第22話 聖水を求めて

 レイヴンが備品の調達から戻ってきたのを皮切りに、三人はシェレンを発った。

 レイヴンは見慣れてきた軍服姿、シュカは酒場で出会った時と同じように深緑色のローブを身に着けていた。その姿は研究者というよりも魔法使いのように見える。

 迷いのない足取りで街道を突き進んでいくシュカに声をかけた。

「シュカさん。馬車に乗らなくても良かったんですか?」

「うん、その必要はないからね。ここから歩いていける距離だし」

「ええっ!?」

 てっきり前人未踏の土地に足を伸ばすものだと思いこんでいたので驚いた。二人を導くように先を歩いていたシュカは目を丸くしているネモフィラを振り返って「本当に良い反応をするね」と笑っている。

「ほら。ここからも山が連なっているのが見えるだろう? ローデルタの森とは反対の東方面へ進んだ方、フラクス山脈の一角に目的の洞窟はあるんだ」

 彼の指差した方面には、険しい山々が連なっている。フラクス山脈は、イルミネイト王国の中心部から西に外れた辺りを縦横に走っている小さな山脈だ。

「地理の授業で、名前を聞いたことがあるような気がします。でも、既に広く認知されている場所ですよね? 一見すると分かりづらい場所にあるんですか?」

 特別に有名な山脈というわけでもないが、中等学校の地理で地名を習うような場所だ。聖水の在処は王国の存亡に直結するので、国の方でも総力を挙げて調査をしていたはずなのに、何故シュカにしか見つけられなかったのかが不思議でならなかった。

「いや。辿り着けば分かるけれど、入り口はいかにも洞窟然としていて、とても分かりやすいよ」

「それならどうしてシュカさん以外の誰にも見つけられなかったんでしょうか。それに、エルド王子の捜索隊の方には場所もお伝えしたんですよね?」

「うん、彼らは特別にやかましかったからね。でも、探している場所ではなく、人間の方が間違っているから意味がないんだよ」

「ええと……どういうことですか?」

「これ以上は秘密」

 シュカとの会話が途切れてしまった。

 かといって、あえてレイヴンに話しかけるような話題も見つからない。もはや、今までどんなことを話していたのかも分からなくなってしまった。くだらないことで話しかけてまた手酷く拒絶されようものなら、今度こそ心が折れそうだ。

 無難を取って無言のまま、二人で黙々とシュカの背中を追いかける。

 シェレンを発ってから一時間程度は歩いた。途中で街道を外れ、道なき荒れ地を山々が連なっている方へ目指した。その麓までたどり着き、今度は山道を進んだ。疲れてきたところで、シュカが急に立ち止まったのでつられて足を止めた。

「ほら。辿り着いたよ」

 弾かれたように顔を上げると、シュカの指差している先にはたしかに洞窟の入り口が存在していた。

 山の麓のある一角に、先の見通せない黒々とした大きな穴がぽっかりと空いている。

 まるで誰かがやってくるのを待ち受けていたかのように堂々と。

「ここが、その洞窟ですか?」

 信じられない気持ちだ。

 その大きな入り口を指差す手が震えた。

「うん。間違いないよ」

 この先に、呪大樹の瘴気を抑える効力を持った水が湧いているのだ。

 今の王国民全員が待ち望んでいる希望そのものが。

 無意識の内に拳を握っていた。心臓が波打って、身体が興奮してきた。

 意気込んで足を踏み入れようとしたら、隣に立っていたレイヴンの腕に遮られた。

 不思議に思ってレイヴンを見やると、彼の意識はシュカの方へと向けられていた。

「念のための確認ですが、本当にここで合っているんですよね? こんなに分かりやすい場所にあるのなら、シュカ殿以外の研究者にもとっくに見つけられていたように思いますが」

「ああ、聖水が湧いているのは間違いなくこの洞窟の奥だよ。信じるか否かは、君らに任せるけれどね」

 レイヴンはため息を吐いた後、ネモフィラの蒼い瞳を見つめた。

「ネモフィラ様はどうお考えですか?」

「私は、シュカさんを信じるよ。たしかに信じがたいような場所だけど、一度信じてみないことにはシュカさんが嘘を吐いているのかどうかも分からないでしょ?」

「かしこまりました」


 洞窟の内部はひんやりとしていて、外よりも大分気温が低かった。自然と肩を震わせていたら、レイヴンから「寒いですか?」と尋ねられた。

「少し寒いかも」

「これを羽織っていてください」

 さっと脱いだ軍服のジャケットをスマートに着せられたので、びっくりして肩が跳ね上がった。気にかけてもらえたことが嬉しくて、首筋のあたりが熱くなる。

(レイヴンは、今朝のことを怒っているわけではないのかな)

 気になったけれども、氷解してきた空気を壊したくなかったので、わざわざ掘り返すことはしなかった。

「ありがとう。でも、レイヴンは寒くないの?」

「ええ。多少は鍛えておりますので」

「ちょっと。これからっていう大事な局面でイチャつかないでくれるかな」

「何度も申し上げている通り、私はこのお方の護衛に過ぎません。そのようなご冗談は慎んでいただきたい」

 シュカに向けて冷静に放たれたレイヴンの言葉は間違っていない。それなのに、もやもやとした気持ちが膨らんでしまって、ネモフィラは言葉を継げなかった。

 洞窟の奥は、視界の利かない暗闇で満たされている。

 一向はレイヴンが備品として所持してきたカンテラの灯りを頼りに先へ進んだ。

 三人分の足音が、洞窟の壁にあたって反響する。

 分かれ道もなく真っ直ぐな一本道をひたすらに突き進んでいくと、いつの間にか入り口から差し込む光も見えなくなっていた。

「エルド王子も、ここに来られたということですよね」

「うん。最悪この洞窟内のどこかに死体が転がっているかもしれないね。……あー、ハイハイ、君らの言いたいことはよく分かっているよ。口を慎め、ってね」

 この男は、エルド王子に個人的な恨みでもあるのだろうか。最初はこの破天荒な言動に一々開いた口が塞がらないほど驚いていたのだが、感覚が麻痺してきたようで慣れつつあった。人間の適応力とは恐ろしいものだ。

「……どうか、ご無事であれば良いのですが。エルド様が王都を発たれてから、そろそろ三週間近くが経ちますね」

 レイヴンに至っては、シュカの発言を無に帰している。

「そうだね。どうか、ご無事だと良いね」

 三人に重たい沈黙が舞い降りる。

 洞窟内は不気味に思えるほど静かだ。蔓延っている苔等の植物を除けば、生物の気配すらしない。エルド王子がここにやってきた痕跡を見逃さぬよう目を凝らしながら、奥へと進んでいく。

 洞窟に足を踏み入れてからどのぐらい経ったのかも分からなくなってきた頃、ネモフィラは沈黙に耐えきれなくなって口を開いた。

「シュカさん。後どのぐらいで聖水の湧く場所に辿り着けるか分かりますか?」

「そろそろじゃないかな」

「えっ。本当ですか?」

「既に通路が狭くなってきている。この道は、扉に阻まれている場所に辿り着くんだ」

 駆け足気味で先を急ぐと、どんどん道幅が狭くなっていった。通路の幅が、三人が横一列にぎりぎり並べる程度になった時、目の前に古ぼけた木の扉が現れた。

「これは……人工の扉ですよね。しかし、誰が何の為に作ったのでしょうか」

 ネモフィラもレイヴンの抱いた感想と全く同じことを考えていた。この扉は、どう見繕っても人工物だ。自然に任せていてこのようなものができるわけがない。

 シュカは、訝しむ顔つきになっている二人とは対照的に、どこまでもマイペースな様子だ。

「ふふ。いかにも異世界に繋がっていそうな古めかしい扉で風情があるだろう?」

「シュカさん、真面目に答えてください! これは、どう見ても誰かが作ったものですよね?」

「まぁ、順当に考えればそうだろうね。ただ、僕からはこの先に聖水が湧いているとしか答えようがない」

 背筋に緊張が走った。

 誰が何のために作ったかも怪しい扉。その先に聖水が湧いているとシュカはいう。

 レイヴンは、一人扉の前に歩み出た。

「この扉は、押せば開くのですか?」

「そうだよ」

「念のために、ネモフィラ様は下がっていてください」

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