第08話 格闘戦
そして。
少年と少女は何時間か前に降りた飛行機の元まで戻ってきていた。
二人とも、持っているものはここを離れたときとほとんど変わっていない。
ふたりがかりで両手で持っても余るほどの「売れるもの」があの地下施設にはあったはずだが、それを持ってきていないのには訳がある。
「ひとまず、足が無くなっているってことはなかったか」
「これで一安心だね」
ささいな、では済ませないような諍いがあった後なのだ。その相手が腹いせにこちらの移動手段を奪いに来ないとは言い切れない。実際、そういう話はしばしば耳にする。
せっかく金になりそうなものが沢山あったのにもったいない、とは思うが、ここで飛行機を失えば一気に危機的状況に陥る。
「けど、さすがにこっちの飛行機を壊しには来ないんじゃないの?確かにちょっと脅しみたいなことはしちゃったけど、あの人があそこの物資にこだわってたのは純粋にそれが金になるからでしょ。わざわざ私たちにそんな嫌がらせしても得るものがないよ」
「まあ合理的に考えればそうなんだけど、多分あいつは相当頭にきてるはず。そもそも『探索者』なんて危険な仕事をしてる人間ってのは多かれ少なかれそういう合理的なとこを無視するところがあるからな。ましてアサルトライフルなんて持ってるならばりばりの武闘派だろう。いきなり出てきた女の子にコケにされたんじゃ黙ってないさ」
嵩張る狙撃銃を機体の後ろの収納部分に入れて、他の荷物もいつもの場所にしまっていく。
「……めんどくさいね」
「大いに同感だ。面倒な奴と関わる羽目になったな」
いつものように、離水前の準備を一つづつやっていく。
「できるだけ早く飛びたいから準備して」
「おっけー。先に乗ってるね」
慣れた手つきで機体を水の上に出してから、少女が飛行機に乗り込む。
少し遅れて少年も乗り込むと、エンジンをかけ、
「ちょっと荒くなるからしっかり座ってて」
「え?なんで?」
「すぐにわかると思うよ」
スロットルを一気に押し込まれた飛行機は弾けるように加速すると、白い水しぶきを後ろに残しながら水面から離れる。
水面ぎりぎりで水平飛行して、十分に速度がたまったところで少年が操縦桿を引くと水上機は一気に急上昇を始める。
エンジンに負担がかかるのは承知の上でラジエーターを完全に閉じる。
できるだけ、高く、速く。
しばらく昇っては水平飛行で速度を取り戻し、再び昇る。これをひたすらに繰り返す。
正確な時間は分からないが、五分ほどだろうか。
高度計が4000メートルを示したあたりで、上昇をやめて水平飛行に戻る。
「今日はずいぶんと高くまで昇るんだね。ここまで高いのは初めてじゃない?」
少女はいつもより遠い地面にややはしゃいだような感じの滲む声で尋ねるが、少年はそんな少女は気に掛けずにあちこちへと視線を走らせている。
「普段はこんなに昇る必要がないからな」
「じゃあ今日は昇る必要があるってことだよね」
「まあ、そういうこと」
「なんで?」
「それは、」
そこまで言ったとき、少年の視界の端で何かが動いた。
「説明するより見たほうが早いだろうな。右斜め上の方」
「え?」
「黒い点が見えるだろ。あれ、飛行機だ」
「あ、ほんとだ」
少女も状況がつかめたのか、声色が変わる。
「ってことは」
「通りすがりの探索者、だといいんだけどそうならあんな高いとこは飛んでないだろうね」
「じゃあ、さっきの人?」
「十中八九そうだろうな。見つけにくい陸上じゃなくて、すぐわかる空で待ち伏せしてたってとこだろう」
「うわぁ。なんか気に入られちゃったみたいだよ、レイ」
「どうせ気に入られるならもっと話の出来る人が良かったな。ちょっと振り回すけどいいか?」
「いいけど、逃げ切れるの?」
「状況次第。逃げきれないようなら不本意ながら空中戦だろうな」
空中戦において、高度の差というのは大きい。具体的には、上にいる方が圧倒的有利になる。上から降りて低空の敵機を攻撃するのは一瞬でできるが、逆をするには何分もかけて上昇しなければならない。
一応、こういう事態を想定して少年の機体にも自衛用の武装がある。機首に7.7㎜の機銃が二丁。戦闘が本職の機体ではないので無いよりまし程度のものだが、最悪それに頼ることになる。
「空中戦なんかできるの、レイ?」
「生憎、それが専門の奴にみっちり教え込まれたからな」
昔、といってもそれほど前ではないが色々と教わったその顔を思い出しながら、体をもぞもぞと動かして座席に深く腰掛け直す。
「後ろ向いてしっかりと座っとけ」
「りょーかいっ」
膝を抱えるようにして座席の上で小さくなった少女が座席脇のレバーを引くと、ぐりん、と座席が回って後ろ向きになる。
少女の目の前には銃架の上にのった一丁の機関銃。ただし、いつもとは少し違った。
「これ使うの?」
普段はなかった箱状の部品が付き、そこからベルト状のものがジャラジャラと機関銃の機関部へつながっている。
「今は使わないけど、状況によっては頼むかも。使い方は?」
「撃つだけなら何とかね」
「なら大丈夫」
少年はスロットルレバーを持つ左手と操縦桿を掴む右手を握りなおして、
「舌噛まないように口は閉じとけよ」
「心配無用ってね」
少女がそう言い放つのとほぼ同時に。
少年たちよりはるか上空を飛んでいた飛行機は、下を飛ぶベージュ色の機体を視認したのか一気に急降下にはいる。
角度が変わったことで、その機体のシルエットが明らかになる。くすんだ水色に塗装されたずんぐりとした胴体に二つの大きなフロート。大きさからして単座機か。
小さな黒点が一気に大きくなったのを確認した少年も、機体をロールさせてから操縦桿とペダルを操り、普段より少し急な角度で降下に入る。
「え、うわっ」
急降下するとき特有の内臓が浮くような感覚に襲われつつも、操縦桿とペダルを使って一定の角度で降下を続ける。
律義に口を閉じろという指示を守っているのか、後ろで少女が声にならない悲鳴のようなものを上げていたが、少年は無視した。それどころではないし、悲鳴のようなうめき声のような何かを上げてはいるものの、背中化からは本気で怖がっているというよりかは楽しんでいるような雰囲気が伝わってくる。
速度が乗りすぎないようにスロットルを絞りつつ、キャノピーの窓枠についたミラーで後ろを確認する。
しばらくは降下して追いかけてきていた水色の機体だったが、途中で再び上昇して離脱する。
お互いに急降下して相対速度はほぼゼロ。あちらが離脱してくれたので下から急角度で突き上げてのカウンターで射撃チャンスがあるのだが、
(釣り上げには乗ってやらない。こっちはあんたを墜とすことじゃなくて無事に逃げ切ることが目的なんだ)
急上昇すればそれだけ速度は落ちる。そして、飛行機という乗り物が速度を失えば、重力に従って落ちるだけのただの的になる。まして少年の機体は複座の水上機。重い分速度も失いやすい。
だから。少年はそのまま降下した速度を使って逃げ切ることを選んだ。
あちらもそれに気が付いたのか。水色の機体は再び翼を翻すと再び急降下する。
少年も答えるように操縦桿を押し込み、更に急な角度で降下を始める。
「んーーーーーっ」
今度はガチなやつだった。
背中側からの垂直に近い急降下はさすがにダメだったのか、必死な呻き声が背中の方から響く。これでもまだ言われたとおりに口を閉じてるのは偉いな、とか人事なことを思いながら、少年は操縦桿を握る手に力をこめる。
空中分解しないように、スロットルはゼロ。
ほぼ重力任せの自由落下。
(ついてくるならついてこいっ。この機体は複座だけど機動性はある。海面高度での旋回戦なら何とかなるっ)
時たま機体の周りを風切り音と共にかすめる曳光弾にバレルロールで射線をずらすことで対応しながら、後ろを伺う少年。
(速度は十二分にあるんだ。ついてこないで離脱して上を抑え続けるってんなら今度こそ突き上げで一発かましてやる)
少女にはああいったものの、レイだって実戦経験が豊富なわけではない。最適解なんてわからない。
操縦桿を握る右手に汗がにじむ。心拍数が上がる。
頭では今は降下して逃げるのべきとわかっていても、時たま周囲を駆け抜ける銃弾は少年の心をじわじわと圧迫する。
まだ距離があるので当たってはいないようだが、運が悪ければ弾が掠ってどこか重要な部品が破損するかもしれない。飛行不能になったらそれこそチェックメイト。
絶対の安全なんてどこにもない状況。
何とか冷静さを保ちつつ、セオリー通りの回避行動を続ける。
しかし、回避行動はとっているものの、曳光弾の光の筋は次第にベージュ色の水上機へと寄っていって、
そして、何かが乾いた音と共に、息を呑むような、先ほどまでとは明らかに違う、悲鳴じみた微かな声が少年の背中の方から聞こえてきた。
その瞬間、少年の頭は一瞬で飽和した。
この機体に乗っているのは自分だけでないという事実が、一気に脳になだれ込んでいく。
恐らく、一瞬だろうけど相手の斜線に入っていた。
相手の弾丸がキャノピーの付近を貫いた。
すこし場所がずれていたら、後ろの少女に当たっていたかもしれない。
頭がギュッと絞られるような感覚に陥る。
絶対に墜とされてはいけない。
レイが少女を乗せる事を選んだ以上、少年には空の上では彼女を守る責任がある。
防弾装備があるのは正面の防弾ガラスと操縦席の背もたれだけ。
一瞬でも相手の射線に入れば防弾装備のない後部席の彼女は真っ先に銃弾の雨に晒される。
逃げるにしても後部席は常に被弾の危険と隣り合わせ。
(……っやらなきゃ)
『探索者』としてやってきた少年はそういった状況も覚悟しているが、後ろにいる少女はそうではない。海の上で偶然近くを通りかかるかもしれない飛行機を待ちながら、ただ浮かんで死ぬのを待つようなことには付き合わせられない。
(次にチャンスがあったら仕掛けるっ)
目まぐるしく思考が行き来する頭で、かろうじて紡ぎ出した結論を掴む。
汗で滑りやすくなった手でスロットルレバーを掴みなおし、それについた機銃の発射レバーに指をかける。
水色の機体はまっすぐ少年たちの機体をめがけて降下してくる。
(追うなら追ってこい。いつまでもそっちが攻撃する側だと思うなよ)
ちらちらと後ろを振り返りながら、追ってくる飛行機の様子をうかがって、
(よし、離脱した。今ならいけるっ)
水色の機体が上昇に転じた直後。
スロットル全開。操縦桿を限界まで手前に引く。
急な機動に体中の血液が搾り取られるような感覚に襲われるものの、歯を食いしばって意識が飛びそうなのをこらえる。
速度が乗った状態でほぼ垂直に上昇する。
緩やかな上昇で離脱しようとしている水色の飛行機を正面にとらえ、ベージュと水色、二機の水上機の距離が次第に縮まる。
(あと少し、あと少しっ)
照準器の真ん中に水色の水上機をおさめ、十分に近づいたその瞬間。
(いまっ)
左手で握った引き金を一気に引く。
連続した軽い音と共にベージュの機体の機種から弾丸が光の筋となって放たれ、
そして。
その光の筋は何もいない青空を切り裂いた。
簡単な物理の話だ。基本的に空を飛ぶ飛行機は、高度にあたる位置エネルギーと、速度にあたる運動エネルギー、二つのエネルギーを持っている。短時間において、このエネルギーの合計は基本的には変わらない。三次元的な空戦というのは、基本的にこの二つのバランスを調整しつつ行われる。
では。
もとから高度が上で速度はほぼ同じ、つまりはエネルギーを多く持っている相手に対して、下から突き上げをしたらどうなるか。
当然、同じ高度にたどり着いた時には相手より速度が落ちている。そして飛行機は基本的に、相当高速にならない限りは速度が乗れば乗るほどよく動く乗り物だ。
まずい、ということは咄嗟に分かった。
相手はぎりぎりまで引き付けたうえで回避機動を取った。
速度を失った少年の機体は、それに追従することができない。
思わず操縦桿を動かした結果、無理な機動でさらに速度が失われる。
失速速度。
速度がこれ以下だと、飛行機が空を飛ぶ道具からただ重力に従って落ちる物体になる速度。
それを下回った。
慌てて首を回すと、上から降ってくる水色の飛行機が目に入る。
重力にひかれて機首が下がるが、速度がないので回避機動を取ることもできない。
今更ながら、自分が単純な、それも一度は気が付いたはずの罠にかかったことに気が付く。
釣り上げ。相手に無理な上昇をさせて、失速させる戦法。
頭が猛烈な勢いで回って最善の手をはじき出そうとするが、もとから無いものを探し求めても何も出てくるわけもなく。
たららららっ、という、凶悪な機関銃としては軽すぎるような音がした。
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