第32話 守りたいもの

 はじめ、ライオネルは言われた意味がわからなかった。

 荷物とマーガレットを見比べ、呆けた顔をする。


「なにをぼさっとしているの。逃げなさい」

「俺を逃がしてどうする」

「アシア王子がこの国に攻めてきたの。すべて仕組まれたことだった。反乱も、宝剣の盗難も、そしてあなたの挙兵もね。あちらの要求を突っぱねたので、私はおそらく生きては戻れないでしょう」


 マーガレットは戦装束を身につけている。


「生き延びて、この国を継ぐのよ」

「ばかな。俺はお前のことを裏切ったんだぞ。ワースの地でだって、ヴィア家の味方をしなかった」

「知ってるわ」

 マーガレットは、ライオネルを見下ろしたまま言った。


「でも、ずっと私はあなたに憧れてた。あなたのような存在が王になるべきだったのに、と何度も考えてきた。けれど現実はうまくいかない。私の治世はもはや今日で終わるのかもしれない。それでも、覚悟を決めて戴冠したからには私は国民を守りきる。アシア王子がこの国の王となれば、リカー王国に未来はない」


 マーガレットは、静かにほほえんだ。

「後はあなたに託す。牢番に案内役を任せてあるわ。うまく生き延びてね、ライオネル」

「待て」


 ライオネルは立ち上がり、マーガレットの手首をつかんだ。

 おどろくほど細い。

 こんな細腕で、国民を守りきると?

 恐ろしくはないのか、この女王は。


 マーガレットは振り返った。

 恐怖も、不安も、すべて内におしこめていた。

 感じるのは怒りだ。

 そしてわずかな希望を信じている。

 マーガレットは死にに行く気である。


 自分ではなく――この国の未来を信じている。


 ライオネルの胸に、熱いものがこみあげてきた。


「お前は死んだりしない」


 俺の負けだ。

 ずっと前からこの女王に負けていた。


 血筋だとか、男であるとか、そんなことでしか優越感を感じることができなかった。

 もう浅はかな夢は見ない。

 神はすでに正しい王を選んでいた。

 己の傲慢さに目が曇り、彼女の内なる情熱に気づけなかっただけだ。


「この国の女王は、死んだりしない――。家臣は、王を守るものだからだ」


 ライオネルは彼女の前に跪き、頭を垂れた。


「騎士の儀式を」

「ライオネル」

「俺に行かせてくれ。アシア王子をこの国に引き入れたのは俺だ。責任は取る。それがグレイ家の当主――俺の役割だ」


 ライオネルは、逃亡のために用意された剣を拾い上げた。

 逃げるために、これを使うことはない。

 もう二度と卑怯なまねはしないと決めた。


 断頭台で命を散らすのが己の定めだと思っていたが、女王が望むなら、誓いを新たにする。


「でも、あなたにしかこの国は守れないわ」

「その言葉は、そっくりそのままお前に返す」


 ライオネルが剣の柄を突き出すと、マーガレットはおそるおそる、それを受け取った。


「今、はじめて。ヴィア家とグレイ家、咲き誇るふたつの花。俺たちは運命共同体だ、マーガレット」

「……ええ」


 ひざまずくライオネルの肩に刃を当て、マーガレットは誓いの言葉を述べた。

 ライオネルは薄いくちびるを刃にくちづける。


「女王陛下」


 はじめて、ライオネルはマーガレットをそう呼んだ。

 マーガレットは驚いたような顔をしたが、やがて目を細めた。


「俺に考えがある」


 ライオネルは、力強くそう言った。





 マーガレットは馬を駆け、大聖堂へ突入した。甲冑に身を包み、一見して女だと言うことはわからない。


 マーガレットが率いる小隊が奇襲をしかけたことで、聖堂前でもみ合っていた兵士たちは散らざるをえなかった。


 女王の護衛軍には、セシリオや配下の海賊も含まれている。

 海賊時代はさんざんアシア王子に辛酸を呑まされてきた彼らは、これまでの復讐とばかりに率先的に戦の中へ身を投じていった。


「自分の身は守れるわ。行きなさい!」

「恩に着ます、女王陛下」


 彼らを散らしてしまうと、マーガレットはあたりの様子を見回した。

 誰もここに援軍が来るとは思っていなかったのだろう。

 農具を手に防衛にあたっていた国民たちはほっと胸をなで下ろしている。


(教会を襲うなど)


 神をも恐れぬ行為。

 ここが流血を起こしてはならない場所だとわからないのか。


 王宮でアシア王子を迎え撃つつもりが、彼らが大聖堂へ向かったと聞き、いてもたってもいられなかった。

 マーガレットは王宮に戻り隊を編成しなおすことはせず、まっすぐに大聖堂へ走ったのだ。


 大聖堂の壁に背中を預けるようにして座り込む初老の男を見つけるなり、マーガレットは蒼白になった。


「トマス!」


 部下に命じ、建物の中へ運ばせる。


「女王陛下……このようなことになり、情けないことでございます」

「大丈夫よ。しっかりなさい。あなたはよく頑張ったわ」


 意識はあるが、出血している。

 すぐに手当をしなくては。


 ひとりのシスターが、マーガレットをめがけて駆けてきた。

 アリスはどんな姿をしていたとしても、親友を見間違えることはない。


「マーガレット! セシリオたちが来てくれたみたいでよかった。私は伯父さまのために医者を探していて」

「大丈夫よ、トマスは安全な場所へ運ばせました」


 アリスはほっとした表情を浮かべた。


「ひと安心だわ。本当にどうなることかと思ったもの」

「隠れていなさい」


 ヴィア家の旗がゆらめく。

 あたり一面が紫色に染まった。

 王宮から援軍が到着したのだ。


「女王陛下だ」

「やっぱり来てくださった」

「怪我人は一度後退しろ! 女王軍に後を任せるんだ」


 避難民たちは、すがるようにしてヴィア家の紋章、ジギタリスの花をながめている。

 国民たちは、女王軍の存在に安堵していた。


(ここにいる人たちを……私は、助けることができた)


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