閉ざされた扉

 扉の前には、既にほとんどの男性陣が集まっていたのだが、蟹江だけが来ていない。だが、彼は来ていないというより、年齢を考慮して、管理人は呼ばなかったのだ。また、足を引きずっている牛島にも、あまり無理に手伝おうとしないで下さいね、と軽く忠告を受けていた。なぜなら、釣瓶の次に彼が一番張り切っていたからだ。ただ、なぜそんなに張り切っているのかはわからない。

 男性陣が玄関前に集められる一方で、残りの人間はそのまま食堂に待機したり、部屋に引き上げたり好きなようにしていて欲しいとの通達があった。扉が開けば、管理人が連絡するとのことであったし、この状況下で下手にストレスを溜めてしまってはよくないという判断からだろう。

 秤谷は改めて扉の前に立ち、もう一度力を込めて押してみる。だが、案の定扉はビクともしない。何か重たいものが扉の動作を妨げているのか、それとも閂のようなものがかけられているのだろうか。

 最初に扉の前に立ったのは、若い人間の中でも一番力のありそうな秤谷と釣瓶だ。

 男二人で突進を試みるのは、先程から数えて二回目なのだが、前回は六波羅が相方だった。正直なところ、彼は年齢の割に線の細い体格をしており、年下の釣瓶の方が、作業員のような印象を持たせるだけあって、力はありそうだ。

 先に秤谷が扉を押し続けていたので、それに倣って釣瓶も押し始める。しかし、すぐに埒が明かないと判断をして、少し距離を開けたところから突進を試み始めた。それを見た秤谷も、すぐに突進に移行する。最初はバラバラだったが、何回かの後に息を合わせて同時に体をぶつけた。それを何回も何回も行ったのだが、扉にはなんの変化もない。

 続いて魚沼と六波羅も横に並ぶ。こういった館なので、玄関は多少広くとってあるのだが、ここは建物自体が円柱の塔の形をしており、入口から建物中心までを細長い廊下で結んでいるために、横幅自体は成人男性四人が並ぶので精一杯だ。

 この四人で、何度もタックルを試みる。しかし、何度試しても、何度試しても扉はビクともしない。

 やがて息が切れた魚沼が、扉に手をつきながらぼやいた。


「この扉、なんでここまでやってもなんの変化もないんでしょうか」


 その言葉には、少しの焦りと怒りが含まれていた。

 ここにいる全員、彼の言葉に同意していたのだが、全て魚沼が代弁したために、誰も何もものを言わない。


「管理人さん、ここの玄関の様子が見える窓とかないんすか。てか、どうしてこの館には、窓そのものがないんすか」


 六波羅が、苛立ちを隠せていない口調で管理人に話しかける。彼の第一印象は、我関せずで何でも穏便に済ませてしまおうとするような人間だ、というものだったのだが、仮にそれが正解だったにしても、この状況なら誰だってこういう口調になるだろう。

 管理人は、申し訳なさそうな表情を浮かべつつ、自分も困惑しているような声音で答えた。


「結論から言いますと、外が見える窓はありません。というのも、オーナーがここを買い取った当時には、窓はいくつかついていたのですが、『星見の館』にするにあたって、屋上の天体ショーを見た時の感動を増やすために、わざと客室の窓を取り壊してしまったんです」


 六波羅は納得したのかしていないのか、「ふぅん」とだけ応えて黙り込んだ。

 続いて釣瓶が口を開く。


「ロープとかは、ないの?それを伝って屋上から降りるとか、そもそもこんな形の館なら三階に脱出用の器具があるはずなんだけど」


「それが脱出用の器具が、先日点検した際に故障しておりまして……。ロープもないわけではないのですが、外の倉庫に置いてありますので……」


 それを聞いて瞬間、釣瓶は誰にでも聞こえるような大きさの舌打ちをした。顔も明らかに苛ついている。

 これには秤谷も同意した。これでは、火事を起こしてくださいとでも言っているようなものだ。天井を見る限り、スプリンクラー設備の類は設置してあるようなのだが、それはあくまで防火、初期消火の為であり、火災現場からの脱出を手助けするものでは無い。

 もしも、玄関の扉が開くようになっていたとしても、火災が起こる場所によっては、多くの人間が取り残される可能性がある。

 改めて、自分はとんでもないところに来てしまったのだ、と自覚した。ここから出られれば、の話だが、一生忘れられない思い出になりそうだ。


「しかし、ここまで扉が開かないとなると、扉の動作を妨げているものは一体なんなんだろうな」


 牛島がボソリと呟く。確かにそれは気になることなのだが、正直この状況で原因を推測したとしても、正解がわからない以上、適切な処置がとれるとは思わない。

 すっかり沈んでしまった空気を切り裂いて、魚沼が明るい声を出した。


「とりあえずこんなところで悩んでいても仕方ありません。一旦戻って休憩しませんか」


 その言葉に、全員が少しホッとした表情を浮かべた。管理人も同様の表情を浮かべていたのだか、秤谷は、魚沼という青年が別にフォローをしたわけではないと思うぞ、と心の中で毒づいた。

 一同はぞろぞろと食堂に戻ったのだが、中にいたのは蟹江と初取の二人だけだった。

 二人は、食堂に入ってきた一同に気がついて、結果がどうだったのかと尋ねるつもりで駆け寄ろうとしたのだが、全員が浮かない表情をしているのを見ると、特に初取の方がわかりやすいぐらいに肩を落として椅子に座ってしまった。

 管理人が全員分の飲み物をとってくるので、好きな席に座ってお待ちください、と言って厨房に消えていった。

 牛島は蟹江と初取の元に、その他はそれぞれ椅子に座ったのだが、秤谷だけは何となく六波羅の側に腰掛けた。彼はちらりと一瞥をくれただけだったので、ダメだという訳ではなさそうだ。

 ややあって管理人が食堂に、お茶の入ったピッチャーと人数分のコップを、トレーに載せて現れた。コップを配り、それにお茶を注いで、飲み干すのが条件だったかのように、飲み終えたものから順次食堂を後にした。

 最後まで部屋に残っていたのは、六波羅と秤谷の二人である。

 秤谷はそれを見計らっていたかのように、管理人を呼び寄せて話を始めた。


「霜触さんの部屋は、今どうしていますか?」


 管理人は少し驚いた表情を見せたが、すぐ質問に答える。


「少し強めに冷房を入れています。それぐらいしか、出来ることはありませんので……」


 それを聞いていた六波羅が、少し興味を持ったように身を乗り出して話しかけてきた。


「霜触のおっさんは、いつ殺されたんでしょうか」


「ええと、発見された時は亡くなってから三、四時間、とのことでしたので、プラネタリウムの時間の前後ってところでしょうか」


「へぇ、随分の詳しいんすね。管理人さんは法医学の心得があるとか?」


「え?いいえ、死亡推定時刻を割り出したのは、こちらの秤谷様と青柳様でございます」


 管理人が秤谷を手のひらで指し示したので、思いがけない紹介に六波羅は目を丸くしているようだった。

 先程と同様に「法医学の心得が?」という聞かれ方をしたので、二人とも元医者である、と自己紹介すると、ああ、元職場の同僚ってそういう事なんですね、と納得してくれた。


「ところで、プラネタリウム前後の時間帯ってことは、あの時間に三階に上がってこなかった人間が怪しいと思わないっすか?」


「まぁ、実際三階に上がってこなかった人は何人かいましたが、直腸温度を測って死亡推定時刻を割り出しているわけではないので、多少前後してもおかしくはないです。つまり、その時間にいなかった人間が犯人とは限りませんよ」


 六波羅が言わんとしていることは、すぐに理解出来たのでそう切り返したのだが、彼はどこか納得していない、というよりまだ何か考えがあるようだった。


「秤谷さん、昨日の図書室で聞いた騒動、勿論覚えていますよね?」


「あ、ああ。霜触さんと釣瓶さんが揉めていたやつってことですか?まさかそれが動機で殺人を犯したと?お互いいい大人なんですから、それぐらいの事は水に流しているでしょう」


「いいや、それが案外ね、殺人の動機なんてこんな単純なものなんすよ」


 気取ったように人差し指を立てて話す六波羅の瞳が、一瞬キラリと光ったような気がした。だが、次の瞬間には、その瞳は食堂の外に向けられた。

 彼がじっと廊下の方を見ているので、どうかしたのだろうかと思いつつ、管理人と秤谷も廊下の方を見つめたのだが、ただ扉と壁があるだけで何もない。

 急にどうしたんだ、と半ば呆れながら目線を戻そうとした時、耳に廊下で誰かが話している声が聞こえてきた。


「……でしょ!……を……のは!」


 ハッとして管理人と顔を合わせる。

 声の主は、激高している女の人と思わしき声である。

 三人はそっと席を立つと、昨日の図書室と同じように、扉をほんの少し開きつつ、耳を傾けた。


「だから俺はなんもしてねぇよ!勝手に犯人にすんじゃねぇよババアがよ」


 こちらもまた、激高している男性の声である。この声は釣瓶のものだとはっきりわかった。そうすると、彼と言い争いをする女の人は、一人だけである。


「しらばっくれないでちょうだい!あなたは昨日、プラネタリウムの時間に出てこなかったし、どうせ霜触さんに言われたことに腹が立って殺したんでしょう!?」


 初取は、先程二人で話していたような内容を叫んでいる。この意見には確かに同意はできるのだが、何も証拠がないのにはなから決めつけて疑うのは、褒められたものではない。

 それにしてもキンキンと耳に障る声だ、と思いながら、秤谷はそっと耳を塞いだ。

 管理人はというと、招待客の諍いは自分が止めなくてはならない、というのは頭では理解しているのだが、こうも立て続けにこういった出来事が起こると、さすがにうんざりしているようで、明らかにめんどくさい、といった表情を浮かべている。

 しかし、止めなくては埒が明かないので、部屋を出ていった。彼の姿を認めた瞬間、釣瓶はフッと目線を逸らす。

 その様子を見ていた二人は、前回同様そっと扉を閉じたのだった。

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