる部分は一段目よりは多少丸みを感じるデザインではあるものの、やはり縦に潰れた菓子箱のような人工的なデザイン。
そして何より目を引くのが、その二段目から斜めに突き出した、人の首ほどの太さがある円筒形のもの。
「なんだ、これ」
数百年前の人間なら一目見れば何かはわかっただろう。
しかし、少年はそれを表す語彙を持ち合わせていなかったし、何より、存在そのものを知らなかった。
だから、少女がこう言ったときも、何を言っているのかは全く理解できなかった。
「……戦車?」
「なにそれ」
「知らないの?まあ、簡単に言ったら大砲が載った車だよ。タイヤじゃなくてキャタピラがついた。ずいぶん昔に壊れたみたいだけどね」
「なんでそんなもんがここにあるんだ?三階だぞ?」
「それはわからない。床が抜けてないだけで驚きだよ」
「物騒な遺産だな。昔はこんなのがいたのか」
「そんなことより、これが気になるんだけど」
少女が指さす先には、不規則に点滅しながらもかすかな光を放つ緑色の小さなランプ。
「開きそうじゃないか、これ」
ランプの周りを少年が拳銃のグリップで叩くと、五回ほど叩いたところで四角く表面がとれ、中からさらに別の光が現れた。
光を発していたのは、こぶしほどの大きさの四角い箱のような物。
耳を澄ませると、虫の羽音のような小さな作動音もする。
「なあ、これ生きてないか?」
「生きてるね、これは」
二人の会話に応えるように、箱の表面に灯った光がちかちかと点滅する。
「なあ、ここで壊すのと、持って帰って売り払うのとどっちがいいと思う?」
「私は壊すのに一票。下手に弄ってこの戦車が動き出したら怖いからね」
「誰も乗ってないのに動くのか?」
「これ、確かパッケージの戦車だよ。だから、もともと無人兵器なはず」
「げ、まじかよ。それならとっとと壊した方が安心だな」
少年は、拳銃を光を点滅させる箱に向け、立て続けに引き金を引く。
一発、二発、三発。
五発目まで売ったところで、せわしなく点滅していた灯りが、すべて消ええた。
拳銃のスライドは下がりきって、装填されていた弾を使い切ったことを伝えている。
「これでいいかな」
「まあ、このフロアの脅威は、多分無くなったの、かな」
そういって戦車の残骸の車体部分に腰掛ける少女。
そこに座ったまま少年から拳銃を受け取って、空になったマガジンに弾を詰め直していく。
少年も狙撃銃のマガジンを外してみるが、そこに弾丸はない。コッキングレバーを少し引いて薬室を覗き込むと、金色の弾丸があるのが確認できる。
実はまだ残ってたりするんじゃないかと期待を抱いていたのだが、数えていた通り、残りは一発で確定らしい。まだ、実は打ち尽くしてました、じゃなかっただけましな方。
「ねえレイ、外はどんな感じ?」
このあとどうしようか。そんなことを考えながら、少女に言われて窓から下を覗き込んだ少年は、おっ、と小さく呟く。
「これ、ひょっとしていけるんじゃないか?」
「え、ほんと?」
「歩兵型はさっきより少なくなってるし、ばらばらにさまよってる。戦闘車型はまだいるけど、変な方向いてるから脱出するだけならなんとかなりそう。あの残骸が護衛対象だったとかなのかな」
それならば、無人兵器たちの「やる気」が目に見えて失せたことにも説明がつく。
隣にやってきて身を乗り出す少女に、少年は指をさしながら伝える。
先ほどまでの気味の悪い軍隊じみた統制は嘘だったかのように、乱雑に歩き回る歩兵型の無人兵器に、明後日の方向を向いて固まっている戦闘車型。
「レイ、何発残ってる?」
下を覗き込んだまま尋ねる少女に、少年はその目の前に指を一本立てて答える。
それを見た少女は窓から顔を引っ込めて、
「じゃあ、帰ろっか。一発だけじゃ危ないでしょ」
「え、あ、ちょ、下ろせって」
「すぐ下ろすからちょっと我慢してね」
「おい、窓から距離とってどうする気だ」
「両手がふさがってるから飛び越えるしかないんだよ」
「やっぱ不穏な感じしかしねえじゃないかっ」
「騒ぐと舌噛むよ。ふふ、これ言ってみたかったんだよね」
「言えたからもう満足だろっ。下ろしてくれって」
「いっくよー。さん、にい、いちっ」
最初に会ったときにいきなり背面飛行をしたことを地味に根に持ってるんじゃないか。
そんなことを思う少年を、今度こそ「お姫様抱っこ」の形で抱えた少女は、助走をつけて勢いよく三階の窓から飛び出したのだった。
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