第14話 熱があるのではないですか?

 森の夜は、深く冷えこむ。

 樹々が比較的に少なく開けたようになっている空間を見つけて、そこで休息をとることにした。レイヴンが、集めてきた枯れ木と所持してきた火口箱を使い、器用に火を起こしたので感嘆の声が漏れた。

「すごい! 前から思っていたけど、レイヴンはとても器用なのね」

「ありがとうございます。火は獣除けにもなりますので、今日の夜はここを離れないでください」

「うん、分かった。ありがとう」

 焚火に手をかざした時、知らぬ内に森の冴えた空気に体温を奪われていたことに気がついた。ぱちぱちと燃え爆ぜる火は、身体の芯から温めてくれるようだ。

 持ち歩いてきたパンと干し肉を食べて空腹がまぎれたところで、これまでの疲れがたたったのか急に眠気が襲ってきた。

「お疲れでしょう。夜はもっと冷えこむかと思うので、これをお使いください」

 レイヴンは鞄の中から取り出した外套をネモフィラに羽織らせた。

「その外套は汚れても構わないので、寝心地は悪いかと思いますが横になられていても大丈夫です。私が見張りをしているので、安心してお休みになってください」

「でも……レイヴンはいつ休むの?」

 焚火と外套のあたたかさにくるまれて、眠気の波がさらに深く押し寄せてくる。

「頃合いを見計りながら、適当に目を閉じておきますよ」

「そんなの、休みじゃないよ……。疲れ、取れないじゃない」

 抗いたいのに、睡魔はねじり伏せるようにネモフィラの意識を沈めていった。

「大丈夫です、こうした事態には慣れているので。それに……普段の仕事と比べたら、今は天国のようなものですから」

 最後の言葉が耳に届く前に、ネモフィラは眠りに落ちていた。


 まぶた越しに強い光を感じた時、まどろんでいた意識が急速に引き上げられた。

(ん……?)

 寝ぼけ眼で周囲を確認しようとしたその時、森の夜空を雷鳴が切り裂いた。

 瞬時に視界が白く眩み、続けて空間ごと引き裂くような爆音が轟く。

「いやっ」

 激しい動揺から一気に呼吸が浅くなった。心臓がどくどくと高鳴って鳴りやまない。

「ネモフィラ様? 大丈夫ですか」

「……だ、大丈夫よ。雷なんて、怖くないわ」

(そう。怖くない、怖くない。さっき見た獣達の方が、よっぽど怖いじゃない)

 そう自分に言い聞かせようとすればするほど、全身の震えが酷くなっていく。

 すると、傍で佇んでいたレイヴンが、外套越しにも分かるほど震えながら縮こまっているネモフィラの目の前までやってきて、小さくため息を吐いた。

「貴方に大丈夫かと問うた私が間違っていました」

 どういう意味よ、と問い返そうとしたが叶わなかった。

「こんなに震えているじゃないですか。全く大丈夫そうに見えませんが」

 彼の腕の中に、閉じ込められていたから。

 その大きな手がゆっくりと背中をさするたびに、恐怖心が薄まっていく。

 夜の森に、再び雷鳴が轟く。

 それなのに、今度は全く怖くなかった。

 でも、今度は別の意味で、鼓動の高鳴りが止まらない。

 顔をあげたくても、あげられなくなってしまった。

(どうしよう。心臓、ばくばく言ってる。レイヴンに聞こえちゃいそう)

 今、自分の顔はきっと、言い訳も通じないぐらい真っ赤に染まっているだろうから。

 逸る心臓を抑えるように胸に手を当てながら、途切れ途切れに問いかけた。

「レイ、ヴン?」

 彼はぱっと腕をほどいて、バツが悪そうに言った。

「……申し訳ございません。穢れた身体で触れてしまったことを、お赦しください」

(もしかして、獣の血が服に跳ね返っていることを気にしている?)

 その言葉に滲んでいた切迫感を見逃せなかった。

 ネモフィラは思いきって顔を上げると、一度離れていった彼の手を閉じ込めるようにその身体ごと抱きしめ返した。

「穢れてなんかないよ。……レイヴンは、私を守るために剣を振っただけ」

 耳元で、彼が息を呑む音がした。

 二つ分の心臓の音が聞こえる。交じり合って、どちらの音か分からない。

(ドキドキしてるの、私だけじゃない)

 今なら、弱音も素直に吐き出せる気がした。

「本当はね……雷の音、苦手なの。もう少し、こうしていても良い?」

「ええ。貴方が望むのであれば」

 そうやってひたすらレイヴンの肩に顔をうずめていたから、彼の耳の先がわずかに赤く染まっていたことには気がつかなかった。


 次にネモフィラの意識が浮かび上がってきた頃には、森に朝日が差しこんでいた。遠くから鳥のさえずり声が聞こえてくる。

「もう、朝?」

 まだぼんやりとしている頭でもごもごと呟くと、すぐ傍から耳に馴染んできた男の声がした。

「おはようございます、ネモフィラ様」

 身体の側面が妙に温かい。触れていると安心するこの温もりは人の体温だ。

 どうやら一晩中レイヴンの肩に頭を預けるようにして眠っていたらしい。

 意識がはっきりと覚醒してきたら、急速にこの密着した距離感を意識してしまい、慌てて飛び退った。

「お、おはよう、レイヴン。もしかして、私ずっと寄り掛かっていた? ごめん、重たかったよね」

「とんでもないです。昨夜はよく眠れましたか?」

「うん、おかげさまで。ありがとう」

「それは良かったです」

 ぼうっと座っている内に、徐々に昨夜のことを鮮明に思い出してきて、全身が瞬く間に熱を帯びた。

(思い返すと、結構大胆なことをしてしまった気がする)

 彼のことを真正面から直視するのが気恥ずかしくてなってきて、座りこんだまま地面に視線を落とした。それなのに、レイヴンの方から気遣わしげに顔を覗きこまれて、再び距離を縮められてしまった。

「もしかして、体調が悪いのですか」

 この従者はやけに綺麗な顔立ちをしているだけに、こうして近づかれると心臓に障って仕方ない。雷で気が動転していたとはいえ、何故昨日はあんなに大胆なことができたのだろう。早口で噛み噛みになりながら、どうにか返答する。

「えっ。い、いや、そんなことはないよ?」

「でも、心なしか顔が赤い気がします。熱があるのではないですか?」

 更なる追撃で耳の先まで熱くなった。先ほどまで涼しいとさえ感じていたのに、今では暑いぐらいだ。無自覚な従者の純粋な親切心が今だけは憎く思える。

「ないないない! こここれは、た、たぶん熱とかじゃないからっ」

 ぱたぱたと挙動不審なぐらいに何度も手を振ると、レイヴンはようやく追及を諦めた。

「本当ですか? でも、無理だけはなさらないでくださいね。約束ですよ」

 彼の興味は主の体調に問題がないと分かるや否や、昨日振るっていた剣の切れ味と残りの食料に移ってしまった。あまりの切り替えの早さに唖然としてしまう。

(やっぱり、私ばっかり振り回されている気がする)

 そのことに対してやるせなさのようなものを覚えていることには、気がつかないフリをした。



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