第6話 紅茶に誘われて

 ライデンはネモフィラと二人きりで話したいことがあると言って、ダリトとレイヴンを執務室から下がらせた。

「突然のことで、驚いただろう」

 ライデンはじっとネモフィラの顔を見つめた後、ふっと表情を和らげた。

「綺麗だ。リリアによく似ている。君が立派に育ってくれて、本当に良かった。私にこんなことを言う資格はないのだけれどね」

 それまで彼の放っていた一国の王としての威厳が失せて、ネモフィラも自然と強張っていた身体の緊張がほどけた。

「リリアというのが、私の実の母の名前でしょうか」

「ああ、リリア・ブルームだ。彼女とは、私がちょうどウィールの視察をしていた際に知り合った」

「母は、どんな人だったのですか?」

 ライデンは考え込むように口を閉ざした後、まなじりに皺をよせて微笑んだ。

「一言ではとても言い表しきれないが……とても、自然体な人だったように思う。私のことも、王子であるからといって特別扱いをしなかった。そのことで周りから窘められたりもしていたようだが、私にはそれがとてもありがたかった。彼女の隣にいる間は、何者でもない自分でいることができたから」

 懐かしそうに語るその穏やかな顔つきからは、ネモフィラの記憶には残っていない実母リリアに対する想いが察せられた。

(最初は怖そうなお方だと思ったけれど、こんなに優しい顔もするんだ)

「本音を言えば、私は側室としてリリアを城に連れて行きたかったんだ。しかし、彼女はその申し出を拒んだ。『私に王城での暮らしは似合いませんので、これからもこの田舎町で生きてゆきます。ですからライデン様も、私との間にあったことは全てお忘れになってくださいませ』と笑っていた」

 ライデンの瞳に蔭りが差した。

「各地の視察を終えてようやく王城へと帰り着いた後、リリアは病で亡くなったと聞いた。私はその数年後に君が生まれていたことを知ったのだ。リリアの妹と彼女の夫から、君がオーデル家の一員として元気に育っていると報告を受けた時は安堵した。本当は、一生君に顔を合わせる気はなかったのだよ。君は花屋の娘として幸せそうに暮らしていると聞いたし、なにより私には会う資格などないと思っていたから。しかし……こんな非常事態に不謹慎ではあるが、君に会う機会ができたこと自体は嬉しく思っている」


 夜が訪れ、見張りの兵以外の者が寝静まった頃。

 ネモフィラは天蓋付きの広い寝台に身体を横たえながら、落ち着かない気持ちでいた。

(なんだか、長い夢でも見ているみたい)

 慌ただしいが、事態がのっぴきならないため、翌朝には王都を出発することになっている。そのため明日も朝が早い。疲労を回復させるために一刻も早く眠るべきなのだ。

(でも……そわそわして、全く寝つける気がしない)

 この数日間に起きた出来事が、走馬灯のように頭の中を駆け抜けていく。

 アンネの墓石を訪れ、その死を悼んだこと。

 ダリトから、自分は国王の血を受け継いでいるのだと告げられたこと。

 ラスター城への訪問。現国王であり実の父でもあったライデンとの初対面。

 そこで聞かされた、イルミネイト王国がいま直面しているとんでもない危機。

 明日になったら、消息不明になっているエルド王子の代わりに旅立つ。先日までは一国民として、彼が無事に帰還することを祈っているに過ぎなかったのに。

 脳が混乱をきたしているのも無理な話ではない。

 いくら瞳を閉じていても、眠気の波にさらわれそうになかった。

 眠れない夜は、無理に寝ようとして力むほど余計に焦ってしまうものだ。

 ネモフィラは、雷恐怖症の妹を見て、そのことを学んでいた。

(泣きじゃくるプリムラに、よくミルクティーを淹れてあげていたな)

 それから妹の頭を撫でてやった。彼女がようやく寝息を立て始めた頃、今度は自分の方が眠れなくなってしまって同じように紅茶を口にした。そのやさしい味に心を鎮められた時、初めて自分の身体も震えていたことに気がついた。どうやら自分のことには無頓着になるほど、妹に泣きやんでほしくて必死だったらしい。

 懐かしい記憶に浸っていたら、不意に紅茶を飲みたい気持ちがもたげてきた。

(たしか、城内を案内された時に、この部屋の近くにキッチンがあった気がする)

 息を潜めながら、忍び足で部屋を出る。

 寝静まった夜の王城は、どこか気味が悪かった。

 この部屋へ案内してもらうまでの記憶を手繰り寄せながら、やわらかい絨毯を踏みしめて進んでいく。

 悪いことをしようとしているわけではなのに、やけに胸がドキドキした。

 幸いにも見張りの兵に見つかることなく、無事に目的の場所へたどり着くことができてネモフィラは一安心した。

 部屋に入って灯りを点けた時、家の何十倍もの広さのあるシンクと、ずらりと並んでいる食器棚が目に入ってきて軽く眩暈がした。

(まさか、茶葉と食器を探すこと自体が大変だなんて思いもしなかった)

 ここは一国の王城だ。考えを巡らせれば分かりそうなものだったが、迂闊なことをしてしまった。

(でも、諦めたくないな。もう紅茶を飲みたい気分になっちゃったし)

 どうせ横になっていても眠れないのだ。気休めかもしれないが、あえて身体を動かしていた方が寝つけるような気がした。

 そう思いなおし、ひとつ深呼吸をしてから食器棚の一つを開いたその瞬間だった。

「誰かそこにいるのか」

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