第三章 機械仕掛けの旅人 ~The Secret of Herself~
第10話 智の聖域
「ちょっと、狭いからあんま寄らないでよ。あ、ねえ、動かないでってば」
少女が小声で囁いたその吐息が肩にかかり、体の左側からはぴたりとくっついている少女の体温が伝わってくる。
扉の隙間から入ってくる僅かな光以外には光源はなく、少女の表情は少年には分からない。
この台詞にこの状況。見方によっては甘酸っぱいものに思えるかもしれないし、少年だってそういった甘酸っぱいシチュエーションを夢見たことがないと言えば嘘になる。
なのだが。
「んなこといわれても、この状態じゃどうしようもないって」
状況次第ではどぎまぎするかもしれないその台詞も、この現状ではただただ、別の意味で心拍数を上げるだけ。
主に命の危険的な方向で。
「ああもうっ、どうしてこうなるかなっ」
「俺も聞きたいよ。何がどうなってるんだよ、これ」
二人が詰め込まれている、もとい立て籠もっているのは二人はいるのが精一杯という小さな部屋。いや、おそらくは部屋ですらないだろう。
窓も換気口も何もない、壁の中にあるわずかな空間。
そして、少年たちは、薄暗く埃っぽいその空間にわけもなくすし詰めになっているわけではない。
扉の外から聞こえてい来るのは硬質な足音。
そして、嫌というほど聞いたことのあるぎこちない機械音。
「なんでパッケージの連中があんなに来るの?しかもあちこちから」
「さあな。皆目見当もつかん」
二人がいるのは、川伝いに少し内陸に入ったとことにある大きな街の跡。
地下施設で持っていた狙撃銃は、今日は持っていない。むしろ、持っているのがイレギュラーなのだ。
そして、例の記録媒体の中身を覗くためにわざわざここまで来たわけなのだが、
「はぁー。ちょっと建物に入ったとたんに呼んでもないのにわらわらわらわらとっ。ばったり鉢合わせて襲われるならわかるけど、あれは明らかにあっちの方から寄ってきてたよね」
納得いかない、という様子を全身から漂わせる少女。
というのにもわけがある。
「ああ。幸い待ち伏せとか回り込みとかはされないかったけど、ああやって無人兵器の方から寄ってくるのは変だ」
建物に入ってすぐ、見たことのないような数の無人兵器に追われ、なんとかそれを振り切って隠れているところである。
今まで、探索者として短くはないを陸で過ごしている少年や、ここ何日かその少年と寝食から行動まで共にしている少女には、至る所にいる無人兵器の行動について、そのルールのようなものが何となくわかる。
すなわち。
基本的には二機一組で行動している。
視認した人間は攻撃する。
撃破するか振り切るか、もしくは暫くの間、無人兵器の視界から逃れられない限りは、攻撃と追跡を続ける。
そして、積極的に人間を探して攻撃することはない。
これらは少年が身をもって学んできたことであり、探索者の間で長らく伝えられてきたことでもあり、それなりの根拠を持った推測と言える。
その「法則」が、目の前で破られている。
二人が立て籠もっているわずかなスペースの外、テニスコートほどの広さの部屋では、彼らを追ってきた10機以上の無人兵器がうろうろと彷徨っている。
さながら、アンドロイドの立食パーティーといったところか。手に持つのは皿ではなく無骨な銃だが。
「レイ、ここに隠れてるのにも限界がある。この様子じゃ、パッケージの歩兵はこの前から動きそうもないよ。どうにかしなきゃ」
狭い空間なので、囁くような声でもその吐息の温度が感じられる。
「……完全に隠れる場所間違えたな。どうするもこうするも、あいつらがいなくなるまで待つしかなくないか」
「それってどれくらいかかる?」
「そりゃ、あいつら次第だろ」
「……あのね、数時間程度ならいいけど、それ以上になるといろいろと問題が出てくると思うんだよ。体力とか、飲み物とか、食べ物とか、……お手洗いとか」
「……ひょっとして、まずい?」
思いっきり左足を踏みつけられて、声なき悲鳴を上げる少年。
「このあと何時間もしたら、って話。それに、レイだって他人事じゃないはずだよ」
「まあ、そうだな。けど、じゃあどうするんだ?もちろん、お手洗いじゃなくて現状の方な」
「わかってるって。そうね、確かにここで扉を開けて飛び出たところで、十機以上はいるパッケージに蜂の巣にされて終わりだよね」
「何か考えがあるのか」
「考え、って言っていいのかは分からないけどね」
少女は軽く笑って、
「あのアンドロイドには、怪しいから撃っておこうっていう発想はない。絶対に、目で見てから撃ってる。合ってるよね?」
「あってるけど、」
「なら、これもセーフなはずだよっ」
左側で触れている少女の体が動いたのを少年が感じた直後、ばこっ、という鈍い音がした。
「やっぱり当たりだね」
「何が!?」
「この壁の向こう、パイプスペースか何かだったんだろうね。空洞になってるよ」
そういいながらも、鈍い音は続き、扉の外の無人兵器が不審げに少年たちのいる空間の方へ寄ってくる。
「よし、開いたよ」
「だから何が!?」
「壁を壊したから、このスペースを使って移動できる。どこに出るかは分からないけど、こうするしかないでしょ」
少女が軽く蹴ると、錆び付いたパイプは壁から外れて下の方へ落ちていく。
「さ、とっとと行こ」
懐中電灯を口に咥えて、両手両足を壁に突っ張って降りていく少女。
未だに頭の中が混乱している少年も慌てて壁に空いた穴をくぐり、上下に走る空間の中をゆっくりと降りていく。
無人兵器にそこまで考える頭はなかったのか、上から銃弾が降ってくることはなかった。
「ねえ、頼むから落ちてきたりはしないでよ」
「努力はするけど、こんなスパイじみた真似したことないからな。保証まではしかねる」
「それで巻き込まれて死んだら化けて出るからね」
「安心しろ、その時は俺も死んでる」
少しずつ降りていく少年たちだが、底につく気配はまだない。
「なあ、一つ聞いていいか?」
「なに?」
「壁ってそんなにあっさり壊れるものだったっけ?」
「んー、古い建物だから脆くなってたんじゃない?少なくとも手入れされなくなって数世紀は経ってるはずだし」
「……そういうもんなのか」
「まあ、実際壊せちゃったんだし、気にしてもしょうがないよ」
ほんとにそんなもんなのだろうか、とは思ったものの、両手両足を突っ張るようにして降りていく少年にはそれを深く考えるほどに心理的余裕はなく、落ちないように必死に手足に力を込めているうちに、些細な疑問は頭の中から抜け落ちていく。
いい加減に疲れてきて、落ちるときは事前に一言言った方がいいかな、なんて本当にどうでもいいことを考え始めた頃。下から少女の声がした。
「おっ、底についたみたいだよ」
落ちない事に全神経を集中させていたせいか、ずいぶんと久しぶりに聞くような気がした。
「どれくらい下?」
「もう私はついてる。レイがいるとこからは大体2メートルくらいかな」
「飛び降りるからちょっとどいてもらえる?」
「もうどいてるからいつでもいいよ」
少女は途中で右手にできた小さな擦り傷をぺろりと舐めて言う。
それが聞こえるとほぼ同時に、少年は疲労でプルプルしている手足を壁から離し、重力に任せて落下する。
疲れ切った脚が着地の衝撃を殺しきれなかったせいで後ろ向きにひっくり返り、背中を壁にしたたかに打ち付けた少年の目の前に、懐中電灯で顔をしたから照らした少女の顔が壁に空いた穴ごしにぬっと現れた。
「ずいぶん派手な音したけど、大丈夫?」
「大丈夫だけど……なにやってるの?」
少女は顔を照らしていた懐中電灯をくるりと回すと後ろの方に向けて、
「大丈夫ならよかったよ。で、これ。ひょっとしてレイが言ってた図書館なのかな?」
懐中電灯の、白い、丸い光の中で、それが浮かび上がる。
少女の後ろで小さな人工の明かりに照らされるのは見たこともないほどの数の書架。
おそらく少年たちが降りてきたパイプスペースは、柱か何かの中に隠されていたのだろう。穴から壁のようなものは見えず、ただ見えるのは四角い書架と円柱状の柱だけ。
ぎっしりと詰まった本は題名こそ見えないものの、ぼんやりとしたシルエットだけで形容しがたい重厚感のようなものを醸し出している。
「……多分そうだな。俺も人伝に聞いただけだから実物を見るのは初めてだが」
目の前に空いた穴から、地下特有のひんやりとした空気が流れ込んでくる。
痛む腰と背中をさすりつつ、少年は壁の穴を潜り抜けるようにして広い空間に出た。
顔が穴から出た瞬間、感じられる匂いが埃と錆と酸化した油の匂いから、どこか温かみのある香りに、少年は知る由もないが書籍特有の紙とインクの香りに、変化する。
「……すごいな」
少年だって語彙は無くはないとは思っている、それでもとっさに出てきたのは年端も行かない子供でも出てくるような言葉だった。それほどには、圧倒的な眺めだった。
高い天井は闇の中に沈み、壁の上の方にある光取り窓は地上に出ているのか、そこから差し込むかすかな陽の光だけがぼんやりとその端を照らしている。
硝子が割れた光取り窓からは埃の中を進む光が筋のようにくっきりと見え、足元にはそこから吹き込んだのであろう落ち葉や土ぼこりが綺麗に積もっていた。
一歩歩くごとにわずかに埃が舞い、まっさらな埃の上に判子のように足跡が残る。
「……これだけ、あれば」
先を歩いていた少女が立ち止まり、ぽつりと呟く。
自らの記憶を失った少女には、奥が見えないほどの書架の列は、視界を埋め尽くす過去の人類の「記録」は、どのように見えているのか。
少女の隣に来た少年は、ちょうど目線の高さにあった分厚い本に手をかける。
背表紙は印刷も紙も劣化していて、何が書いてあったのかを読み取ることはできない。
本棚から引き抜くと、粉雪のような埃とともに濃厚な本の匂いが溢れてきた。
紙を破らないように注意をしながら、ゆっくりと表紙をめくる。
タイトルは、黄ばんだ紙に、シンプルな黒いインクで、アルファベットの筆記体で印刷されていた。
「プレス・アスクレピオス ナンバー318~368」
いつの間にか横から本をのぞき込んでいた少女の声が、耳元でした。
「読めるのか、これ」
「うん。多分、学術系の雑誌をまとめた本だね」
少女は横から手を伸ばし、一頁づつ本をめくりながら答える。
「癌細胞の発生防止、脳機能の外部化、人工的な免疫機構。それに、仮想現実を用いた精神病治療、老化現象緩和の臨床実験、完全な人工生殖、再生医療による生体義肢。乗ってる記事とか論文のタイトルからして医療系かな」
「どれも今となっては夢のような技術だな。今や生体義肢どころか節電義肢すら相当貴重な技術なのに。医療レベルとしては千年以上前の大昔と変わらないんじゃないか」
「これ、持って帰るの?」
「いや、戻しておこう」
この空間から、本を持ち去ってはいけないような気がした。
この空間は、この数世紀の間、読む者もいなくなった書物を、理解できるものもいなくなった叡智を、人知れず雨風から守り続けてきた。
ひょっとすると、ここを訪れた探索者は他にもいたかもしれない。いや、少年が話に聞いていた以上いるのだろう。けれど、この林立した書架に一冊分の隙間もないことが、今までの歴史を物語っている。誰一人として、この空間を荒らすことはしなかったのだろう。
さながら智の聖域とでも言うべきか。
それに、技術や科学というのは積み上げたものが意味を成す分野だ。いきなり、ぽん、と成果の部分の情報だけ手に入れても、それだけでは車の無い国が高速道路の建築計画をたてるようなもの。
本を書架に差し込むと、すっぽりとはまった。まるで、少年たちがその本を手に取ったことなんてなかったかのように。
無言のまま隣の書架まで移動して、また、適当な本を手に取る。
革の装丁の、分厚い本。先ほどの本より数回り重かった。
背表紙についた埃を指で拭うと、こちらはきちんと題名が残っていた。
今度は少年にも読める、慣れ親しんだ文字だった。
「……指輪物語」
題名は聞いたことはある。
「The Lord of the Rings だね」
「なにそれ。ロードオブザリング?」
「指輪物語の原題。指輪の所持者、って意味だね。そこにも書いてあるよ」
「これか?」
「そうだけど……ひょっとして、レイ、国際語わかんない?」
「こくさいご?」
聞きなれない単語に首をかしげる少年。
少女はタイトルの下の原題を指さしながら、
「ここに書いてある言葉。英語ともいう」
「ああ、英語ね。存在は知ってるけどその言語はわからない。君はわかるの?」
「まあ、ある程度はね」
そこまで言った少女は、ぱん、と手を打ち
「ねえ、レイ。こういうのを読めるようになりたいとは思わない?」
「え?まあ、できるならな」
少年だって、こうやって廃墟をあさって生活しているくらいだから、戦前の記録に興味がないわけではない。英語だって、少年の使っている言語に単語などが残っているのでさっぱり分からないわけではない。ただ、読もうと思っても、街には読める人がいなかったのだ。
「なら、私がレイに英語を教えてあげるよ。その代わりに、一つお願いをしていいかな?」
右手の人差し指をまっすぐ立てて、少女は言う。
「お願いって?」
「私に飛行機の操縦を教えてちょうだい。ゆっくりでいいから。空を飛ぶのってどんな感じだろうって気になってたんだよね」
「後ろでできるのはせいぜいまっすぐ飛ばすこととゆっくり旋回する事くらいだけど」
「それでいいよ。もとから全部できるようになるとは思ってないしね」
「ならいいよ」
「よし決まり。私は英語を教える、レイは操縦を教える」
少女はそういうと手を伸ばして、少年に手の中の本を、ぱたん、と音を立てて閉じる。
「あと、その本すごく長いから読みたいなら持って帰ったほうがいいよ」
「いや、ならいいや。この本はここにあるべきだ」
そのあとも二人して、目についた本を手に取っては、ぱらぱらとめくっていた。
最初の学術書の分野から文学のコーナーに入っていたようで、数えきれないほどの小説が書架を埋め尽くしている。
聞いたことのあるもの、無いもの。
革の装丁の大きな本、ペーパーバックの文庫本。
文字がぎっしり詰まった純文学、児童向けと思われる絵本。
人の手でか、はたまた長い年月の中でか、風化して淵や表紙がボロボロになった本、カバー付きの新品のように綺麗な状態の本。
途中からは別行動で、それぞれ別の本を見ていた。
どれほどの時間がたっていたのだろうか。
何冊目になるかもわからない本をぺらぺらとめくっていた少年は、肩に置かれた手で我に返る。
「ごめん、迷ってちょっと遅くなっちゃったけど大丈夫だった?」
「ああ、俺もすっかり時間を忘れてたから人の事言えんしな」
腕にした時計を見ると、もう数時間が経過していた。気が付いていたら探しに出ていただろう。というか、何もなかったからよかったものの本来なら探しに行っているべきだったような気もする。
まあ結果オーライ、なんてことを考えながら、
「……ところでこれどうやって戻ろう」
「その前にここに来た目的忘れてない?」
「目的?」
「記録媒体だよ」
「……忘れてた」
自分が言い出しっぺだということもあり、視線が痛い。
「まあ、偶然にも図書館があっさり見つかったからあとはここを探すだけだな」
「その読み取り機ってどんな形をしてるの?」
「わからん。俺も見たことは無いからな。まあ、実際にこれを置いてみて読めればそうだろ」
「うわぁ、果てしないね」
「まだ当てがあるだけいいほうさ」
少年は手に持っていた本を書架に戻す。
「さて、じゃあとっとと目的を済ませようか」
「ちょっと待って。この感じじゃあしらみつぶしに探そうとしても絶対同じとここをぐるぐるするよ」
その肩をつかんで引き留める少女。
「けど、そうするしかないだろう。フロアマップがあるわけでもないんだし」
「ううん、普通こういうところで読み取り機を置くならどこに置くかを考えればいい。まさか、本棚の隙間には置かないでしょ」
「まあ、そうだな」
「むしろ、カウンターの近くとか、出入り口の近くの方にあると思わない?」
両手を腰に当て、胸を張って言い切る。
が。
「……カウンターってどこにあるんだ?」
「……どこだろうね」
「……俺たちが入ってきたのって」
「……柱に開けた穴からだね」
「……あの穴って」
「……少なくとも、絶対出入り口ではないね」
「…………。」
「…………。」
大きな溜息。
「まあけど、どこにありそうかってのは考える価値はあるな」
「ん?」
「まずは壁沿いから探そう。さすがにずっと同じ方向に歩いていけば壁にぶち当たるはず」
ここで問題。見知らぬ本の森でがむしゃらに歩いて、その道を正確にたどって元居た場所に戻ることはできるのか。
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