第29話 あなたも

 信じられないような話だが、耳を傾けていく内に、シュカは本当のことを語っているのだろうと受け入れていた。ずっとシュカの目的が理解できなかったが、彼こそが神でありそういう経緯があったのなら頷けることが多くある。

「僕はさ、限りなく薄い希望にみっともなくすがっていたんだと思う。いつか王族が、何故自分達に聖水を求めるという試練が課されているのか、自ら疑問を抱く日がやってくることを願っていた。だけど、彼らは疑問を持つどころか、この試練を自分達の地位を確固たるものとするための装置として利用した。もう、誰もこの国の歴史に疑問を抱くことはないのではないかと諦めかけていた時に現れたのが君だった」

 金の双眸に、強い眼差しで射抜かれた。

「僕は、この二百年間で王族の愚かな考えを飽きるほど聞いてきた。だけど、ネモフィラ。君だけは違ったんだ。君はこの国の歴史に疑問を持っていた。そして、君にとっては地位も名誉も大した意味を持っていなかった。僕は、ただ純粋に、もう誰にも傷ついてほしくないという思いから動いていた君のことを美しいと思ったんだ。……でも、君にとっては僕が憎いのかもしれないね。この国に呪大樹が存在しなければ、君の大切に想う人々が傷つくことはなかったのだろうから」

 シュカの言う通り、呪大樹が存在しない世界であれば、傷つかずに済む人が多くいた。アンネは今でも生きることができたし、レイヴンが重たい宿命を背負う必要もなかっただろう。

「……ありのままの気持ちを述べると、複雑な気持ちです。全く何も感じていないと言ったら、嘘になるのかもしれません」

「ははっ。君は本当に正直だね」

「シュカさん。あなたは今でも、この国のことを……イルミネイト家のことを、赦せないままでいますか?」

 彼は虚をつかれたように目を丸くして、苦笑いをした。

「どうだろう。もしかすると、君が特別だったというだけのことで、まだ根に持っているのかもしれない」

「それはそうでしょうね」

 まさか肯定されるとは思っていなかったようで、彼は驚きに目を瞠った。

 びっくりしているシュカのことがあどけなく思えてきて、神のことを子供のように思っているというおかしな状況に笑みがこぼれてきた。

「だって、私がシュカさんだったとしたら、きっと赦せないと思うから。ねえ、シュカさん。あなたは私が欲しいと言っていましたが、本当にそんなことでこの国のことを本心から赦せるんですか?」

 ネモフィラには、シュカの二百年もの孤独がそれで解決するとは思えなかった。

「シュカさん。私の祖先が、恩を仇で返すような酷いことをしてしまって、本当にごめんなさい。話を聞かせてくださって、ありがとうございます。あなたの話を聞いて、私は歪められたこの国の歴史を見つめなおしたいと思いました」

「……どうして君は、憎いはずの相手のために、そこまでできるの?」

 ネモフィラは、ダークブロンドの髪を一房掴み、この髪のことでひどく嫌な思いをしてきた小等学生時代のことを思い返した。

(赦せないでいた間は、ずっと苦しかった)

 あの時に、赦すのは相手のためではなく、自分自身のためなのだと知ったのだ。

「きっと、赦すという行為は、その相手のためだけではないんです。それは、何より自分のためにもなっているんですよ。憎悪や復讐心に囚われている限り、私たちは、幸せに目を向けられないから」

 シュカが一日でも早く、この国への複雑な執着心から解き放たれて、赦せる日がやってくると良い。そして、彼自身が呪大樹を枯らすという選択を自然に取れる日がくることを祈るばかりだ。

「ネモフィラ。君はやっぱり、僕が二百年間待ち望んだ女の子だったよ。でも君の方は、それでも僕を選ぶつもりはないだろう?」

 金の瞳が悲しげに伏せられた時、胸に小さな痛みが走った。

「……ごめんなさい」

「ううん、こちらこそ長く引き留めてしまってごめんね。聖水は君の言っていた通りエルド王子に渡してくるよ。こっちのことは任せて、早くレイヴンの所に行ってあげて」

 その時、ネモフィラは突如、自分の周囲が淡い燐光に包まれ始めたことに気がついて、驚きのあまり言葉を失った。

「えっ!? な、なな、なんですか、これは……?」

「さようなら、ネモフィラ。ありがとう」


 ネモフィラが次に瞬いた時には、周りを数多くの墓石に囲まれていた。風がエメラルドグリーンの芝生を揺らしている。以前に訪れた時は日が暮れていたが、朝日が降り注いでいてもこの場所の淋しさは健在だった。

(ここは、第三区の墓地だ。シュカさんが送ってくれたのか)

 辺りを見回し、本当に王都に転移しているのだという確信が持てた時、シュカの言っていることは全て真実だったのだという実感が胸に溶けこんできた。

「……ネモフィラ、様? どうして、こんなところに」

 懐かしく感じたその声は震えていた。

 少し離れた位置から、レイヴンが幽霊を見てしまったかのような表情をして、ネモフィラのことを見つめている。

 不意に、喉に熱いものがこみあげてきて、瞳の淵に涙がたまった。

 会うまでは、最初になんて声をかけるべきなのか迷っていた。

 でも、そんな心配はする必要がなかった。

 胸にふきだまっていた気持ちが一気に溢れだして、止められなくなったから。

 足に火をつけられたように駆け出して、レイヴンが呆然とネモフィラのことだけを見つめているのを良いことに、彼の身体を抱きしめた。

「ちょっと! 何をするんですかっ。離してください!」

「嫌っ」

「ダメですってば! そんなことをしたら、貴方のことまで穢してしまうじゃないですか……っ」

 声を荒げてもがく彼に、強く言い聞かせる。

「私は穢れない。あなたも、穢れてなんていない」

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