第4話 最後の平和な日

 エドマンドが修道院にやってきてから、約ひとつき。


 なんだか彼の存在になれつつある自分が怖い、などと思いつつ、マーガレットはシスターたちと共に彼から、戦の報告を受けていた。

 血なまぐさい話になったが、意外にもシスターたちは熱心に彼の話を聞いていた。戦場になった場所はこのファウルの地から馬で一日程度の距離しか離れておらず、それがシスターたちを刺激した。多くの民が助けを必要している状況であった。


 マザー・グレイスは分厚い片目がねの奥から地図をにらみつけていた。


「薬だけでも届けられないかしら。シスターたちで手分けをして包帯、薬品を作りましょう」

「兵たちが略奪しているそうよ。餓死者が出るかもしれないわ。チーズの在庫を調べてきなさい」


 マザー・グレイスの指示で働き者のシスターたちはてきぱきと動く。

 マーガレットもこれを手伝った。

 最初は軽口を叩いていたアリスも、だんだん市場やへんてこな人形やエドマンドの美しさには興味をしめさなくなり、淡々と作業に没頭するようになった。


「現実味、ってやつよね。戦争がすぐそばで起こっているんだっていう。なんだかんだとファウルは平和だったもの。あの色男がきてから、いろんな事が変わったわ」


 アリスは不得意な裁縫にも音を上げずにとりくみはじめた。

 マーガレットも端切れを手に取り、針を動かす。

 野いちごの茂みから離れて、どれくらい経つだろう。


 とある日に、マーガレットは気になっていたことをエドマンドにたずねた。


「お屋敷にいたときにあなたに会ったことはないわ」


 聖堂のすみで、エドマンドは馬をつないでいた。

 ああ、と彼は今しがた思い出したように言った。


「私がここにやってくるまでの経緯を、説明していませんでしたね」

「せめてここに護衛を寄越すなら、私と顔見知りの者を選ぶと思わない?」


 エドマンドはまた、くしゃりと顔をゆがませた。


「殿下と顔見知りの側近の幾人かは、グレイ家に寝返りましたよ。あなたが修道院に入って約六年。人の心がうつろうには十分な年月です」


 では……幼い頃頭を撫でてくれた老獪の騎士も、一緒に遊んでくれた青年貴族も……ヴィア家ではなくグレイ家を選んだのだろうか。

 

 私ではなく、ライオネルを。


 少しの間をおいてエドマンドは言った。


「私は戦争で敵将を倒した褒美に、ラドクリフ家三女のマチルダと結婚しました」

「結婚していたの」

「がっかりされましたか?」

「別に」


 エドマンドは、マーガレットの反応に落胆したようだった。

 くちびるをつきだし、つまらなそうにしている。

 この表情の崩し方はわざとなのか。成人した男なら、もう少し威厳があったほうが良いのに。

 しかし、この隙がシスターたちの警戒心をとき、好かれるゆえんでもある。


「そう、がっかりされなかったのか、残念だな。大抵の女性は私が既婚だっていうとがっかりしてくれるんですけどね」

「修道院でその反応は期待しない方がいいわよ。マチルダなら、子どものときに遊んでもらったことがあるわ」


 マーガレットより四つ年上のお姉さんだった。

 大人しくて、蚊の鳴くような声で話す。

 マーガレットが外で走りまわると、真っ青になって、とろとろとついてくる。

 マチルダがドレスの裾をふんづけ足をもつれさせるのでかわいそうになって、部屋遊びに切り替えたこともあった。

 マチルダはお姉さんぶって絵本を読んでくれたが、ただ文字をなぞるだけの読み方は退屈であった。


 お祈りにも熱心で、たえずロザリオを身につけ、日曜のミサには必ず参加し、いつも枕元には聖書を置いていた。

 自分よりマチルダの方が、よほど修道女に向いていた。


「なんだか、あなたとマチルダってあんまりぴんとこないわね」


 もっと、大人で包容力のある男性なら、マチルダを大切にしてくれそうなのだが。エドマンドが夫では彼女もヒヤヒヤするばかりであろう。

 ここひとつき彼を見ていたが、労働者の男たちと一緒にエールをあおったり、修道女が顔をしかめるような店に出入りしたり、町の女性たちが彼をめぐって喧嘩したりと、よくもまあここまで引っかき回す、といった具合なのだ。

 顔が整っているだけに悪魔そのものである。


「よく言われますよ。マチルダも私では不満でしょう。なにせ出自は鍛冶屋の息子ですからね。喧嘩っぱやくて、手癖も悪い。親父の貯金をくすねましたし、村中の女と寝ました。家を追い出されて、食うに困ってとりあえず傭兵になった」


 顔だけは貴公子然としていたのでたちが悪く、あまたの女性たちが彼の言いなりとなっていた。エドマンドをめぐって女たちが争い、そんな女たちの様子に男たちは怒りくるった。

 とうとう村を出されたエドマンドは、当然のごとく傭兵になった。

 彼にとって売り出せるのは己の命しかなかったからだ。


 彼が言うには「運が良かっただけ」とのことだが――立て続けにグレイ家の将を三人葬ったことで、めきめきとその頭角を現した。シーガンからは褒美に土地をくれてやると言われたが、土地は耕さなければならないし、自分で手を加えるのも農夫を雇うのも面倒。そこで年頃の貴族の娘と結婚させてほしいと、図々しい願いを口にしたのだった。

 本来ならば却下されるところであろうが、このエドマンドの願いは叶えられることとなった。

 マーガレットは昨今の結婚事情を思い出した。


「腕のいい傭兵を逃したくなかったんでしょうね。内乱で多くの貴族たちが命を落としてる。女は嫁ぎ先がなくて困っているくらいですから」

「ああ、そうなんですよ。運良くラドクリフ家の三人のお嬢さんが、全員余ってました。まさかグレイ家派の男と結婚するわけにもいかないし、かくなる上はこのまま修道院か、とね。まあマチルダなら修道院でも楽しく暮らしそうですが」


 相続人である長女は嫁がせられない。

 次女は鍛冶屋との結婚など、と断固彼を拒否した。

 そしてお鉢がまわってきたのが三女のマチルダだったのだ。


「マチルダは私の見てくれにある程度満足してくれたようなので助かりました。私は上二人の義姉に蛇蝎のごとく嫌われてるんですよ、はは」


 まったく笑いごとではないのだが、エドマンドはそうして軽く笑い飛ばしてしまった。

 妻の手前、公式の場でもラドクリフ家の名を名乗り、晴れて貴族の仲間入りを果たしたのだ。

 以降、妻のマチルダが彼に学問を教え、なんとか宮廷に出しても恥ずかしくないような男に……もっか教育中、というわけである。


「まあ、腕一本でのしあがったんですよ。あなたの護衛として来ましたが、本来は守るより殺す方が性に合ってるんですけどね」

「物騒なことは、ここでは禁句よ」


 マーガレットはたしなめる。


「あなたがこんなところで油を売るはめになったのは、周囲の貴族との軋轢の関係? それとも他に何か目的があるの?」


 エドマンドの視線が、すっと冷めた。


「勘がよろしいようで、マーガレット殿下」

「お父さまが、戦える傭兵をこんなところに置くわけがない」

「グレイ家の様子がおかしいです。偽王の首は早い者勝ちだ。王冠を狙うならまっすぐに取りに行くはず。オリヴァー・グレイが病に倒れたと聞いていますが、油断は禁物。カードは何枚も懐にしのばせておいたほうが良い」

「あなたが周辺の町で泥酔したり女性と遊び回っていたりしたのも、そういった狙いがあってのことだと理解しても良いのかしら」

「まあ……半分くらいはね」

「半分?」

「じゃあ二分の一くらいで」

「どちらも同じじゃないのよ」


 エドマンドは笑い声をあげて、続けた。


「もうすぐ終わりですよ、マーガレット殿下。数日のうちに荷物をまとめて、修道院のみなさんとお別れの準備を。あなたのことは、私が王宮までお連れします。世話係に妻も呼び寄せましょう」


 話は終わったとばかりに、エドマンドはぶらぶらと薬草園へ向かって歩き出した。なまぬるい風が吹き、彼のマントを揺らしている。


 私が、王宮へ行く。


 エドマンドはその未来を確信しているようであった。


「なにをぼさっとされているんですか。今日は薬草採りのお時間でしょう」

「なぜ知っているのよ」

「みなさん親切に教えてくれますよ。「あらエドマンド、今日は薬草を採る日なの。よかったらあなたのためにポプリを作ってさしあげるわ」あのシスターの名前はえーっと、なんだっけ……」

「もう結構よ」

「楽しまれたらいい。薬草を採るのはこれが最後だ」


 エドマンドはだらしなく笑ってみせた。







 彼の予言通りとなった。

 たたきつけるような大雨の夜、そのしらせはもたらされた。


 偽王、戦死。シーガン・ヴィア、戴冠。


 シーガンが偽王の遺体から偽の冠を取り上げた。

 歓声があがり、新王の誕生を祝った。


 その夜ヴィア家の陣営では松明をいくつもともし、雨あがりの丘でひとまずの勝利の宴がひらかれた。

 偽王の遺体は、甲冑をはぎとってしまえば前王エリオッド・ウッドとは似ても似つかぬ姿であった。彼の首は広場にさらされ、そしてようやくリカー王国に新たな国王が誕生した。


 シーガン・ヴィア・リカー。彼の戴冠と同時に、ヴィア王朝が始まった。


 マーガレットは修道院の仲間に別れを告げ、エドマンド夫妻と共に王都へ向かった。

 新たな王位継承者となるために。


 ――長らく剣を交えてきたグレイ家は、嵐が去った後にようやく嫡男のライオネルが戦場になったワースの地に上陸し、ひどく非難をあびていた。

 姿を見せなかった正当な王位継承者。

 誰もが彼のことを気にしていたが、戴冠式の場ではけしてその名を口に出さなかった。




 マーガレットは迷いの中、王宮への道をたどることになる。




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