第六章 二輪車と異邦人 ~Aliens and a Stranger~
第19話 ファーストコンタクト
「方舟」を離れてはや五日ほど。
川沿いに内陸に進んできて、とっくに見知った土地からは離れているのだが、今のところ収穫と言えるようなものは無かった。
航続距離を優先した代償として荷物のスペースが半分ほどになったので、途中からは廃墟の中に転がっているものを拾うこともせず、ただただ自然に呑まれた街をめぐる毎日。
ここ数百年人が立ち入っていないであろう街は少年の慣れ親しんだ廃墟より数回り古びていて、廃墟というより遺跡という言葉の方がしっくり来た。
川沿いに街が発達しやすいというのは文明の黎明期も最盛期も変わらないようで、川沿いにはほとんど途切れることなくその遺跡が続いていた。
そのおかげで、やる事がないということにはならずに済んだ。少し飛んでは、川に降りて、遺跡を巡って川のそばで夜を明かす。流石に漏れなく見て回るというのは非現実的だったのでできなかったが、点々と飛び石のように手書きの地図の上にバツ印が付けられていく。ちなみに、この地図は空から見た景色をもとに白亜が手書きで書いたもの。
途中で何回か無人兵器に殺されかけたり、道に迷って遭難しそうになったりすることはあったものの、結論から言えば大きな怪我も無く、そして前述のとおり欠片の成果もなく少年と少女のフライトは順調に進んでいた。
二種類の銃弾も買い足していたこともあり、物資の面でも問題はない。拳銃のマガジンを買い足さなかったことについては、少年は事あるごとに少女に文句を言われたが、買い忘れたものは仕方がない。
そしてそんなちょっと危険なハイキングのような日々は、唐突に終わりを告げた。
とはいっても、毎日無人兵器が徘徊する中を足が棒になるまで歩き回っていた少年たちの努力が実を結んだ、というわけではない。
もちろん、タイミングの問題もあるのでただ川の上をひたすら飛んでいるだけでは得られなかった成果ではあるが、別に毎日同じだけの時間河原で遊んでいたとしても何ら問題なかっただろう。
それは、六日目の朝に飛行機に乗り込み、次の「飛び石」を目指してのんびりと空を飛んでいた時だった。
後部席で昼寝をしていた少女が、うーん、という声とともに起きたと思うと、「あーっ!」といきなり叫んだのだ。
当然、少女は寝ているものだと思っていた少年は思いっきり驚いて、思わず操縦桿を引いて少女を背もたれに叩きつけてしまったのだが、その程度では白亜の興奮は冷めなかった。
「レイ、あれ、あれ、ねえ、あれ」
「田舎の老夫婦じゃないんだからあれじゃ分からんって」
未だに暴れている心臓と呼吸を落ち着けながら、少年は言う。
「いや、その、みぎみぎっ」
寝起きなせいもあってまだ頭が回り切っていないのか、要領を得ないことを繰り返す少女。
UFOでも現れたのか、なんてことを思いながら言われた通りに右を向く少年だったが、そこにあるものを見て少女の反応に納得がいった。
右側遠くにあったのは、高度があったり風が強かったりしたら見落としてしまうような小さな煙。ただ、山火事というわけではない。人工的な赤紫色をしたそれは、明らかに発煙筒の出す煙だった。
心拍数が一気に上がる。高揚したせいか頭に回る血の量が増えたような気がする。
スロットルを絞って高度を下げ、操縦桿を倒して煙の立つ方に向かう。
(確実に人の手による煙。けど、いま人がいるっていう保証はない。もしかしたら何かの目印ってだけで人はいないのかも)
川に降りて歩いていくのには遠い距離。もちろん少年と少女の足なら歩けなくはないだろうが、見知らぬ遺跡と森の中で迷わずにこれだけの距離を踏破するのは不可能に近いはずである。
せっかく得た手掛かりを、安全を取って見逃すべきか、リスクをとってでも確かめるべきか。逡巡する少年だったが、その逡巡は即座に吹き飛んだ。
ちかり、と少年の視界の端で何かが規則的に瞬く。
短短短、長長長、短短短。五百年以上、もしかすると千年以上前から使われている原始的な救難信号。
それを見た時、少年が真っ先に思ったのは、助けなければ、でも、どうしたのだろう、でもなく、人がいる、ということだった。「いるかもしれない」から、確信に変わる。それから一歩遅れて、それが救難信号であるということに思い至る。
人がいる。その事実が何よりも意味がある。
「白亜、降りるぞ」
自分でつけた名前は少し呼びにくくて避けていた少年だったが、この高揚感の前にはそんなものは些細な問題だった。
「降りるってどこに?」
「その辺に大きい道が残ってただろ。そこに降りる」
「この飛行機は水上機でしょ。そんなこと、」
「できるんだな、それが」
ぐるりと旋回して、何とか森に飲まれずに残っている幹線道路だったと思しきものへの着陸コースに入る。
「できるって、どうやって」
「フロートを捨てる。そうすれば、着陸脚が使える」
「それじゃあ、」
「もちろん川には降りられなくなるけど、仕方ない」
川に降りられなくなる、ということは今後疲れても眠くても故障しても、自由には降りられないことを意味する。今回のような都合の良い道の跡はそうそうあるものではない。
「……一つだけ聞かせて。その仕方ないっていうのは、誰かがSOSを出してたから?」
やっぱり気が付いてたか、と思いながら少年は言う。
「なわけあるか。俺がここまで来たのはお前の体を直す手がかりを探すためだ。目の前に手掛かりに繋がりそうなものがあるってんなら見過ごす理由がない」
それに、少年だって見も知らぬ人間のためだけにそこまでできるような聖人君子ではない。
もし今回、単純に好奇心だけで来ていたのならば、後ろ髪を引かれつつも見捨てていただろう。
「ならいいよ」
「もしそうだって言ったらどうするつもりだった?」
「さあね」
はやる心を抑えるように、少年はスロットルをゆっくりと絞る。
コクピットの脇に設置したつまみの保護ガラスを割り、中のつまみを回す。
ワンテンポ遅れてボン、という音とともにフロートが分離し、軽くなった機体が少し浮き上がる。
すかさずすぐ横にあるレバーを動かし、降着装置を下ろす。
「揺れるから気を付けて」
整備された滑走路ではない以上、着陸に失敗する確率も飛行場でのそれとは比較にならないほど大きい。それでも迷いのようなものは無かった。
「接地まで、三、二、一」
幸い、路面の状態もよく、少し機体がはねた拍子に背もたれに後頭部を撃った程度で無事に着陸はできた。銀髪の少女に練習に付き合ってもらった甲斐があるというものだ。
通る車がいるわけでもないのになんとなく機体を道の端に寄せる。
だれかいることは確実とはいえ、そのだれかが一体どういう人物なのか、少年たちには皆目見当がつかない。流石にエイリアンなんてことは無いだろうが、好戦的な人間、という可能性は捨てきれない。
そのため、少年たちは言うなればフル武装で煙の根元へ向かうことにした。とはいっても、いつもの拳銃に狙撃銃、それと予備の弾丸くらいだが。
初めのうちはここ何日かで見慣れた遺跡じみた廃墟だったが、途中からは本格的な森になる。果たしてここが元から森だったのか、自然に飲まれた街の成れの果てなのかは分からない。
煙の根元までは、大体20分ほど。
足元の悪い獣道をたどり、時には一メートル先も見えないような草木をかき分け、倒木を乗り越える。
そして辿り着いた煙の根元は、背丈の倍ほどはあろうかという巨大な石の向こう側だった。
少女と顔を見合わせてこくりと互いにうなづいてから、ゆっくりと岩を回り込む。
そこにあったのは、地面に放置された大きめの缶詰のどの大きさの発煙装置。
(人がいない?)
少年が怪訝に思ったその時。
「君たちが、さっきの飛行機の乗員かい」
声と同時に、数メートル離れた位置の茂みが動いた。いや、正確には茂みではない。まだ葉の青い、一抱えほどはある木の枝がどけられたのだ。
少年が勢いよく振り返り、少女が腰の拳銃に手を伸ばす。
「少し前までこの辺をあいつらがうろついてたもんでね。驚かす気はないんだ」
その枝の陰から現れたのは、中年の男性だった。
短く巻いた茶色の髪に、縁取りのように輪郭を覆う同じく茶色い不精髭。左足を投げ出すようにして座ったその脇には見慣れない銃が転がっているが、それに手を伸ばす様子はない。
「さっきSOSを送ってたのはあなたですか」
両手はスリングで提げたベージュの銃に添えたまま、少年は尋ねる。
少女も手こそもう拳銃からは離していたものの、何かあれば男にとびかかれるように身構えているのは視界の端でも分かった。ひょっとしたら、人間を無力化する程度なら素手でもできるのかもしれない。
だが、男の方にそれを警戒するようなそぶりはなかった。
「そうだよ」
左手に持った鏡を振って、男は続ける。
「ところで、水をもらえないかい。ここ一日くらい何も飲んでないんだ」
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