日が沈む

 結局暫くは食堂にいた秤谷と六波羅の二人は、昼食の時間まであの場所で話し込んでいた。誰が霜触を殺した犯人なのか、という議題である。

 だが、六波羅はやはり霜触を殺した犯人は、釣瓶であると主張し続けた。何を根拠にそこまで言い続けられるのだろうか、という点が甚だ疑問だ。

 螺旋階段をおりて自分の宿泊している部屋に戻ろうとしているところで、猛烈な眠気に襲われた。今までの慌ただしさで忘れていた眠気で、前日自分が一睡もしていない事を思い出した。


(この程度で眠くなるとは、やっぱり体力が落ちているのかな)


 周りに誰もいないのをいいことに、秤谷は自嘲気味に笑う。思わず声まで出てしまったようで、誰もいない空間に声が響き、少しだけ驚いた。

 一階に到着し、何時間かぶりに部屋に帰れることを楽しみにしていると、ある違和感を覚えて、自分の部屋の左手を見た。

 そこは、『処女宮』の部屋で、物言わぬ遺体となった霜触が眠っている部屋である。

 その部屋の扉が、ほんの少しだけ開いているのだ。

 開いている、といっても勿論ほんの少しなので、全開にされている訳では無い。扉と壁の隙間にドアストッパーのようなものを挟み込み、扉が完全に閉まってしまわないようにしているのだ。

 この部屋に最後に入ったのは、秤谷たちであるし、オートロックなので、全員が部屋を出た瞬間に、扉はロックされているはずなのである。

 もしも、鍵を開けて中に入っている人物がいるとすれば、全部屋の鍵を持っている管理人だけなのだが、彼とはほんのつい先程、食堂から厨房に向かって声を交わしたばかりなのである。

 その彼がこの部屋に来ているとしたら、建物内唯一の階段を降りてこなくてはいけないのだが、秤谷が降りてくるときに、管理人が彼を追い抜かして下に行ったことはない。

 だとしたら、今部屋の中にいるのは一体

 そんな疑問を抱いて部屋の前に突っ立っていると、そっと扉が動きを始めた。ゆっくり、辺りを伺うように。

 いや、実際に伺っていたのだ。首だけを突き出したその正体は、秤谷と目が合って、ギョッとしたように目を見開いたのだ。

 その人物は慌てて扉を閉めようとしたのだが、秤谷が咄嗟にドアノブを掴んだのと、自らが設置したドアストッパーによって、それは阻止されてしまった。


「佐曽利さん、でしたよね?ここで何をしていらっしゃったんですか」


 周りに気づかれないよう声を潜めて話しかけると、佐曽利は一瞬だけ睨むような顔つきになった。しかし、すぐ開き直ったようで、へらへらとした笑顔を貼り付けた。


「なにをしていらっしゃったかですって?そんなの見てわかるでしょう?自分のいる建物内で殺人事件が起こっただなんて聞いたら、確かめたくなるのが人間の性でなくって?」


 彼女とまともに話をするのはこれが初めてなのだが、こんなにも鼻につく話し方をする人間だとは思わなかった。最初はへらへらと笑っていた彼女だったが、段々と笑顔が妖しいものに変わっていく。もしかすると、関わっていけない人間だったのかもしれない。

 思わず一歩身を引いたときだった。螺旋階段の方がにわかに騒がしくなる。誰か二階以上にいた人間が降りてくるようだった。

 どうしようかと一瞬佐曽利を見たが、彼女もその音に気づいているようで、ますます妖しさを増した笑みを浮かべた。

 その笑みを見た瞬間、自分でもわけがわからず咄嗟に佐曽利を押しのけて『処女宮』の部屋に飛び込んだ。勿論、しっかりと扉が閉まるように、ドアストッパーを中に蹴り入れることも忘れなかった。

 ドアが閉まる音と施錠される音に、降りてきた人間が気づかないか不安だったが、扉を閉じていても聞こえるような音量で話をしているので、おそらく聞こえていないだろう。怪訝そうな声も聞こえなかった。

 思わず部屋の中に飛び込んでしまったが、これでは佐曽利と同罪である。頭を抱えながら彼女の顔を見ると、今度はにやにやという擬音が似合う含み笑いを浮かべていた。


「残念、この部屋に入ってしまったらあなたも同罪ね。で、せっかく入ってしまったのだから、何か面白いものはないか見てみない?私はさっき見てしまったけど、別の人間なら新しいことに気づけるかもしれないでしょう?」


「面白いものだなんて、ここは殺人現場です。それに、まだ霜触さんはここで眠っている、故人に失礼だと思わないんですか?」


「うわあ、さすがお医者さんってところかしら。こんな状況でもきちんと故人を尊重するのね、死人でも生人でも患者には変わりはない、みたいな言葉があったような気がするわ」


 秤谷は血の気が引くのを感じた。

 元医者とは、管理人と青柳しか知らないはずだ。もしかすると六波羅と識名も察しているかもしれないが、それ以外の人間には名乗った覚えはない。

 彼のその心中を察したのか否か、佐曽利はまだ含み笑いを浮かべたままで、今度は人差し指を立てて、少しだけ得意気に話始めた。


「なぜバレたのか?って思っているでしょう?そんなの簡単、あなたと一緒によくいる女の人との会話が聞こえてきたからに他ならないわよ」


 一瞬この女は、自分の身辺について何か知っているのかもしれないと疑ったのだが、それを聞いて少しだけ安心した。自分の知られたくない過去などの弱みを握っていたらどうしようかと思ったが、よく考えたら数日前に会ったばかりの人が、秤谷の過去を知る理由が見当たらない。しかし、どちらにせよ会話が盗み聞きされていたことには変わりはない。そこの部分だけが頭に来た。


「元お医者さんなら、この遺体の所見とかも言えるわよね?毒を食らわば皿まで、ってことで少し協力してくれないかしら?」


「僕は勝手に毒を食わされたんですがね。仕方ありません、少しだけ協力はしますが、勝手に部屋のものを触らないと約束してください。それと、一つだけお聞きしたいことがあるのですが」


「聞きたいこと?まあ、私が巻き込んだようなことになっているのは間違いないのだから、一つくらいは答えてもいいわよ」


「あなたは、一体何者なんですか」


 そう告げると、佐曽利は初めて見せる表情を見せた。自嘲気味に笑ったのだ。


「好き勝手にやっている探偵、ってところかな」


 そう答える口調も、鼻につくようなものではなくなっていた。

 秤谷があっけにとられている間にも、佐曽利は霜触が倒れているベッドの方に向かっており、その横で膝をついて合掌をしていた。その後に遺体を触ろうとしたので、思わず「あっ」と声を上げそうになったが、いつの間にか彼女は白い手袋をつけていた。


「遺体発見時から、特に動かしてはいないの?」


「え、ええ勿論。あと、もう死亡推定時刻から十二時間以上経っているので、死後硬直は全身に、死斑も指で押しても消えず、移動もしなくなっているはずです」


 その言葉を聞いて、佐曽利は霜触の腕に触る。秤谷の言葉通りに死後硬直が来ていたようで、「本当だ」と呟いた。


「これは?この左手首にぐるっとついている痕のようなものは」


「多分腕時計です。ですが、その腕時計自体はざっと見渡した程度ですが、この部屋にはなさそうなんです」


「そう、じゃあこの人じゃなさそうね」


 どういうことですか?と尋ねるより先に佐曽利は立ち上がると、ふう、と一息ついた。


「昨日だったっけ?女の子が、ブレスレットがなくなった、って言いながら探し回っていたのは」


「識名さんですね、どうも大切なブレスレットを落としたか、なくしてしまったようで」


「私もペンダントをなくしてしまったの」


 そう言って彼女は胸元を押さえる。彼女がどんなペンダントをしていたのか、そもそもつけていたかどうかもわからないのだが、今日の服装を見る限りでは、なんとなく首回りが寂しいように見える。おそらくペンダントを中心に洋服を選んだせいだろう。

 しかし、それがなぜ「この人じゃない」につながるのかがわからず、首を傾げていると、佐曽利は胸元を押さえたまま話を続けた。


「このペンダントは大切なものだから、基本的に肌身離さず身に着けているの。でも昨日の夕方に、着替えをするために一旦外して、着替えが済んだ後にお腹がすいたから、ペンダントをつけずに部屋を出てしまった。それで、食事を終えて部屋に戻ってきたらどこにもなかった。部屋中ひっくり返るように探してもよ?もうこれは誰かが部屋に入って盗んだとしか思えないじゃない?」


「そう言われれば確かにそうなんですが……。それでこの部屋に入ったんですか?」


「まあ、それは三割ね、最初に事件が起きたら、現場を確かめられずにはいられないって言ったでしょ?こっちはおまけ。で、入ってみたのはいいけど」


「霜触さんの腕時計も盗まれているのなら、犯人は彼ではないと?」


「百パーセントとは言えないけどね。もし彼が自分も被害にあったように見せかけているのなら話は別」


 そう言って佐曽利は部屋を見渡し始めた。それに倣って秤谷も辺りを見渡す。このときようやく部屋の中をゆっくり観察することができた。

 部屋の設備は、『天秤宮』の造りとなにも変わらない。クローゼット、ユニットバスのバスルーム、霜触れが倒れているダブルサイズのベッド。机とソファーも置かれているが、その全ては反転した形で配置されている。

 そして唯一大きく違う点が、壁についているボルダリングのような飾りである。

『天秤宮』の飾りは、てんびん座の形をしていたので、おそらくこちらはおとめ座を模した配置なのだろう。二つの部屋にこれがあるということは、他の部屋も同じような飾りがあるのだろう。

 しばらく佐曽利は部屋の中を自由に動き回っていたが、やがて満足したのか、扉に向かって歩いていき、ドアスコープから外に誰かいないか、確認し始めた。

 それを見ていた秤谷はあることに気づき、彼女を呼び止めた。


「佐曽利さんは、この部屋にどうやって入ったんですか?」


 それを聞いた不法侵入者は、にやりと笑うと、スカートのポケットをまさぐって、キラリと光るものを取り出した。それを見た瞬間、思わず口からため息が漏れた。


「ピッキング、したんですね」


「そう、よくわかったわね。ここの鍵は単純だから開けるのは簡単だったわ。だから、もしかするとこのオッサンを殺した犯人も、こうやって侵入したのかもね」


「ちょっと待ってください、それだとあなたが犯人だと疑われるようになりますよ」


 すると、誰が見てもわかるくらいの呆れ顔を見せた後、大きなため息をついた。


「今更気づいたの?普通最初に私がこの部屋から出てきた時点で、犯人が現場に戻ってきたとでも思わないものかしら?」


 そう言われればそうである。最初に疑うべきはその点だったのだが、焦りのあまり注意力が散漫になっていたとしか言い訳できない。


「ですが、佐曽利さんが犯人なら、僕が部屋に入って来たのをいいことに、一緒に殺してしまうでしょう?」


「確かにそうなんだけど、どうしてそんなに簡単に人を信じられるのかわからないわ。調子が狂いそう」


 秤谷は、昔よく言われたその言葉に思わず苦笑を浮かべた。

 その笑顔を見て佐曽利がどう思ったのかはわからないが、「もうここから出るわよ」と言って扉を開けた。

 もう時刻は夕方に差し掛かろうとしていた。長い一日の日が暮れる。

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