第28話 歴史

 神。

 うまく、脳内で言葉が変換されなかった。

 いつも、シュカの顔はどこから見ても完璧だと思っていた。

 生きて動いていることが奇跡であるかのような美しさ。

 顔だけでなく、その豊かな知識や見えてこない目的も含めて、シュカは只者ではないという予感は前々からあったけれども。

「でも、まさか……神って……そんな……そんなことが、ある、わけ」

 自分には国王の血が流れていると打ち明けられた時以上に、絵物語のような話だ。

「うん、信じられなくて当然だよ。でも、僕は君にだからこそ、全てを話したいと思う」


 外では落ち着いて話せないからと、二人は再びシュカの館に戻ってきた。

 ソファに腰掛けたシュカは珈琲を口に含むと、長い脚を組み替えた。

「長い話になるけれど、順を追って話そう。そもそも、君らの祖先は、元を正せば南の大陸で迫害を受けていた少数民族だった」

「そうなんですか? 歴史の授業では、聞いたことのない話でした」

「うん。……それも全て、仕組まれたことなんだよ」

 シュカの話によれば、祖先は厳しい迫害を受けていた中で、神という救世主の存在を信じるようになったそうだ。今自分達が苦しいのは神が授けた試練であり、神を信じる者はいつか必ず救われるのだと。そう信じることが、彼らにとって唯一の心の慰めだった。その必死の祈りは空の上で退屈をしていたシュカの耳にまで届いていた。

「最初は人間同士の諍いに関与する気はなかったのだけど、あまりにも必死なその声を聞いていたら、放っておけなくなってしまってね。僕は、彼らに手を差し伸べることにした」

 シュカが力を行使したことにより、彼らは南の大陸から逃れ、海にぽつりと浮かんだ無人島に辿り着いた。彼らはそこに住み着いたものの、この島は元々作物の育たない痩せ細った荒れ地だったので今度は飢えと闘うことになった。

「それでも、彼らはこの島を捨てなかった。この場所は、神の恵んでくださったものだからとこだわっていたんだ。そして、僕から再びもたらされる奇跡を期待し、さらに信仰心を深めていった。一度手を差し伸べておいてすぐに見放すのは、最初から相手にしないことよりも残酷に思えたんだ。僕はこの島に、広大な森と肥沃な土壌をもたらした」

 規模が壮大すぎて共感はできなかったが、手を差し伸べたくなった心理は理解できるような気がした。中途半端な優しさは、時に相手を深く傷つけることになる。

「彼らはもたらされた恵みに感謝し、僕のことを盲目的に信じるようになっていた。そのまま望み通りのものを与え続けることは簡単だったが、ある時、このままではダメだと思った。僕に依存し続けている限り、彼らはいつまでも自分自身の足で立ち上がれない」

 シュカはそれ以降、助けを求められても、あえて手を貸さないようにした。

 黙って見守るのはもどかしい気持ちもあったが、それは最初の内だけだった。

 彼らは知恵をつけていき、どんどん技術を発展させていった。

「やがて彼らは僕の奇跡に頼ることもなくなり、自立した生活を送り始めた。望んだ通りになったのだから喜ぶべきだったのだけど、嬉しくもあり、淋しくもあったかな。奇跡を直接欲する声は聞かなくなったけれど、彼らは昔と変わらず僕への祈りを欠かさずに穏やかな日々を過ごしていた」

 懐かしそうにそう語るシュカの瞳には、慈愛が滲んでいた。

「でも、島の人口がどんどん増えていくにつれて、様々な思想が生まれた。異なる考えを持った多くの人々が一つの共同体として平穏に暮らしていくためにルールが必要になったんだ。そこで、各地から統治者を求める声が上がった。その時に知性とリーダーシップを発揮したのが初代イルミネイト国王だよ。君の直接の祖先だ」

 彼が王座に就いた時、この名もなき集落に初めてイルミネイト王国という名前がついた。

「彼は今のリゲイツに王都を置き、この国をますます発展させた。でも、彼は有能な人間ではあったが、非常に欲深い人間でもあったんだ」

 シュカから表情が消えた時、ネモフィラの顔も強張った。

「彼は、イルミネイト王国が栄華を極めたことを全て自分の手柄にしたかった。民の中にはまだ根強く僕を信仰する風習も残っていたけれど、彼にはそれすらも気に入らなかったんだ。常に自分が一番でなければならなかった。欲に取り憑かれた彼はついに、この国から神を――僕のことを追放しようとした」

 初代国王の指示によって、神を信仰するために建てられた協会は全て取り壊された。

 そして、神を裏切ることはできないと泣き叫び、最後まで教会を守ろうとした民は処刑された。

「そんな……」

 ネモフィラは、身を震わせながら自分の腕をかき抱いた。

 この身体に、そんなにも欲深く残虐な祖先の血が半分も流れていることを悲しく思った。

「僕は、初代国王のことを激しく憎んだ。その憎悪の念は種となり、当時の王都であったリゲイツの中心部に根付いたんだ。初代国王はその異変に気がつくと、すぐにリゲイツを捨てて島の最北端へと遷都した。それが、今の王都ルミナスだ」

 呪大樹は、神の気まぐれではなく、憎悪から生まれたものだった。

「あの時、激情に駆られるままに、初代国王の命を潰すことは造作もないことだった。でも、何故だかそうする気は起きなかったんだ。代わりに僕は、リゲイツに根付いた種をそのまま放置することにした。種は、人間の負の感情を肥しにすくすくと育ち、数年後には大樹となった。そして、今のように、人間に害をなす瘴気を発散するようになったんだ」

 呪大樹が根付くきっかけを作ったのは神だったが、大樹を育て上げたのは人間の方だった。

「初代国王は、リゲイツに呪大樹が根付いたのは自分が僕の怒りに触れたせいだと勘付いていながら、その過ちを認めようとはしなかった。そこで彼は、それまで綴られてきた歴史書を全て燃やし、隅々まで書き換えた」

 そうして、この国がかつては神と共に在った歴史は葬り去られ、神は気まぐれでこの国を苦しめる悪魔に仕立て上げられた。シュカは、そんな法螺話を誰が信じるものかと見下していたが、呪大樹を恐れた国民達はとにかく心の拠り所が欲しくなっていたので、全員が初代国王の主張を信じた。

「初代国王は、国民達の憎悪を僕に集中させることに成功したんだ。彼の手際は見事なものだったよ。結果としてこの国に起こる全ての災厄を僕の所為にしたのだから。正直、呆れてモノも言えなかったけれど、経済的な事情からリゲイツ周辺に暮らさざるをえない民には多少の憐憫の情が湧いた」

「……それで、聖水という救済措置を思いついたんですか?」

「そう。自分でも、随分と面倒なことを考えついたものだとは思ったよ。でも、当時の僕には、割り切れなかった。復讐として島を沈める覚悟、今まであった全てのことを水に流す寛容さ、この国のことなんて忘れてしまい無関心を貫くこと、そのどれを選ぶこともできなかったんだ」

「そしてあなたは、王族に試練を与えることにした」

「……うん」

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