第四章 二日目 探偵事務所

助っ人

 結局昨日は、七番目の被害者・文月海里のアパートを訪れたところで日が暮れ初めて、最初に周った二か所の確認を行いながら事務所に帰りついた。

 驚くほど遅い時間に帰宅したわけではないのだが、一日中車を運転したり歩き回ったりした身体的な疲れと、もしかしたら自分たちはとんでもない事件を引き受けてしまったのではないかという心労で、あまり眠ることができなかった。

 というのも、三か所目を周り終えた時点で改めて「なにか掴めましたか?」と質問したのだが、返ってきたのは


「なんとなく断片は見え始めたが、まだ証拠が足りなさすぎる」


 というものだった。

 できるなら今日刑事たちが持ってくる情報の中に、真相に近づけるものがあればいいのだが、と考えながら事務所の扉を開けようしたところで、昨日の嫌な言葉を思い出した。

 いや、いくら刑事たちでもこんな朝早くから来てはいないだろう。

 そう自分に言い聞かせ、挨拶をしながら扉を開ける。想像通り、中にいたのは椅子に座って目を瞑り考え事をしている所長だけだった。


「おはよう、末治。犬飼ならまだ来てないよ、残念だったね」


 所長は片目だけを開けて挨拶する。まるでウインクでもしているようなのだが、その前に私が、犬飼が来るのを心待ちにしているとでもいうような言い方はやめてほしい。

 犬飼、というのは前述の通り猿渡刑事本来の相方である。なんでも彼は、警察組織外にいながら何度も捜査に協力している一般市民、つまり我らが所長と同じ様な立ち回りをしている人間なのだが、また少々変わった人間で、犬飼が解決してくれるのは発生から数日しか経っていない事件に限られるらしい。なんでも「新鮮さが大切だ」などと言っていたらしいが、あまり聞かなかったことにしたい。

 さて、私がなぜ苦手だと明言しているのかというと、こんなにもそりが合わない人間はいないからだ。今までいろんな人間と出会ってきたが、彼だけはどうやっても仲良くなれる自信がない。

 これから来る刑事たちを迎えるため、お湯を沸かしてお茶を出す準備を始めたときに、扉が控えめにノックされた。今は依頼が立て込んでおり、新規の依頼を受け付けないため扉に『close』と書いているので、百パーセント刑事たちだ。

 私がコンロを止めて応対するより先に、所長が立ち上がって扉を開けた。ただ、彼女は何故か裸足だ。おかしい、ここは土足のはずなのだが。

 刑事が来たのならおそらく彼も一緒のはずだ。昨日と同じ様に所長がお茶を入れに来たので、バトンタッチして挨拶をしに行く。こんなに気乗りのしないバトンタッチは初めてだ。


「よう、末治、相変わらず辛気臭い顔しているな」


「い、犬飼さんこそ、お元気そうで何よりです……」


 応接間で私を迎えてくれたのは、目つきの悪いあの男・犬飼祐樹ゆうきだ。

 目つきが悪い上に姿勢も悪い、よく見ると整った顔をしているのだが、それが相殺されるくらい、いや微塵にも感じさせないほどこの男は口が悪い。しかも、何故か私に対してだけ。一体私の何が気にくわないというのだ。


「相変わらず仲がよさそうでなによりです」


 おまけに相方の猿渡までもがこんな態度だ。最初は嫌味で言っているのかと思ったが、どうやらこれは素らしい。その横で頭を抱えている飯沢を見て判断した。


「挨拶もそこそこで申し訳ないんだが、早速本題に入っても大丈夫か?」


 お茶を運んできた所長が尋ねる。その言葉を聞くやいなや刑事二人と犬飼の顔つきが変わる。私も居住まいを正した。


「ええ、構いません。私たちが持ってきた話ですので」


「ありがとう。まず犬飼さんに頼みたいことをこの紙に書いておいたんだけど、お願いできますか?」


 所長が手渡した紙を犬飼が受け取る。何が書いてあるのかまでは見えなかったが、それなりの文章量が書いてあるようだった。犬飼はそれらにサッと目を通すと、


「わかった、俺でどこまでできるかはわからないが、最善は尽くそう」


 と賛同の意を述べた。それにしても、先ほど私に突っかかった態度とは大違いである。

 昔ならこの時点で何を依頼したのか、と聞いていたところだったがそこはグッと堪えた。事件に重要なことなら後で説明してくれるはずだ。


「私たちはそこに書かれていない箇所一か所と、遺体が遺棄された川を見に行ってくる。こちらからは以上だ」


 所長が口を噤むと、今度は刑事が話を始める番だ。


「まずは、被害者周辺で名前が挙がっている人たちの名前です」


 刑事は一言前置きしてから、合計二十人の名前を並べ立てた。これで絞り込めているのかいないのかはわからないが、その多さに探偵が思わず眉をひそめたのは言うまでもない。おまけに、これは被害者の近くにいる人間で、動機の有無にかかわらずアリバイがない人間を挙げただけなので、偽証をしている人間や誰ともかかわりのない人間がいれば、容疑者はもっと増えることだろう。

 刑事が動機と思われる事柄やアリバイについて説明する間、所長は目を瞑って聞いていた。二十人も一気に聞いて覚えられるものなのだろうか。私は暗記が苦手なので、その横で手帳にメモをした。

 話を聞き終えても、所長は目を瞑り、腕を組んだまま固まっている。これはいつものことなので、私一人で刑事たちを扉まで見送る。彼らの中で順番が決まっているのかわからないが、こういうとき大体最初に部屋を出ていくのは犬飼で、それを追いかけるようにして猿渡が出ていく。

 今日もいつものようにそそくさと犬飼が立ち上がり、去り際になぜか私に一瞥をくれてから事務所を出ていった。それを追いかけて、猿渡が「よろしくおねがいします」と頭を下げる。

 最後に残された飯沢に、思わず


「犬飼さんってどうして私にだけあんな感じなんでしょうね」


 と聞くと、


「ああ、彼、大神さんと仲良くなりたいだけなんですよ」


 と言って、先輩の背中を追いかけていった。仲良くなりたいだって?まさかあの態度が照れ隠しなどとでもいうつもりか。

 嵐は過ぎ去ったが、未だに所長が黙り続けているので、とりあえず机の上に置いてあるお茶を片付けた。それを終えて再びソファーに座り、手帳を確認し始めたところでようやく探偵が目を開いた。


「なにかわかりましたか」


「何とも言えん。とりあえず犬飼の報告待ちだ」


 おそらく彼女の頭の中では今でも思考を続けているが、こうなれば話しかけても大丈夫なので、少し会話をすることにした。


「犯人が現場に残していった犯行声明、見ますか?」


「ああ、頼む」


 私は刑事から預かったUSBメモリを立ち上げたパソコンに挿入し、フォルダを開いた。中には計十二枚の画像が入っている。

 基本的に犯行声明は、紙に何かしらペンで書かれたものが多い。その文字も、筆跡鑑定を恐れてだろうか、定規を当てて書いたような文字になっている。また、四月、八月、十二月だけ形式が違った。その月だけ記念するかのように、紙に被害者の血文字を書き。川に落とした時に濡れないように、ご丁寧に小瓶に入れてあった。勿論徹底されているため、紙から指紋をとることはおろか、血文字も筆を使って書かれていたため、そこからも採取できなかった。

 書面の内容は月ごとにばらつきはあるが、要約すると全て同じ内容が書いてあった。


『警察諸君、この度はお仕事疲れ様であります。ですが残念ながら、あなた方は善良な市民一人守れない無能だ。毎月一人ずつ、あなた方にお仕事を与えましょう。次のギセイシャが出る前に私を捕まえられますかな?』


 この犯行声明を警察はあえて公表しなかったが、そのことを犯人がとがめることは一度もなく、最後の被害者が出た月もこれと変わらない調子だった。

 私にはこの犯行声明から、何かしらの手掛かりを得ることは出来なかった。


「それにしても、犯人はどうして昨年の十二月で犯行をやめたのでしょうか。一年きっかり人を殺して満足したのでしょうか」


「こういう犯行だとその手をとったと推測するが、最後の月まで『次のギセイシャ』と言っているのが気になるな。今年に入ってからなにか続けることができなくなった理由があるのか」


「失踪した……ってわけではなさそうですね。今年の初めから行方が分からなくなっている人間がいるなら、とっくに警察が目星をつけていそうです」


「まあ、今年の頭から失踪しているわけではないかもしれないけど。それにしても随分と容疑者が多いが、警察はこれ以上絞りようがなかったのか?一人で三人関係がある人間もいれば、近くに動機を持っている人間が一人も挙がっていない人もいる」


 手帳に目を落とすと、確かにその通りなのである。先ほどの所長の発言に付け加えるなら、共通している人間も何人かいる。もしも犯人がいるとすれば、この中の人間なのだろうか。


「そういえば、昨日刑事さんは『大柄な男の犯行』的なことを言っていましたが、容疑者に挙げられている人、女性も含まれていますよね?」


「わからんよ、もしかしたらムキムキの女の子かもしれん……という冗談は置いておいて、あくまでアリバイがない人間だからな。複数犯の可能性だって捨てきれないから、女性がいてもおかしくない。それに、もし女性が夜道で歩いているときに、男性が歩いていたら警戒するが、女性の場合だとある程度油断してしまうから、いくつかの犯行は不可能ではないよ」


 私の手帳を覗き込みながら探偵は言った。そう言われれば確かにそうだ。私も夜道で男性が歩いてきたら少し警戒はするが、女性だった場合、向こうに警戒はされるが体格差などから私自身が襲われる心配はないと油断してしまうだろう。そうなった場合、通り過ぎざまに背中を刺されてもおかしくはない。

 ただ、問題が遺体をどうやって運ぶか、という点である。


「さて私たちもそろそろ出ようか。なにか分かれば犬飼の方から連絡は来るだろうし、なにより今日は聞き込みに行くんだ。気合を入れていくよ」


 所長は少しだけ顔に笑みを浮かべてソファーから立ち上がる。そのままデスクに置いてあるハンドバッグを持って扉に向かった。


「あっ、だめです所長!靴を履いて外に出てください!」


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