プロローグ

自白

 本州の、人里離れた山の中、そこに『星見の館』は存在する。

 かつては著名な人物が住んでいただとか、隠居した老人が余生を謳歌するために建てたと言われているが、詳細はわからない。この館は一度死んだのだから、その物語は無意味なものでしかない。

 私が初めてこの館を訪れたのは、もう何年も前になるだろうか。

 命よりも大切な人間を助手席に乗せて、そう、星を見るためにあの山に登ったのだった。

 大切な人は星が大好きだった。都会育ちの私は、街の明るさに飲み込まれた夜空しか見上げたことがなく、見えるのはせいぜい月と金星くらいだった。

 その話を聞いた田舎育ちのその人は、「もったいないなぁ」と言って、屈託なく笑ったのだった。その提案に乗って、私は山奥に車を走らせたのだ。


「まだだよ、まだ目を瞑っていてね」


 車から降りたその人は、運転席から降りる私の目を手で塞いで、ゆっくりと誘導した。

 正直こんな山中を、目隠しされた状態で歩くだなんて危険行為でしかないが、私はその人を信頼している。だから大人しく、指示に従った。


「いいよ、目を開けて」


 目を覆っていた、少しだけひんやりする手が退けられた。ゆっくりと目を開く。


 そのときの光景は、一生忘れられないだろう。


 夜のとばりに、光が散りばめられている。どこまでもつづく、漆黒の闇の中に、ちらりちらりと瞬く光。

 とても、私の貧弱な語彙力では表現できない光景だった。

 それでもなにか言葉を紡がないと、頭の中から何かが溢れ出してきそうで、いつの間にか横に立っていたその人の顔を見る。


 あまりの美しさに、目を見開いた。


 その人は、あまり綺麗とは言えない容姿をしていた。だが、今私の横にいるその人は、世界のどんな絶世の美女よりも美しい。

 私の視線に気づかないまま、その人は星空を見上げ続けている。その瞳に星が映りこんで、この世に存在するどの宝石よりも輝いて見えた。その瞳が、私ではなく、空に向けられていることに、嫉妬するくらいに。

 ようやく視線に気づいて、恥ずかしそうに微笑んだ。その顔を今でも思い出して、胸が締め付けられる思いがする。

 私はこの日、星空を二つ見たのだった。


 その帰り道だった。二つの星空に見惚れてぼんやりとしていた私は、道を間違えたのだ。

 行きがけの時間から考えて、もう麓についていておかしくない時間なのに、なかなか山から出られずにいた。

 まさかこのまま、山中で一晩明かす羽目になるのだろうかと考えだした瞬間、屋根にぶつかるほど垂れこめていた木々が、急に途切れた。

 自分たちが開けた場所に出たことはわかった。もしかしたら、今は使われていないキャンプ場にでも出たのだろうかと思ったが、全く違った。


 ヘッドライトに照らされた先に、山奥に似合わない館が建っていたのだ。


 こんな山奥にいったい誰が、こんなに大きな建物を建てたのだろうか。窓を数えると、三階ほどの高さはあるらしい。

 最初は、この建物に誰かが住んでいるのなら、道を聞くなり、少しの間休ませてもらえないだろうかと考えたのだが、その考えは一瞬で吹き飛ぶ。この館は、明らかに何年も人の手が入っていない。暗がりでもわかるくらいに荒れ果てているのだ。

 だが、この程度でへこたれる私ではない。ここに館があるのなら、かつて住民が使っていた道があるのではないかと考える。

 早速車を右往左往させて、道の痕跡がないか探し始めたが、助手席に座るその人が、じっと館を見つめていることに気がついた。

 どうしたのかと声をかけると、こちらを向いて、また恥ずかしそうにしながら微笑んだ。


「私ね、こんな館に住むのが夢だったんだ」


 それは、彼女が初めて語ってくれた夢だった。

 その後、無事に下山し、私はあの夜見た館について調べ始めた。

 あの館は通称『星見の館』。誰が建てたのかはわからない。

 だが、朗報もある。あの館は、誰のものだったかはわからないが、売りに出されていた。おまけに、頑張れば私でも手に入れられそうな値段をしている。

 この話を読んだ人は、なぜ私がそんなに館に執着するのか疑問に思うだろうが、前述の通り、初めて語ってくれた夢だから、是非とも叶えてあげたかったのだ。

 その人は、長くは生きられないと幼少期から言われてきた人だった。そのために、今日を生きられればそれで幸せという考え方で、それ以上のものは、なにも望まなかった。私が側にいてくれるだけで幸せだよ、と常に言っていた。


 それから二年、どうにかお金を工面し、あの館とその周辺の土地を買い取った。それだけでなく、建物自体にも補修と改装を少しだけ入れて、次の誕生日にプレゼントをしようと計画した。

 改装を入れたのが少しだけというのは、プレゼントして、その場所に住み始めてから、二人で少しずつ手を入れていこうと密かに計画していたからである。

 空気が綺麗な山の中で、ゆっくりと人生を送って欲しい。そして、その中に私もいたらもっと嬉しい。


 だが、その日はとうとうやってこなかった。


 どうして?どうして?どうして?どうして?どうして?

 欲に塗れず、穏やかな幸せを願った人間が死ななくてはならない?

 どうして?どうして?どうして?どうして?どうして?

 他人の命と、自分の名誉を天秤にかけて、人を見殺しにできる?

 どうして?どうして?どうして?どうして?どうして?

 なぜ悪人が野放しにされている?


 どうして?どうして?どうして?どうして?どうして?

 どうして?どうして?どうして?どうして?どうして?


 何度考えても答えは出ない。何度問いかけても、何度問いかけても、何度も何度も何度も何度も。

 もう、なにも、喋らない。


 正直この館も燃やしてしまいたかった。だが、そうさせなかったのは、あの日見た星空が、目に焼き付いていたからだ。

 ごめんな、でももう、大丈夫だから。その星空から、私を見ていてほしい。


 厚い雲に覆われた星空の下、私は復讐を開始する。


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