終章 帰るべき場所 ~From Old Land to New Epoch~

第32話 Cleared for Beginning


 異様な清潔感を放つ白色の廊下。

 つい数日前まで足跡が付くほどの埃が積もっていたとは思えないその部屋に、少年はいた。

 腰掛けているのは持ち込んだ金属のパイプ椅子で、目の届く範囲に少年以外の影はない。

 ただ、少年のすぐ脇の扉からは時折機械音のような音がして、正面から見れば曇りガラス越しに人影が動いているのが分かるだろう。

 少年の右足は落ち着きなく貧乏ゆすりを繰り返し、その両手もそわそわと一分ほどおきに組み替えられる。

 そして、かちゃり、とドアノブをひねる音がして、少年はばっとドアの方を振り返る。

 壁と同じ過剰なまでに白色の扉は内側からゆっくりと開かれ、

「お待たせ。終わったよ」

 白色の陶器のような左手を振りながら、病院服に身を包んだ少女が現れた。


***


「そんじゃ、乾杯!」

 アウトリッジの掛け声とともに、まだ明るいフォルテナの一角で、グラス同士のぶつかる軽やかな音が響く。

 場所はアウトリッジの官舎。タロスに向かった四人に、グラディスを加えた5人が五日のように豪華な食事の乗ったテーブルを囲っていた。

 違う点があるとすれば、「お誕生日席」に座るのが今回はワンピースの少女であるという事。

「にしても、まさかフォルテナにあんな設備が残ってるなんて私も知らなかったわ」

「お前も子供の頃出入りしてただろ」

 あれから技術者を連れて陸路でフォルテナに戻り、無事に少女の治療も完了した。

 記憶の方はどうにもならなかったものの、ここに来た当初の目的は果たしたわけだ。

「ねえ、このジャム開けていい?」

「あーいいぞ」

 リミッターも復活したそうで、あれ以来少女が缶や瓶を以前のようにうっかり握りつぶすことは無くなった。

 エネルギー消費が少なくなっても食欲は変わらないようだが、それでも食べられる量が減ったのか今までのようにさらりと二、三人前平らげることも無くなり、せいぜいこの年頃の女の子にしては多めといった程度。

 ほっとする反面、少し寂しく感じてしまうが、これくらいなら許してもらえるだろう。

「ねえレイ、このベーグル半分あげるからそのクロワッサン半分頂戴」

「まだクロワッサンそこにあるぞ」

「パンばっかり食べたら他の物食べれなくなっちゃうでしょ」

 少女が発熱することも無くなり、睡眠時間も普通と言って差し支えない長さになった。心なしか、もともと多かった口数がさらに増えたような気もする。

「あなた、随分肉ばっかり食べますね。私たちの分残しといてくださいよ」

「仕方ないだろ、方舟に戻ったら肉は手が届かない高級品になるんだから」

「ほら、川魚とかはどうですか。海の上ならあんまり見かけないんじゃないですか」

「割と自分で釣って食うんだよなぁ。それに、皮の魚って小さいうえに脂が乗って無くて物足りないんだよ」

 満身創痍の状態でタロスに置いてきた飛行機は、あちらで修理と補給をして明日辺りにこちらに持ってきてくれるらしい。

 なんなら取りに行くつもりだったのだが、暇になった軍の部隊を護衛に着けて確実に運んできてくれるという事だったのでその言葉に甘えることにしたのだ。

「海の魚はそんなに大きいんですか」

「まあ大きいものは大きいけど、それより脂が乗ってるな。マグロとかカツオとかはいいぞ。焼いても生でも美味い」

「そんなに美味いなら、そのうち俺たちもその方舟とやらに行ってもいいかもな。海も見てみたいしな」

「その前にいろいろと外交上の手続きがあるわよ。けど、そうね。こちらから方舟に使者を送る機会があればアウトリッジたち二人に任せようかしら」

 住めば都というのは本当のようで、アリソン達とわちゃわちゃしながらのこちらの生活も慣れてみれば悪くないのだが、残念ながらここに定住するわけにはいかない。

住民票のような物こそタロスとフォルテナ双方で出してもらえたが、仕事についてはスカウトというのも申請すればなれるというほど簡単なものでもないようで、一朝一夕でなんとかなりそうにはない。

 そして何より、8番アークでは戦闘機乗りの銀髪の少女が少年と少女の帰りを待っている。

「それなんだが、どうするつもりなんだ?陸路で海まで出るのは絶望的だろうし、俺達には船もない。かといってここの偵察機を出しても、方舟にジェット機を下ろせるだけの滑走路がある保証もない」

「正式な関係がないまま双方の存在だけが分かって戦争になっても嫌ですしね」

「それなら問題ないわ。もう策は考えてあるから」

 そう言ったグラディスは川魚のフライをナイフで切って口に運んでから、

「澪さんと白亜さん。あなた達二人に私から8番アークへの親書を託すわ。方舟同士には特に上下関係のような物は無いのでしょう?」

「まあ、無いですけど」

「なら問題ないわ。お願いしていいかしら」

 切った拍子にはがれた衣を復元しながら金髪の都市代理人は言う。

「もちろんですよ。皆さんにはいろいろ助けてもらいましたし」

「それはお互い様よ。私たちだって旅人であるあなた達の立場を都合よく利用したわけだしね。それと、宛名をどうすればいいのかだけ教えてもらえる?」

「んー、まあ、管理委員会議長でいいんじゃないですか。今の議長の名前は忘れました」

 少年はスプーンですくったスープをふうふうと冷ましながら答える。

 ちなみに、名前を忘れたのは少年が不真面目というよりかは、議長の仕事が裏方よりなせいである。

「そういえば、この街に液体記録媒体の読み取りができる機械ってありますか?」

 ふと、随分前の話に思えるが図書館跡に行ったときに拾ったもののことを思い出して少年は尋ねる。

「さあ、多分この街にはないわね。その液体記録媒体っていうの自体、実際に見たことは無いわ」

「そうですか」

 まあ、これについては気長に探していけばいい。急ぐ理由もないのだし。

 と、そこで食パンをまっすぐ切ろうとして結局余計にガタガタな切り口を作り上げたアウトリッジが、切った食パンを片手に口を開いた。

「まあ、その辺の硬い話はその辺にしてせっかくなんだし楽しい話をしようじゃないか」

「それもそうね」

 無事にフライの復元に成功したグラディスがそれに頷き、

「じゃあ何の話?レイと旅してた時の話とかならいくらでもあるよ」

 なんだかんだで澪から半分もらったはずのクロワッサンを新たに一つ手に取った少女が身を乗り出すようにして続き、

「まあ、ここはタロスを救った英雄様の武勇伝でも聴こうじゃないか。飛び立ってからは俺たちは誰も見てなかったわけだし」

「いいねっ、私も聞きたい。レイ、いいでしょ。というか聞かせて」

 尋問かと思うような勢いでその話を求められた後、あちらこちらへと話は移り、パーティー、というより宴会は街が真っ暗になった後まで続いたのだった。


***


「取り付けなおした増槽も含めて燃料は満タンにしておきました。修理もばっちり、壊れてたエンジンについてはレシプロエンジンが無かったのでターボフロップにしましたが、燃料はガソリンでもジェット燃料でも行けますよ。燃費と馬力も上がっているはずです」

 まさかの都市代理人自ら出てきてのお届けだった。

 フォルテナの真上に当たる地上に作られた滑走路の上で少年と少女が乗り込んだベージュの機体の横では、2地下試験都市の都市代理人に周辺警戒のフォルテナ自衛軍1部隊となんとも豪勢な見送りが並んでいる。

 もちろん、アリソンとアウトリッジも一緒である。

 少女は手元のポーチに入ったグラディスに託された親書の感覚を確かめてから見送りの彼らに向かって手を振る。

「そのうちそっちに行くから、その時はよろしくな!」

 片手を顔の少し上あたりに挙げてそう言うのは会った時と同じスカウト装備のアウトリッジ。

 グラディスは軽く手を振ると「たのんだわよ」と。

 アリソンは軍隊式なのか綺麗な敬礼を決めると、

「帰り着く前に墜ちないでくださいね。帰るまでが遠足です、って言うでしょう」

 風防を閉め、エンジンを始動する。いつもとは少し違う音と共にプロペラが回りだし、外からの音が聞こえなくなる。

「我々タロスもフォルテナも、あなた方の訪問は歓迎します。また縁が有れば会いましょう」

 無線越しに聞こえてきたのはマインハルトの声。

「あなた方の幸運を祈ります」

 そこでぶつりという雑音と共に無線が途切れ、次に聞こえてきたのはアリソンの声だった。

「MS-836Wこちらフォルテナ地上管制。風向き85度、風速3メートル。滑走路85、CLEARED FOR TAKEOFF」

 目立つ管制塔のような物もないので、普通の無線でやっているのだろう。

「MS-836W, CLEARED FOR TAKEOFF」

 スロットルを押し込むと同時に強烈な加速で機体が滑走路の上を滑りだす。

すぐに離陸速度を超えた機体はふわりと浮き上がるようにして地面を離れる。

「幸運を祈ります」

 木々と廃墟の間に隠れるように作られた滑走路は、空に舞い上がるとすぐに見えなくなった。



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