第9話 聖なる王族と悪しき神

 前菜にフルーツサラダ、続いてライ麦パンにオニオングラタンスープ、メインは牛肉のパイ包み焼き。目の前に並んだ豪勢な料理に瞳が輝いた。

(わあ、美味しそう! 宿屋の隣にあったから深く考えずに入ったけれど正解だったな)

 しかし、好きに頼んで良いとは言われたものの、昼食だと考えると流石に頼みすぎだっただろうか。カウンター席しか空いていなかったので、レイヴンは隣に腰掛けている。その横顔からはやはり心が見えてこない。不安がもたげてきた。

「ねえ。今更だけど、お昼からこんなに頼んでしまって大丈夫だった? お金、足りなくならない?」

「その点については心配ご無用です。国王様から、旅の資金にするようにと充分な額を受け取っておりますので」

「そっか。それなら良かった」

 安心してサラダを頬張り始めたら、今度は彼の方から視線を強く感じた。

 やはり、澄んだ紫の瞳にじっと見つめられている。

「どうかした?」

「ネモフィラ様に、申し上げておきたいことがあります」

 それが妙にかしこまった口調だったので、食事をする手が止まった。

「なに?」

「もうお分かりかとは思いますが……私は、ひどく不愛想な人間です。もしかすると、貴方に不快な思いをさせてしまう時もあるかもしれない。ですが、決して悪気があるわけではないので、どうかご容赦いただきたい」

 驚いて、すぐには言葉が出てこなかった。

「私はこういう人間ですから、何か思うことがあった時は包み隠さずに申し付けてください。私に遠慮は禁物だと言いましたよね?」

 レイヴンが自分の淡泊さを自覚し、そんな風に思っていたことは意外だった。

 不器用だけれども、その言葉からは彼なりの優しさを感じられた。

 生真面目すぎるようにも思うが、あえて言葉にしてくれたことが嬉しくて、気持ちがくつろいだ。

「うん、ありがとう。レイヴンも、どうかそうしてね」

 レイヴンはネモフィラの笑顔から視線を逸らすように、目の前のサラダに手を付けた。食事をとる所作の隅々からも、彼の品位の高さを見て取れる。

「それで。どのようにして、調査を行いましょうか」

「うーん……シュカさんは研究者なんだよね。研究者が現れそうな場所かぁ」

 といっても、研究を職にしている者などこれまでの人生で関わったことがない。ネモフィラは悩ましげに眉根を寄せながら、牛肉のパイ包み焼きを口に運び入れた。どの料理も最高に美味しい。

「ネモフィラ様。悩んでいるフリをして、実は舌鼓を打っているだけなんてことはございませんよね?」

「当たり前でしょ? それに、お腹が減っていては見つかるものも見つからないわ」

「こうも堂々と言いきられると、本当にそのような気がしてくるのだから不思議なものですね」

「真顔で言われても、何の説得力もないんだけど」

 一旦会話が途切れたので食事に集中していたら、隣の席に腰掛けていた二人の男の会話が耳に入ってきた。

「最近、南部の方で瘴気の被害者が増しているんだろう? 物騒で嫌だなぁ!」

「そうだなぁ。でも、だからこそ先日にエルド様が旅立ったんだろう? それなら、もう安心じゃないか! オレらは酒を飲みながら、彼が無事に帰ってくるのを待つだけさ」

「だなぁ! にしても国民の平和を守るために自ら危険な旅に出るなんて格好良いよなぁ」

「今年はエルド様の他に候補者もいなかったし、彼の重圧は大変なものだろうなぁ。しかし、聖なる子である王族は必ず悪しき神を打ち滅ぼす! 正に英雄だな!」

「英雄ばんざーい!」

 男二人は昼間から酒を飲んでいたらしく既に顔を赤くしているが、そのことよりも会話の内容が気になった。

 ライデンの言っていた通り、国民がエルドにかけている期待は相当なものだ。ネモフィラだって、こんな事態を聞かされる数日前までは彼が聖水を手にして無事に帰還することを信じて疑っていなかった。

(聖なる子である王族は必ず悪しき神を打ち滅ぼす、か)

 この王国では、神は国に呪大樹を植えつけた悪魔として忌み嫌われている。

 しかし、ネモフィラはこのことを歴史の授業で初めて習った時、実は胸にひっかかりを覚えた。でも、今までその時に抱いた疑問を口に出したことはない。この国では、神は憎むべき対象であって、それ以外の感想を抱く者は不審な目を向けられる。

「ところで話は変わるけど、お前さんは今日の夜もどうせ暇だろ?」

「もちろんさ。野暮なことは聞くもんじゃねえ」

「んじゃ、今日も例の店に集合で決まりな! たしか、今夜はシュカの奴も来るって言っていた気がするぜ」

(えっ! 今、シュカって言ったよね?)

 レイヴンと顔を見合わせる。表情からはいまいち読み取れないが、彼も恐らく驚いていることだろう。思ってもみなかったところで探していた人物の名前を聞けた。名前が一致しているだけで別の人物の可能性もあるが、幸先はかなり良い方だ。

「あの! 突然話しかけてすみません」

 男達が一斉に振り向く。

「シュカさんのことを、ご存じなのですか?」

 尋ねた後になって流石に唐突すぎただろうかと焦ったが、男は酔っ払っていることも手伝って陽気に答えてくれた。

「おうよ! 君の言っているシュカと、オレの言っているシュカが同一人物かまでは分からんが、もしあの男のことだとしたらアイツは大事な飲み仲間だ」

(飲み仲間?)

 男の口から飛び出た予期せぬワードにぎょっとして、固まってしまった。

「飲み仲間、とはどういう意味でしょうか」

 やはり動じていない様子のレイヴンがネモフィラの心の声をそのまま代弁すると、男はガハハと笑った。

「だーかーらー、そのまんまの意味だってば! アイツは、この辺の飲んだくれの間じゃちょっとした有名人だよ。なんにしろ、そこいらの美女なんて霞んじまうほどのエラい美人だからなぁ」

(美人……? シュカさんは、男の人だって聞いていたけれど)

 再び酒を煽った男の気になる言葉に、ネモフィラは一人首を傾げていた。

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