第18話 忘れられるはずがない

 レイヴンが例の任務を遂行し、再び王都からシェレン行きの馬車に乗ることができたのは、彼がシェレンを発ってから二日後の夕方だった。

 当初の予定よりも、長くルミナスに滞在することになってしまった理由は他でもない。

(重篤な瘴人の数が、以前よりも増えている)

 当初はその日中にシェレンに戻る予定だったが、いざ発とうとした時になって処分対象がまた増加してしまったので留まらざるをえなかった。

 レイヴンの他に瘴人処分を滞りなく遂行できる人間は、今となってはレイヴンの父だけだ。今は現役を引退してレイヴンにクルーエル家の当主の座を譲っているが、ライデンの依頼で、レイヴンが王都を発っている間の業務については特別に彼に復帰してもらうことになっていた。

 しかし、その父が瘴人の反撃によって重傷を負い、処分を執り行う人間が一時的にいなくなってしまったのだ。放っておけば、地下牢が瘴人で溢れてしまう。

 そこで、レイヴンが急遽、呼び戻されることとなった。

 わざわざネモフィラを護衛中の彼が呼び戻されたのは、人の手が足りないからと言って安易に瘴人の処分を他の者に任せることはできなかったからだ。

 第一に、瘴人の発揮する怪力は馬鹿にならない。瘴気に侵された人間は、その副作用で異様に筋力が増強している。並の騎士が打ち合えば、純粋に負けるだろう。

 第二に、大多数の国民が瘴気に侵されたら王城の専用療養室に入るのだと信じている。しかし、現実にはそのような施設はそもそも存在していない。実際は地下牢に放りこみ、クルーエル家が殺処分を行っているだけだ。

 現在に至るまで、瘴気に侵された人間の有効な治療の手立ては見つかっていない。そのため、国として致し方のない対処ではあった。

 しかし、真実が国民に知れ渡れば、確実にひどい混乱を招くだろう。


 毎日あの地下牢に足を運んでいた時は気がつかなかったが、数日ぶりに足を踏み入れた時には牢全体にこびりついた異様な臭気でむせた。

 この手で、また、数人の命を摘み取った。

 断末魔の悲鳴を耳に浴びせられるたびに、再び自分の生きていく場所を再認識させられた。地獄そのもののようなこの地下牢こそが、クルーエル家に生まれた自分の居場所なのだと。

 ネモフィラの護衛騎士を務めている今は、泡沫の夢のようなものだ。

 シェレンに向かう馬車の窓に反射して見える顔は、相も変わらず冷たく人間味がない。

(あのお方は、自分の戻りが遅れていることを怒っているだろう)

 彼女と二人でシェレンへと発った数日前のことが脳裏によぎる。

 ネモフィラは、人を疑うということを知らない。

 護衛とはいえ、目の前によく知りもしない男が座っているのに、あんな風に無防備に寝てしまうほどに。シュカという胡散臭い研究者の館でも、腰かけていたソファでそのまま眠りこけていた。彼女には多少の危機感を持ってもらわねば、気苦労で死んでしまいそうだ。

 そして、彼女は目の前に困っている人がいたら、迷うことなく手を差し伸べてしまうようなお人好しでもある。親友を瘴気で失くした経緯があるにせよ、そうでもなければ、これほどの重たい宿命をすんなりと受け入れることはできなかっただろう。

(出会ったあの日から、全く変わっていなかった)

 ネモフィラは覚えていないようだが、レイヴンは今でも忘れていない。

 彼女との本当の最初の出会いは、第三区の墓地ですれ違ったあの日ではなかった。

(忘れられるはずがない)

 ネモフィラに出会わなければ、自分はきっと、今を生きていなかっただろうから。


 レイヴンの生まれたクルーエル家は、古くから王家に仕えている名家だ。

 世間的には誉れの高い家として名を通しているが、それはあくまでも表の顔である。この家の裏の顔を知る王国上層部からは、気味が悪い家だと貶されている。

 その起源は、二百年以上前の出来事に由来する。

 レイヴンの祖先にあたる当時のクルーエル家の当主は、かつてリゲイツに王都を置き、栄華を極めていたイルミネイト初代国王に楯突いたことがあった。

『国王様、どうか考え直してはくださいませんか。貴方様の偉大なる功績は確かですが、いきなり全ての――を取り壊してしまったら、暴動が起きる可能性もございます』

 それは、心の底から初代国王の行く末を憂慮していたからこその主張だった。

『ほお。貴様は余の意見に逆らうのか?』

 しかし、それは国王の怒りを買う結果にしか繋がらなかった。

 クルーエル家は、王家への謀反を企てている裏切り者として投獄された。

 誰も、国王の意に逆らうことはできなかった。

 一族全員が暗い牢の中でこれから自分達の処遇はどうなるのだろうかと嘆いていた時、国王は当主にある条件を突きつけた。

『二度と余に逆らわぬと誓え。そうすれば、あの失言はなかったことにしても良い』

 それは、王家への絶対的な忠誠を誓いなおすことで不敬罪を見逃すというものだった。

 忠誠は、その身でもって示さねばならない。

 つまり、どんな卑劣な仕事をも必ず引き受けねばならないことを意味していた。

 彼は悩んだ末、一族の命を繋ぐために、国王の提案した条件を受け入れた。

 それからのクルーエル家は、暗殺、謀略、その他ありとあらゆる後ろ暗い仕事を命じられるままにこなした。一度、闇の仕事に手を染めてしまうと、足を洗うことは難しい。悪事を積み重ねるたびに、その証拠もまた国王の手に握られていったから。


 クルーエル家が黒い名声を王国上層部に広めきった頃、イルミネイト王国は呪大樹と瘴人の出現という新たな大問題を抱えた。

 一度、瘴気を体内に取りこみ重症化してしまった人間は治療する手立てがない。理性と記憶を失い、人の肉を求めて襲い掛かるようになった彼らを放置してつづけておくこともできなかった。

 初代国王は呪大樹の根付いたリゲイツを捨て、最北端のルミナスに遷都した後、クルーエル家に瘴人の始末を擦りつけた。

『その目障りな連中を始末しろ。報酬はそれなりに多く弾む』

 その時から、瘴気に侵されている人間を王城の地下牢に運びこみ、その殺処分をクルーエル家が担う歴史が始まった。

『真実を話したところで、国民の不安を煽るだけだ。瘴気に侵された人間は、最終的に理性も記憶も失う。この秘密は、王国上層部だけに留めよ』

 かくしてクルーエル家は、国民のあずかり知らぬところで、瘴気に侵された人間を殺処分し続ける宿命に縛られた。

 その末裔として生まれてきたレイヴンもまた、この家に課された宿命の犠牲者だ。

 物心ついた頃には父に手を引かれ、王城の暗く冷たい地下牢に連れていかれた。最初の内は、父が瘴人を斬る瞬間をただ見ているように命じられた。

 初めて人が殺されるのを目撃した時は、恐ろしくて今にも逃げ出したい気持ちだった。

 しかし、泣いて喚くたびに、父に頬を打たれた。

『泣いてはいけない。何も感じるな。心を殺せ』と囁かれながら。

 毎日このようなことを繰り返している内に、やがて心が麻痺していった。

 今までの自分が、どのようにして泣いたり、笑ったりしていたのかを忘れた。

 日に日に心というものを剥ぎ取られ、おぞましい光景を見ても、徐々に何も感じなくなっていった。

 ついに、殺人現場にいながら涙の一つも出なくなった時、初めて父に褒められた。

 精神面の調教がなされる傍らで、大人が受けても厳しい肉体訓練も始まっていた。

 瘴人に立ち向かう為、その強靭な力に対抗できるだけの強さを手に入れねばならなかったからだ。

 日々、自分の身体に鞭を打つようにして、血反吐を吐きそうになりながらなんとか乗りきった。苦しかったが、こなさねば食事の一つも出してもらえなかったから。

『レイヴンは優秀だ。このまま順調に躾ければ、クルーエル家の当主として一家を支えられるようになる』

 父の言いつけを守ってどうにか生き延びてきたが、十歳の誕生日を迎え、初めて瘴人を殺すよう命じられた時には身体中が恐怖で満たされた。

 ただ見ているのと、この手で下すのとでは、まるで重みが違う。

 襲い掛かってくる瘴人を前にして、父に『殺せない』と告げると、また強く頬を打たれた。それでも躊躇って殺せずにいたら、実行するまでまともな食事は与えないと言い渡され、狭い部屋の中に監禁された。

(生きるのは、地獄そのものだ。このまま餓死した方がずっとマシだろう)

 天に召されるのを待ち、じっと耐え忍んでいた。あと少しで息絶えそうだというところで、必要最低限の水とかびたパンを与えられた。鼻の前まで差し出されるとどうしても生理的な欲求に逆らえず、悔し涙を流しながらそれらを食らった。

 瘴人を殺すか、このまま生き地獄に留まり続けるか。

 究極の二択を迫られていたある日、母が珍しく遠出をして家を長期間留守にしたことがあった。レイヴンはもちろん家に置き去りにされたが、数人の見張りの者が彼女と共に家を発ったため、厳重な監視の目が幾分か手薄となった。

 その隙をつき、命からがら家を逃走することができた。


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