最終話 女王の祝福

 ――浅い。


 マーガレットは人を斬る事に慣れていない。

 迷いが生じたのだ。


 剣を引く。

 肉が引きつれるような生々しい感触がする。

 アシア王子は血を吐き、たたらを踏んだ。

 彼に武器はなかったが、その視線は扉をとらえていた。


(逃げる気だ)


 どこから力が湧いてくるのか、立ちはだかるマーガレットに向かい、拳をふりあげる。


「がっ……」


 アシア王子は声にならない声をあげ、膝をついた。

 背後からライオネルが斬りつけたのである。

 マーガレットに向けた拳はふりおろされることなく、だらりと垂れ下がった。


 ライオネルの一撃が致命傷となり、アシア王子は頭から倒れた。

 続き間の向こうでは、血みどろになったエドマンドが立っていた。

 マーガレットを目当てに武装を解いた男たちは、彼の手によりいとも簡単に命を落とした。


 ――アシア王子は、シラナ国が有する豊富な装備でやってくるだろう。

 だが相手が油断すれば勝機が見える。


 ライオネルが提案した入れ替わり作戦は、功を奏したというわけだ。


「供述通り、持っていました」


 アシア王子の家臣が背負っていた荷をほどき、エドマンドは嘆息する。

 白い布にくるまれていたのは、失われた宝剣だった。

 色とりどりの宝石と金で装飾された、ケネス国王の象徴となる国宝。

 さすがのエドマンドもおっかなびっくりそれを再び布でくるみ、マーガレットに手渡した。


 ずっしりと重たい。

 マーガレットは両手で抱きしめるようにして、宝剣を受け取る。

 血まみれになった己の私室を見て、マーガレットはため息をつく。


「終わったみたい」


 アシア王子は、ジギタリスの花を縫い取った絨毯の上にうつぶせで倒れている。


 地面にひれ伏し、ジギタリスの毒をすするがいい――。


 実際に彼の命を奪ったのは、ライオネルとエドマンドという、ふたりの騎士だが。

 どちらも一筋縄ではいかない、ヴィア王朝に必要な毒だ。

 血の臭いの充満した部屋で、マーガレットは深く息をつく。


 命を奪ったことに良心の呵責はある。

 だが、なにかを選び取らなくてはならないなら、マーガレットは守るために剣をと

る。


「こいつの遺体と引き換えに兵を引くよう、交渉してきます」


 エドマンドはにこやかにほほえみ、アシア王子の遺体をひきとった。


 ――終わったんだわ。


 互いに息をはずませ、マーガレットとライオネルは向き合っていた。


「なかなかお似合いよ、そのドレス」


 ライオネルは頬を赤く染め、そっぽを向いた。

 女装など、恥ずかしくてたまらないのだろう。


「自分で言い出しておいてなんだが、アシア王子に言い寄られて最悪な気分だった」


 アシア王子はマーガレットを手に入れたがっている。

 大勢仲間を引き連れて王宮入りしたとしても、欲にはあらがえない。

 しおらしくしていれば必ず罠にかかるはずだと言ったのは、ライオネルである。


 だがマーガレット本人がひとりで待っているのはまずい。

 アシア王子の思惑通りになってしまう。


「あいつは女王陛下の顔をおぼえていたから、他の者に代わってもらうことはできなかった」

「おかげで、脅威は去ったわ」


 アシア王子の遺体を確認すれば、敵軍は去ってくれるだろう。


「これからのシラナ国の関係性を考えると、頭痛がするけれど」


 根も葉もない噂をばらまかれ、反乱を先導されたこと。

 宝剣を盗まれたこと。

 確かな証拠が出てくれればいいが、シラナ国は知らぬふりをするだろう。

 リカー王国側も、マチルダが関与していたことで落ち度はあったことになる。


「今後のシラナ国とのことは俺が交渉に出る。今はなにも考えるな。それよりも、国民に姿を見せてやれ」

「あなたもバルコニーに出ましょうよ」

「こんな格好で出られるか!」


 純白のドレスを身につけたまま憤慨するライオネルに、マーガレットは噴き出しそうになる。


「人気が出るとは思うけど。いいわ、お父さまの甲冑を着ればいいわよ。二人揃って出るわよ」

「だが……」


 ライオネルはしぶっている。


 ほんの少し前まで、彼はマーガレットと敵対していた。

 二人並んで公式の場に出たことは一度もない。


「わからないの? あなたはもう、私の騎士じゃないの」


 あの地下牢での誓いを、忘れたとは言わせない。

 マーガレットが目を細めると、ライオネルは観念したようにうなずいた。

 甲冑を着た二人は、国民たちが固唾を呑んで見守る中、バルコニーから顔を出した。

 マーガレットと……背後に控えるライオネルを見るなり、歓声の声が上がる。


 ヴィア家とグレイ家。

 どちらも共存できる、新しい王朝を。


 背後には苦楽を共にしてきた家臣が、マーガレットを支えるように勢揃いする。

 エドマンド、セシリオ、摂政たちの顔ぶれをながめる。

 トマスが車いすから立ち上がり、王冠を差し出した。


「陛下。ここで、戴冠式を」

「でも、トマス。あなたは怪我を……」

「お恥ずかしい。アシア王子に襲われたとき、足をすべらせましてな。頭をぶつけてちょっとばかり出血しただけです。アリスが大げさにこんなものに座らせるから」

「だって伯父さま、万が一ってことがあるじゃないの。もうトシなんだからさ」


 アリスは伯父を支え、マーガレットに向かってうなずいた。


「たぶん……ここに集まったみんな、マーガレットの戴冠式が見たいはずよ。道具は全部ここにはないけど……宝剣と、王冠があるわ」


 最初の戴冠式はひっそりと執り行った。

 国民にはまだ、自分が正式に王になったことを伝えていない。


「では……お願いするわ。トマス」


 二度目の戴冠式だ。


 国民に見守られ、マーガレットは王冠を授けられた。

 王冠の重みは、この地にしっかりと足をつけて生きられるよう、支えてくれているかのようだった。


 女王、万歳! 声高に叫ぶ人々の声に、マーガレットは耳をすませる。



 ――神はいたのか? その答えはまだ出ていない。



 あいにくの天気だ。太陽は隠れ、泣き出しそうな曇り空が広がっていた。

 マーガレットは手を伸ばす。


 ひもじく孤独で、闇に呑まれそうな心細さを、きっとこの国の人々は感じている。

 たとえ神が、彼らを救うことができなくても。

 冷たい雨がふりそそぎ、希望の光が見えなくなったとしても。

 この両手があるかぎり、私が彼らを救い出す。


 宝剣をかかげ、マーガレットは高らかに宣言した。


「みなさん、私がヴィア王朝二代目の王、マーガレット・ヴィア・リカーです。私がみなさんを守り、慈しみ、この国に祝福を与えることを……約束いたします!」


 霧雨が降りしきる空の下。

 それでもなお、宝剣は燦然と輝いた。


 バルコニーから国民を見下ろすマーガレットの美しさは、誰しもの目に焼き付いた。

 雨に濡れたジギタリスの花のようにしっとりとうつむいて、優しく国民を見守っている。


 人々は、女王の祝福をたしかに受け取ったのだった。

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ジギタリスの女王に忠誠を ~修道院の王位継承者~ 仲村つばき/富士見L文庫 @lbunko

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