藁をも掴む

「事件の始まりは、昨年の一月からです」


 猿渡がゆっくりと語り始める。

 探偵は目を瞑って、その声に耳を傾ける。それは彼女が集中して何かを聞くときのスタイルだ。


「事件の始まりは、昨年最初に起こりました」


 事件の概要をまとめるとこうだ。

 昨年の一月十五日に発生した、女性殺害及び死体遺棄事件からこの恐怖は始まった。この女性の殺害を筆頭に、毎月十五日に殺人が行われ、一年間で十二人が命を落とすことになってしまった。

 最初に十五日に殺害されたとは言ったが、死体が発見されたのは翌日以降である。死亡推定時刻を割り出してこの日時が判明している。

 一月の被害者は睦月むつき七海ななみ、二十一歳で女子大学生。被害にあった場所は判明していないが、夜、大学の帰りに襲われたとみられている。それも、死亡推定時刻と証言から、友人と別れた直後だと言われている。

 二月の被害者は如月きさらぎ春香はるか、三十三歳の社会人。こちらは退勤した後に同僚と飲み会に行き、解散してその帰り道に襲われた。犯行場所はわかっており、同僚と別れてすぐの路地で殺された。

 三月の被害者は弥生やよい雛子ひなこ、十八歳の女子高生なのだが、殺されたのは卒業式の後に、友人たちとカラオケに行き、その帰りに襲われた。また、こちらも友人と別れた際の目撃証言はあるのだが、どこで凶行にあったかは判明していない。

 四月の被害者は卯月うづき健二けんじ、二十三歳の男子大学生。これまで被害にあったのが女性だったために、女性を狙った犯行かと思われていたため、最初は別の人間による模倣犯かと思われたのだが、殺しの手口が全く同じ点であることや、警察が誰にも公開していない情報を持っていたために、同一犯の犯行であると認められた。また、こちらも飲み会の帰りに襲われており、犯行現場はわかっていない。

 さて、この時点で被害者たちがある共通点を持っていることに気がついただろう。五月の被害者は立花たちばなさつき、十九歳の男子大学生。彼は学校が終わった後に一度帰宅しているのだが、何故かその一時間後に行き先を告げずに家から出ていっている。これは実家の家族の証言だ。目撃証言もないため、彼が家を出た後にどのような行動をとったのかは不明で、犯行現場もわかっていない。

 六月の被害者は水無月みなづき珠子たまこ、二十七歳女性で、夜の仕事をしていた。だが、襲われたのは退勤後などではなく、仕事が休みの日に遊びに行った後に襲われている。彼女は家の最寄り駅まで帰ってきていたことがわかっているため、犯行現場も特定されている。

 七月の被害者は文月ふみづき海里かいり、二十八歳の男性会社員。彼は退勤後、真っ直ぐ家に帰ってきており、犯人は大胆にも自宅アパートの駐車場に彼が車を停めた直後に襲っている。これは、現場に残されている遺留品から判明している。だが、アパートには監視カメラがなく、また空き部屋が多かったこと、周りに家が少なかったことが災いして、悲鳴を聞いたなどの証言は得られなかった。

 八月の被害者は豊島とよしまはづき、二十歳の女性でフリーター。アルバイトを終えて帰宅している途中に襲われている。このころになると、流石に警察も警戒態勢をとっていた。しかし、今まで犯行の場所が近かったのに対し、彼女はかなり離れた場所に住んでいた。おまけに、日々の報道により、月の異名を名前にもつ人間は注意を怠るなと言われていた中での犯行だった。

 九月の被害者は菊野きくのなつき、二十一歳の女子大学生。最初に被害者の身元が判明したときに、今までの法則からは外れていると言われていたのだが、それは間違いだった。彼女のなつきというひらがなの名前は通称で、漢字では長月と書いた。この事件によって、犯人は被害者の名前をより深いところまで調べていることが判明し、一般市民をより恐怖のどん底へと突き落とした。

 彼女は、長距離通学をしており、学校の最寄り駅から地元の駅に到着する頃には辺りは闇に包まれており、その闇夜の中で犯人に襲われた。

 十月の被害者は秋月あきづき栞奈かんな、二十四歳の女性会社員。彼女も退勤し、自宅の最寄り駅に帰ってきたところで襲われている。また、彼女の栞奈という名前は神無月生まれであることから名づけられていたために、当初は彼女の身内による犯行が疑われたのだが、その由来を知る人物の中に、犯行が可能な人間は一人もいなかった。

 十一月の被害者は霜月しもつき椿、二十六歳の男性会社員。彼は夜中に買い物に行こうとしたときに襲われており、犯行現場も判明している。彼は月の異名の名字を持っているのになぜ外に出たのかと疑問視されていたのだが、実は彼が襲われたのは十四日から日付が変わった直後である。これは当時彼と通話をしながらゲームをしていた人間の証言だが、その夜彼はかなり酔っており、追加のお酒を買ってくると言い残して家を出たそうだ。ネット上の友人で会った証人は彼の名字を知らず、また一人暮らしであったために、誰もその行動を止めることはできなかった。

 最後の被害者は氷月ひづき梨沙子りさこ、二十七歳の女性会社員。彼女は飲み会の帰り道に襲われた。また、一般的に知られている十二月の異名は師走しわすだが、氷月ひょうげつというものも存在する。そのために彼女は犯行に巻き込まれることになってしまった。


 以上が被害者たちの名前である。

 そして、彼らの命を奪った人間が全て同一人物である、というのを裏付けている根拠が二つ存在する。

 一つ目は殺害方法だ。被害者は全員、背後から恐ろしいほど正確に心臓を一突きされている。また、司法解剖の結果から、犯行に使用された凶器の種類、凶器が被害者の体に刺さる角度などが一致したため、同一犯とされている。

 そして二つ目が、犯行声明である。これは遺棄された遺体の服の中から、手紙が見つかっている。この手紙は、内容や形式などが公開されていないため、四件目の事件で同一犯であることの確認に使用された。

 また、複数名犯行にあった場所が判明していないとされているのが、被害者の遺体は、例外なく川に遺棄されていたのだ。

 最初の頃は、同じ川に遺棄され、また、川に投げ込まれた場所も判明していたのだが、警察の警備が強まった夏以降は、毎月別の川に投げ込まれるようになった。それも、犯行が重なるにつれて、どんどん遠くの川に移動していった。


「以上が簡単な事件の概要です。一つ一つの事件を子細に伝えようとすると時間がかかりすぎるので、詳細に書かれた資料は明日お持ちします。今の話より少し詳しく情報が載っているのが、この資料です」


 そう言って飯沢は、カバンの中から分厚い封筒を取り出した。まだ目を瞑ったままの探偵に代わって私が受け取る。とりあえず、探偵から指示があるまではこの封筒は開けずに置いておこう。


「……警察はどこまで掴んでいるんだ?」


 ようやく探偵が口を開く。しかし、目は閉じたままだ。

 飯沢は手帳を取り出したが、先輩刑事は内容を暗記しているのか、そっと目を閉じて語り始めた。


「男性も襲っているところから、同じ男性の犯行であることはわかっています。その大きな根拠として、被害者の一人・卯月健二の体格の問題がある。彼は身長が百八十センチはあり、身体を鍛えていたこともあってかなりの重量です。彼を運ぼうとするのなら、彼と変わらない体格、もしくはかなり体を鍛えている人間でなければ難しい、というのが警察の見解です」


「それを元に、ガタイのいい不審な男性が目撃されていないか聞き込みを重ねましたが、少なくともそれに該当する目撃情報はありませんでした。ただ、犯行現場周辺で目撃された不審な人間がいたことは判明していますので、今はその人物たちの情報を集めているところです」


 探偵はゆっくりと目を開けた。しばらく何を言おうか思案しているようだったが、唐突に口を開いた。


「お前の相方はなんと言っている?」


 急に声をかけられて驚いたのは猿渡刑事だ。しかし、すぐに何を言っているのか理解し、探偵の質問に答える。


「"正直、連続殺人は管轄外だ。ある程度は協力するが、俺じゃ解決まで持っていくのは難しい"です」


 所長は少し難しい顔をする。

 彼女が言っている『相方』とは、その名前の通り猿渡刑事の本来の相方らしい。詳細は知らないが、その相方もいくつか事件を解決してきているが、どうもいくつか不向きな事件があるらしく、その事件がこの事務所に持ち込まれることになっている。

 先ほど彼が伝えた言葉の通り、『相方』には解決ができないと言われた事件だ。所長もその人物の実力は知っているために、難しいと言われてしまっては彼女も何か考えるところがあるのだろう。

 心配になって考え込んだ顔を見つめていると、その視線に気づいてじろりと睨まれる。後で怒られるなという考えと同時に、一足先に彼女の決意を悟った。


「いいでしょう。誰かがやらなくちゃいけない仕事だからね。早速調査に向かうことにしよう。末治、今日は車で来ているな?」


「もちろんですよ」


 颯爽と立ち上がった所長は、テーブルの上に置かれた封筒と自分のデスクに置いてあるハンドバッグを掴む。

 その行動の早さに、刑事たちは少し驚いていた。


「調査って、今から行くんですか」


「もちろん、事件解決は早い方がいいだろう?」


「まあ、それはそうなんですがね……」


 猿渡は何か言いたげに額に手をやる。それを所長が催促すると、苦笑いを浮かべた。


「最初に連続殺人事件と聞いて、不安げな声になっていたので、てっきり断られるかと」


「断る?私がか?そんなわけないだろう」


 所長は少しだけ馬鹿にしたように鼻で笑い、不敵な笑みを浮かべた。

 表情の変化には気づかないまでも、流石は刑事、少しだけ不安に思っていたのはお見通しだったようだ。


「私が不安だったのは少しだけ心配事があったからだ。でも、少なくとも関係ない。おまけに、私がその依頼を断ることは絶対にない」


 探偵はどこかを睨む目つきになる。


「私は犯罪者が嫌いだ。人の命を奪い、神のようになったと錯覚する人間を、けして逃がしはしない」


 その言葉を聞いて安心したのか、刑事は表情をやわらげた。

 一度だけ、彼女がなぜ警察からの依頼を受けるようになったのか聞いたことがある。そのときも、先ほどと同じ言葉を言った。だが、それ以上はなにも言わなかった。


「なるべく早くこの事件の犯人を見つけよう。刑事さんを休ませないといけないからね。これから忙しくなるよ」


 探偵は意味ありげに言うと、少しだけ悲しそうに俯いた。

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