第11話 水浴び


 結論から言えば、少々、いや、かなり手間取りはしたものの、無事に目的は達成して図書館からも脱出できた。

 せいぜい2,3回無人兵器と鉢合わせて死にかけて、5,6回劣化した壁や床から落っこちそうになった程度。

 読み取り機も電源こそ死んでいたものの、機能は生きており、少年が持ってきていた燃料電池をつなぐと息を吹き返した。記録媒体もほとんどのファイルには暗号化がかけられていて見ることはできなかったものの、いくつか開くことができたファイルもあった。

 成果物はその記録媒体の中身のほかに、図書館に残っていた液体記録装置。少女によると液体の中の細かい粒子を利用した戦前の主流な大容量記録媒体ということだったが、見た目は細長い覗き窓から液体が見える以外はただの箱。ただ、これについては中身を見る方法がさっぱりわからないため売って金にするくらいしかできないだろう。

 そして、その例の記録媒体の中身が少し興味を惹かれる内容ではあったのだが、少年としては、今はそれよりむしろ今この状態の方が気になる。

 無理やり目を開けると視界いっぱいに広がるのは物の輪郭さえわからないほどぼやけ切った世界。数秒で目が痛くなり、もちろん息をすることなんて叶わない。

 体を動かそうにも重いものが纏わりついたように鈍重な動きしかできない。

 何とか重い体を動かしていると、突然息ができるようになる。たまらずに胸いっぱいに新鮮な空気を吸い込むと、甲高い笑い声が聞こえてきた。

 手で顔をぬぐって目を開くと、その正体が明らかになる。

 目の前で髪から水滴を飛ばして笑っているのはなんだかんだで少年と同行している少女。

 そして少年がいま全身ずぶぬれになっている元凶でもある。

「やっほー。いやー、水浴びって気持ちいいね」

「君は大丈夫だったのか?」

「レイがクッションになってくれたからね」

「巻き込んどいてよく言うよ」

 そういいながら、水を吸って重たくなったシャツを脱いで川岸に放る。

 一人だったら下も脱いでいたところだが、さすがにそれはしなかった。

 ここで何が起きたのかを端的に言うと、「落っこちた」。川の上に浮かべた水上機に乗り込もうとしたところで、先に上っていた少女が主翼の上にいた少年を巻き込んで豪快に落っこちたのだ。

「けど、ずっと体洗えてなかったからちょうどいい機会じゃない?」

「体拭くタオルは渡してただろ」

「レイはわからないのかもしれないけど、濡れタオルだけじゃさっぱりしないんだよ」

 そこまで言った少女は一気に頭の先まで川に潜ると、あおむけでぷかりと浮かびあがり、そのまま少年の方へ流れてくる。

(これ、ワンピース一枚じゃいろいろ透けちゃってるんじゃないかっ)

 思わず目を背けようとする少年だったが、

「あ、あれ、あ、ごぼ、$%&#&$」

 ブクブクという音に慌ててそちらを向くと、先ほどまで浮かんでいた少女が右手だけを水面の上に残して沈んで行っていた。

 昔の映画でこんなのがあった気がするが、あの映画のような格好良さはない。

(……自分で泳いどいてカナヅチだったのかっ)

 慌てて水面から突き出ている右手をつかんで引っ張ると、ざぱぁ、とクジラが何かが浮上するように少女の体が現れる。

「重っ」

 両手で引っ張って上半身が自ら出たあたりで手を放す。

 少女は大きく息を吸うと、

「ありがとね。助かったよ。けど、女の子に向けて重いってのはデリカシーが足りないよ」

「わるいわるい。けど、カナヅチなら泳がないほうがいいんじゃないか」

「私だってこんなにあっさり沈むとは思ってなかったんだよ」

 少女が少年の前で立ち上がったせいで、濡れたワンピースが透けて下着の輪郭が見えてしまっている。そしてそんなことをすっかり忘れていた少年は少女の顔から少し視線を下げて、

「……あ、あのな」

「なに?そんな目を泳がせて」

「それ」

 少年が指をさし、少女は下を向いて自分の上半身に目を落とす。

「透けてる」

「えあっ」

 ものすごいスピードで再び水中に戻る少女。

 ぶわりと水面にワンピースが広がり、少しおいて水中に沈んでゆく。

 そして当然。

「ぼごごごごご」

 大量の泡とともに再び右手が水面からにょきっと生えた。

 さっきと同じようにして、今度は最初から両手で引き上げる。

「だから泳げない、というか浮かべないならあんまり潜るなって」

「わかったけど、あんま見ないでよ」

「分かってるって。なんなら飛行機挟んで反対側に行ってようか?それなら気兼ねなく汚れを落としたりもできるだろ」

「……それはやめて。せめて目が届く範囲にして」

「どっちだよ」

「いや、ほら、私って浮けないでしょ。だから気づいたら川底に沈んで流されてました、なんてことになったらいやだから、ね」

 見えるところにいてほしい、けどあんまり近くには居て欲しくない。そんな少女の要望に従った結果、少女から五メートルほど下流で体の汚れを落とすことになった。

 とはいっても、石鹸やスポンジの類があるわけではないので、基本的にはその辺に浸かっているだけ。下流の方で水温も高めなので思ったより快適だった。

 潜って泳いだりしていると、ぼんやりとだが、魚のようなものも見えた。

 仰向けに浮かんでいると遥か上の方を飛ぶ鳥の影も見える。

 人類にとっては居住不能エリアと化している地上だが、それは人類だけの話。少なくとも、少年が知っている範囲では、魚も、獣も、鳥も、珍しくはない。人類が陸上で栄華を極めていた時代を少年は知らないが、それでもきっとその時より彼ら動物にとっては快適な環境なのだろう、というのは想像がつく。

 図らずも得た、木陰での午後のティータイムのような時間。

 さすがに温泉のように、とはいかなかったものの、きれいな水と空気、陽に照らされた緑と灰色の景色、そして、少し上流ではしゃいでいる少女。最後のについては、別に邪な気持ちとかではなく、純粋に今までの一人旅と比べて賑やかでいい、という意味だということは少年の名誉のためにも強調しておきたいところだが。まあ、それでも日頃の疲れを取り除くには十分な時間だった。

 何度かおぼれかけた少女を引き上げる破目になったことも、まあ、後からすればいい思い出ってやつなのだろう。今はただ疲れたとしか思わないが。


***


 そして。

 少年たちは重要なことを忘れていた。いや、思い出したからどうにかなるというものでもないのだが、いざ目の前にその問題が立ちふさがるまでは全く意識になかった。

「ねえ、レイ」

「どうした?もうすぐ日も暮れるし、早く着替えないと風邪ひくぞ」

「その着替えがね……」

「……あ」

 そう。

 彼女が少年と一緒に行動するようになってから、街にはまだ一度も戻っていない。

 加えて、彼女はもともと遭難者。少年と出会ったとき、身に着けていたもの以外は持ち物というものはない。

 つまり、

「レイ、女物の服とか持ってたりしないよね」

「もともと男の一人旅なんだ。そんなもん持ってたらただの変態だろ」

「だよね……」

 そう。着替えがない。

 もちろん、少年は自分の着替えなら一式持ってはいるが、先ほど言った通り女物はない。

 そうはいっても、流石に濡れたままでは体に悪いし気持ち悪いだろう。が、かといって少年の服をまるっと貸すわけにはいかない。

 さっきまでは水に入っていたから上半身裸だったが、流石にそうでもないのに上を着ていないというのは落ち着かないのだ。まして、連れの少女がいるからなおさら。

 つまりは、今ある着替えを二人で分け合わなければいけない。

 少年の頭が、いつぞやの空中戦の時を超えるほどの勢いで回り始める。

(今あるのは夏物の着替え一式に貸していたフライトジャケット。一応冬物のコートも一枚だけあるけど、いくら夜でもあれを着たら熱中症になる。つまりは着替えとフライトジャケットだけでなんとかしなきゃいけない。下着は別としてこれで上はシャツとジャケット二枚になるから何とかなる。なら下は……)

 そして、結論は、

「俺のシャツと、毛布を貸す。下着はさすがにどうにもできないから、そこは我慢してくれ」

「じゃあレイは?」

「フライトジャケットと替えのズボンでなんとかするよ」

 いい年した少女に、下は毛布だけ、というのも申し訳ないのだが、自分の下着を貸すのは論外だし、流石に長らく洗っていない替えのズボンを直に履かせるのも気が引けた。いや、水洗い程度はしているのだが、洗剤を使った洗濯が、という話。

 シャツについては、普段からすぐ乾くので予備はほとんど使っていないから、問題ない。

 毛布についても、清潔なものが一枚ある。

 ぽたぽたと水の滴る服を着たまま、かろうじて乾いた手を飛行機の翼の下のコンテナに突っ込んで目的のものを探す。飛行機自体は、すでに二人の手によって陸上に引き上げられていた。

「はい、これ着替え。それとタオル」

「ありがと。ちょっとそこの建物の陰で着替えてくるね。何かあったら呼ぶからその時は来てちょうだい」

「じゃあその間に俺もこの辺で着替えてるから、戻るときは一声かけてくれ」

「おっけー」

 少女はそう言って崩れかけた建物の陰に隠れたと思うと、顔を出して、

「覗きたければ覗いてどーぞ」

「覗くかっ」

「ま、それならいいけど」

 今度こそ角の向こうへ引っ込んだ。

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