第12話 秘密


 日が沈んだすぐ後の、深めの海のような薄暗い闇の中。

 周囲をぼんやりと照らしているのは、やはり原始的な焚火だった。

 長いズボンにフライトジャケットの少年と、体より一回り大きなシャツを着て、両足を毛布で隠した少女。

 もうほとんど夜ということもあり、長袖のフライトジャケットを前を閉めてきている少年にとっても快適な気温。炎の周りにはいつもお馴染みの缶詰たちが並んでいて、そのうちのいくつかは、いつものようにくしゃりとひしゃげている

 その後ろでは、飛行機の主翼の上で干された二人分の服がかすかな炎の明かりと月明かりで照らされていた。

「ねえ、あの記録媒体の中身、覚えてるよね」

 スプーンで缶の底からかき集めたビーフシチューを口に運びながら、少女が言う。

「もちろん。貴重な文明時代の文書だったからな。まあ、叶うならとっとと忘れたいくらいだけど」

「……レイはあれを読んでどう思った?」

 少し間を置いて放たれた少女の質問に、少年は缶スープの淵で引っかかったコーンと格闘するのを一旦やめる。

「戦中の、多分数えきれないほどあった軍事計画の一つ。確か略称がIHMIDだったっけ」

「正式にはIndependent Half-Mechanized Infantry Divisionらしいね。レイにもわかるように言えば独立半機械化歩兵師団、ってところかな」

 新たに手に取った缶詰を、うっかりといった感じで握りつぶすようにして変形させる少女。少年の方ももう慣れたもので、いちいち見向きもしない。

「いわゆるサイボーグで、生身の人間の軍隊を置き換えようっていう計画だったよな。世界規模の戦時の真っ最中だったんだろうから兵器化自体にどうこうは言わないけど、それだけの技術があれば戦争以外の使い道もあっただろうにな、とは思うな」

「そのいわゆるサイボーグについては?」

「それについてはどうもこうもないさ。親からもらった体を、とか古臭いことも言う気はない」

「そういってもらえると気が楽だね」

 少女はそういって、缶詰の中のリンゴを指でつまんで口に放り込んでから、そのいびつに歪んだ缶を地面に置き、立ち上がる。

「たぶん、レイには言っておいたほうがいいのかな」

 ゆっくりと背を向けて歩いていた少女は、少年から何歩か離れたところで、少年の方を向き直る。

 足を隠していた毛布は立ち上がった時に地面に落ち、すらりとした足がすぐそばの焚火で橙色に照らされていた。

 シャツの丈が長いおかげで太腿の途中から上は隠されているが、それでも少年が反射的に視線をそらそうとするくらいには扇情的な情景だった。

「これ、人に見せるのは初めてなんだよ。まあ、私が今までに会った人ってレイだけなんだけどね」

 けれど。少年は目を離すことができなかった。別に欲望に負けたとかそういうわけではない。少年の視線を固定する、何か、違和感のようなものがあった。

 少女は少年の前に立ったまま、ひとつづつシャツのボタンを外していく。

 少年が違和感の結論を出すよりも、少女がボタンを外し終わるほうが早かった。

 恥じらうような素振りもなく、少女は流れるような動作で左手を袖から抜き、その左半身が直接、橙の光に照らされていく。

 今度こそ目を背けようとした少年だったが、首を少し動かしたところでその動きが止まる。

 今度は、違和感ですらなかった。剥き出しになった少女の左半身に、否が応でも視線が固定される。

 そこに、人ならば本来あるはずの柔らかさはなかった。

 本来有機的で柔らかな曲線を描いているはずの脇腹は、滑らかで綺麗な、けれど柔らかさも無くどこか無機的な曲線を描いていて、多少なりとも丸く膨らんでいるはずのところにあるのは平面で構成された硬質で小さな膨らみ。

「そのIHMIDってやつね。多分、私にとって多少は関係がある話かもしれないんだよね。とはいっても、関係がないわけではない、くらいだと思うけど。さすがに数世紀前の話に直接関わってるとは思えないからね。けど、多分技術っていう点だと多少なりとも通ずる点があるんだよ」

 何も言わない少年の前で、右半身だけをシャツで隠した少女は続ける。

「私の体も、普通じゃないんだ。左手と、左足。あと、体の左半分が機械でできてるの。私は記憶がないけど、このことはちゃんと覚えてた」

 そこまで言い切った少女は、言葉を切る。少年の反応を恐る恐るうかがうように。

 数秒間の沈黙があった。

「綺麗だね」

 少年の正直な感想はそれだった。

 文字通り陶器のような白い体に、どこか幾何学的な曲線と直線。人の体と言うよりかは、彫刻や芸術作品を見た時のような美しさ。

「……ふふっ。ははははっ」

 突然、堰が切れたように少女が笑い出す。

「え?」

「いや、変に気を張ってたのが馬鹿みたいだったなって。まさかそう言われるとは思ってなかったよ。気持ち悪い、くらいなら言われる覚悟だったんだけどな」

「まさか。むしろ生身の体より綺麗なんじゃないか」

「まったく。私の覚悟を返してよね」

 少女はシャツに左腕を通しながら続ける。

「あと、右半身は普通だから見せてあげないわよ」

「言われんでも分かってるよっ。けど、その、下は大丈夫なのか?見えちゃってるけど。いや、もちろん見ないようにはしてるんだけど」

「別に見たければ見てもいいわよ。ただの白い樹脂だかセラミックスだか何かだから」

「いや、遠慮しとく」

「そう言うと思った」

 ボタンを閉めなおした少女は少年の隣に戻って腰を下ろすと、

「そうそう。この際だから勢いで言っちゃうね。私の体で機械なのは左半身だけじゃないの。脳にもね、ちょっとだけ機械が入ってるの。記憶補助用の機械が」

「じゃあ、記憶がないってのは」

「正確なことはわかんないけどね。もしかしたら、そっちの問題なのかも。黙ってててごめんね」

「言いたくなかったなら仕方ないさ。それより、直せるのか、それ」

「どうなんだろうね。まあ、いつから私の頭の中にこの機械があったのかは分からないけど、すくなくともとっくに失われた技術ってわけじゃないと思うよ。それに、この機械が原因って決まったわけじゃないしね」

「ま、それもそうか」

 少年はコーンスープの缶を手に取ってから、それが空なことに気がついて足元に戻す。

 少女は足に毛布を掛けなおすと、先ほどの缶からリンゴをもう一つつまむと、

「あ、そうそう」

 右手で少年の左手を無造作につかむと自分の右わき腹に押し付けた。

「私の右半身は生身だよっていう証明」

「ちょっ!」

 ほとんど脊髄反射で左手を引いて、ほんのり温かくて柔らかい少女の脇腹から手を剥がす少年。

「ふっははっ」

 胸につかえていたものが無くなったせいか、今夜の少女はいつもにもましてよく笑った。

 少年もつられて笑い出す。

 人気のない廃墟の淵で、二人の笑い声が高く響く。

「にしても、その手は普通の見た目なんだな」

「ああ、これ?手と足は普通の体に似せてるみたい。けど、触ればわかるけど機械だよ」

 少女が差し出した傷一つないつるりとした両手のうち、その左手を少年の左手がつかむ。

「ほんとだ。かたい」

「一応、ここの偽装はオンオフできるんだよ」

 少女がそういうと同時に、自然な肌色だった腕と足が白磁のような色に切り替わり、幾何学的でメカニカルな模様が現れる。

「仕組みまではわからないんだけどね。レイはどっちの方がいい?」

「それは君が好きなほうでいいんじゃないか」

「ま、そうなんだろうけどね。気が付いた時からこの体だから、どっちにもこだわりとかはないんだよ」

「……どっちの方が楽とかあるのか?」

 少年は、少女が大理石のような指でつまんで差し出した缶詰のリンゴを受け取りながら尋ねる。

「んー、大して変わらないんだけど、強いて言うならこっちのほうが楽かな。偽装をオンにしとくのは多少気を使うからね」

「ならそっちでいいんじゃないか?別に他の人と会うことも滅多にないだろうし」

「確かにそうだね。これからはそうするよ」

 そこまで言った少女は、空になったリンゴの缶詰のシロップを一気に飲み干すと、

「それと最後にもう一つ言っておくね。これも、この体の力というか機能なんだけど」

 べきっ、と缶をぺしゃんこになるまで握りつぶした。もう何回も見た光景。

「その、ちょっと力加減がうまくできなくってね。これまでも何回か見てたと思うけど、あれも全部そのせい。だからこれからもたまにやると思うけど、気にしないで」

 先ほど少女の体を見てから、薄々そうではないかと思っていた少年に驚きの表情はない。

「ひょっとして昼間の壁って」

「私が穴をあけたよ。卵をつかむみたいな繊細な作業は苦手だけど、その分ああいう力作業とかには向いてるみたい。だから、そういうのがいるときには遠慮なく使ってちょうだい」

「いいのか?」

「私だって何か恩返しみたいなことはしたいからね。乗せてもらってる身だしできる限りのことはするよ」

「まあそう言うなら必要な時はお願いするよ」

 少年だっていつまでも少女のことをお客さん扱いするつもりはない。

 別の缶詰を開けた少年は、その中身を一口食べてから続ける。

 ちなみに、缶詰の中身は円筒状のパンだった。

「確か記憶喪失は脳の機械の故障かもしれないんだよな」

「あくまで私の推測だし、かもしれないってだけだけどね。それに、私は記憶がない以上その脳の機械についての記憶ももしかしたら間違いかもしれない。確かめようはないわけだし」

「確かに、普通だったらむしろそうだと思うだろうな。けど、その左半身を見た後だと、むしろそっちのほうがしっくりくる」

「私の記憶を信じてもらえるのはうれしいけど、それがどうしたの?レイの街がどんなとこかは知らないけど、話を聞いた限りじゃ多分これに手を出せるほどの技術はないと思うよ」

「まあ、確かにそうなんだけどな」

 少年はパンをちぎって手を付けていない半分を少女に渡す。

「今夜はここで寝て、明日もうちょっとだけ上流にいこう」

「あれ、海の方に戻るんじゃなかったの?」

「ここから少し行ったところに、戦前の大きな遺跡がある。行ったことは無いけど、聞いた話によるともとは軍事系の研究所だったらしい。そこなら、ひょっとしたら、戦前の技術情報とかが残ってるかもしれない。もしかしたらその頭の機械の事だって何かわかるかも」

「……今まで行ったことがないってことは、何か理由があるんだよね」

「ま、ちょっと無人兵器が多めにいるけどな。頑張れば突破できない量じゃないだろ」

 ちぎったパンの二口目を口に放り込んでから、少年は付け加える。

「それに、俺だってあそこに行ってみたい理由はあるんだ。今日拾った液体記録媒体あっただろ。あれの中身を覗ける機械があるかもしれない。あの中身は俺も気になってたからな。利害の一致ってやつだ」

 少女は軽くため息をついて、

「わかったよ。ただ、私の事も遠慮せずに使ってね」

「もとから派手な陸上戦闘は君の独壇場みたいなもんだろう」

「まるで私がバーサーカーみたいな言い方だね」

 唇を尖らせて少女が言う。

「あながち間違いでもないだろ」

「ねえ、私って多分握力で骨にひびを入れるくらいはできるんだよ」

「そーいうとこだよっ」

「乙女に向かって失礼なこと言うからだよ」

「吹っ切れたんだか何だか知らないけど脅し方が怖いんだよっ」

 思わず少しだけ少女から距離をとる少年。本当に骨にひび入れられてはたまったものじゃない。

「ところでさ、そろそろ何か名前を名乗る気はないのか?」

「名前?」

「ああ。名前はわからないって言ってたけど、そのままじゃこれから他の人に会ったときにも不便だろ。それに俺もいつまでも君じゃなんか呼びにくいし」

「んー、確かにそうかも。けど実質生まれて一週間くらいの私に自分の名前を付けろって言われても何も思いつかないんだよね」

「別に今すぐにとは言わないからさ」

「そうだっ」

 そういって手をぱちんと打ち鳴らした少女は少年の隣に体を寄せ、

「レイが決めてよ。もちろん私も今すぐにとは言わないからさ。やっぱり名前って自分で決めるより誰かに決めてもらったほうがいいと思うんだよね。自分で決めたら多分使わない気がするし」

「え、俺が?」

「あいにくレイ以外に知ってる人がいないんだよね」

 少女は先ほどのパンを口に放り込んでからにっと笑うと、少年の顔を覗き込むようにして、

「いやだとは言わせないよ。名前を決めろって言ったのはレイだもん」

 じっと。吐いた息が感じられるほどの距離で、視線が交差する。

 まっすぐに前を見据えた少女の視線は、少年の両目に固定されて外さない。

 数秒間の、煮詰めたシロップのように濃密に思える時間が流れた。

「考えとくよ」

 先に折れたのは少年だった。

 表情を隠すように顔の向きを変え、残りのパンを小さく齧る。

「別にフルネームじゃなくてもいいんだろ」

「ファーストネームだけでいいよ。ファミリーネームは当分は無しでいくつもり」

「いつになるかは分かんないけど、思いついたら言うよ」

「ん。ありがとね」

 少女は、今度は毛布を肩から羽織るようにして立ち上がる。毛布の下の端がさわさわと地面を撫でていた。

「さ、まじめな話はこの辺で終わりにしてデザートでも食べよ」

「さっき食べてたリンゴはデザートじゃなかったのか」

「甘いものは別腹ってね」

「リンゴも甘いだろ」

「まーまー、細かいことは気にせずにっ」

 プリンの入っている缶を二つ手に取って、片方を少年の方へ投げてよこすと、少年の隣に再び腰を下ろす。

「勢いで多少恥ずかしいこともしちゃったからね。お酒はないみたいだけど、せめて派手に飲み食いして忘れたいんだよ」

「君からしたら、どれが恥ずかしいことになるの?」

「だー、もう蒸し返さないでって。もう忘れた忘れたっ。さー飲むよっ」

「それ紅茶だけどね」

「もー、せめてジュースくらい用意しといてよ」

「エナジードリンクならちょっとあるけど」

「そんなもん飲んだら夜眠れなくなるって。あー、その代わり街に行ったときにお酒おごってよね」

「なにがその代わりなのか全くわかんないけど、まあいいよ」

「やったー。約束だよ。忘れたとかなしだからね」

「はいはい」

 そのあとも、宴とも飲み会とも違う不思議などんちゃん騒ぎは深夜まで続いた。

 少年としてはアルコールも入っていないのにあれほどテンションが降り切れている少女が不思議でならない。

 あれが世にいう深夜テンションってやつなのだろうか。

 素面でこれな少女が酒を飲んだらどうなってしまうのだろう、とひそかに不安を抱く少年が少女から解放されて無事寝袋に入ることができたときには、満月が少し傾き始めていた。


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