第26話 もう一つの効用

 宿屋に入店すると、シュカは難なく宿屋の主人と話をつけてきて、エルド王子が休んでいるという部屋の前まで二人を案内させた。大した説明をしている様子も見受けられなかったところを見ると、ネモフィラが気絶している間の様々な手続きはシュカが取り計らってくれたのだろう。

 いよいよエルド王子と対面するのだと思ったら、緊張で手が汗ばんできた。

「どうかした?」

「なんだか、これから王子様とお話しするのだと思ったら緊張してきて」

「あははっ、何それ。君もお姫様なのに?」

「それは、そうなんですけど。私はほとんど庶民のようなものなので」

「……だからこそ、君は、今の君でいられたのかな」

「どういうことですか?」

「いや、こっちの話。ほら、入るよ」

 シュカが唐突に話を打ち切って、ノックの返事すら待たずに勢いよく戸を開いたものだから、飛び上がりそうになった。

「やあ、王子様。具合はいかがかな?」

「キミは相変わらず作法がなっていないね、シュカ・ネメシス」

「おや。命の恩人でもある僕に、そんな大層な口をきいて良いのかい?」

「……撤回しよう。キミ達があの場に来なかったら、ボクらは全員、間違いなく息絶えていただろうから」

 上客専用の広い部屋の中、エルド・イルミネイト王子は一人で眠るには大きすぎるベッドの端に腰かけていた。宿から借りたらしいガウンを身に着けているが、それでもどこか気品が滲み出ている。ダークブロンドの髪に翡翠の瞳。彼の父である先代国王のレオンによく面差しが似ている。

「君の護衛騎士達の様子はどうだい?」

「良くはなってきているが、まだ深く眠っている。傷がある分、ボクよりも回復が遅いだろう」

 ネモフィラが実物の彼を目の当たりにするのは、数年前の祭典で遠目から拝見した時以来だったが、その時とは別人のように痩せこけていた。

 エルドはシュカの隣で存在を消すようにして立っていたネモフィラに気がついて、首を傾げた。

「ええと……キミは?」

「私は、ネモフィラ・オーデル……いえ、ネモフィラ・イルミネイトと申します」

「……ああ。噂に聞いていた叔父上の隠し子というのはキミなのか」

 彼の瞳に敵意が光ったような気がして、ネモフィラは身構えた。

「そうだよ。彼女がいなければ、君らはあの洞窟の奥で、誰にも知られずに野垂れ死ぬところだったんだ。もっと感謝しなよね」

「シュカさん、ちょっと!」

 生粋の王子に対しても、シュカの物怖じのしなさは健在らしい。びくびくしすぎて、聞いているネモフィラの心臓の方が先にどうにかなってしまいそうだ。

 シュカはネモフィラの手を引き、断りもなしに部屋の中へずかずかと足を踏み入れた。

「エルド王子。君は、僕の忠告を無視したのではないか?」

「……ふむ。やっぱり洞窟を遮っていたあの扉が原因か」

 エルドは顔を落とし、苦々しげに呟いた。

「あの扉は、王族以外の者が触れたら罰が下る。そう忠告したのに、臆病な君はあの扉を護衛の騎士に押させて、自分は離れたところから高みの見物をしていたわけか」

 シュカが、一々王子の気に障るような言い方をするので寿命が縮みそうだったが、彼は何も言い返さないでいる。その閉口は肯定の意を示していた。

(そういえば、レイヴンが前に出ようとした時もシュカさんは同じことを言っていた)

「シュカさん。その、罰というのは……?」

「あの扉は、王族以外の者が触れるとその場で瘴気が蔓延し、湧いてくる聖水もただの水に変えてしまうんだ。君ら一行の身体は、それで瘴気に侵された」

 なんでもないことのように告げられたシュカの言葉が、ネモフィラに少なからぬショックを与えた。

(様子がおかしかったのは、瘴気に侵されていたからだったんだ)

 つまり、あれこそが瘴気に侵された人間の末路ということだ。

「それで、ここ最近の記憶が残っていないのか……。じゃあ、今こうして助かっているのは、キミらが瘴人となったボクらに聖水を飲ませてくれたということなのか?」

 エルドの何気ない発言に、金色の瞳が大きく見開かれた。

 話の全貌は掴めなかったが、シュカの纏う空気が鋭さを帯びたことには気がついた。

「……君は、聖水のもう一つの効用のことも知っていたんだな」

「父から聞いていた。呪大樹を清めた聖水の余りで実験をしたと」

「他の王族もこのことを知っていたのか?」

「少なくとも、叔父上は知らなかったらしい」

「君から伝える気はなかったのか?」

「ああ。ボクは、その必要性はないと判断した」

「あの……話に割って入って、ごめんなさい。つまり、どういうことでしょうか?」

 耐えきれなくなったネモフィラが控えめに主張をすると、シュカが説明してくれた。

「良いかい、ネモフィラ。瘴気に侵された人間を癒す手立ては一つしかない。それは、聖水を飲ませるということだ。彼は、そのことを知っていたにも関わらず、秘匿していたんだ」

「そんな……! でもっ、たしか王城には、専用の療養室があるんでしたよね?」

 次々に明かされる新たな情報に、頭がついていかない。

 エルドは困惑しきりのネモフィラを一瞥すると、小馬鹿にするように鼻で笑った。

「驚いたよ。キミは仮にも叔父上と血が繋がっているにも関わらず、本当に何も知らされていないんだな。その分だと、クルーエル家の実態も知らないのか」

 喉元に剣を突きつけられたような、酷い息苦しさを覚えた。

(どうして……今、レイヴンの家の名前が出てくるの?)

 無知を嘲られたことよりも、突然、彼の家が話題に上ったことの方に意識が向いた。

「どういうことですか?」

「そもそも、ラスター城にそんな施設は存在しない。それは王国が、国民が混乱しないようにわざと流している出任せだ。実態は、瘴気に侵された人間をそのまま地下牢にぶち込み、クルーエル家が始末しているというだけのことなんだよ」

 頭からどっと水を浴びせかけられたように身体が冷たくなった。

 今の話が本当だとするならば、瘴気に侵されたアンネが運ばれたのは療養室ではなく地下牢で、クルーエル家のレイヴンによって命を絶たれたということになる。

「今のあの家の当主はレイヴン・クルーエルだったか。まだ若いようだが、彼の手際は完璧らしいな。幼い頃から瘴人殺しを仕込まれているだけのことはある」

 瞳から、熱い涙がぼろぼろとこぼれ落ちた。

 レイヴンは、自分は人殺しだ。十年前からずっと続けていると、そう言っていた。

(違う。違うよ、レイヴン)

 たしかに彼は人を殺し続けてきた。それは真実だったのかもしれない。

 でも、そこにレイヴン自身の意志は介在していなかった。

 彼は、王国の操り人形となっていたのだ。

「でも……じゃあどうして、聖水のもう一つの効用を知っていながら、すぐに公表しなかったんですか? 先代国王も知っていたんですよね? それが分かっていたら、助けられたかもしれない人が多くいたはずなのに」

 エルドは、そんなことも分からないのかというように肩をすくめた。

「それは、王族は、悪しき神に対抗できる唯一の希望でなければならないからだ」

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