第29話 女王の証明

 マチルダが服毒自殺をはかった。 

 そのしらせは静かに王宮内にもたらされた。


「そう」

 とうとう宝剣の場所を吐かなかったか。


 マチルダのヴィア家に対する憎悪はすさまじく、そして女王にたいする怒りは相当なものだった。

 マーガレットを呪う言葉を吐き、牢で暴れたり、独り言をぶつぶつとつぶやいたり、食事で遊んだりする彼女にかつての淑女の名残はどこにもなかったそうだ。


 マチルダは独房に入れられ、厳重な監視がつけられていた。

 彼女の死因となった毒は下着の中に隠されていたそうだ。


「尊厳を大切にしてあげてほしい」というマーガレットの願いを聞き入れた結果、身体検査は簡易に終わり、毒の持ち込みに気がつけなかったとのことである。


「下がりなさい。人払いをして、エドマンドを呼んで」


 マーガレットは、マチルダの息のかかった侍女を全員解雇してしまったので、側に仕えているのはわずかな女たちだけだった。

 彼女は扉の側に控えたエドマンドをそばに呼び、できるだけ感情をそぎ落とした声で言った。


「あなたはもう聞いていたのね?」

「はい。誠に面目ないかぎりです。妻のことを考えると、私は職を辞すべきでしょう」


 彼の目の下にはうっすらと隈がある。

 感情にまかせてマチルダを殺そうとしていた彼だが、彼女が収監されてからというもの、一日も欠かさずマチルダに会いに行っていた。


 彼女が正直に罪を認め、宝剣の場所を告白すれば。

 極刑を免れることができるよう、エドマンドはマーガレットに交渉していたのである。


 彼の辛抱強い説得にもかかわらず、マチルダはとうとう宝剣を誰に渡したのかは言わなかった。

 夫にひどい暴言を吐き、つばを吐きかけたそうだ。

 変わり果てた妻を目の当たりにしたエドマンドは、たとえ毒を使わなくとも彼女がそう長く生きないことをどこかで察していた。

 精神に巣くう病魔が、マチルダをむしばんでいた。


「妻の行動に気がつけなかった。すべては私の責任です」

「そういうわけにはいかないわ。騎兵大尉の職があく」

「セシリオに兼任させればいい」

「あれは海賊よ」

「私と比べればどっちもどっちだ」


 マーガレットは彼に言い聞かせるようにした。


「臣下をこれ以上失うわけにはいかないの。マチルダのことは、マチルダの罪。ラドクリフ伯やあなたにかんしては……他の家臣の手前しばらく謹慎していただくことになるかもしれないけれど、解雇することはないわ。ここまで一緒にやってきたじゃないの」

「私だって、ここまで一緒にやってきたからこそ言ってるんですよ」


 エドマンドは挑戦的に言った。


「肝心なところで甘いですね。いつまでもそんなことを言っていると、悪い男につけこまれますよ」


 マーガレットのあごに指先をあて、上を向かせる。

 エドマンドは迫力のある美貌をしているので、そんな態度もさまになっている。


「大変よ、マーガレット!」


 飛び込んできたアリスが目を丸くし、小さな声で続けた。


「……あの、お邪魔だった? そういえば人払いしてたわねー……強引に、突っ切っちゃったけど……」

「いいえ。どうかしたの?」


 マーガレットとエドマンドのふたりを見比べて、アリスはどぎまぎしている。

 彼女は今回の宝剣捜索に協力してもらっているので、手続きを踏むことなくマーガレットに会えるよう、とりはからっていたのである。


「こういうときは黙って出て行くもんだぜ、シスター・アリス」

「わかってるわよ。私のこと気も使えない女みたいに言わないでくれる」


 隣には渋面のセシリオもいる。

 道すがらかちあったらしい。

 海賊と修道女、ちぐはぐな組みあわせのふたりである。


 誤解されたようだが、ふたりが考えるようなことはなにもない。

 マーガレットは咳払いをする。


「それで、大変なことって?」

「アシア王子が、戴冠したそうだ」

「彼の継承権は第三位のはず。上二人はどうした?」


 エドマンドの質問に、アリスは割って入るようにして、新聞を広げた。

「シラナ国の王として戴冠したんじゃないの。ここよ。リカー王国の国王として、アシア王子が戴冠したと」

「どういうことなの」

「これよ。アシア王子、神に選ばれし宝剣を持ってリカー王国の国王となる……」


 マーガレットはその記事をひったくった。


「奴にもグレイ家の血が流れているんだろう。それに宝剣を持っているときた」


 セシリオは厳しい顔つきになる。


「まさかお宝があちらに渡ってしまっていたとはな。港町であいつらを襲撃したとき、調べ損ねた俺の責任だ」

「マチルダ……よりによってアシア王子とつながっていたか」


 エドマンドは拳でテーブルを打った。


 アシア王子には薄いながらもグレイ家の血が流れている。

 マーガレットやライオネルが存命である以上、彼が戴冠するにはかなり無理があるとはいえ、アシア王子の元には宝剣がある。

 ライオネルはとらわれの身の上となった。

 グレイ家派の貴族たちはアシア王子が立つならば支持するかもしれない。


「どうりでね。教会組織をあんなに簡単に動かせたわけよ」


 アリスがくちびるをとがらせる。

 アシア王子はマーガレットより先に戴冠して、堂々とリカー王宮へ攻め入るつもりである。

 マーガレットを「偽王」に仕立て上げようとしている――。


「このままでは、王宮を明け渡すように言われるでしょう」


 エドマンドの言葉に、マーガレットはうなずいた。


「すぐに国民を待避させて。逃げ切れない者は教会に集めなさい。これはシラナ国の侵略行為です。今までの内乱とはわけがちがうわ」


 国民の身の安全は保証されないだろう。

 土地を奪われ、国民は奴隷にされるかもしれない。

 アシア王子が欲しているのはリカーの国王という立場だけ。

 リカー王国を手に入れられたならばシラナ国の王位継承に有利に働く。

 そうでなければ貧しい国をわざわざ侵略する意味などない。


 わざと、マーガレットとライオネルを対立させ。

 疲弊したところを見計らって宝剣を盗み戴冠する。

 なんというやり口だ。


「女王陛下。私に先鋒をお任せください。一族の不手際は、次の戦いで武功をあげて帳消しにいたします」


 エドマンドは恭しく礼をした。


「――いつも、そうしてやってきましたから」

「守れるわね、国民のことを――この国のことを」

「もちろんでございます」


 アリスは急いたように言った。


「マーガレット。私は市民を避難させるわ。食糧の備蓄をかきあつめる」

「頼んだわよ」

「俺は間諜を放ってアシア王子の身辺を探る。地上の戦いは残念ながら得意じゃない、そのかわり盗めるもんはしっかり盗んでおく」

「ほどほどになさい。あなたにはもうクレイオット伯という立場があるの。ライオネルの領地はあなたとエドマンドに任せてある。領民を守るのは領主のつとめよ」

「わかってるさ、深追いはしない」


 問題なのは、国民がマーガレットとアシア王子、どちらに味方するかということだ。

 自分の人気のなさは心得ている。

 いっそのことアシア王子に統治されたほうがましだと言う者も出てくるかもしれない。

 西から広がったマーガレットへの悪感情は、ライオネルがとらわれた今もくすぶっているのだ。


(さすがにマチルダがいなくなってから、あのような不快なビラは止まったけれど……)


 マーガレットは孤独だった。

 エドマンドやアリス、昔からヴィア家に仕えていた家臣など、ごく親しい人たちは彼女を理解してくれる。

 しかし、一国の女王には限られた人間関係の中だけで生きることは許されない。



 神はいるのか。


 女王は――神に、選ばれたのか。



 マーガレット自身が、証明しなくてはならないのだ。


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