第25話 どんな顔をして
「ネモフィラ? 起きたのかい?」
ぱちぱちと瞬きをする。
「シュカ、さん?」
「良かった……。このままずっと目を醒まさなかったらどうしようかと思ったよ」
「えっ!?」
慌てて飛び起きた。
見覚えのあるベッドの上、シュカの館の客人用の部屋だった。
「私、どれぐらい意識を失っていたんですか? もしかして、ここまで運んでくれたんですか? それから、聖水はどうなったんですか? 後、ええと……」
「落ち着いて。ちゃんと全部に答えるから」
シュカの話によれば、ネモフィラは意識を失ってから丸一日は眠りこけていたらしい。失神したネモフィラを、あの洞窟からシェレンのこの館まで運んでくれたのもシュカだという。
「聖水もちゃんと持ち帰って来たから、安心して」
「それは良かった! あの、色々とありがとうございました」
安堵したのも束の間、意識を失う直前の出来事が怒涛のように頭に押し寄せてきて、全身から血の気が引いた。
あの時、レイヴンが助けてくれなかったら、ネモフィラはきっと死んでいた。
でも、代わりに彼は人を殺した。
『私は……人殺しなんです』
それも、今に始まったことではない。十年前から続けていることだと彼は言っていた。
レイヴンは何かを抱えているという予感は、ずっと前から持っていた。
最初から、自分の命は取るに足りないものだと宣言していたことも。
何があっても動じず、常に無表情で冷静な態度を貫いていたことも。
人離れしている強さも。心の周りに張った堅牢な壁も。
嘘だと思いたかったが、あの言葉は、きっと真実だ。
目の前で血の通った人間を斬り伏せたレイヴンの表情はぞっとするほど冷たく、手慣れた様子だったから。
「シュカさん……。レイヴンは……私を、守るために……その」
舌が震えて、その先の言葉を紡げなかった。
シュカは珍しく沈痛な面持ちを浮かべて頷いた。
「……うん。残念だけど、最初に君に襲い掛かった一人だけは助からなかった。ちなみに他の人々は宿屋で静養中だよ」
また、涙がこぼれてきた。
やはりあれは、紛れもなく現実だったのだ。
(顔を合わせて、守ってくれたお礼を言わなくちゃ)
そう思う一方で、シュカに彼の居場所を確認するのが怖かった。
いざレイヴンを前にして、きちんと目を合わせられる自信がなかったから。
「シュカさんは……大丈夫でしたか? 怪我とか、していませんか?」
「僕は大丈夫だよ。……君は本当に優しい子だね。他人の心を気遣える余裕なんて、本当はないだろうに」
「いえ……そんなことは」
本当に優しいと言えるのだろうか。
自分のことを守ってくれた人間に対して、少なからぬ恐怖を覚えている人間のことを。
気分が悪くなってきて、うまく答えられなかった。
「あの時、突然襲ってきた人たちのことなんですけど……なんだか、様子がおかしかったですよね? それに、血の色も……紫色をしていました」
「君は、あの状態に至った人間を見るのは初めてだったのか」
「はい。ええと……シュカさんには、なにか心当たりがあるんですか?」
「うん。じゃあ、その話は、彼らにも同席してもらってすることにしよう。あの中には、君らが一所懸命に探していたあの王子もいたことだしね」
言葉には出せなかったが内心では半ば諦めかけていた希望が浮上し、弾かれたように顔があがった。
「エルド様ですよね? 生きていたんですか」
「うん。彼もあの場に倒れていたんだよ。見つけた時は瀕死寸前だったけど、なんとか息を吹き返したみたいだ」
「良かった……」
「聞きたいことが山ほどあるだろうし、準備ができたらまずは宿屋に向かおうか」
「あっ。シュカさん、待って」
部屋を出て行こうとしたシュカが振り返った。
「ん? ああ、それとも聖水を手に入れたわけだし、先にリゲイツに向かいたいかな?」
「それも、そうなんですけど……あの、今呼び止めたのは、そうではなくて」
「うん?」
震える手を握りこみながら、勇気を振り絞って、今まであえて避けてきた話題に踏み込んだ。
「レイヴンは……どこにいるんですか?」
その名を再び口にした時、シュカの動きが止まったように見えた。
けれどもそれは、ほんの一瞬のことだった。
「さあね。僕の知らない間に館を出て行ったよ」
「えっ?」
「どこで何をしているのかも知らないけど、また、急用でも入ったんじゃない? 聖水も手に入れたことだし、もう自分の役目は終わったと言わんばかりに投げやりだったよ。本当に勝手な奴だよね」
「そう、なんですか……」
釈然としない話だった。
けれども、今すぐに顔を合わせる必要はないということに一抹の安らぎを覚えている自分もいたことは事実だった。そして、そういう自分を見つけては、自己嫌悪で首を絞めつけられたように息苦しくなる。
(どんな顔をして会えば良いのか、分からない)
彼のことを思い浮かべるだけで、いくつもの感情が嵐のように吹き荒れる。
再び顔を合わせたら、なんて声をかけるべきなのだろうか。
ネモフィラとシュカは館を出ると、まずはエルド王子が静養しているという宿屋に向かうことにした。すぐにでもリゲイツに向かいたい気持ちもやまやまだったが、まずは彼に会って状況を整理したかった。
(それに、レイヴンがシェレンに帰ってくるかもしれない。まさか、これっきり会えなくなるなんてことはないよね……?)
レイヴンは姿を消したと聞いてから、ずっと心が晴れないでいる。本日のシェレンの空も、ネモフィラの心を映し出したように分厚い雲に覆われていて、今にも雨が降り出しそうだ。
目の前で、シュカの束ねた銀の髪が猫のしっぽのように揺れている。
「シュカさん」
「何?」
「あなたは……何者なんですか?」
ずっと、気にかかっていたことだった。
シュカ・ネメシスは只者ではない。
ネモフィラは、彼の呪大樹の研究者という肩書も本当なのだろうかと疑い出していた。
しかし、只者ではないという以上のことが分からないでいる。
「それはどういう意味?」
目の前を歩いていたシュカが、振り返った。
迷ったが、ストレートに尋ねることにした。
「私の思い過ごしかもしれないんですが……時々、あなたには全てが視えているような気がするんです。あなたは、本当にただの呪大樹の研究者なんですか?」
シュカは無邪気な子供のように笑いながら首を傾げた。
「さあね。ねえ、ネモフィラ。そのことを知りたいのなら、僕のことを愛してよ。そうしたら君には全てを教えてあげる」
「愛!? ちょっと! 真面目な話の途中でからかわないでください!」
「冗談ではないんだけどな。ほら、着いたよ」
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