第1話 亡き親友の下へ
イルミネイト王国は、大海の中にぽつりと浮かんでいる島国だ。
王国の中心地をやや南に外れた場所に位置する田舎町のウィール。この地には王都の喧騒から程遠いのんびりとした時間が流れている。うららかな日差しが、町の至る道端に咲く小さな花々に降り注いでいた。
のどかなこの町の片隅に店を構える花屋ブラムブルは、本日も盛況の様子だ。
「いらっしゃいませ!」
「ネモフィラちゃん、久し振りだね」
「わあ、トトさんお久し振りです! お元気そうな顔を見られて嬉しいです」
花屋の看板娘ネモフィラ・オーデルは、大きな蒼い瞳をぱちぱちと瞬かせながら身なりの良い紳士の来店を歓迎した。
「また少し背が伸びたんじゃないかい? 大人びて、どんどん綺麗になっていくね」
「またまた、やめてくださいよ。トトさんはお世辞が上手なんですから」
「お世辞じゃないんだけどなぁ」
トトは年に数回この店にやってくる大事な上客だ。
来店頻度こそ高いわけではないものの、訪れるたびに高価な花束を買ってくれる。
(今日もお洒落なスーツをばっちり着こなしているな)
彼が袖を通している紳士服からは、いつも都会の洗練された香りがする。
トトはこの田舎町ではなく、王都に暮らしている人間だ。
ここから王都ルミナスまでは馬車で四時間ほどかかる。
王都にこそ花屋なんてそこかしこに溢れているだろうに、トトはネモフィラの父ヴァレンと旧知の仲なので律儀にここまで足を運んでくれているのだ。
「今日は、赤系の花束をお求めでしたよね?」
花は生き物なので、無暗に在庫を抱えておくことはできない。そのため、突然の来店だと在庫不足でお客様の希望の品を提供できないことがある。
その点、トトのように事前に予約さえしてもらえれば、あらかじめ特定の種類の花を重点的に仕入れることができるので非常に助かっている。
「ああ、両手一杯に広がる豪華なものを頼むよ。明日は妻の誕生日なんだが、彼女の好きな赤い花束を贈りたいと思っていてね」
「素敵! 相変わらずの愛妻家ぶりですね」
「ふふ、妬けてしまうだろう」
「はい、妬けちゃいます。はぁ、私にもトトさんみたいな素敵な紳士が現れないかな」
「おやおや。気になる相手はいないのかい?」
(気になる人か。はは、全然ピンとこないや)
ネモフィラは十五歳で中等学校を卒業し、家業の花屋を本格的に手伝うため高等学校には進学しなかった。学生を卒業してから、もう二年が経つ。
学生時代には人並みに気になっている人もいたが、今となっては当時に恋心を抱いていたはずの相手の顔もぼんやりと霞みがかっている。
そして、働き始めてからは全く出会いがない。
今をときめく十七歳のはずなのだが、自分でも笑ってしまうほど枯れている。
(私には恋人の代わりに可愛い弟と妹がいるから、淋しくなんてないもん)
十二歳の弟ポピーと十歳の妹プリムラは、彼女の心の支えである。
二人の無邪気な笑顔を見ていると、疲れも吹き飛んでしまうのだ。
「良いんです。私は家族のためにも仕事に生きていこうって決めているので!」
「はははっ。若いのに、ネモフィラちゃんはたくましいね!」
「そうです! このご時世、女もたくましくないと生き抜いていけませんからねっ」
(私ってば、トトさんに何を力説しているんだか)
少しだけ切ない気持ちになり、空笑いが漏れた。
気持ちを切り替えるべく、注文の品の最後の仕上げに取り掛かることにした。
トトは赤い薔薇をふんだんに使った深紅の花束を受け取ると、満足そうに頷いた。
「いつもありがとう。では、また来るね」
トトを見送るため一緒に店を出ると、その頃にはちょうど日が真上に昇っていた。午後からは休みを取っているので、今日の仕事はここまでだ。
ネモフィラは午後の店番を頼んでいる従業員が現れたのを見届けると、店のバックヤードに下がった。仕事着から質素な黒いワンピースに袖を通す。このまま家に帰るだけならばわざわざ着替えることもなかったのだが、今日は王都を訪れる用事があった。
ウィールから王都ルミナスまで赴くには、それなりの時間と料金がかかる。そのため特別な用でもない限り滅多に行くことはないが、今のネモフィラには一刻も早く王都を訪ねるべき理由があった。
王都のとある場所に、学生時代の一番の親友だったアンネ・リデルが眠っているのだ。
アンネが目を醒ますことは、もう永久にないのだけれど。
(アンネ。今から、会いに行くからね)
親友のアンネが亡くなったという知らせを受け取ったのは、つい一週間前のことだった。
中等学校時代に一番仲良くしていた彼女が若くしてこの世を去ったと聞いた時には、胸が潰れてしまいそうなほど悲しかった。もうこの世界にアンネはいないだなんて今でも信じられない。
アンネが瘴気に侵されていることが判明したのは、約二週間前のことだ。
そうと分かってすぐに、彼女は住んでいた南の町ロッカから王都まで連れていかれた。王城には、瘴気に侵された人間専用の療養室が備えつけてあるのだという。
アンネが王城に運ばれたと聞いた時は、激しく動揺して泣き崩れた。
一度そこに入ったら最後、面会謝絶になる上に、再び元気になって帰ってくる者の話は耳にしたことがなかったからだ。国民は、瘴気は不治の病なのだと本能的に恐れている。
アンネも例外ではなく、一気に症状が重くなり、そのまま亡くなった。
葬儀すら執り行われなかったので、まだろくにお別れもできていない。
王都には、アンネのように瘴気で亡くなった者を弔う目的の墓地がある。
ルミナス行きの馬車に乗りこんだネモフィラの表情は、先ほどトトを接客していた明るい娘とは別人であるかのように憂いに沈んでいた。
馬車から降り立つと、既に日が沈みつつあった。
顔をあげると、だだっ広い墓地が広がっている。
人の気配を感じられない淋しい場所だ。
ここは、王都ルミナスの最南部にあたる第三区内。
イルミネイト王国は、領地の北に行くほど地価が高い。そのため、王国の中でも最北端に位置するルミナスにはまず金持ちしか住んでいない。
そして、王都内でも貧富の差によって住まう区域が分かれている。
一番南が第三区。ここに瘴気で亡くなった者を弔う墓地と、富裕層が暮らす住宅街が広がっている。トトが暮らしているのもこの区域だ。第三区を北に行くと商業区が広がっている。商業区を北に抜けると貴族の住まう第二区。そして、海の望める最北の第一区にラスター王城が聳え立っている。
ネモフィラは、恐々と墓地の敷地内に足を踏み入れた。
数えきれないほどの墓石がずらりと立ち並んでいるその光景には、胸に迫るものがあった。
墓石に刻まれた没年月日に注目しながら、芝生の上を進んでいく。
連なるようにして建っている墓石の前を通り過ぎていき、やっとのことでアンネ・リデルの名を見つけることができた時は胸がどきりと高鳴った。
放心したようになって、その名を食い入るように見つめる。
(アンネは……本当に亡くなったんだ)
頭では分かっているつもりだったが、再びアンネが死んだという事実を目の前に突きつけられて、喉の奥がぎゅっとすぼまった。目頭に熱い涙が浮かぶ。
アンネだけでなく、この墓地の見渡す限りに建てられている墓石の下には、瘴気によって亡くなった人々が眠っている。
(瘴気で亡くなった人がこんなに多かったなんて、知らなかった)
あらためてイルミネイト王国を脅かしている瘴気の恐ろしさを痛感し、身震いした。
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