四面楚歌
二十一時過ぎ、そろそろ寝ようかとしていたところで、管理人が部屋にやって来た。緊急事態なのでサロンに集合してほしいと言われ、不安を覚えながら識名はサロンに上がって行った。
管理人に言われてすぐに部屋を出たのだが、既に青柳、六波羅、秤谷の三人が集まっていた。全員どこか疲れたような顔をしており、識名が部屋に入って来たのを認めると、少しだけ力なく微笑んだ。
微笑んではくれたのだが、霜触が亡くなっているのが発見されたときに呼び出された人たちが集まっているのを見て、これから行われることの察しがついた。
どうしてこんなことになったのだろう。
三人は同じソファーセットに座っていたが、なんとなく誰も寄せ付けないような雰囲気を感じ取って、少し離れた場所に座った。
それからしばらくして、サロンの中に人が集まってきた。ほとんどの人は既に眠る準備をしていたようで、化粧を落としていたり、部屋着のようなものに着替えていたり、髪を濡らしたままだったりする人がいた。
彼らもまた、詳しい事情を説明されずに集合したのだが、識名同様、元医者が二人揃っているという事実で、何が起こったのかを理解したようで、皆不安げな表情を見せた。
集合した人々は揃って口を開かなかったが、やがて我慢の限界が来たようにしゃべり始めたのは初取だった。
「いったい何なの!こんなところに全員を集めて、よくある刑事ドラマのようにお前が犯人だ!みたいにやり始めるのかしら、そんなのが通用するのはフィクションの世界だけよ、警察の正式な捜査が入っているわけでもないのに、人を犯人扱いするなんて人権の侵害だわ!」
「まだ集められただけでしょう?誰かがそんなことを言って集めたわけではないですよね?みんな不安なんですから、それを煽るようなことはやめてもらっていいですか」
騒ぎ立てる初取に切り込んだのは、意外なことに佐曽利だった。
初日に彼女が突っかかって来た身としては、彼女は厄介ごとに好奇心だけで突っ込んでいきそうな雰囲気はあるものの、これまで我関せずのような態度で通してきていたので、第一印象が間違っていたのだろうかと、判断していたのだ。
佐曽利は確かに好奇心だけで行動することは多々あるのだが、基本的に目立たないよう騒ぎを起こさないように行動するというのが彼女の理念だ。そのため、他の宿泊客の騒動に首を突っ込まなかったが、さすがに今回ばかりは我慢の限界が来た。
初取は、意外な人物の反撃に一瞬たじろいだ様子を見せたが、すぐにいい暇つぶしの相手が現れたと言わんばかりに食いついてきた。
「なに、あなた。こんな場所で正義の味方気取りかしら」
「いいえ、正義の味方でもなんでもなく、ただあなたの発言が不愉快不適切極まりないから指摘しただけですよ」
佐曽利が困ったという顔をして、わざとわかりやすく大げさに肩をすくめて見せた。
それで我慢しておけばいいものの、挑発に乗ってしまった初取は、佐曽利に掴みかかっていった。掴まれた本人はというと、計画通りとでも言いたげに、ニヤニヤいやらしい笑みを浮かべている。
髪の毛を掴んでしまいそうな剣幕に、六波羅や秤谷が止めに入ろうとしたのだが、相手が女性だということでためらっている。それを見かねた青柳が、二人を引きはがしにかかる。
この場にもう一人いる女性は識名だけなので、自分も止めに入るべきか悩んだのだが、暴れまわっているのは初取だけなので、一人だけで止めることができた。
青柳に羽交い絞めにされていてもなお、掴みかかろうとするのをやめなかった。
夕方に蟹江に注意されたばかりだというのに、凝りもせず騒ぎを起こそうとするのだろうか。
そこで違和感を覚えて、落としていた目線を上げた。そしてこの部屋にいる人間の数を数える。
八人。今この館内で生きている人間は十一人、しかしこの場所に集合するように言われた時点で、もう一人亡くなったのだろうと考えたので、今は十人か。
しかし、それでも二人足りない。管理人、牛島と蟹江のどちらかがこの場所にいないのだ。
もしかして、と不安を覚える。管理人は宿泊客を呼びに行ったのだから、この場にいなくてもおかしくはない。だが、なかなか戻ってこないということは、扉を叩いても返事をしない人がいるのではなかろうか。
様子を見に行くべきなのだろうかと考えたが、先日の霜触が殺されていた現場を嫌でも思い出す。もし自分が見に行ったとして、もし本当に誰かが殺されていた場合、再び気絶をするだけなのではなかろうか。
そうやって悩んでいるうちに、悩みの原因である管理人が部屋に入ってきた。
彼の顔を見て少しだけ安心したのだが、その顔は真っ青になっている。何かが起こったことは一目瞭然だった。
「どうにかしたんですか」
未だに初取を止めている青柳に代わって、秤谷が管理人に駆け寄る。管理人は明らかに憔悴しきった顔で答えた。
「蟹江様が、部屋から出てこられないのです」
その言葉が発せられた瞬間、部屋の空気が凍り付いた。いまだに暴れ続けていた初取ですら、ぴたりと動きを止めた。
「それは、もしかして」
苦しそうに発せられた六波羅の言葉に、管理人は無言で頷くしかできなかった。
最初に『金牛宮』の部屋に集合していた人間以外に順番に声をかけていったらしい。しかし、蟹江の宿泊する部屋からは返事がなく、ずっとこのまま話しかけ続けるわけにもいかないので、とりあえず残りの人たちに声をかけて、もう一度声をかけたようだ。
それでも返事がないので鍵を開けて入ろうと思ったのだが、もしも本当に蟹江が殺されていた時に、管理人は何もしていないと証言をしてくれる人間が必要だった。先ほどの牛島の部屋に入ったときも、秤谷に証人になってくれるように頼んだのもそのせいだ。だが全員サロンに上がっていた後だったので、とりあえず誰かを呼びに上がって来たのだ。
「そうやって自分はやっていません、っていうように装っているけど、実は管理人さんが一番怪しいってわかってる?」
明らかに不機嫌そうに、ソファーに腰掛け肘置きに肘をついたまま発言したのは釣瓶だ。管理人に注いでいた視線が全て彼に移る。その視線にたじろぐことなく言葉を続ける。
「わざわざ時間なんて計っていないけどさ、俺たちがここに集まってからかなり時間経っているんだよね。おまけにマスターキーだなんて御大層なものも持っているし、犯行を疑うなっていう方が無理があるよ。今も蟹江とかっていうおっさんを殺してきたんだろう?」
まるで悪びれもせずに管理人を犯人と疑う発言に、一同は頭に血が上るような思いがしたが、それと同時にそれなら納得できるというのも事実だ。
管理人は確かにその通りだとでもいうように、顔を真っ青にしたまま俯き何も言わない。また、その他の人間も、誰も反論をしようとせず、釣瓶は我が意を得たりという顔でいる。
だが、その沈黙も長くは続かなかった。秤谷が口を開いたのだ。
「釣瓶さんは、管理人さんが今までの殺人の犯人だと考えているんですね?そして、たった今蟹江さんを殺してきたと。そういえば君は死亡推定時刻の話は聞いていないのかな?」
秤谷も最初はなるべく丁寧に話そうとしていたのだが、なんとなく焦りが出てしまったのか段々と口調が砕けていった。
「は?死亡推定時刻って、そのまんまの意味だろ、死んだ時間。それが何?」
「意味は理解してくれているようだね。でも今話しているのは、意味の問題じゃないんだ。刑事ドラマで死亡推定時刻を割り出して、その時間帯にアリバイがない人間を犯人と仮定して捜査をするのを見たことはない?」
「俺刑事ドラマ見ねぇし。そのアリバイがなんなんだ?」
まるで幼子を窘めるような口調で話さ始めたのが癪に障ったのか、少しだけふてくされたような態度で返事をした。
そんな彼に対抗するように、秤谷は人差し指をピンと立てて笑顔で答えた。
「君は管理人さんが犯人だと言った。それと、今回サロンに皆が集められた理由、実は牛島さんが殺された状態で発見された」
牛島の名前を出した瞬間、サロンの中が騒がしくなった。管理人も、自分の口から告げるつもりだったので、秤谷の方から発言されてしまったことに困惑していた。しかし、それを気にすることなく秤谷は話を続けた。
「僕と青柳さんの見解では、牛島さんの死亡推定時刻は十八時過ぎから十九時頃だ。その時間帯に管理人さんが何をしていたか知っているかな?大抵の人は部屋に引き上げてしまっていたけど、僕と六波羅さんは部屋にいたくなくて、少し早めに十八時前から食堂で待機していた。その時からずっと管理人さんが厨房で調理をしているのが見えていたし、彼に内線の電話がかかってくるのも聞いた。そしてその後は、皆が食堂に揃って夕食だ。このアリバイがある中で、その時間帯にどうやって牛島さんを殺すというんだい?」
釣瓶は黙り込んだまま何も言わない。六波羅が頷いているあたり、どうやら彼が言っているのは真実なようだ。
「こういう場合、刑事ドラマ風に言うならアリバイ成立、ですね。今までの犯行から考えても、同一犯の犯行だと考えています。ここから先は何か根拠があるわけではないですが、こんな状況下で模倣犯が出ているとは考えたくないです。そのため、管理人さんが牛島さん以外を殺したとも考えにくい」
とうとう釣瓶は、拗ねたように明後日の方向を向いてしまった。納得したかどうかはわからないが、とりあえずこれ以上騒ぎ立てるつもりはないらしい。
「管理人さん、もし今から蟹江さんの部屋を開けるのでしたら、私と秤谷が行きましょうか」
青柳が控えめに挙手しながら言う。騒ぎにとりあえずはひと段落がついたので、管理人は少しだけホッとした顔で頷いた。
そのまま彼は廊下に出ていったので、それを追いかけて二人も外に出た。
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