第八章 四日目 探偵事務所
星見の館へ
世の中には、他人の遅刻を許せるか否か、という問題が定期的に発生する。その遅刻と言うのも、様々な原因があるが、例えば電車の遅延などの自分にはどうしようもない出来事で遅刻した場合、これで怒る人間はそうそういない。次に寝坊や支度に時間がかかったなどで遅刻した場合、状況や相手にもよりけりだが、たまたま遅刻しただけ、というのなら仕方ないなで済ませられるだろう。
しかし、これが何度も連続したらどうか。さすがに温和な人間でも怒り出すのではないだろうか。
ところで、私がなぜ急に遅刻の話を始めたのか。それは、今助手席で眠りこけている所長が原因だ。
昨日のうちに容疑者のほとんどが招待されている星見の館に赴き、どういう意図があって彼らを招待したのかを聞き込みに行こうという話でまとまったのだ。
そして今日、昨晩のうちに潜入捜査まがいのことをやっている所員が帰り次第、合流して調査に向かうつもりだったのだが、まずここで最初のトラブルだ。
連絡がつかないのは前日からだったが、帰ってきてから何時に事務所に寄る、と約束していた時間になっても姿を現さない。館が山の中にあり、携帯が圏外になっているという情報は耳にしていたので、既に山から離れているであろう時間帯に電話をしてみたものの、相変わらず『おかけになった電話は、電波の届かないところにいるか……』というアナウンスが入るだけだった。
もしかしたら電話が使えないので電源を切ったままにしており、そのまま家に帰ってしまったのかもしれないと考えて家も確認しに行ったのだが、帰っている気配はなかった。そもそも、現代人が電話の電源を切ったままというのは、少しばかり怪しい話ではあるが。
そのため、まずここで計画が狂った。しかし、これだけならまだいいのだ。とりあえず、家やメールに『星見の館に行く』というメッセージを残しておけばいいのだ。そして出かければ、帰ってきたときに私たちがどこに行っているのは把握できるし、帰って来たならば連絡はくるだろう。
昨日はそういうことにして、私はいったん帰宅したのだ。そして翌日、そこまで遠いわけではないが、ある程度距離はあるので早めに出発するつもりで集合時間を設定していたのだが、ここで二つ目のトラブルが発生した。
時間になっても、所長が姿を現さないのだ。
基本的にないのだが、万が一所長がいなくても事務所に入って仕事ができるように、事務所入り口の鍵は預かっている。そのため、中に入ることは出来るのだが、この鍵で中に入れるのはあくまで事務所スペースまでだ。同じ建物内にある所長の住居スペースには入ることは出来ない。
一応外から直接住居に入ることができる玄関は存在するのだが、ここのインターフォンは壊れたままになっており、そちらからアプローチすることも叶わない。
勿論最初に電話はかけた。しかし、あろうことか所長はスマホを事務所に放置したままにしていた。扉を叩くこともしたが、寝室までかなりの距離があるようで、結局どんな手段を使っても呼び出すことは出来ず、仕方なく事務所スペースで気をもみながら待つことになったのだ。
所長が姿を現したのは、集合時間から五時間過ぎた十三時だった。
所長は目の下にクマを作り、叱られた犬のような顔をして出てきた。なんでも、昨晩夜遅くまで調べ物をしていたらしく、なんとか集合時間近くまでは起きていたらしいのだが、私が到着するほんの少し前に、うっかり意識を手放してしまったらしい。気がついたらこの時間だったようだ。
色々とイレギュラーなことが起こっているが、昨日刑事たちに『現地に向かいます』などと言うことを高らかに宣言してしまっているので、まさか予定を変更して明日現地に向かう、などということをやるわけにはいかない。おまけに、未だに連絡が取れない所員のことも気になる。だが、後者に関しては気をもみながら待っていても何も変わらないので、何かしら行動を起こすしかない。
そんなわけで、太陽が西に傾く中『星見の館』に向かっているのだ。おまけに進行方向が西に向かっているので、ちょうど日が差してきて暑いし眩しい。サングラスでも装着しようかと思ったが、運悪く助手席のダッシュボードに片付けてしまったし、寝ている人間を起こしてとってもらうのは申し訳ない。
時間のズレこそあれど、とりあえず無事に出発は出来たのだが、そういえばなぜ所長が徹夜(耐え切れずに落ちてしまっているが、果たしてこれを徹夜と呼んでいいのか)をした理由をまだ聞いていなかった。
調べ物、とは言っていたが、徹夜をするほど何を真剣に、それとも膨大な量の何かを調べていたのか。
ちょうどその時、心の声が聞こえていたかのように所長が目を覚ました。
「すまない、寝てしまった」
運転中なので横は見られないが、窓に寄りかかって寝ており、起きると同時にきちんと座りなおしたようだ。調べ物の内容にもよりけりだが、徹夜してしまって寝てしまうのは構わない。所長が今謝ったのは、私が常日頃「助手席で眠られるのは気にくわない」と明言していたせいだ。寝起きだがそれはしっかりと覚えていたようだ。
「まあ、今回はいいです。調べ物をしていて眠れなかったんですよね?初犯ですし、何を調べていたのか教えていただけるなら無罪放免です」
ほんの少しだけ冗談のつもりで嫌味を込めて言ったのだが、どうやら本音に捉えられてしまったようで、所長は再び謝罪をした。いや、謝ってほしいわけではないのだが。
「ちょっとね、三年前のあの事故について調べていたんだよ」
「近所のあの事故ですか?しかし、またなぜその事件を。なにか関係があるのですか?」
「結果をそう早まるんじゃないよ、ただね、近所で起こった事故だというのに、私はそのことにあまり関心を持っていなくて、被害者の名前、事故の顛末をほとんどといっていいほど知らなかった。おまけに、何か関係があってもおかしくないからね、ネット上の色々な記事を調べていたらいつのまにか日が昇っていたのよ」
なるほど、それが徹夜の原因か。だが、色々なネットの記事を見たというが、それは新聞社から個人が書いているようなものにまで及ぶのだろうか。もしそうだとしたら、特に個人が書いているものなど、憶測をまるで本当のことのように書くことができるので、信ぴょう性はないのではなかろうか。
「そんなことは十も承知だよ。その真偽の判定ぐらいできるさ、そうじゃないとインターネットは使いこなせないからね。その中でもなんとも面白い物を見つけてね、勿論嘘である可能性の方が高いのだけど、無視をするにはちょっと出来すぎているような気がするんだよね」
「はあ、そこまで言うんでしたら、きっと凄く興味深いものなんでしょうね」
「当たり前だよ。あの事故を引き起こした加害者は見つかっていないのは知っているだろうけど、個人が書いているサイトや記事の中に、どうやら警察がろくに捜査をしていない、といった趣旨のことを書いているものが多くあってね。一つだけならともかく、複数個あるとやはり少し気になってこないか?」
「まあ、そう言われると確かにそんな気もしてきますが、警察がろくに捜査をしてないというのはどこ情報なんですかね。複数個あると言っても、全部同じ人間が書いている可能性も捨てられませんよ。それに、昨日猿渡刑事が事故から三年経つ云々の通達があったって言っていたじゃないですか、それなのに警察が曖昧にしているとは考え難いのですが」
「それはそれ、これはこれ。そもそもこの、警察がろくに捜査をしていないというのも信じられない話ではないんだよ。ちょっと気になって三年前の日記を引っ張り出してきたり、珍しく近所に出て少しだけ聞き込みもしたんだよ。近所の人たちは、当時あまり警察がやる気のあるような捜査をしていなかった、聞き込みをしに来たのはいいが形式的に行っているような気がした、今まで毎日見かけていた車を最近見かけなくなったという証言をしたにもかかわらず、警察は犯人を捕まえられず一体何をしているんだ、と憤慨している人もいたね」
基本的に家から出ない所長が、自ら足を運んで聞き込みをするなど珍しいのだが、自分で珍しいなんて言うんじゃないよ、と突っ込みたかったが、最後に引っ掛かるものがあった。
「あれ、でも昨日目撃証言のようなものはなかったって言ってませんでしたっけ」
「言った。でもあれは警察の発表を元にしているものだし、聞き込みをするうちに同様の証言をした、という人間が何人か見つかった。まさか口裏合わせ的なものか、とも疑いはしたが、そんなことをして彼らに何のメリットがある?気にくわない人間がいて、それを陥れるためにそんな証言をするのならわからなくもないが、ここはそんなに近所との結束力が試されるような田舎じゃない。それに、まずこんなに証言が上がっているというのが耳に入らなかった、となるとまず何を思いうかべる?」
「警察に、圧力がかかった?」
そういうことだ、と言いながら所長は指を鳴らしてみせた。
警察に圧力がかかったというなら、昨日通達があったというのがよく理解できない。普通徹底して隠すものでは?という気もしなくないが、下っ端に変な疑問を抱かせないための対策かもしれない。そう考えたが、それを口にすることはない。
「もしも、本当に警察に圧力をかけていた人間がいたとしたら」
「政治に関わる人間、かもね。自分の経歴に泥がつくようなことはしたくないだろうからね。そこでもう一つ、この警察が真面目に捜査をしていないという記事には、それとセットで書かれる、とある人物名があった」
そう言って彼女はとある国会議員の名前を口にした。それなりに著名な人物だったために、思わず驚いて助手席の方を見て、本気で言っているんですか、と言いたくなる。そんな私を、ちゃんと前を見て運転しろと咎める。
「な、なんですか。まさかその人があの事故の加害者だと」
「そこまでは何とも言えない。当時彼は、専属の運転手のようなものを雇っていたようだからね。しかも、彼が運転させていた車というのも、毎日あの道を通っているという証言の車と一致する。彼は同乗していただろうが、実際に事故を起こしたのはこの運転手だろうね」
「はあ。ところで運転手のようなものって、専属の運転手とは違うんですか」
「どうやらこの運転手には、それ以外に秘書のようなことをやらせていたらしいし、なんでも今その運転手は出世して田舎の小さな町で町長をしている。聞いたことないか?若き町長、霜触乙英という名前を」
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