第七章 砂上の楼閣 ~The Time Never Stops, but It Might Make Progress~
第23話 平穏
「やっほー。起きて、レイ」
しゃーっ、という心地よい音と共にカーテンが引かれ太陽の光、を模した人工光が柔らかいベッドに眠る少年の顔を照らす。
うっすら目を開けると同時にその瞼の隙間から差し込む眩い光に二度寝をするための眠気を一瞬で吹き飛ばされた少年は、もぞもぞとベッドから身を起こす。
「珍しいな、お前が俺より早く起きてるって」
「私だってたまには早起きするんだよ。それより、どこか出掛けない?せっかく「方舟」の誰も来たことがないところにいるんだから」
あれからかれこれ五日ほど。事情を大っぴらに離して情報を求めることもできない都合上、本来の目的である少女の体の修理についても進展はなく、少年たちは、すくなくとも少年にとってはここ数年で一番といってもいいほど落ち着いた日々を過ごしていた。
もちろん、金の事もあるのでこちらでも街から出る許可をもらって探索者、フォルテナ式にいうならスカウトの仕事をしようともしたのだが、グラディスに止められ、とういうか許可を出してもらえなかったのだ。曰く、ここで少年たちに大怪我をされたり死なれたりするとフォルテナと8番アーク間に正式な交流ができたときに問題になりかねないんだとか。
少し粘った結果、その気はなかったのだが、仕事ができない代わりと言いう事で生活費のほかに多少のお金が渡されるようになったので、結局働かずに暮らす日々というわけである。最初のピリピリとした空気とは打って変わって、街中は平和そのものなのでまあ、悪い生活ではない。
「どこかって、どこにだ?」
「どこでもいいよ。けど、そうだね、強いて言うなら何か食べに行くとかどうかな」
「朝食、食ってないのか?」
「こんな時間まで寝てたレイとは違って、私はちゃんと食べたよ。甘いものとかは別なの。それに、ここの朝食ちょっと少ないしね」
「あれが普通なんだよな……」
少女を部屋から追い出してから外出用の服に着替え、濡らした手で髪を梳いて寝癖を直す。
もちろん、今まで着ていた部屋着もこの街で買ったものである。夏凪宇月の家には置いてない事もないが、飛行機に乗って遠出しようっていう時に持ってきているわけもない。
顔を洗い、買っておいたシリアルを最低限腹に入れ、とっくに支度を済ませていた白亜とともに官舎を出る。
幸い、この街の公用語は少年たちが使っている言語と同じだったようで、多少街並みには英語が混ざっていたりもするものの、それも白亜に教わった範囲で理解できるものばかりで生活に苦労はしない。
「ふん、ふん、ふん。カフェ、クレープ、パフェ、パンにバー。やっぱり海風とかがないと作物も育てやすいのかな。全体的に「方舟」より食べ物が豊富な気がするね」
「まあ、確かにそうだな。少なくともうちではこんなに洋菓子の専門店とかは無かったな」
最初に見た時は夜だったせいもあって合わせ鏡のように単調に見えた街並みも、陽の光、もとい天井から降り注ぐ人口光の下で見れば生活感の溢れるちょっと整った程度の街並みだった。
むしろ、白亜の言ったような嗜好品の店なんかについては8番アークよりも充実している。
鼻歌交じりにタイル張りの歩道の上を歩く少女に歩調を合わせ、その隣を歩く。
海の匂いがしない、というのは、大体十八年間海で暮らしてきた少年からすると、どこか不思議な感じがする。
自転車がむき出しで駐輪されているのも、少年からすると違和感が半端ない。「方舟」でこんなことをしたら、一か月とせずにありとあらゆる部品が錆に覆われ、サドルもべたべたで座れたものではなくなるだろう。
「あ、ケーキ屋だって。イートインもあるし、ここ寄ってみない?」
「まあ値段もまともそうだしいいんじゃないか」
8番アークでは見なかったような種類の店も沢山あるのに、結局はケーキ屋なんだな、と思いながら、からんころんとドアベルを鳴らして店内に入った。
数百年交流がなくっても、店員が客を出向かる挨拶はおなじいらっしゃいませーなんだな、と他愛もないことを考えながら、ちょうど空いていた二人掛けの席に荷物を置いて席を確保してから、ショーケースの方へ向かう。
「んー、私は無難にショートケーキにしようかな。生まれて初めて食べるケーキなんだし」
「なあ、この桃ってなんだ?」
「桃は果物の一種だよ。柔らかくて、甘くて、皮に生えた産毛がほっぺたに刺さると面倒くさいやつ。知らないの?」
「知らないな。多分、俺の育った「方舟」では育ててなかったんだろ」
街の住民に混ざって少し並んでから、白亜はショートケーキを、澪は桃のタルトを、それから飲み物にコーヒーを注文し、取っておいた席に戻る。
ショーケースに並んでいただけあって、直ぐに注文したケーキとコーヒーは運ばれてきた。
湯気の立つコーヒーを一口だけ口に含んでから、フォークでタルトを四分の一ほどに切って口に運ぶ。
「やっぱり食べたことない果物だな。何に似てるとは言えんが、まあ美味い」
「そりゃそうでしょ。桃だもの」
上に載っているイチゴとケーキの端をフォークで串刺しにしながら答える少女。
「なんか、変な感じだね。ケーキの味は情報としては知ってるし、ケーキそのものについての情報も知ってる。けど、食べるのはやっぱりこれが初めてだし、この味を感じるのも初めて」
「結局、どうなんだ?うまいのか?」
「初めてのケーキとしては満足だよ。比較対象が無いからこのケーキがどの程度美味しいのかはよく分からないけどね」
そう言うと、美味しそうにもう一口ショートケーキを頬張る。
ここ数日、何かしら店に入るたびにこんな感じだった。「方舟」ではあまり自由にできる時間を取れなかったり、方舟には無かった種類の店が多くあったりするせいだろう。「知ってるけど初めて」の連続のようで、本来の目的を忘れたかのように少年を連れて出歩く毎日。
かくいう少年も、今目の前にある桃のタルトをはじめとする「方舟」とは違うフォルテナの環境を満喫しているところがあるので、人の事は言えないが。
「コーヒーって、飲んだ後はしばらく寝れなくなるんでしょ」
コーヒーにも手を付けた白亜が、その黒い水面を見つめながらぽつりとつぶやく。
「まあ、人によるところもあるけどな」
「どんな感じなの、それ」
「俺は緊張したときみたいな感じになるよ。心拍数も上がるし、最初に飲んだ時は妙に落ち着かなかった。半日くらいはそれが続いたな。カフェインで思考力が上がるともいうけど、それについては試しようがないから分からん」
「半日かぁ。今夜寝られなくなったら嫌だな」
そう言いつつも、勢いよく残り半分ほどになるまでコーヒーを喉に流し込む少女。
「ま、白亜の体が慣れてればそこまでカフェインも長持ちしないだろ。そこばっかりは以前の白亜がコーヒーをどれだけ飲んでいたかにかかってるな」
「ブラックでもすんなり飲めるし、まあまあ飲んでたんじゃない。分からないけど」
少年は半分残っていた桃のタルトのその更に半分を口に運び、初めて食べる桃の味を噛みしめてからごくりと飲み込む。
「ところでさ、これからどうするんだ?」
「うーん、どうしようかな。植物園があるって聞いたし、そこにでも行ってみる?」
「いや、そうじゃなくって」
「んー、とりあえずは、ここで情報が手に入るのを待った方が良いんじゃないかな。ここを離れてもどこか当てがある訳でもないし、他の地下都市の話も流れてくるし。それにここにいれば生活と安全はグラディスたちが保証してくれるんだしね」
「やっぱそうなるか」
「レイだってたまにはこうやってゆっくり休む機会があってもいいと思うよ。ウヅキに街に帰ってきも数日でまた出てっちゃうって聞いたし。たまにはのんびりしようよ」
「別に休んでないわけじゃないんだけどな。日によっては一日中海の上に浮いた飛行機の中で一人で寝てたりもしたし」
「それ、楽しいの?」
「寝てるから幸せではある。楽しいかと言われたら別問題だけどな」
「じゃあ前言撤回。のんびりしようじゃなくて楽しいことしようよ。私たちはレイの街の人たちは来たこともないようなところにいるんだよ。観光し放題だよ」
「まあ、そうだなっ。たまには羽を伸ばすのも悪くないか」
物理的に羽を伸ばしてるのは多分飛んでる時の方だけどな、としょうもないことを考えながら、タルトの最後の一切れを口に放り込む。
「じゃあ、さっき言った植物園にでも行く?」
「うん、けどその前にもう一つケーキ頼んでいい?」
「まだ食うのかよ……」
「私は燃費が悪いの。だからたくさん食べないといけないの」
結局、少女は妙に値の張るマカロン詰め合わせを追加で頼み、最初は少女が食べるのを黙って見ていた少年も途中からマカロンに手を出して、マカロン争奪戦の後少年たちが店を出たのは追加注文から小一時間後の事だった。
「お、帰ったか。飯は用意できてるぞ」
植物園からさらに足を延ばし、官舎に帰り着いた時には日が暮れていた。もちろん、正確には天井に敷き詰められた照明が暗くなっていたということだが。
「ありがとうございます。シャワー浴びてから行きますね」
確か、今日はグラディスが休みを取れたということで、少年たちにグラディスとアウトリッジ、そして少年たちの身辺警護ということですっかり顔なじみになったアリソンの五人で夕食をとることになっていたはず。ちなみに、年上だったと思っていたアリソンはほぼ同い年だったらしい。
丁度官舎の廊下ですれ違ったアウトリッジに返事をしてから、自分たちの部屋に戻る。
「はー、疲れた」
「そんなに体力なかったっけ、レイ」
「何でかは知らんが、街歩きは妙に疲れるんだよ」
とりあえず歩き通しで微妙に汗でベタベタする体を順番にシャワーで流す。湯船にお湯を張るのは手間と時間がもったいなかったのでサボることにした。二人ともシャワーを浴び終わってから、汗を吸っていない綺麗な服に着替えて外に出た。
ちなみに、少女が着替えた服は出会ったときと同じ白のワンピースだった。ここ最近見てなかったのでどこか懐かしさすらある。
すでに換気扇越しにおいしそうな匂いを漂わせている隣の部屋に入ると、もう他の3人は集まっていた。
「やっとですか。待ちくたびれましたよ」
と、既におつまみのような物を食べながら言うのは、珍しく私服のアリソン。
「そんな遅い時間でもないだろ」
「小一時間前には代表に呼ばれてたんですよ。おなかがすいた状態で食べ物を前に小一時間待たされるのは犬じゃなくても辛いです」
「そりゃご愁傷様」
少女が早速アリソンの食べていたおつまみに横から手を伸ばし、少年はそれを見ながら適当な席に腰掛ける。
ちなみに、いわゆる「お誕生日席」には家主のアウトリッジではなくグラディスが座っていた。どことなく力関係が透けて見える。
「じゃあ、そうね。私たち地下試験都市の人間とあなた達方舟の人間の再会を祝って。乾杯!」
「「「「かんぱーい」」」」
ぱちぱちと鳴るグラスを盛大に鳴らしてから、その中身を一気に喉に流し込む。もちろん酒でこんなことをやったらぶっ倒れても文句は言えないのだが、幸か不幸かその心配はない。澪と白亜のグラスの中に入っているのはビールでもスパークリングワインでもなく、ただの炭酸飲料。フォルテナではまだ酒を飲んではいけない年だそうで、流石に街の代表がいる前でそれを破ることもできず、これに落ち着いた。
ぷはー、とこちらはジョッキに入ったビールを一気に1/3ほど飲んだアウトリッジが威勢のいい音と共にそれをテーブルに置く。
「君たち「方舟」の人間からすると、ここはどうだい?太陽と青空が見えないのは物足りないか?」
「まあ、気にならないといったら嘘になりますね。何となく上を見上げたら規則正しく照明が並んでるのも、影が真下にぼんやりとしかできないのも、風が弱いのも、まだ慣れないです」
「そう?私はそんなに気にならないけど」
早速パンを一つ平らげた白亜がそう言い、ステーキをフォークに刺したアウトリッジが澪の方を向いて、
「まあ、その気分は俺もなんとなくわかるよ。数週間外に出てた後とかだと、慣れるのに数日かかるからな」
「けど、その辺りの物が錆びてたり潮でべとべとになってたりしないのはいいですね。雨の心配が要らないのも楽でいいです」
少年はそう言いながら、「方舟」ではまず見ないような肉をふんだんに使った料理に手を付ける。
「「方舟」はそんなに塩害がひどいの?」
「まあまあってところですかね。流石にいろいろと適応してはいますけど、屋外に放置したものは素材によっては一瞬で錆びますし、暴風雨の後なんかは街中べとべとです。住民総出で潮を流す作業も定番行事みたいになってますよ」
へえ、と呟いたグラディスはワインの入ったグラスを傾けてから、
「海の上だとそうなのね。ここの住民はそういう自然の力みたいなのを全く知らないのよ。だから、きっともし地上に出て暮らせるようになってもほとんどがここに残ると思うわ。多分、人口の半分は雨ってものの存在も知らないんじゃないかしら」
「グラディスさんはそういうことについてよく知ってるんですね。この前アリソンに似たような話をしたら潮風って何って聞かれましたよ」
少年はそう言ってステーキを切ろうとナイフを持ってから、
「これって何の肉ですか?」
「それは牛肉ですよ。あと、潮風を知らないのは仕方ないじゃないですか。海っていうものすら文献でしか知らないんですから。あなたが牛肉を知らないのと同じですよ」
少年の隣で軽く膨れっ面をしたアリソンが答える。
その向かいで輪切りにしたパプリカを齧っていたアウトリッジは軽く笑うと、
「グラディスも昔はスカウトをやってたからな。それに、子供の頃に何人かでこっそりここを抜け出したこともある。まあ、その時は死にかけたけどな」
「それ言っちゃって大丈夫なの?」
いつの間にかステーキを半分ほど平らげていた白亜が言う。
「もう時効さ。んなことより、そっちの話を聞かせてくれよ。海ってのはどんなもんなんだ?さっきアリソンも言ってたが、俺たちは川は知ってても海は知らんからな」
「どんなものって言われても、海は海としか言いようが……。まあ、辞書的に言えば塩水を湛えた広大な池って感じですが」
「上から見るときらきらしててきれいだよ。雨の後とかだとコーヒー牛乳みたいな色になってたりもするけど」
なるほどなぁ、と相槌を打ち、アウトリッジはビールのジョッキを再び傾ける。
グラディスはサラダを飲み込んでから、
「鯨って見たことあるのかしら」
「海の魚って川の魚より大きいんですよね。あと、珊瑚って見たことあるんですか?」
と、こちらはスープを飲んでいたアリソン。
「そうなの、レイ?」
「まあ、モノによっては川魚よりは大きいと思いますよ。鯨も空からなら見たことはあります。潜ったことは無いのでサンゴは名前しか知りませんが」
「じゃあ次戻った時に潜ろうよっ」
今日の白亜は酒も入ってないのにやたらとテンションが高いな、と思いつつ、少年はサラダにシーザードレッシングをかける。
「そういえば、ここの電力ってどうなってるんですか?」
「主な供給源は地熱発電よ。一応、地上に太陽光発電とか風力発電もあるんだけど、なかなか外に出て大規模な整備ができないせいで半分くらいは機能してないわね」
「俺らスカウトがたまに駆り出されるけど、俺達じゃあ修理というか点検しかできないしな」
「けど、地熱発電の副産物として温水は溢れるほどあるから、ここには温水プールとかもあるのよ。また今度時間があったら行ってみたらどうかしら」
「温水プールですか」
海水淡水化装置のキャパシティの都合上、真水が潤沢とは言えなかった「方舟」ではめったにみかけない代物。少年の知るプールは海水だったので、惹かれないといえば嘘になる。
「銭湯みたいなのもまあまああるわよ」
「地下水を地熱で温めてるわけだから、温泉と言っても問題ないんじゃないか」
早くも二本目の缶ビールをジョッキに開けるアウトリッジ。
「けどまあ、その辺の地下都市関連の技術は戦前戦中の遺産みたいなもんだからな。今いる俺らにはよく分からん。君たちの「方舟」がどうかは知らんが、ここじゃあ時間がたてばたつほど技術は劣化していくからな。最新鋭ってのが一番ローテクって意味になっちまう時代だ」
「うちも同じようなもんですよ」
あらゆる技術というのは、その一回り古い世代の技術によって支えられている。技術の基盤の部分がごっそりなくなれば、あとは崩れていく一方なのだ。そして皮肉にも、技術が発展した方が崩れるスピードは速い。砂で作った高い尖塔が、ずんぐりした砂山よりも崩れやすいように。
「海の上に浮いてて、船酔いとかってしないんですか?船にすら乗ったことない私が言うのも何ですが」
アリソンがステーキを切りながら尋ねる。
「そういう話は聞かなかったな。それなりに大きくて重い構造物だから揺れにくいとは思うけど、もしかしたら俺の知らない技術で揺れを抑えてるのかもな」
そう言って、少年もステーキをもう一切れ食べようとナイフを手に持って、
「あ、ちょっと、ごめん」
忘れてはいなかったが、油断していた。
呂律の回らない感じのその言葉に、顔を上げると、どこか焦点の合わない目をしたワンピースの少女が律義にも右手でぎこちなく目の前にある皿を押しやるようにして除けて。
がんっ、と。
全世界共通の万有引力に従って、勢いよくテーブルに頭を打ち付けた。
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