第31話 技術後退


 息を吸って、息を吐く。

 プラスチックのパイプの詰まった枕に埋めた顔のせいで息は籠り、呼気の湿気で口元の布地がしっとりと湿る。

 枕越しの息苦しい空気を吸いながら、先ほどの技術者の言葉が頭の中でやまびこのように繰り返し響く。

『直そうにも、道具も部品もないんだ。今では作れないものも多いのさ。だから悪いけど諦めてくれ』

 あの後、結局、聞かなかったことにしたい自分を押しとどめて、その目で確かめるために事務所に向かった。

 どこか、奇跡的にあそこだけは無事に残っていることを期待していた自分もいた。

 あの黒髪のものぐさそうな技術者が、これでもできると言ってくれることを期待していた自分もいた。

 けれど、この世界はそこまで都合よくはなかった。

 そんな奇蹟を許してくれるような神様はいなかった。

 当然だ。そんな神様は、きっと数百年前の大戦で死んでいる。

 寝返りを打って天井を見上げると、籠っていない新鮮な空気が肺に入ってくる。そのことがどうにも気に入らなくて、ベッドの端に丸めてあった毛布を掴んで顔の上に乗せる。

 いっそ眠ってしまおうかとも思ったが、頭の中で渦巻く感情がそれを許してはくれない。

 目を閉じれば様々な記憶や思考が入り乱れ、眠ることができそうな気配は毛ほどもない。

 十分ほどだった気もするし、小一時間だったような気もする。

 いい加減何かしなくてはいけないような気がして、それでも何をすればいいのか分からなくて動き出せない。

 もう、ここまでやったんだから上手くいかなかったのも許されるんじゃないか、そんな考えが頭の隅に現れ、それを振り払うために再び顔を枕に埋める。

 それも本心ではなくってそれを否定している自分を見たいのではないか、という疑いが少年の頭のどこからか現れ、思考に収拾がつかなくなる。

 あそこで機首が上がらず地面に突っ込んでいたのなら、ここまで散乱した思考に困らされることもなかったのではないかとすら思えてくる。

 と、その時。

 ぎいっ、という鈍い音と共に、外の喧騒と、誰かが話す声が聞こえた。

 毛玉のように絡まってそれでもなお動き続けていた思考が、少しの間停止する。

 彼等だった。アウトリッジ、アリソン、そして白亜。

 包囲が解けたので陸路で戻ってきたのだろう。

 この「悪いニュース」をどうして伝えたものか。頼むからしばらくはこちらに来ないでくれと祈るものの、その願いもむなしく足音と話声はまっ直ぐに少年の部屋へ向かってくる。

 重たい体を起こしてベッドの上に腰掛けたところで、丁度扉が開いた。

「っ……」

 口を開いた少年の言葉は、音にならなかった。

「さ、行くよっ」

 少女に手を引かれ、半ば引きずられるようにしてベッドから立ち上がる少年。

 残りの二人も扉の脇で少年を待つかのように立っている。

「いや、けど、研究所はっ」

「知ってるよ」

 少女の言葉に、思わず振り返ったその目をまじまじと見つめる。

「マインハルトさんから大体の事は聞いた。街の被害も」

「なら、」

「私はもう十分レイに助けられたし、感謝してるよ」

 これだけならば、突き放すような言葉にも聞こえただろう。けれど、今、少女は少年の手を引いていて、しっかりとその目を見つめ返している。

「だから、今度は、私がレイの我儘を叶える番。レイが命を張ってまでしてくれたことを、骨折り損にはさせないよ」

 宙を舞ってアンドロイドと戦っていた時を彷彿とさせる、強さを感じさせる笑みを浮かべてそう言うと、少年の手を握っていたその手を放し、

「とは言っても、私が何かできるわけじゃないけどね。覚えてる?アウトリッジさんのおじいさんが義肢の技師だったって話」

「覚えてるけど、それが?」

 手を放された少年も、ベッドに戻ろうという気は無くなっていた。それくらいには、少女の声は自信に満ち溢れていた。

「さっき聞いたら、その仕事場はまだあの街に残ってるって」

「けど、あそこの技術じゃあお前の体には手が出せないんだろ?」

 確か、節電義肢が限界だとか言っていた。

 節電義肢自体も方舟では消滅まで秒読みといった技術なので優れた技術であることは間違いないのだが、少女の体のような義肢というより体といった方が相応しいものとは、雲泥の差がある。ゼンマイ仕掛けのからくり人形と、プログラム次第で走ったり跳ねたりできる二足歩行ロボットとの違いのような物。小手先の工夫で乗り越えられる範囲を超えている。

 そしてもちろん、少女だってそんなことは分かっている。

 それでも言ったのは、きちんとした当てがあるから。

「そう、今はね」

 技術の流れる方向が退化一方向になったこの時代において、古いという事はより優れた技術が用いられていることを示す。つまりは、

「アウトリッジのおじいさんの世代なら、まだ技術は残っていたはずだよ。なんてったって、七十年以上は前の話なんだからね。交流がある街同士で、技術退化のレベルが七十年分も違うはずはないよ」

 ここまで言われれば、少年でも何を言わんとするかは分かった。

「じゃあ、」

「今問題なのは、あの技術者の人の事務所兼研究所が壊滅して、場所も道具もない事。なら、それを私たちが用意すればいい。そうすれば、あとはあの人にそこまで来てもらえばいいだけ」

「来てくれるのか、ほんとに」

 その問いに少女はにやりと笑うと、

「これくらいの要求は通るはずだよ。なんたって、今やレイは戦争を終わらせてこの街を救った、英雄みたいなものなんだからね」


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