第13話 私は、貴方とは決定的に違う
(こんなところで、震えて立ち止まっている場合じゃない!)
少し時間が経って我に返ったネモフィラは、所持してきた布で大雑把に血を拭っているレイヴンの傍に小走りで駆け寄った。
「大丈夫? 怪我はしていない?」
「ええ、こちらに傷は負っていません。返り血を浴びたぐらいです」
「良かった……。じゃあ、休んだら先に進めるね」
安堵して息をついたネモフィラを見て、レイヴンは瞬きをした。
「帰らないのですか?」
「どうして? まだ来たばっかりじゃない。目的の花も見つけていないでしょ?」
「貴方は先ほど、普通の貴婦人では耐えがたいような光景を見せつけられたのですよ? 心をへし折られ、もう帰りたいと考えるのが自然な成り行きかと思われますが」
ムッと唇を尖らせた。
「なに。私のことを図太いって言いたいわけ?」
「いいえ、違います。貴方は強がっているだけで、本当は不安でいっぱいでしょう? 現に足腰がまだ震えています」
たしかにレイヴンの言う通りだった。この男は、何故だかネモフィラの強がりをすぐに見抜いてしまう。王都を発つ前夜にミルクティーを淹れてくれた時からそうだった。
「……そんなに、私の目を信じられませんか?」
「違う。レイヴンのことを疑っているわけじゃないの」
「では、どうして」
「迷惑と心配をかけてしまって、本当にごめんなさい。でも……私はね、もう後悔したくないの」
吹いてきた風が、草木と二人の髪を揺らしていく。樹々の葉が擦れて音を立てた。
「私の親友のアンネは、瘴気に侵されて亡くなったの。私たち、第三区の墓地ですれちがったことがあったよね」
話を切り出した途端、滅多なことでは感情を顕わにしないレイヴンの顔色がさっと蒼白くなった。地面に視線を落としていたネモフィラは、そのことに気がつかなかった。
「私は、アンネになんにもしてあげられなかった。あんなに傍にいたのに、話を聞いてあげることすらもできなかった」
今でもアンネのことを思い出すと、胸を抉られるような痛みに襲われる。
何もすることのできなかった自分の無力さが厭わしくて仕方なかった。
「私はね、ただじっとしていて、また何もできなかったって後悔するのが一番怖いの。だからこれは私のわがままなのかもしれない。わがままに付き合わせてごめんなさい」
頭を下げてから顔をあげた時、初めてレイヴンが苦しそうに眉間にしわを寄せていることに気がついた。
彼がこんな風に心を曝け出している姿は、初めて見たかもしれない。
(今なら聞けるかもしれない)
墓地ですれちがったあの日から心の片隅で気にかかっていたことが口を衝いて出ていた。
「ねえ、レイヴン。あなたも……大切な人を、瘴気で失ったことがあるの?」
「私はネモフィラ様とは違います」
食い気味に放たれたその言葉は、ぞっとするほど冷たい声音だった。
「一緒にしないでください」
拒絶するようにきっぱりと告げられて、心臓が引き絞られたように痛んだ。
「でも……少なくともあなたは、私の護衛を引き受けてくれた」
いくら実力があるとはいえ、何故、彼一人なのだろうと疑問に思っていた。しかし、先の旅でエルド王子が消息不明になったと聞き、王命であっても拒んだ者がいたのかもしれないと想像した。そして、レイヴンが逃げ出さなかったのは、この使命に対する特別な思い入れがあったからなのかもしれないと。
「……私がこの旅に付いてきた理由に、一切の私的な感情はございません。王命だから従った。ただ、それだけのことです」
ではどうして、あんな心の空いてしまったような顔で、瘴気で亡くなった人々の墓石を見つめていたのか。尋ねたかったけれど、これ以上踏み込んでまたしても拒絶されるのが怖かった。
押し黙ったネモフィラに追い討ちをかけるように、彼は無表情で告げた。
「勘違いなさらないでください。私は、貴方とは決定的に違う」
会話が不自然に途切れてしまった後も、二人は着々と森の奥地へ進んでいった。景色はほとんど代り映えしないが、羅針盤を目安にしているので後退はしていないだろう。
ここを訪れた時には朝だったが、今ではもう日が沈みかけていた。この間に取った休息は、シェレンから備えてきた食料と水を口にしながら一時間ほど座っていたぐらいだ。
レイヴンは、ネモフィラが瞬きをする間に襲い掛かってくる獣を切り裂いていった。もう数えきれないほどの猛獣を返り討ちにしているがその顔には一粒の汗も滲んでいない。
(どうやったら、こんなに強くなれるんだろう)
彼は強い。それも、生半可な強さではない。
それなのに、彼の戦い方は見ている者をどこか不安な気持ちにさせるのだ。
人間離れしている大胆な動きが、まるで自分の命など取るに足りないものだと言っているかのようで。
「あの、レイヴン」
久し振りに話しかけたので、緊張で声が上擦ってしまった。
剣を手に先を行く彼の足がぴたりと止まる。
周囲を鋭く警戒していた切れ長の瞳が、ようやくネモフィラだけを映し出した。
「申し訳ございませんでした」
「えっと、どうして謝るの?」
「貴方の体調も気遣わずに、どんどん先へ進んでしまったので」
「大丈夫だよ。むしろ、レイヴンの方が沢山動いているし、疲れていると思うけど」
「私のことはお気になさらず。貴方が大丈夫であれば問題ないので」
「違うよ。私が気にするの」
「……といいますと?」
「レイヴンが強いことは、すごくよく分かった。でも……お願いだから、あんまり無理をしすぎないで」
レイヴンは、自分のことを顧みずに、どこまでも先を急いでしまいそうだから。
「それも、命令ですか?」
「そう。命令よ」
また否定されるのではないかとドキドキしたが、彼はあっさりと首肯した。
「承知いたしました。日も暮れてきましたし、今日はこの辺りでもう休みましょう」
何もかもを薙ぎ払って進んできたレイヴンがようやく足を止めてくれたことに安らぎを覚えた。
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