最悪の夜明け

 サロンに戻った三人は、先ほど起こった出来事を青柳に報告する。

 返事は「そうなの」と素っ気ないものだったが、彼女と仕事をしていた秤谷には、この返事の意味が理解できた。

 彼女がこういう返事をするときは、一番混乱しているときなのだ。

 それを悟られないようにするためか、それとも自分に暗示をかけているつもりなのかはわからないが、どちらにせよ混乱していることには変わりはない。

 そのことを知っている秤谷は、新しいコーヒーを入れて青柳に手渡した。

 それを一口飲むと、少しは落ち着いたようだ。


「しかし、どうして扉が開かないのでしょうか」


 秤谷が切り出すと、管理人は腕を組んで考え出した。その間にちらりと時計を見ると、五時を回っていた。そろそろ夜明けが来てもおかしくない時間なのだが、なぜかこの館には窓がないので、日が昇るのを確認することはできない。


「まさか扉が壊れた、だなんてことはないっすよね」


「可能性としては低いですね。一応唯一の出入り口なので、一日二回は異変がないか確認していましたので」


 管理人はかぶりを振って答える。だが、それは自然に壊れた場合の話で、車や電話線のように誰かが意図的に壊した可能性は否定できない。外開きの扉というものは、外に蝶番がついているのだから、それを固められてしまえば扉は開かない。

 彼の「異変がないか確認している」という言葉に反応した青柳が口を開く。


「最後に確認したのは、昨日ですか?」


「はい。昨晩のプラネタリウムが終わり、皆様が部屋に引き上げられた後に確認しました。勿論その時には異変はありませんでした」


 青柳は「ふうん」とだけ返事をした。彼女がこういった気の抜けた返事をするときは、大抵何かを考えているときだ。

 それきり彼女は黙ってしまったので、質問は六波羅が引き継いだ。


「あとは、外から何かしらが扉を押さえつけているせいで、扉が開かないのでは、ってところっすね。それにしても管理人さん、あの扉ってあんなにぴったり閉まるもんなんすか?」


 その質問がよくわからなかったのか、管理人は首を傾げている。それを見て、今度は少しわかりやすいように、説明を含めながらもう一度質問をした。


「大体、扉を閉めるときってのは、どこかに空気の抜け道がないと、ぴったり扉は閉まらないんです。まあ、このことについては、扉を閉めたときの空気は多分三階部分から外に抜けているんだろうと思うんすけどね。で、問題はなぜあの扉があそこまでぴったり閉まる必要があるのか、ってところです。見た感じ、ゴムパッキンかなにかで隙間なく閉まっているんすか?外を覗けないくらい」


 そこまで言われると、流石に何の話かは理解したようだ。


「おそらく、ここが豪雪地帯だからでしょう。冷気が中に入り込んで、中が冷えてしまってはかないませんので。本当なら二重の扉なのかもしれませんが、今のオーナーがこの館を手に入れたときには、既にこういった形の扉でしたので、朽ちかけていたゴムだけを取り替えて今も使用しています」


 なるほど、これで二階に玄関がある理由に納得がいった。この館の地理的に、豪雪地帯であることには間違いないのだが、目撃はしていないのでなんとも言えないところだったのだ。

 質問した六波羅も、それで納得したようだ。


「でもまず、この館から出られないという根本的な問題は解決しませんね」


「そうなんすよねえ。あんなにぴったり閉まっているなら、外気温と室温の違いで扉が開かないのかな、と思っていましたが、真夏でも真冬でもないのにそれはありえなさそうっすね。せっかく最近読んだミステリのトリックが、現実で目にできるかなあと期待したんですが、そんなに現実甘くないっすね」


「うーん、私はそのミステリを存じ上げませんが、現実的に考えて、外から押さえつけられている、とかの方が現実的ですね。かんぬきがかかっているとか」


「閂って言ったって、引っ掛けられるような場所はあるんですか?」


「いいえ、なかったはずです。かつてはありましたが、この館を改装する際に、壊してしまいましたので」


 そうなると、壁に板を打ち付けて閂を取りつけたのだろうか。しかし、そうなれば打ちつけている音が、建物の中にまで聞こえてきそうだ。少なくとも、一旦外に出て管理人が、扉が開かないと言って部屋に戻ってくるまでの間に、そういった音は聞いてないような気がする。

 次は、扉の前に何かしらの障害物が置いてあり、それが邪魔をして扉を開けられないというもの。しかし、これも扉を開けられなくするほどの障害物を、この二階の玄関まで持って上がるだろうか?これをやっている犯人はわからないが、用意周到な人物で、かつ力持ちや複数人いないと厳しいのではなかろうか。それなら、閂になりそうな頑丈な板だけを持ってきて、どうにか取りつけた方が楽なような気がする。

 ただ、どちらにせよという疑問が残る。


「とりあえずどうにか外には出ないといけません。他の皆様が起きてこられて、事情を説明した後、男性陣で扉に向かってタックルでもしてみましょう。閂でもかけられているのなら、数人がかりでしばらくぶつかれば、そのうち壊れるかもしれません」


 という管理人の意見に、全員が賛成した。

 彼は安心したように頷くと、一旦朝食の準備に戻ります、と言って部屋を後にした。

 残された三人は、識名が起きないよう、少し離れた場所で、しかし彼女に何かあったらすぐにわかる位置で、顔を突き合わせて話すことにした。


「そういえば、管理人さんはどうしてあんなに慌てて外に出ようとしているんすか?」


 その言葉で、二人は六波羅がまだ霜触が殺されていることを知らされていない、ということを思い出した。

 お互いに顔を見合わせ目だけで、彼にこの事実を話してしまっていいのだろうか、と話し合ったが、最終的には宿泊客全員が知ることになるので、話してしまっても大丈夫だ、という結論になった。結局これは、どのタイミングで知らされるか、というだけの問題なのだ。

 霜触が殺された、という話は青柳の方から切り出した。ただ、殺害方法や部屋の状況だけは伏せた。問題は知るタイミングだけだ、と結論づけたが、相手は一般人であるし、もしかしたら容疑者かもしれないという可能性も捨てきれないので、あえて伏せたのだ。

 勿論、彼が殺人犯だとは思っていない。しかし、六波羅は霜触の隣の部屋に宿泊している。それがある以上、少しだけ疑ってしまうのだ。

 この館の中で殺人が起きた、と告げた瞬間、六波羅の顔が青ざめ、ショックを受けて動揺したようで、目が落ち着きなく動いた。当たり前だ、しかも前述の通り、現場は彼の真横の部屋なのだ。ただ、この反応が演技でないことを祈るだけだが。

 六波羅はしばらく思案していたようだが、やがて口を開いた。


「犯人は、まだこの中にいると思いますか」


 その声は、普段の砕けた話し方とは違い、愁いを帯びた声音だった。

 秤谷もそれを危惧しているのだが、先ほど青柳が何かを考えていたのを思い出して、彼女に何を考えていたのかを教えてほしい、と促した。

 すると、推測でしかないよ、と言って苦笑いを浮かべ、それを話してくれた。


「私が考えていたのは、まさしくそのことだよ、秤谷せ……秤谷くんよくわかったね」


 青柳は六波羅の手前、遠慮をしたのか先生呼びをやりかけて、途中でやめた。


「霜触さんが殺されたのが、昨日の二十一時前後。で、ここの扉が開かない、と言われたのが四時過ぎ。秤谷くんと管理人さんは一度外に出ているけど、それは一時過ぎ……くらいかな?少なくとも、その時までは開いていたんだ。私はあの玄関の防犯システムを知らないが、もし出入りがある程度自由なら、みんながプラネタリウムに夢中になっている間にこっそりと霜触さんを殺すことは不可能じゃない。その後に屋敷を出ていくものだ。もし、犯人が霜触さんだけを殺すことが目的なら、もうこの建物の中にはいないだろうね。夜通し山を歩いて、どうせ今頃麓にいるよ」


「屋敷を出ていった後に、この玄関をふさいだんですかね?」


「さあね、推測しかできないから何とも言えないけどね。もし霜触さんを殺した犯人と、玄関をふさいだ人間、また電話線や車を壊した犯人が同一人物なら、遺体を発見して警察に通報させるのを遅らせるためとか、館内の人間に罪をなすりつけたかったとかの理由で、こんなことをしたのかもしれない」


「もし殺人犯と、いたずらのようなことをした人間が別の人間なら?」


「これは願望だけど、そうは考えたくないな。館の中の誰かが殺した可能性も否定できなくなるし、館内のどこかに潜伏している可能性も否定できなくなる。それだけは嫌だよ、この館の中に得体のしれない殺人犯と一緒に閉じ込められるのだけはごめんだね。それに第一、外にいる人間が私たちを閉じ込める理由がわからない」


「共犯……の可能性はありますよね」


 六波羅の発言に、青柳はこれでもかと言わんばかりに顔をしかめてみせた。


「それだけは言わないで欲しかったな、犯人が私たちを全滅させるために建物内に潜伏している可能性が出てくるんだよ。この状況下で、最悪の状況を思い浮かべるのは精神面でいいとは言えないね」


 その態度に反射的に六波羅は謝罪したが、青柳の方も少し言い過ぎた、と言って謝罪した。

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