知を求めて

 昼食を終えた六波羅は、満腹感と寝心地の良いベッドのお陰で、しばらくはやっていない昼寝をしていた。

 目をこすりながら、枕元に設置してあるデジタル時計を確認すると、三時を少し回ったところだった。気分的にはもう少し眠りたかったのだが、夜眠れなくなると困るので、とりあえず体を動かすことにした。

 ただ、動いて活動するにも何をしようかという話である。せっかくの休暇だからと、仕事をやっていた間は読むことができなかった本を数冊と、電子書籍を持ってきてはいたが、今は読む気分にならない。かといって、外に出ようとすると、またあのおじさん集団に捕まりそうだ。

 そこでふと、ここには図書室があったことを思い出す。今自分が持っている本のラインナップで読む気は起きないが、何か別のジャンルの本があるかもしれないし、最悪、図鑑を眺めるだけでも時間は潰せる。

 思い立ったら即行動と決めているので、早速部屋を出て図書室に向かった。


 向かう最中に、またあの集団に遭遇しないか心配だったのだが、運よく彼らと出会うことはなかった。もしかすると、またあの応接セットを占領して、お堅い話でもしているのかもしれない。

 『図書室』と書かれたプレートがある扉を開けると、図書室独特の、本の匂いが鼻をついた。久々に嗅ぐ匂いに、悪い気はしない。

 図書室には、先客が三人いた。先ほど一緒に案内された識名と、彼女と同年代くらいの男女がそれぞれ椅子に座って読書をしている。三人とも、来客に一瞬だけ目を向けて、識名だけは会釈をして、再び自分たちの世界に戻っていった。

 当たり前なのだが、ここでは誰も話しかけてはこなさそうだ。それに安心して、六波羅も本棚の森に入って、蔵書を吟味する。


 廊下の方で話声が聞こえ、現実の世界に引き戻される。それは、周りの読書家たちも同様だったようだ。

 聞き覚えのある女性の声だったので、またあの集団だろう。いい歳をして、集団で寄ってたからないと生活できないのだろうかと、六波羅は心の中でため息をつく。


「またあのおじさん集団なの?」


 『処刑の歴史』という少々物騒な文字が見える本を読んでいた女が、少し控えめ声で発言する。その声音には、怒りも含まれているようだ。顔を上げた瞬間に、少し高めのポニーテールと大きめのピアスが揺れる。


「そうみたいですね、せめてここの前を通るときは、もう少し声のトーンを落としてもらいたいです」


 男は手に持っていた本を、膝の上に置いてため息をついた。短く切りそろえた髪とメガネが、知的な印象を与える。


「また、ってことは、前からこんな感じなんすか?」


 せっかくの機会だと、六波羅は二人に話しかける。

 男女はお互いに目配せすると、六波羅の座っているところに、椅子を持ってきて座った。それを見て一瞬悩んだようだったが、識名も本を持って、近くの椅子に座った。


「お兄さんは?今朝の朝食の時に見かけなかったから、今朝来たの?」


 ポニーテールの質問に首肯する。彼女は、白いブラウスに藍色のフレアスカートを身にまとっている。大きめのピアスが少々派手だが、黙っていればいいところのお嬢様、という印象だ。


「僕たちは昨日この館に来たんですが、あのおじさんたちは昨日の夕方、ぐらいかな、にそれぞれやってきて、昨日の晩御飯の時に意気投合したみたいで……」


 青年はいかにも迷惑だ、と言わんばかりの顔で説明する。その様子だと、自分同様、あの集会に巻き込まれたのではないかと思い、尋ねてみると、どうやら正解だったようだ。


「社長と政治家の話を聞く機会なんて、滅多にあるもんじゃないからって思って、話に参加して、あの二人の話を聞くのはよかったのよ。でもあのおばさんよ!あの人、息子か娘か知らないけど、子供に構ってもらえないから、若い子たちと話したいだけでしょ?」


 子供に構ってもらえないのは自業自得よ、とお嬢様は憤る。家庭にはいろいろな形があるからと、両手を上げて賛同は出来ないが、まあ、五十を過ぎた母親が、あんな感じだったら少し嫌かな、と六波羅は考えた。


「僕も同様です。先輩方の話を聞けるのは、ありがたいなとは思いましたが、あまり参考にはならなかったですね」


「双葉ちゃん、真っ先に図書室に来て正解だったわね。……、おっと、私名前も名乗ってないし、お兄さんの名前も聞いてなかったわ」


 どうやら図書館の住民同士は既に挨拶をしていたようで、この場で名無しの権兵衛さんは、六波羅だけだった。


「私は明村あけむら羊子ようこ。社会人二年目の雑誌記者よ。といっても、あくまでここに来ているのは休暇だから、招待客のことを根掘り葉掘り聞くことはしないわ」


魚沼うおぬま玄哉げんやと申します。大学院生をしています」


「先ほど名前を聞いたかもしれませんが、識名双葉です。私は大学生です」


「六波羅怜央、まあ、俗にいうニートってやつっすね、昨年末に失業したんで」


 失業した、というのは言い訳のように聞こえるので付け足すのを迷ったが、社会人二年目と未来ある学生という輝かしい身分が眩しくて、思わず言い訳をしてしまった。


「その話を聞くと、就活するのが少し不安になっちゃいますね」


 大学院生が苦笑いし、つられたように大学生も何とも言えない笑みを浮かべた。たまたま自分がついていなかっただけだ、と一応慰めの言葉をかけておいた。


「そういえば、さっき二人はここに昨日来たとか言っていたけど、もしかして三階にはもう行った感じっすか?」


「いいえ、管理人さんは『十二人全員揃ってからのお楽しみです』って言っていたわ。でも、『星見の館』だなんて御大層な名前だから、大方それ関係の施設でしょうね」


「プラネタリウムか天体望遠鏡などの、観測施設……ってところですね。ですが、遠くから見てそんな大きなものがありそうな気配はなかったので、プラネタリウムでしょうね」


 六波羅は、石造りの館に目を奪われていただけだったが、流石は大学院生といったところだろうか、目のつけ場所が全く違った。


「先ほど到着したときに、最後の招待客と言われましたし、三階は今日の二十一時になってのお楽しみですとも言われたので、もう十二人全員、この館に来ているんですね」


「私と魚沼くん、双葉ちゃん、六波羅さん。おじさん集団が四人でしょ?うろつきまわっているおばさんが一人と」


「名前はお聞きしていませんが、女の人と男の人が一人ずついらっしゃいますね。姿は見かけていませんが、もう一人夜遅くに到着していましたね。昨日うっかりここで本に夢中になってしまい、夜遅くまでいたので、声だけ聞こえました」


 勉強熱心な大学院生は、うっすら耳を赤く染めていた。学生は勉強が本業なのだから、なにも恥ずかしがることはないと思うのだが。


「ところで、こんな電波の通じない山奥の館に複数の人間が集まる……、って何かを連想しない?」


 雑誌記者は、話題を変えて不敵な笑みを浮かべる。何を言いたいのかは理解したが、あえて何も言わない。

 ところが昨日から滞在している人間にとっては、二回目の話題だったようで、大学院生は盛大なため息をついた。


「あれはフィクションの話でしょう。大体クリスティのあれは、孤島のお話です。もうこの後につづく言葉もわかっているから言いますけど、山荘ものとも言わせませんからね。確かに豪雪地域ではありますが、今は五月です、雪が降って陸の孤島なんて展開もあり得ませんから」


「はいはい、ネット環境はあるし、険しくても降りられないことはない山だから、仮に何か起こったとしても、助けはすぐに呼びに行ける、でしょう?いいじゃない、少しくらいは夢を見させてくれたって」


「だめですよ、大体、他のクローズドサークルものでも、この話題を出すことが死亡フラグみたいなところがあるので、絶対禁句ですよ」


 魚沼と明村の口から飛び出すミステリ用語についていけないのか、識名は不安げな表情を浮かべている。それもそうだろう、彼女が今手にしている本には『ナルニア国物語』と書かれている。

 ものにもよるが、ファンタジーとミステリは対極の存在だ。片方に慣れてしまっている人間がもう片方を読むと、いまいち納得できない。ファンタジー世界では何でもありで、ミステリ世界では絶対的な決まり事の上に成り立つので、時には相知れない存在となる。

 二人の雰囲気が険悪なものに変わりそうだったので、口を挟んでそれを止める。


「お二人は、ミステリ小説に詳しいんっすね。よかったらおすすめのものを教えてもらえないっすか?」


 そう提案すると、二人の目が輝いたように見えた。先ほどは、ミステリの話はやめろと言っていた魚沼も、読むだけなら話は別らしい。あの顔は、本当にそのジャンルが好きな人間が見せる表情だ。


「そうね、ここの図書室、古今東西様々なミステリが置いてあるから、傑作を紹介するわ」


「それには同意します。このラインナップを揃えたのはオーナーさんでしょうか、ミステリをわかっていらっしゃいますね」


 二人は椅子から立ち上がると、競うようにして本棚の森に消えていった。

 険悪な雰囲気がなくなり安心したのか、ファンタジー好きの大学生はため息をついた。

 どうせなら、彼女にもなにかおすすめのファンタジー小説でも聞こうと思ったのだが、ミステリ好き二人のプレゼン大会がなかなか終わらず、結局いつか読みたい本のリストに、大量のミステリが追加されただけで終わってしまった。

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