星を望む人々は

 扉の先には、細長い玄関があった。入り口から、建物内部の廊下までの壁には、両側に六枚ずつ、星座が描かれた西洋画が飾られている。絵の表面には署名がなく、なんの星座か説明するためのプレートが、絵の外側、吊るしてある額縁の下に貼ってあるだけだ。著名な画家なのか、無名な画家なのかはわからないが、絵の雰囲気はこの玄関になじんでいたため、この絵を選んで飾り付けた人間のセンスはありそうだ。

 扉から入ってすぐは、大理石の床だったが、数歩進んだところで絨毯に変わった。これもまた、館内部に馴染む上品な赤なのだが、床張りの生活に慣れているものにとっては、少々歩きづらい。実際、六波羅はあまりの柔らかさに一瞬足をとられ、識名は受け取ったキャリーケースを上手く操作できないでいる。しばらく滞在するうちに慣れるのだろうか。

 玄関を抜けると、丸く円形になっている廊下に出た。円の内側には大きな柱があり、その柱に沿って上下に螺旋階段が伝っている。

 円の外側の壁には、いくつか扉が見えた。この扉の先が、客室かその他用途をもった部屋になっているのだろう。

 また、この廊下は建物内部に存在するため、窓がない。明かりを消せば、夜中でも真っ暗になる。そのため、今も明かりは点いているものの、どこか心許ない。映画館や劇場内に入って、時間の感覚がわからなくなってしまった時のような気分になる。これもまさか設計者の狙いか。

 先導していた猪原が、一つの扉の前で止まる。その扉には『管理人室』と書かれたプレートがある。


「鍵をとってきます。少々お待ちください」


 そう言って彼は扉の奥に消え、廊下には六波羅と識名が残された。


「あら、最後のお二人が到着したの?」


 声をかけられて二人が振り向くと、女性が一人立っていた。

 三十代に差し掛かった頃だろうか、少々厚めの化粧に、強めにカールされたロングヘア、一世代前に流行ったようなファッションに身を包んでいる。まさか二〇二〇年で、デニムのショートパンツにベージュのロングブーツを履いている人間がいるとは思わなかった。


「私たちが最後みたいですね。も招待客ですか?」


 正直こういったタイプの人間が苦手な六波羅は、なるべく無害そうな笑みを浮かべて応対する。なるべく早く会話を終わらせたいので、しっかりと丁寧語を話す。識名はそもそも人見知りなのか、六波羅の陰に隠れてしまった。

 二〇一〇年からタイムスリップしてきたようなギャルは、何がおかしいのか、くすくすと笑う。その度に、胸元に下がっているシルバーのペンダントがゆらゆらと揺れる。口元を抑える手の先も、しっかりとネイルで固められていた。


って、無理しなくてもいいのよ、お兄さん?だってお兄さんの方がどう見たって年上でしょ?私は申年生まれだもの」


 なるほど。六波羅は辰年生まれなので、彼女の方が年下である。この際めんどくさいので、わざわざ計算して彼女の年齢を特定するのはやめておこう。正直、六波羅は彼女の年齢よりも、ギャルファッションに身を包んでおきながら、お嬢様のような口調をしていることが気にくわない。今時のギャルみたいにしろとは言わないが、かゆいところに手が届かないような気持ちである。


「お待たせしました。……おや、佐曽利さそり様、なにか御用でしたか?」


 管理人が手に鍵を二つ持って現れる。同やらギャルの名前は佐曽利というらしい。佐曽利、蠍、毒を持っていそうな彼女になかなかお似合いの名前ではないだろうか、というのは六波羅の感想である。


「いいえ、偶然通りかかっただけよ。それでは、これからしばらくよろしくお願いするわね」


 佐曽利はそう言って、その場から立ち去った。右手を上げて手を振ることも忘れずに。もしこの床が絨毯でなければ、コツコツとヒールを鳴らして立ち去っていく場面のような後ろ姿だった。

 苦手な人間が立ち去って安心したのか、識名が陰から出てくる。先ほどは人見知り故に隠れたのかと思ったが、それだと猪原と六波羅には怯えない理由がわからない。大人しい見た目で男好き、というわけでもなさそうだから、彼女も六波羅同様ああいったタイプの人間が苦手なのかもしれない。


「ではまず、お部屋の鍵を渡しましょう」


 管理人の声で、ようやく自分たちが案内されている途中だったということを思い出す。差し出された鍵を、それぞれ受け取った。鍵自体は特別普通なものではなかったが、金属のプレートがついており、そちらの装飾がかなりこっているものだった。

 まず表には、それぞれの部屋の名前、六波羅は獅子宮、識名は双児宮とあり、それぞれの記号とラテン語名も刻まれている。裏に返せば、そこには空に輝く星座そのものの形が刻まれていた。

 獅子宮、と書かれている時点で六波羅はハッとして管理人の顔を見る。それから数秒遅れで識名も顔を見ると、彼は楽しそうににこにこと笑っていた。


「もしかして、ここに招待された理由は」


「はい、六波羅様はラテン語名のLeoから、識名様は“双”の文字から選ばせていただきました。そのほかのお客様も、十二星座に縁のある名前を持つ方をオーナー直々に選ばれて、ここに招待させていただきました」


 それでようやく、自分たちがなぜここに招待されるに至ったのかを理解した。特に何かしらの善行を積んだ記憶もないので、思い当たる節が何もなかったのだ。オーナーがどうやって選びだしたのかには少々興味があるが、とりあえずは黙って招待を受けることにしよう。


「最初にお部屋までご案内しましょう。荷物を置いて、その後に施設内の説明をいたします」


 管理人は再び識名の荷物を受け取ると、螺旋階段を下り始めた。なるほど、この建物は玄関のある二階には客室はないらしい。

 絨毯の螺旋階段を降りきると、一階も二階と同じ様に円形の廊下があり、その外側に扉が並んでいた。遠目ではわからなかったが、それぞれ扉のプレートに『〇〇宮』と書いてあるので、ここにある部屋は全て客室のようだ。

 管理人は一つの扉の前で荷物を下ろした。プレートには『双児宮』と書かれているので、識名の部屋であろう。自分の部屋は……と十二星座の順番を呼び起こす。双子座の二つ後だったから……と少し歩くと、確かに二つ横に『獅子宮』の部屋はあった。

 受け取った鍵を差し込み、開錠する。扉を押して、部屋に入る。廊下の明かりで電気のスイッチを探すが、見当たらない。手探りで探り当てると、どうやら鍵についているプレートを差し込まなくてはならないようだ。それに従って、プレートを差し込む。明かりが点いた。

 部屋は普通のホテルと変わらないようなものだった。部屋に入って左手側にクローゼット、バスルームの扉と続く。扉が開いていたので少し覗くと、ユニットバスタイプのお風呂だった。奥に進むと、ダブルサイズのベッドがバスルーム側の壁につけて設置してある。その足元側にはテレビがあり、ベッドに横になりながらテレビを見られるというわけだ。

 外と中を隔てている壁の横には、机とソファーが置かれている。これで外を眺められたら酒のつまみにはなりそうなものなのだが、残念ながら窓はない。冬場に一階部分が埋まってしまうため、あえて設置しなかったのだろうか。だが、仮に窓があったとしても、周りは木々に覆われており、おまけに一階部分なので、麓の街の夜景も望めないだろう。

 しかし、その壁の部分を見て少し驚いた。壁には、黒い丸の飾りがランダムに取り付けられていた。例えるなら、ボルダリングの壁が設置されているようなものだ。

 一瞬なぜこのような飾りがあるのかと不審に思ったが、よく見ると黒い丸はランダムに並べられているわけではない。先ほどプレートの裏で見たばかりの、獅子座の星の配列だった。

 もうしばらく部屋を見ていたかったが、管理人から施設内を案内すると言われていたので、とりあえずリュックサックをベッドの上に下ろし、鍵をとって部屋を出た。扉が閉まった瞬間、カチリと鍵が閉まる音が聞こえた。どうやらオートロックらしい。これは部屋を出る際には、鍵を持ったかしっかりと確認せねばならない。

 廊下には、管理人と既に荷物を置いて待機していた識名の姿があった。部屋から出てきた六波羅の姿を認めると、


「では行きましょうか」


 と言って、再び二人を先導して、今度は二階に上がる。

 二階に着くと管理人は、反時計回りに歩き始めた。


「こちらの両開きの扉はサロンです。中には応接セットとピアノが置いてありますが、禁煙です。もしお煙草を吸われるのでしたらお部屋のみでお願いします。その隣が図書室です。流石に研究に使われるような書物は置いてありませんが、古今東西様々な物語や図鑑、写真集などは取り揃えております。これはオーナーの趣味の延長みたいな感じですがね。次は食堂です。その隣のキッチンは基本出入り禁止ですが、私が同伴していれば利用は可能です。なんなりとお申し付けください。また、食事の時間ですが、朝は六時から八時、お昼は十二時から十三時、夜は十八時から二十時のあいだです。お一人お一人分けて置いていますので、なくなる心配はありません。時間内の、お好きなお時間に起こしください。最後にここが管理人室で、私が詰めております。なにかありましたらノックしていただいて構いませんし、お部屋の内線でお呼びいただいても構いません。以上が施設の説明です、なにかご不明な点はございませんか?」


 識名がすっと右手を上げた。


「あの、三階は、どうなっているんですか?」


 その質問に、管理人は含みのある笑みを浮かべた。


「それは、二十一時になってのお楽しみです。そのお時間になりましたら、サロンまでお越しください」


 管理人は六波羅の方を見て、何か質問はないかという顔をしていたが、特に疑問はなかったので静かに首を振った。


「それでは、これから三日間、ごゆっくりとお過ごしください」


 彼は頭を下げて、管理人室に下がっていった。識名は、先ほど聞いた図書室が気になったようで、六波羅にぺこりと頭を下げると、足早に図書室の方向に歩いて行った。

 廊下に残された六波羅は、これからどうするか考える。腕時計を確認すると、まだ十一時にもなっていなかった。一旦部屋に戻ることも考えたが、彼はほかの宿泊客がどんな人間なのかが気になっていた。

 誰かいるかもしれないというのにかに賭けて、サロンに入ってみることにした。

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