第16話 僕とデートしようよ
二人がシェレンに帰り着いた頃には夜になっていた。
昨夜はほとんど徹夜状態であっただろうレイヴンは、流石に疲れがたたったようで切れ長の瞳の下に隈を作っていた。シュカに花を手渡すのは翌朝にして今日は休もうと提案したのだが、頑なに拒まれたので諦めて彼の館を訪れることにした。
「まさか、本当に採ってくるとは思わなかったよ! しかも、随分と早かったねぇ。今頃、森で獣に喰いちぎられていてもおかしくないかもと思っていたのに」
(冗談のつもりなのかな!? 全く笑えないんだけど!)
再び笑顔が引き攣った瞬間だった。
シュカは清々しいほど空気を読まずにけらけらと笑いながら、ネモフィラの隣でくたびれたように座っているレイヴンに視線を送った。
「君、相当強いんだね。戦闘要員は君一人だったのだろう? あの森から大きな負傷もなく帰還するなんて、人間離れしているよ」
返答はしなかったが、レイヴンが身に纏う空気がぴんと張り詰めたような気がした。彼にしては珍しいほど分かりやすく態度に出していたから、シュカも気がついただろう。それでも、シュカがレイヴンの顔色を窺う様子はなかった。
「王国最後の希望といっても過言ではないお姫様の護衛がたったの一人きりだなんて最初は何かの冗談かと思ったけど、国王もそこまで馬鹿ではなかったというわけか」
(どうしてこの人は、国が瘴気に呑み込まれるかもしれない非常事態に、こんなことが言えるの)
言われた通りに目的の物を差し出したのに、言いたい放題にされ続けている筋合いは毛頭ない。ネモフィラは額に青筋を浮き立たせながら、シュカを睨みつけた。
「私たち、あなたの望み通りに虹透花を摘んできましたよね?」
「ああ、たしかに受け取ったよ。この花はいつ見ても美しいね、部屋に飾ることにするよ」
虹透花を手に持ち、悪びれもせずに言ってのける姿勢に苛立ちが募る。
「ちゃんと教えてくれるんですよね。聖水の湧く場所を」
あえて声に険を孕ませると、シュカはもちろんだよと頷いた。
「僕は、約束は守る主義だよ。……同類にはなりたくないからね」
笑顔を潜めて呟かれたその言葉には、やけに実感がこもっていた。
「お姫様、もう朝だよ」
(ん?)
瞳を開く。まだぼやけた視界に、窓からこぼれ落ちている朝日が染みた。
「ふふ。よっぽど疲れていたんだねぇ」
鈴を転がしたような笑い声が、くすくすと響いてくる。
「こんなところで寝ていたら風邪をひく、よく知りもしない男の家のソファでそのまま寝るなどはしたない、王女失格だ、大体貴方は警戒心が足りなさすぎる、その他諸々。散々あの男に小言を言われていたけど、全く起きなかったもんね」
(えええええっ!?)
飛び上がって起きた。
どうやら、シュカの館のソファにもたれかかってそのまま寝入ってしまったようだ。状況を把握した途端に、頭から湯気が出そうなほど顔が熱くなった。親切にブランケットをかけてくれたのは家主のシュカなのだろうか。よほど眠りが深かったのか、そんなことにも気がつかなかった。聖水の場所を教えてもらえるという安心感から一気に緊張の糸が途切れてしまったらしい。
「まぁ、たしかに一理あるけれどね。男はみんな狼だからさ」
にこにこと笑っているシュカの表情がやけに妖艶に見えて、背中にぞわりと鳥肌が立った。
「あ、あのっ! 許可も取らずに、勝手に眠り始めてしまってごめんなさいっ。邪魔でしたよね……起こしてくだされば良かったのに」
「あははっ。昨日は僕に噛みついてきそうな勢いだったのに、今日はいきなり平謝りか。君はくるくると表情が変わるんだね」
「だ、だって。ご迷惑をおかけしてしまったからには、謝らないわけにはいかないでしょう?」
「迷惑? そんなものはかけられていないから安心してよ。君の寝顔、可愛かったし」
「冗談でもそういうことを言うのは、やめてください!」
「君はからかい甲斐もありそうだね。気に入ったよ」
言い合いをしている内に、はたと我に返った。
「あのっ、レイヴンはどこですか?」
先ほどからあの生真面目な従者の姿が部屋のどこにも見当たらないのだ。そのことに気がついた瞬間、見知らぬ土地で迷子になったかのような息苦しさにさらわれた。
「ああ。彼なら、夜中の内にこの館を出て行ったよ」
心臓に冷たいものを押し当てられたような気分だ。
ネモフィラは顔を蒼褪めさせながら、意を決して尋ねた。
「もしかして……私の節操のなさに、愛想を尽かしたんですか?」
「あははっ。そうだとしたら傑作だけど、どうやら違う理由があるみたいだよ。これ、彼から君に預かっている手紙だ」
すぐさま受け取り、やや鼻息を荒くしながらその中身を見つめた。
『急な用命が入り、一時的にどうしても王都に戻らねばならなくなりました。これからが大事な時だというのに、大変申し訳ございません。片がつきしだい、すぐに戻ります』
レイヴンらしく丁寧で几帳面なその文字に、手紙を持つ手が震えてくる。
(急な用命? 聖水を手にすることよりも大事な仕事が入るなんてことがありうるの?)
考えてみたら、ネモフィラはレイヴン・クルーエルという男の素性を全く知らない。
王国勤めの騎士であることと、プラム好きであるということ以外には何一つ。
彼の身に、一体何が起こっているのだろう。
得体の知れない不安に身を強張らせていたら、シュカがまるで空気を読まずに呑気なことを言い始めた。
「ねえ、僕良いこと思いついちゃった。彼が留守にしている間、僕とデートしようよ」
「デ、デート!?」
「良いねぇ、今時珍しいぐらいに初心な反応だ。そう、デートだよ。それとも相手があの男ではなく僕であることが不満かい?」
「べ、別にっ、レイヴンと私はそういう間柄ではないです!」
「ああ、そうだったね。君はお姫様で、彼はただの騎士に過ぎない」
冷静に返答されて、胸にもやもやとした感情が広がった。
(そう。私と彼との関係は、それ以外の何物でもない)
ネモフィラは心に生じた軋みから目を背けるように話題を変えた。
「デートだなんて言っていられる悠長な暇はありません! シュカさんは聖水の在処を知っているんですよね? だったら、一刻も早く」
「それってつまり、僕と二人で向かうということ? 大胆なデートの誘いだね」
口ごもった。たしかにレイヴンを放って旅を進めるのは気が退ける。
「君が望むのなら僕はそれでも良いんだけど、勝手にここを離れて良いのかい? あの男は全く僕を信用していないようだけれど」
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