第21話 いかにも人間らしい
(レイヴン、いつ帰ってくるんだろう)
遠慮はしたのだが、シュカの好意に甘える形でまたしてもこの館に泊まってしまった。
しかも、レイヴンが中々帰ってこないので、ネモフィラは二日間もシェレンを観光する羽目になった。シュカに連れられて、専門学校の敷地内を散歩したりした。初めて訪れる場所ばかりだったので新鮮で楽しかったけれども、頭の片隅には、こんなことをしている場合なのだろうかという気がかりが常に彷徨っていた。
階下の居間へ降りていくと、今正に思い浮かべていた黒髪の男の頭が目に入ってきて胸が高鳴った。彼一人だ。シュカはまだ起きていないらしい。
「レイヴン、帰っていたのね!」
ネモフィラが声を弾ませると、レイヴンはソファからきびきびと立ち上がって深く腰を折った。
「おはようございます、ネモフィラ様。予定よりも帰りが遅くなってしまい、大変申し訳ございませんでした。それと、ライデン様から直接伺いましたが、エルド様の消息はまだ掴めていないそうです」
数日ぶりに見たその顔は相変わらず人形のように怜悧な美を宿しているが、いつもよりやつれて見えた。エルド王子の消息について新たな情報を掴めていないということも不安だが、それ以上にレイヴン自身のことが気になった。
(王都で、何をしてきたんだろう)
彼はやはり、何か隠し事をしているのではないだろうか。
「そんなに大変なお仕事だったの?」
「申し訳ございません」
「ううん、責めているわけではないの」
「しかし……私は、貴方が聖水にかけている特別な思い入れを知っていながら、二日間も待たせてしまいました」
表情がないのは普段通りだが、以前にも増して声のトーンに色味がない。
たしかに、これからという時に突然待たされたことにはもやもやとした。
でもそれ以上に、彼が何も事情を打ち明けてくれないことの方が気にかかっていた。
「違うの、今聞きたいのは謝罪の言葉じゃない。レイヴン、あなたは何をしにルミナスへ帰るよう命令を受けたの?」
「貴方には関係のないことです」
その返答は予想の内だった。
だから、彼が話を逸らしてしまわないように、覚悟を決めた。
「関係ならあるわ。あなたは、私を護衛するという職務を放棄して王都へ戻ったのよ」
たとえ卑怯だと思われても、利用できるものは利用するという覚悟を。そうでもしなければ、レイヴンが頑なに閉じている心の奥底には到底触れられないように思ったから。
彼の纏う空気が堅く張りつめた。
「ねえ、レイヴン」
「……」
「どうしても言えないことなの? 私は、こんな風に見えても一応王女なのよ。国に、あなたを緊急的に呼び戻さねばならない事情が起こっているのなら、私にもそのことを知る権利があると思うわ」
自分でも、こんな時ばかり立場を強調するなんて最低だと思った。
それでも、彼が何かを抱えているのならば、知っておきたかった。
「こんな言い方をしてごめんね。怒っているわけじゃないの。私は、ただあなたのことが心配で」
「ネモフィラ様の仰る通り、貴方には知る権利があります。いずれかは知ることになるでしょうが、それは今であってはいけない」
「どうして?」
「これは、私の尊厳にも関わる問題だからです。貴方に足を踏み入れてほしくはない」
氷柱のように鋭く冷たい声音だった。
胸に今まで感じたことのないような鋭い痛みが走った。心臓をナイフで突き刺されたみたいに。目に力をこめていなければ、涙が滲んでしまいそうだ。
どこかで思い上がっていたのかもしれない。
少しぐらいは、彼の見えてこない心に近づけているのではないかと。
過ごした時間は短いけれども濃密だった。そう信じていたのに。
「おはよー。二人とも、朝早いねぇ」
今ばかりは、微塵も空気を読まずに欠伸をしながら居間に入りこんできたシュカの存在がありがたいと思えた。
レイヴンは唇を噛み締めているネモフィラから顔を逸らすように、シュカの方へと振り返った。
「シュカ殿。今日こそ、聖水の湧く場所を教えていただけるのですよね?」
「ああ。そのことについてなんだけど、僕も同行しようかと思うんだ」
それは意外な提案だったが、ネモフィラにとってはまたとない申し出だった。
この凍りついたような空気のまま、レイヴンと二人きりになって旅を続けられる自信はない。
「シュカさん、良いんですか? よろしくお願いします!」
「おお、やけに食いつきが良いね。断られるかと思っていたのに」
レイヴンはシュカも同行する件について何も口を挟まなかった。
「かしこまりました。出発する前に、食料と水の調達にだけ行ってきます」
「あっ、私も行くよ」
「結構です。貴方の手を煩わせるほどのことではございませんので」
振り返りもせずに、すたすたと外に出て行ってしまった。
胸がじくりと疼く。
(さっきのこと、怒っているのかな)
ネモフィラが、彼の踏み込んでほしくない大事な領域に、立場を利用して入り込もうとしたから。
数日ぶりにやっと会えたのに、離れていた間以上に、彼の心が遠のいてしまったような気がする。その事実がガラスのように胸に食い込んできて苦しい。
「君ら、なんかあった?」
「……やっぱり、そう見えますか?」
「うん。分かりやすすぎだよ」
「レイヴンには、私には言えない秘密があるみたいなんです」
いつものように強がって自分の中だけに仕舞い込んでおけないぐらいに辛くて、つい弱音をこぼしていた。
「私は、立場を利用してそれを無理やり聞き出そうとしました。彼が怒って当然のとこをしたんです」
「僕には、あの男をムキにさせたということに意味があるように思えるけれどね。どうでも良いことに対して怒る生き物はいないだろう」
ハッとしてうつむき気味になっていた顔をあげたら、シュカはレイヴンの出て行った方を見つめながら呟いた。
「さっきの彼は、いかにも人間らしいように見えたよ」
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