暗雲立ち込める

 ハッとした表情を浮かべて、魚沼は俯いてしまう。

 そうだった、完全にこのことを見落としていた。

 自殺だったら、心臓を突いた凶器はその場に残されるはず。しかし、その場に凶器が残されていないとなると、誰かが持ち去ったことになる。


「考えたくなかったですけど、もしかして」


「そう、少なくとも明村さんを殺した人間はこの館の中にいる」


 青柳は強い意思をもったような目で、しかし怒りの籠った目つきで真っ直ぐ魚沼を見ていた。彼女も魚沼に怒っても仕方ないのは理解している。だが、今はこの気持ちをどこかにぶつけないと、自分の中でぐしゃぐしゃに暴走してしまいそうだった。

 そんな気持ちを察していたのか、魚沼の方も特に何も感じなかった。彼自身も、このままだと焦る気持ちで叫び出してしまいそうだ。


「青柳さんは、霜触さんも殺された、と判断していますよね?殺し方の手口が似ていますし、同一犯の犯行だと思いますか?」


 佐曽利の質問に、しばらく押し黙る。その顔はどう答えるべきか、と悩んでいるときのものだ。

 ややあって、再び口を開いた。


「殺しの手口は確かに似ているけど、実際に解剖などを行って傷を確認していないから、凶器が同じものであるとか、刺した角度などの同一性を証明することはできない。だから、一概に同一犯とは言えない。ただ、心臓を真っ直ぐ貫いていることは確実ね。しかし、そうなると一つだけ不都合が生じるのよね」


 段々と力強さを失っていく説明と反比例して、佐曽利の口角が上がっていく。最終的に不敵な笑みを浮かべた彼女は、いいものを見つけたとでも言わんばかりに口を開く。


「心臓の位置を正確に知っている元お医者さんの二人が犯人になってしまう、ってことでしょう?一般の人なら心臓の大体の位置は知っていても、それだけで正確に刺すだなんて無理があるものね」


 わざわざ昔の職業を出されて追及するような口調で言われてしまうと、二人は立つ瀬がない。そう、これが先ほど言葉を言いよどんだ理由なのである。

 成り行き上仕方のないことなので、このまま流れに身を任せようと、二人は居心地悪そうに俯いてしまったのだが、佐曽利は意外とあっさり手を引いた。


「まあ、ここが普通の状況なら糾弾したのかもしれませんけど、私は昨日のおじさん集団とは違って常識がありますからね。こんなところに閉じ込められている状態で誰かを責め立てるなんて、精神衛生上よろしくないですからね。それに、第一疑う理由が心臓の正確な位置を知っているだけだなんて、証拠としては弱すぎます。せめてアリバイが成立しないなどの理由がないとね」


 そう言いながら大げさに肩をすくめてみせた。

 彼女が言っている昨日のおじさん集団とは、初取と釣瓶の言い争いのことだろう。正確には、おじさん集団が言い争っていたというよりは、ほとんど初取の言いがかりのようなものだったが、あの光景を見てしまった人間の精神が少し不安定になってしまったのは言うまでもない。魚沼は知らなかったが、うっかりあれを聞いてしまった識名は、眠れなくなって図書室で一晩を明かしていた。


「こんなことをやって、たださえやられてる精神をズタボロにする理由はないでしょう?だからせいぜい私たちがやってもいいのは、警察の邪魔をしない程度に証拠を探す程度じゃないですか?」


「証拠を探すですって?下手に現場を荒らしたら警察の邪魔になるとしか思えないんだけど」


 とんでもないことを言い出した佐曽利に、青柳が食い気味に反論する。

 しかしその反論を聞いていないのか、ただ好奇心だけを張り付けた笑顔で彼女は続ける。


「何も部屋をひっくり返して証拠を探そうとしているわけじゃないですよ。さっき明村さんの口の中から『ユキを思い出せ』と書かれたメモが出てきたでしょう?だから、もし霜触さんの口の中に同じものがあれば、同一犯ってことになりませんか?」


 確かにそれだけを聞けば同意したいのだが、なかなかなんとも返事ができなかった。

 彼女の言う通り紙切れが見つかれば同一犯ということはわかるのだが、もしもそうなった場合、人間二人を殺した殺人犯がこの建物の中におり、今この瞬間も自分と同じ空気を吸っていることになるのだ。それを想像して、鳥肌が立った腕を秤谷はそっと擦った。

 やがて、不承不承といった形で青柳が同意をした。


「朝食の時間が終わり次第、管理人さんに霜触さんの部屋を開けてもらいましょう。そのときに誰か立ち会ってくれると嬉しいのだけど。こんな疑わしい状況で秤谷くんに付き合ってもらうのはね……」


「ああ、それじゃあ僕がついて行ってもいいですか?もう一つ気になることもありますし」


 魚沼が何を気にしているのかがわからず、残りの三人は首を傾げた。逆に魚沼の方も、どうして今までこれが議題に挙がらなかったのかが疑問で、三人を見ながら首を傾げた。


「犯人が気になりませんか?」


 そこまで言うと、三人はようやく理解したようで「ああ!」と揃って声を上げた。


「部屋の鍵はかかっていて、この建物にそもそも窓がない。つまりこれは、所謂密室状態ってやつですが、この館の客室は全てオートロックです。中に侵入することさえできれば、あとは被害者を殺害して外に出るだけです。しかしこのという点が不明です。見たところ、客室の鍵はそこまで凝ったものではないので、誰でもとは言えませんが、簡単にピッキングなどで開けることができそうです。まさか扉の鍵を外してまで確認はできませんが、目に見えるところにピッキングをした形跡があれば、犯人がどうやって中に入ったのかはわかると思いませんか」


 その説明を聞く間、思い当たる筋のある秤谷は横目で佐曽利の顔を見る。彼女はどこ知らぬ風を吹かせていたが、若干額が汗ばんでいるのを見逃さなかった。

 このまま彼女を裏切ってしまってもいいのだが、彼にも少しだけ負い目があった。一緒に勝手に部屋に入ってしまっているので、ある意味では同罪である。

 顔から血の気が引く思いがしたが、彼の変化に魚沼と青柳は気づいていないようだ。


「ピッキングねえ。もし仮にピッキングでなかったとしたら、どうやって入ったのだろうね」


「それは見てみないとわかりませんが、押し入ったり中に招かれたりしたのなら、証拠が何か残っていないかな、と思うんですけどね。僕は明村さんの部屋は見ましたが、霜触さんの部屋は見ていないので」


「それはそうね、霜触さんの部屋には私と秤谷くん、管理人さんと識名さんも少しだけ入ったのかな。ああ、そうだ。さっき見つけた識名さんのブレスレットはどうしようか。って言ってもまさかすぐに返却するわけにはいかないけどね、一応証拠品なんだから部屋に置いておかないといけないわけだけど」


「あ、それなら僕の方から明村さんが持っていました、って説明しておきます。しかし、識名さんのブレスレットに霜触さんの腕時計、両方とも拾ったのかはたまた……」


「盗んだに決まっているじゃない。あの女、私のペンダントも盗んでいたのよ」


 急に割り込んできた佐曽利の荒々しい声に、魚沼は驚いた表情を見せる。昨日、彼女がペンダントを探していたのを知っている秤谷は、さほど驚きはしなかったが、なぜ断定した言い方をするのかが気になった。

 どうしてですか?と聞き返した魚沼に、佐曽利は怒りを隠さずに話始める。


「私のペンダントは、詳細は省略するけれど肌身離さず身に着けるくらい大切なものだったの。けれど、昨日外したまま部屋を出てしまって、戻ってきたらどこにもないの。部屋中をひっくり返すように探してみても見つからないのよ?それで館の中を探してみても見つからない。挙句の果てに、あの女の部屋の机の上にまるで自分のものかのように置かれていたら、盗んだと考えるしかないでしょう?」


「でも、そんなそれ以外の証拠がないのでそんなに攻めるのは……。もしかしたら拾って渡しそびれていただけかもしれませんし」


「何?殺人事件の被害者だからって、窃盗犯を擁護するの?大体渡しそびれていたものが三つもあるの?というより、そもそもなくしたもの三つのもの全てをあの女が持っているのは、あまりに不自然でしょう。それならもう、彼女が盗んだからそこにあるんだ、と考えるのが自然でしょう」


 せっかくの魚沼の援護射撃が入ったが、それもむなしく故人が窃盗犯ということになってしまった。困った彼は、周りの大人の顔を見たが、正直佐曽利と同じ感想を持っている二人は、そっと視線を逸らすことしかできなかった。

 そんな少し気まずい空気が漂う中、サロンの扉を開くものがあった。

 気配に気づいた四人がそちらを見ると、中に入って来たのは片手に何かが載っているトレーを持った管理人だった。


「皆様食欲がないとのことでしたが、何かお腹に入れておけるものがあればと思いまして、フルーツの缶詰をお持ちしましたが、いかがなさいますか」


 そう言って彼は、トレーの上に載っているものを見せる。そこには確かに、みかんやパイナップルといった缶詰フルーツが、四人分の小皿に盛られていた。

 思わず全員が、それぞれの時計で時間を確認すると、とっくに朝食の時間は終わっていた。結局誰も来なかったのを心配した管理人が、気を利かせてくれたのだ。

 四人はありがたくフルーツをいただくことにした。まだ食欲はないのだが、とりあえず何かものを食べておいた方がいい、と脳みそがアラームを鳴らしていた。

 それぞれの目の前に管理人が小皿を置き、小さなフォークを添えてくれた。それを使ってフルーツを口に運ぶ。口の中に、いつもと変わらない甘い味が広がった。この非現実的な出来事が起こっている中で、いつもと変わらない食べ物を食べることは、心を落ち着かせてくれる効果があるようだ。


「管理人さん、お願いがあるのですが」


「なんでしょう、青柳様。私にできることでしたら何なりと仰っていただければ」


 管理人はまるで自分が執事であるかの如く返答する。その態度を見て、今からお願いをする内容が少し申し訳なくなったのか、青柳は一瞬だけ戸惑った表情をした。しかしすぐに表情を戻すと、本題に入った。


「先ほど明村さんの遺体を調べているときに、口腔内、口の中から紙片が見つかりましたよね。それで、改めて霜触さんにも同様なものがないか調査したいのです。だから、『処女宮』のお部屋を開けていただけないかと思いまして」


 すると、管理人は厳しい顔つきになる。

 それもそうだろう。大人しく警察の到着を待って捜査をしてもらえばいいものを、素人が捜査紛いのことをしようとしているのだ。

 この館の責任者が彼である以上、宿泊者の行動の責任は彼が持たなくてはならない。そのため、下手に事件の現場に人間を入れてしまい荒らしてしまえば、彼が糾弾されることは目に見えてわかっていた。

 しかし、青柳がやろうとしていることも理解できなくない。まだまだ得体の知れない恐怖であることに変わりがないのだが、正体のわからないものでも、足先だけでも分かれば少しは恐怖が和らぐかもしれない。

 そんな欲求が、しばらく彼の中で葛藤していた。

 全員が固唾を飲んで見守る中、ようやく管理人は口を開いた。


「わかりました。少しだけなら許可しましょう」







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