一月十五日

「とりあえず言われるがままに現場付近に来ましたけどね」


「どうした、のどでも乾いたのか?」


 刑事たちが持ってきた資料には、一人目の被害者・睦月七海が被害にあったと思われる場所が書かれていた。今私たちが歩いているのは、当時彼女が住んでいた場所の最寄り駅から彼女の家までの道のりを、歩いて調査しているところだ。

 彼女が使っていたのは、住宅街の中を通る道だ。普段からこの道を使っていることは、彼女の住むアパートより先に住んでいる友人から証言が取れており、当日最寄り駅で別れた友人も、こちらに向かって歩いて行ったと証言している。

 まだ夏までは少し遠いが、日が照りつける中歩き続けていると、流石に汗が噴き出してきた。ジャケットは、車の中に置いてくるべきだった。


「水筒なら持ってきているので結構です。現場付近に来て、何かわかるんですか?」


「もし犯行現場の話をしているなら、答えは限りなくNOに近い。人海戦術が売りの警察が血眼になって探しても見つからないのに、目が肥えていない私がわかるわけがない」


 それじゃあ一体何を調査しているというのだろう。


「末治、女性が一人暮らしを始める上で、確認しておかなくてはならないものはなにか、わかるか?」


 突然問いを投げかけられて驚く。女性が一人暮らしを始めるときに留意することなど、一つではないのか?


「周辺の治安、ですか?」


「うーん、まあ合格点だね。でも、私が答えてほしかったのはあれだ」


 彼女が指さした先を見つめる。そこには、電信柱に設置されていた電灯があった。もちろんなのだが、今は昼間なので電気は点いていない。


「周辺のコンビニを周って治安を確認するのもいいんだが、特に駅から自宅までが離れている場合は、実際に歩いてみてどこに電灯があるのか確認した方がいい。引っ越した後、夜道を歩くときに周辺が真っ暗で何も見えない!なんてことはごめんだからね」


 なるほど、私は一応男だが、覚えておくことに越したことはなさそうだ。

 探偵はさらに続ける。


「さらに、電球でも蛍光灯とLEDでは明るさが全く違う。ここの電灯はLEDだし、設置されている間隔からしても、夜道が真っ暗ということはなさそうだね」


「確かに。あ、でもそうしたら、闇に紛れて犯人が近づくことって無理ですよね?抵抗した後もなく背中を一突き、おまけに住宅地なので被害者が一人で歩いていた確率は低そうじゃないですか?」


「そうだね、ただに限られるけどね」


「え?でも、ここにはいつもこの道を歩いて帰っていたとも、こちらに向かって歩いて行ったとも」


、だけだろ?どこにもだなんて書いていない。こっちに来てみろ」


 探偵はたった今歩いてきたばかりの道を引き返し始めた。三分ほど歩いて戻ったところで、突然止まる。そして、彼女の右手側、駅から歩いてくれば左側に見える道をじっと見つめ、そちらに向かって歩き始めた。慌てて私もそれを追いかける。


「なんですか、こっちになにかあるんですか?」


「さっきの話を思い出して、周辺をよく見て」


 そう言われると、先ほど指摘された通り周辺を見ながら歩くしかない。それでようやく気がついた。電灯の数が、先ほどの道と比べて圧倒的に少ないのだ。

 また、住宅もいくつか並んでいるが、『売家』という看板や明らかに廃屋というような建物が並んでいる。


「ああ、もしかして」


「そう、そのもしかしてだ。資料に載っていた写真と住所を照らし合わせてみろ、あそこが当時、被害者の住んでいたアパートだ」


 指さされた先を見ると、先ほど見た資料に載っていた写真と同じアパートが建っていた。


「今歩いてきた道は、このアパートに向かう近道だ。先ほど折り返してきた場所から、ここに着くまでの時間が同じにも関わらず、さっきの道からはアパートは見えなかった。もしこんな便利な道があったら、お前はどうする?」


「もし、急いで家に帰りたかったら、近道を選ぶかもしれませんね。例え道が暗くても、急いで歩いていけば一瞬だから」


 恐らく彼女は、当時被害者は先ほどの道を歩かず、こちらの道を使ったのではなかろうか、と考えているのだ。だが、それは急いで帰りたいという理由があれば、という前提の元だ。勿論私があのアパートに住んでいたとしても、普段の帰り道に、この薄暗く人の気配がないこの道を使いたいとは思わない。

 もしこの道で被害者が凶行にあったとするのなら、何か証拠が残っていないだろうかと思ったのだが、これはさすがに警察も考えただろうし、仮に捜査が入っていなかったとしても、一年以上の年月が、その証拠を消してしまっているだろう。

 電柱につけられた電灯を眺めていたが、目線をアパートに移す。

 あのアパートの一室に、被害者は住んでいた。だが、もう一年以上が経過しているため、部屋は引き払われているだろう。もしかしたら、別の人間が住んでいるかもしれない。

 かつてその部屋に住んでいた女性を想って、そっと目を閉じる。彼女が何の神を信じていたのかはわからないが、冥福を祈ることはできる。

 まだまだこれからだっただろうに、事件を解決するために、私もできるだけ尽力しよう、今はまだ難しいかもしれないが、安らかに眠れ。

 仙谷はしばらくその周辺を歩き回っていたのだが、なにか見つけられたのか、それともなにも成果はなかったのかはわからないが、車に戻ろうと言った。


「そもそも犯人は、どうして月の異名を持つ人間を殺そうとしたのでしょうか」


 周りに誰も人間がいないことを確認してから質問する。最初の頃は、場所をわきまえず質問して、周りの人を驚かせて、よく怒られたものだ。


「あくまで想像の範疇だけどな、例えば誰か一人を殺すために、カモフラージュとして殺したとか」


「それ、相当な労力がないと難しそうですね」


「想像だと言っただろう。後は一番嫌なパターンの愉快犯。ああ、なんだかクリスティが読みたくなったな、しばらく読む暇はなさそうだというのに」


「そのクリスティがどうだかは知りませんが、読む暇がないのは自業自得なところがありますよ」


 それを言うと痛いところを突かれたようで、目じりを下げて困った顔をする。


「それは仕方ないだろう、犯人は待ってくれやしないんだから」


 そう言われれば黙るしかない。

 先ほど刑事たちがこの事件を持ってきたときに、所長が戸惑っていたのには理由がある。実は彼女は、いや、この探偵事務所はすでにもう一件依頼を抱えているのだ。

 勿論だからといって、片方をないがしろにするわけにはいかない。

 この連続殺人事件の犯人を、いつまでものさばらせておくわけにはいかないし、もう一件の依頼も、到底無視できるようなものではないのだ。しかし、後者には少しばかり時間がかかるため、そういった意味での余裕はある。実は、どちらかというと、依頼を受けるのをためらっていたのは時間的余裕のある方なのだ。ただ、どうしてためらっていたのかは聞いていない。


「もし仮にですよ、誰かを殺したくてカモフラージュしていた場合、犯人は誰を殺したかったんですかね?」


 車に戻り、運転席に滑り込みながら質問する。まだ夏は遠いが、しばらく放置していた車内は少々暑い。だが、車内という外界とは切り離された空間に入ることによって、周りの目を気にすることなく会話できる。助手席の探偵は難しい顔をしている。


「さあね、簡単にわかれば警察も私のところに依頼してこないよ。おまけに、その可能性を視野に入れて警察は動いているだろうし、大体こんな大掛かりなことをやらかそうと思う人間なんて早々いないよ」


「それはそうなんですけどね、それよりまず、月の異名を持つ人間を探し出すって手間だけで苦労しそうですけどね」


 私がそう言うと、仙谷は片方の眉を吊り上げて「お前は何を言っているんだ」という顔をした。これは別に比喩でもなく、本当に何を言っているのかわからないと心の内で考えている顔なのだが、今の発言に何かわけのわからない部分が含まれていただろうか。


「一つ念のために確認しておくが、お前は現代人か?」


「はい?そりゃあまあ、平成生まれですし現代人でしょう?」


 そう答えると、何故か一瞬睨まれた気がするのだが、気のせいか。


「答え方に問題ありだがまあいい、現代人ならSNSの一つくらいやってないのか?」


「SNS?ええと、大学の友人とかとつながっているFacebookとかならありますけど」


「そのアカウントは『大神末治』って名前か?」


「友人同士なんでそりゃそうですよ」


 そう答えたところで、仙谷は私の目の前にスマートフォンを突き出してきた。突然迫ってきた液晶画面に驚いて、思わずのけぞる。よかった、まだ車を出していなくて。

 だが、次の瞬間私は驚いて固まる。彼女が突き出した液晶画面には、教えたはずのない私のアカウントが表示されていた。


「ど、どうして?」


「何をそんなに驚いている?SNSのアカウントなんて、検索をかければ一発で出てくる」


 その言葉で、ようやく彼女が何を言いたいのかを理解した。もしかして、と私が紡いだ言葉を探偵が引き継ぐ。


「誰もがSNSをやっている時代、特定の名前を探し出すことは容易だ。小学生でもできる。おまけにプロフィールに経歴や職業、所在地までご丁寧に載せているやつもいる。インターネットで該当する人間を見つけ出して、あとはそいつが実在するか、どこに住んでいるのかを探すことに労力を費やすだけでいい。こんなのが得意な人間は、インターネットの世界にはごまんといるからな。もしも疑うなら、ネット掲示板のまとめサイトでも覗いてみろ。炎上して個人情報すっぱ抜かれた話がたくさん転がっているぞ」


「仮に、それが身内しか投稿を確認できない鍵垢というやつにしていても」


「無駄だね、検索すればひっかかる。最近では、それを利用して就職希望者がどんな人間であるか探ろうとする会社もあるくらいだ。まあ、私は助手の私生活を覗き見する趣味なんてないが、一応SNSには注意しとけよ」


 探偵はそう告げると、画面をフリックして私のプロフィールが映っていた画面を消去した。


「さて、いくら時間に多少の猶予があるとはいえ、時間は有限だ。次の現場を見に行こう、この場所から一番近いのは……」


「確か四番目の事件です。行きましょうか」


 エンジンを始動させ、ギアを入れ替えてアクセルを踏む。長い一日はまだ始まったばかりだ。


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