第4話 王家の血
ポピーとプリムラがやっとのことで寝静まったその夜。
普段は笑い声の絶えないオーデル家の居間には、かつてないほどの重たい沈黙が垂れこめていた。
ネモフィラの目の前の席に腰掛けた父ヴァレンと母ユリアの顔色は暗い。
夕方頃に彼らが帰宅して、ネモフィラが城から訪れてきたダリトの話をしてからというもののずっとこんな調子だ。流石に弟と妹のいる前では、ぎこちなくも笑顔を浮かべていたけれど。
口を噤み、一様にうつむいている両親の顔は見ているだけで辛い。
心臓をきりきりと引き絞られているような感覚だ。
弟と妹に口止めをしておき、今朝にダリト・モーレンスなどという男は訪れてこなかったことにすれば、二人にこんな顔をさせることはなかったのだろうか。
ネモフィラは、膝の上に乗せた手をぎゅっと握りこんだ。
(それでも私は、もう知らなかった頃には戻れない)
二人の口からもダリトの言葉を肯定されてしまえば最後、いよいよ後戻りはできなくなると分かっていても。
緊張のあまり舌の根まで渇いてきたところで、ようやく口火を切った。
「さっきも話したけれど、今朝に、ラスター城から国王様のお遣いだというダリト・モーレンスという人が家に来たの」
二人の顔に動揺は浮かんでいなかった。
代わりに憂いの色が濃くなったことを、ネモフィラは悲しく思った。
「その人から、私は、本当は二人の子じゃないって聞いた」
自らの発した言葉の鋭さに、胸を切り裂かれるような心地だった。
それでも、二人が黙っている限り、自分が話を続ける他はない。
握りこんだ指の爪を掌に喰いこませながら、ネモフィラは決定的な問いを突きつけた。
「私は現国王ライデン様とお母さんのお姉さんとの間に生まれた子なんだって。私は、王家の血を引いているのだって。ねえ、本当なの? そんなわけがないよね……?」
(ああ、ついに聞いちゃった)
未だにうつむいている二人の顔を、半ば祈るような気持ちで交互に見つめた。
焦燥を掻き立てられるような、苦い沈黙が訪れる。
少し経って、それまで口を閉ざしきりだった父ヴァレンがようやく口を開いた。
「……いつか、お前が知ることになる日がやってくることは分かっていたつもりだが、まさかこんなに早かったとは。すまない、ネモフィラ。他人の口から聞かされてショックを受けるぐらいなら、もっと早くにお前に打ち明けておくべきだった」
頭をぶん殴られたような衝撃に襲われて、息が詰まった。
まなじりに涙が浮かび、視界がゆらゆらとぼやけてゆく。
相当の覚悟をしていたつもりだった。
それでも、今まで実の親だと信じて疑っていなかった当人の口から吐かれた言葉には、心臓を抉るような重みがあった。
本音を言えば、迷わず否定してほしかったのかもしれない。
お前は自分達の子だよと抱きしめてほしかったのに。
それまで暗い顔をして話の成り行きを見守っていた母ユリアが、瞳を涙ぐませて、耐えきれないというように嗚咽をこぼした。
「ネモ。今までずっと黙っていて……ごめんね。私たちも、いつ打ち明けるべきなのかずっと迷っていたの。でもね、ネモはもしもこのことを知ったら、私たちに気を遣って早々に家を出て行ってしまうんじゃないかと思ったら言えなかった。あなたは頑張りすぎてしまう子だから」
これ以上、涙を抑えていることはできそうになかった。
二人の苦渋に満ちた顔には、長年の葛藤が刻まれている。これが正解なのだろうかと悩みながら、隠す道を選んだのだろう。複雑な気持ちではあるものの、ネモフィラを想っての行動であったことはたしかだと思ったので責める気には到底なれそうになかった。
その翌朝も、ダリトはウィールまで迎えにやってきた。
彼曰く、お忍びの迎えなので馬車は一級品ではないとのことだったが、繋がれていたのは毛並に艶があって優雅な白馬だった。
ネモフィラは迷った末に、机の上に手紙だけを置き、家族の誰のことも起こさずに家を出てきた。みなの顔を見たら、また顔をぐしゃぐしゃにして泣いてしまうと分かりきっていたからだ。
そうかといって、事情を知った上で国王本人から呼び出されている以上、オーデル家に留まっていることもできない。自分のわがままのせいで大好きな家族に迷惑をかけたくはなかった。
(挨拶もせず、勝手に出て行ってごめんなさい)
ネモフィラは泣きたい気持ちを飲みこむように唇を噛み締めた。
ダリトに手を引かれながら、馬車の中に足を踏み入れる。
「突然のことでお疲れでしょう。どうか私のことはお気になさらず、馬車の中ではゆっくりお休みなさってください」
彼の言う通り、昨夜は興奮していてほとんど寝られなかった。
ふかふかの座席に腰掛けて一定のリズムで揺られている内に、緊張で強張っていた身体から力が抜けていった。次第にまぶたが重くなっていき、いつの間にか眠っていた。
ラスター城は王都ルミナス内の第一区、イルミネイト王国の最北端に位置している。
防御柵でぐるりと囲まれている堅固な城門をくぐりぬけ、深い堀の間に架けられた跳ね橋を通り抜けた先に、その城は悠々と聳え立っていた。
今までは遠くから眺めることしかなかったが、真下から見上げる城の佇まいは圧巻だった。白亜の城壁は朝日に照らされて仄白く輝いており、真紅で統一された尖塔の色によく映えている。城の先には雄大な蒼い海が見渡せて、ここは島国であるということをあらためて実感した。
「ネモフィラ様、こちらですよ」
慣れた様子で歩みを進めるダリトに続いて、城内へ足を踏み入れる。
外観もさることながら、その内装も見事なものだった。
毛の長い絨毯が、先の見通せぬほど長い廊下に敷かれている。壁には昔に教科書で見たことのある巨匠の絵画がずらりと並び、廊下の両脇には立派な彫像が間隔をあけて並んでいた。
入り口から長い廊下を抜けると、天井真ん中に巨大なシャンデリアの吊り下がる大広間へ繋がっていた。
すれ違う人々の好奇的な視線が刺さるようで、ネモフィラは恥ずかしくなりながら身を縮こめた。これでも所持していた中では一番上等なブラウスとスカートを身に着けてきたのだが、王城に出入りするような人間からは貧相に見えているのだろう。
(私、場違いだよね。やっぱり私が国王様の血を引いているなんて、何かの間違いじゃないのかな)
不安が一層強まり、無意識の内に足が止まっていた。
「あの、ダリトさん」
「どうされましたか?」
「ええと、その……私、これから本当に国王様に会いにいくんですよね?」
「ええ。ここまで来てなにを今更当たり前のことを仰っているのですか。ライデン様は待ちわびていらっしゃいますよ」
ダリトはネモフィラの心中を見透かすように瞳を細めると、ああ、と一人納得したように穏やかな笑みをたたえた。
「その前に多少のめかし込みは必要かと存じますが、ご安心なさってください。全てこちらでご用意させていただきますので」
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