第30話 勝算はない。けれど

 セシリオの間諜によれば、アシア王子が率いるシラナ国軍はすぐそこまで迫っているようだ。


 彼らはあの因縁のワースの地で野営をもうけ、すでに道中の町では略奪の限りを尽くしていた。

 そのやり口は醜悪としか言いようがなく、リカー王国の王を名乗るにもかかわらず、国民を思いやる心などみじんもないようであった。


(セシリオから受け取った前情報で、アシア王子の侵略ルートを割り出せたのは不幸中の幸いだったわ)


 彼はマーガレットの影となり、有益な情報をもたらしてくれた。

 国民をできるかぎり事前に待避させたことで、戦争のまきぞえを食らう者をぐっと減らすことができたのである。


 アシア王子の使者が、王宮へたどり着いた。

 気弱そうな青年である。

 覇気がまるでなく、戦場においても役に立ちそうにない。

 せめて伝令くらい務めてみせよと敵地までひとり向かわされたのが、ありありとわかる。


「わ、我が主からの伝言を申し伝えます」


 使者は、エドマンドににらまれてすくみあがっている。

 帰りの命はないものと思えと言い含められていたはずだが、戦場の悪魔と謳われた戦士を前にしては、恐れを隠すことはできないらしい。


 マーガレットは「発言を許します」と、玉座の高みから答えた。


「……マーガレット女王陛下が、アシア王子の第二妃としてシラナ国に降嫁されるのなら、兵を引いても良いとのことです」


 その場は騒然となった。


「宝剣を盗んでおいてそのような」

「すでにいくつかの街はシラナ国軍に破壊されたというのに」


 家臣たちは怒りをあらわにし、使者をなじる。

 マーガレットは凜と響く声で言った。


「静かになさい」


 じっと、震え上がる使者を見る。


「話にならないわ。私に愛人になれと?」

「宝剣は……我が主を選び……」

「黙りなさい」


 アシア王子になど。

 そんなことになるなら、ライオネルに王冠を譲った方がまだましだ。


 ライオネルには人望があった。

 そしてグレイ家を継ぐ者としての誇りを持ち合わせていた。

 彼ならば、己の理想をもとに国民を導いてくれるはずだった。


 アシア王子にリカー王国は任せられない。


 エドマンドが剣をすらりと抜く。


「こいつを殺して、遺体をワースの地に投げ捨てましょう」

「ひいっ」


 他の家臣たちも次々と剣を抜いた。

 逃げ場のない使者は、泡を食ってうずくまっている。


「おやめなさい。この使者には私の伝言を伝えてもらいましょう」


 ほっとしたような顔をする使者に、マーガレットは笑みを浮かべた。


 堕落した統治者に国をみすみす明け渡す?

 たとえ神がお許しになっても、この私が許さない。



「地面にひれ伏し、ジギタリスの毒をすするがいいと、お伝えなさい」



 マーガレットに見下ろされ、使者はその視線にぬいとめられたかのように目を離せずにいたが、やがて額を床につけて平服した。


 マーガレットは王錫を床にたたきつけ、叫んだ。




「全軍に告ぐ。敵軍を迎え撃つ準備を。これ以上侵略行為を許してはなりません!」




「これからどうする、女王陛下」

 セシリオにたずねられ、マーガレットはうなずいた。


「することはひとつよ。――エドマンド」

「すぐに大聖堂へ向かいましょう。騎兵隊が御身をお守りいたします」


 あっけにとられたままの使者を捨て置き、家臣を引き連れて進む。


「宝剣はなくて構わない。すべては神が決めること」


 神はヴィア王朝を許すか、国民は自分を選ぶか。


 これは賭けだ。

 勝算はない。


 相手はわずかながらもリカー王国の正統な血を継ぐ大国の王子で、自分は娼婦の子孫である。


 しかし、この国に育てられた。

 修道女であったときから、マーガレットはこの国と共にあった。

 リカーという国の激動の時代に、彼女は女王となったのだ。



 愛国心あれば、道は開ける。



 何度王位を奪い取られても、何度でも王冠はかぶりなおすことはできる。




 ――私が、選ばれた王ならば。




 マーガレットは大聖堂へ、力強く歩き出した。

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