第09話 黒煙

 たららららっ、という、凶悪な機関銃としては軽すぎるような音がして。


 降下してきていた水色の機体が急に針路を変えて。


 その機体が少年たちの乗る飛行機の横をかすめるようにして下の方へ突き抜けていったとき、少年たちの機体はまだ完全な状態で宙に浮いていた。


 一瞬遅れて状況の理解が追いつく。

 何もしていないのに飛行機が急に針路を変えることはないし、水色の飛行機が少年たちを見逃す理由もないはず。

 つまりは、誰かが何かをした。そして、この場にいるのは少年と、水色の機体のパイロットと、そして後部席の少女。少年でもないし、あちらの気が急に変わったんでもない限り、何かしたのは少女。

 では、少女が何をしたのか。答えは簡単。彼女の前には一丁の機銃があった。彼女がその機関銃を撃って、水色の飛行機はそれを避けようとして結果的に少年たちの機体はその射線から外れたのだ。

 状況を把握した少年に、危機を脱した、という感覚が一歩遅れてようやくやってくる。

 体中からどっと力が抜け、自分が脂汗を欠いていたことにやっと気が付く。

 一人だったら、今ので確実にやられていたはず。

 そんなことを考える間にも、機首を下に向けての自由落下である程度速度は回復し、操縦桿での操作が利くようになる。

 こうなればこちらのもの。

 下の方へ駆け抜けていった水色の飛行機は、下で切り返して、こちらにもう一度攻撃を仕掛けるべく上昇を始めていた。

 先程少女が撃った弾が燃料タンクにでもあたったのか、燃料のようなものが漏れて白い帯を引いている。

 少年たちの機体に損傷はない。

 少年はラダーとエルロン、エレベータを駆使して機首を上昇してくる水色の機体に合わせる。

 今度こそ。

 上昇してくる水色の機体と降下するベージュの機体。その二機が交差する瞬間に、スロットルレバーの引き金を全力で握りしめる。

 水色の機体の上で火花が散った。

 そして交差の直後。水色の機体は黒煙を引き、その煙を突き抜けるようにして現れたベージュの機体には新たな傷は一つもない。

 上昇していた水色の機体は一気に速度を落とし、速度を失って下降に転じる。そのプロペラは次第にスピードを緩め、遠目でもわかるほどに回転数が低下していた。

 エンジンが停止したのだろう。これでしつこく追いすがられる可能性はなくなった。

 大きく安堵の息をつく少年。

 全身の力を抜いて背もたれにもたれかかる。

 つかの間の静寂が、狭いコクピットの中を満たす。

 先程までは少年の緊張感を煽るように聞こえていたはずのエンジンの音が、今度は心地よく聞こえる。

「生きてる?」

 左手で額の汗を拭いながら、後ろに向かって声をかけた。

 少し間をおいて、答えがあった。

「……なんとか、ね。何回か死にかけたけど」

「生きてるなら結果オーライってやつだ」

「君が変な動きするから死にかけたところもあるんだけど」

「それはごめん」

 急機動については思い当たる節があったので、やっちゃったかな、と思った少年だったが、少女はかるく笑って、

「冗談だよ。そうするしかなかったんでしょ。感謝こそすれ、文句を言うつもりはないよ」

 自分のミスで一度は危機的状況に陥った自覚はあったので、その純粋な感謝を素直に受け取ることができない。

「そういえば、反射的にこれ撃っちゃったけど大丈夫だったの?」

 少女は、座面の上で膝を抱えてくるり、と座席ごと回りながら尋ねる。

「ああ、助かったよ。そもそも、それを撃つのは後ろに乗ってる人の仕事だからな。君が撃つべきだと思ったら撃っていいさ」

 さすがに、あれがなければやられてたかもしれない、とは言えなかった。

 プライド、というよりかは、少女の信頼を裏切りたくないから。それもプライドの一部なのかもしれないけど、そこまでは少年には分からない。

 お互い疲れたのか、そこからしばらくは言葉はなかった。

 先程までの事が嘘かのような落ち着いた時間。

 ああいう空戦機動とか言われる動きは、乗っているだけでも思いのほか体力を消耗する。

 もしかして寝ちゃったのかな、と少年が思い始めたころ。

「ごめんね」

 唐突な一言だった。

 無表情で何もない空を見つめながら。

 一呼吸ほどの間をおいた後、少女は続ける。

「私が首を突っ込んで問題を大きくした。あそこにあった物を諦めなきゃいけない程度には」

 先程の飛行機と飛行機での戦いは、空の戦いを知らぬ少女には衝撃的だったのか。

 そして、少女には先程の戦いの一員が自分にあるという自覚もあった。

 きっと、少女が首を突っ込まなければ、どういう形かはわからないが、少年があの男と話をつけ、あの施設の物資をすべて諦めなければいけないなんてことはなかったはず。

 銃を向けあっているのを見て思わず、とはいえ、もう少し考えるべきだったかもしれない。

 ああいった「拾い物」が少年の生活の糧だという事もわかっている。

 自責の念、というほどのものではないが、これについては多少の責任は少女だって感じている。

「さあな。そうかもしれないし、そうじゃないかもしれない。まあ、今更言ったってどうにかなることじゃないんだし、気にしてもしょうがない」

 前を向いたままの少年は、少女の言葉を否定はしない。わかり切った嘘なんて、ここでは意味をなさない。

 それに、少年だって黙っているだけで彼女を危険にさらしてしまっている。彼女を責めることなんてできやしない。

 加えて。

 少女の言ってることには一か所だけ間違いがある。

「それに、あの地下施設にあった物を諦めなきゃいけなかったってのは間違いだ」

「なに、今からまた取りに行くの?今日は私もうあんなには歩けないよ」

「いや、そうじゃなくって、」

 少年は、空いた左手でそれをポケットから取り出すと、後ろからも見えるように頭の高さで掲げて、

「これは、多分大当たりって言ってもいいんじゃないかな」

「なにそれ」

「あの施設に落ちてた記録媒体。価値は中身にもよるけど、いまじゃもう製造できない代物だ。中身がしょうもない物だったとしても、このストレージの価値だけで今回の労力と比べたらお釣りがくるはず」

「え、ほんと?」

「ああ。次に街に戻ったら、そのお金で色々買えるはず。服だってそのワンピース一枚じゃ不便だろ」

 そしてもう一つ。

「あと、食料も多めに買わないとな」

「仕方ないじゃないっ。お腹がすくのはどうしようもないよ」

「わかってる、わかってるって」

 思ったより大きな声でいわれて思わず首をすくめる。

 これが大事なのである。ここ三日間ほど一緒に過ごしていてわかったのだが、初日のものすごい食べっぷりは別に飢えてたからではなかったらしい。

 あれから三日。二人で食べても十日分はあったはずの食糧がもう半分近くなくなっている。

 多分少年の二倍くらいは食べているのではないだろうか。

「ああ、食費が……」

「その分私もいろいろ手伝うよ。だからその辺で捨ててったりはしないでよね」

「さあどっかな」

 もちろん少年にそんなつもりはないし、少女の方もそれを分かっての、じゃれ合いのようなもの。

 ふふっ、とどちらともなく笑いが漏れる。

 そういえば、という風に少女が言った。

「ねえレイ、その記録媒体の中身って私達で見れないの?」

「うーん、見れないことはないと思うけど、なんで?」

「気になるじゃない。廃墟の中から見つけた記録媒体なんて。それに、なにか思い出すきっかけになるかもしれないしね」

 そう。忘れてはいけない。少女には少年と一緒にあちこちを廻る理由がある。

「なら、次はこれの中身を見に行くか」

「いいの?」

「ああ、こういう文明時代の記憶媒体の読み取り機がある場所に心当たりがあるからな」

「それって、レイの街?」

「いや、違うよ」

「じゃあ?」

「まあ、ついてのお楽しみ、ってね」

 ベージュ色の水上機が去った後の空には、緩やかな弧を描いた飛行機雲だけが残される。

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