第5話 鏡の中の裏切り者

「まったく、面の皮の厚いことだ。グレイ家の若造めが」


 父シーガンは顔を紅潮させ、王冠をクッション付きの台座に載せた。

 宝石をちりばめた大ぶりの冠は、父の太い首を持ってしても重たいようであった。長時間頭に載せていることは叶わず、謁見が終わればすぐさま取り外し、柔らかい布に沈めている。


 正式な戴冠の儀式を経て、ヴィア家のものとなったリカー王宮。

 かつては王女が読書のために使ったという小さな部屋に、シーガンとマーガレットのふたりは落ち着いた。

 扉の外には、護衛と人払いもかねてエドマンドが控えている。


 マーガレットはため息をつく。

 ライオネル・グレイがあの場で求婚してくるとは。


 王の戴冠式の後、彼はシーガンに忠誠を誓った。マーガレットは彼から目を離すことができなかった。

 ずっと気にしていた……人生の中で幾度となくその名を耳にしていた男が、姿を現したのだ。

 初めて見た。ライオネル・グレイという男を。自分とよく似た面差しの、まったく異質な存在。自分は肯定されて当然である、というみなぎる自信。


 私と彼は揃いの人形のようなのに、その内はまるで正反対。

 強気でライオネルの求婚をつっぱねたが、マーガレットは彼に脅威を感じていた。


「私を夫に」という彼の言葉には、あきらかな征服の意思があった。

 マーガレットなら御しきれる。


 ひとめでそう判断されたというわけだ。


 いったいどこからその自信が湧いてくるのだろう。やはりウッド家の正当な血筋が流れているゆえんだろうか。


「お父さま……グレイ家のこれからのことだけれど」

「お前の考えているとおり、所領や財産の没収で片をつける。私に忠誠を誓ったとはいえ、腹の内はなにを考えているのか未だに分からない奴も大勢いるからな。隠れグレイ家派も存在するだろう。グレイ家も、裏で姑息なまねをしていながら偽王へ兵を差し向けるふりをしていたのだから始末が悪い。公然と重い処罰をする要因が出てこないのだ」


 このままいつ牙をむかれるのかおびえながらも、グレイ家を飼い続けなければならない現実。

 頭が痛い。


「お前は女だ。それを理由に、王座から蹴落とそうとする者も出てくるだろう。残念ながら私は王子を望めるほどもう若くはない。このところ体調も優れんしな」

「お父さま」


 久方ぶりに再会した父は、本人の言うとおり弱っていた。

 偽王討伐が最後の戦いだと覚悟していたのかもしれない。

 長いこと玉座に座っていることができず、たびたび熱を出したり咳き込んだりしては退出してしまう。

 そのたびに、側近たちやマーガレットが代理をつとめるのが常であった。


 いつの間にか、マーガレットのために高価な貂の毛皮があつらえられていた。

 亡き王妃のかわりに玉座に座り――たった十六歳の小娘が――マーガレットの威厳が損なわれることのないよう、父が手配させたものらしかった。

 修道服に慣れきっていた彼女には、ずしりとした毛皮が、重くのしかかっていた。


「だが安心するが良い。お前が王となった暁には、幾人もの摂政をつけることができるよう、すでに手配はしている。まずよく知っているだろう、お前がまだ子どものころ遊んでくれた老騎士ルイ・ムーア。戦場では引退したが政治は十分に任せられる。それからハリー・ターナー。こちらはいくつもの国を留学していまや帝王学の教師をしている男だ。お前の先生としてふさわしい。判断に困ったら、ハリーの言うことを優先しなさい。それから……」

「待って、待ってくださいお父さま。摂政って? 私ももう十六歳、あと数年で成人します。摂政なんて……」

「女に王は務まらんよ。おまけにお前は修道院育ち。女王になるべくして教育を受けたわけでもない。だが敬虔な信徒は大陸から受けが良い。摂政たちの力を借りてリカー王国を盤石にできたなら、大国から花婿を迎えられるよう、ルイに取り計らってもらいなさい」

「お父さま……」

「それで、王子を生めばお前も安泰だ。結婚して、子どもを産むまでのいましばらくの辛抱。役目を終えたら新しく離宮を作って、気心知れた友人と共に過ごすこともできるだろう」


 ――父は、私になにも期待していない。


 当然だ。私は男ではない。

 ライオネル・グレイのように、自ら剣をふるっていたわけではない。

 修道院で包帯をつくろい、薬草を育て、こっそり抜け出して市場を観察していただけだ。


 ライオネル・グレイのあの自信の源は何なのか。神に選ばれた王の血を継ぐ一族としての誇りか。それとも……。

 マーガレットが言葉を失うと、父はなだめるようにして言った。


「お前は何も心配いらない。慈愛の女帝としてやっていくんだ。愛と優しさで国民を包み込んでやってくれ。実務は男がやる。今までろくに構ってやれずにすまなかった、マーガレット」

「……ええ」


 父は大きく咳き込み、肩をふるわせた。マーガレットはあわてて水差しから水を注ぎ、カップを差し出した。


「マーガレット。こういうことは自分の手でするものじゃない。どんなに急いでいても使用人を使いなさい。自分ですませてしまうと、下の者にあなどられる」

「はい、お父さま」


 無力感と共に部屋を辞すると、エドマンドが立っていた。

 やりきれぬ気持ちだ。彼を一瞥すると、からかうようにたずねてきた。


「つまらん宮廷だ。そうは思いませんか?」


 いいえ、と言葉を発したはずだった。

 乾いたうめきが漏れただけだ。

 マーガレットが歩き出すと、彼は律儀についてくる。


「慈愛の女帝ねえ」

「聞き耳を立てていたのね」

「まあ、ちょっとだけね。でも全然慈愛って感じじゃないでしょう、マーガレット殿下は」

「失礼ね、私だって修道院にいたのよ」

「模範的ではないシスターとして」


 頭にきたので、マーガレットはそれ以上応酬しなかった。

 修道院中の女を虜にしていたエドマンドは、マーガレットの評判もすべて聞いているというわけだ。

 エドマンドは頭の後ろで手を組んだ。


「私もね、このまま終わりってことになったら戦もないわけだし、これから政治の場面で役立てるかっていうとねえ……。ラドクリフ家に身を置いているのも少々立場がないわけですよ」

「貴方の場合は素行が悪いだけでしょう」

「まあね。でも必ずまた戦は起こる」


 エドマンドはそう言って立ち止まった。マーガレットも、彼を振り返る。


「あれが諦めた顔だと思いましたか? ライオネル・グレイは絶対にあなたに刃を向けます。なめくさった目であなたを上から下まで見ていたでしょうが」

「エドマンド」

「今はまだ国王陛下がいらっしゃるからいいが……残り時間が少ないことは、殿下とてわかっているはずだ」


 シーガンはきっと長くはもたない。

 王宮の医務官たちでは手に負えず、腕が良いと噂のたつ医師がいればたとえどんなに遠くにいても呼びつけた。

 医師がだめなら祈祷師や占い師を。

 リカー王国中の医師たちが、国王の余命がわずかなことを告げている。

 代替わりは想像以上に早くやってくるに違いない。


 ――それが、グレイ家にとって最大の好機だ。


「偽王に手を貸していたグレイ家を身内に入れたくないというあなたの考えは正しい。だが正しいだけでは人を導く力は手に入れられない。あなたがウッド家の娘であったなら、無条件でこの国中の人間を跪かせることができたのに」

「……あなたのおかげで偽王に協力していたグレイ家の刺客を一掃することができた。そうでなかったら……」


 ファウルの地に彼が留まっていたのは、マーガレットを守るためだけではない。この地を通過してワースの地へ向かおうとする偽王の協力軍の情報を得るべく、関係者を拉致し、情報を吐かせるためであったのだ。

 マーガレットの知らぬところで、彼は見事にその密命をやりとげてみせた。偽王の出陣、これにはグレイ家の力が大きく関与していた。事前情報のおかげでヴィア家はうまくたちまわることができ、偽王の勢力を削いで勝利の冠をもぎとった。

 グレイ家の罪を告発せずに泳がせることにしたのは、前面衝突を避けるため。ヴィア家はこれ以上の消耗戦に耐えられそうにない。


「あなた、迷っているでしょう。ずっと」


 エドマンドはためすように言った。


「……なにに対して?」

「自分が王座に就くことにかんして。摂政が就くことでお飾りの王になるしかない自分の運命にかんして。もしかしたら、ライオネル・グレイのほうが王にふさわしいかもしれない、という可能性にかんして。他は……あとはなにかな。思いつくがぎりはこんなところですが」

「おおまかなところあたりよ」

「ヴィア家に操られるか、グレイ家に王冠を奪い取られるか。どのみちあなたの頭に王冠はない。このままのあなたでは、あの王冠にぼっきりと首を折られてしまうでしょう」


 容易に想像ができた。父でさえ、載せているのがやっとなあの重たい王冠。

 金銀や宝飾品でびっしりと埋め込まれ、その重さに――権力という名の重圧に絶えきれず、ぼきりと折れる己の細首。

 悪夢を振り払うようにして、マーガレットは声を荒げた。


「あなた、主人に対して物の言いようが――」

「私は戦わせてくれる主人が好きです、殿下。腕と残虐さと、顔だけで成り上がったのでね。あなたは争いの火種になる。ものすごく優秀な着火剤だ」


 エドマンドは目を細めた。


「でも戦いは、一方が弱いと面白くないんですよ。強い奴をいたぶるからぞくぞくするんだ。あなたみたいな最弱の女王じゃ、強い敵なんて寄ってこない」

「エドマンド」


 悪食の獣のようだ。

 本当に人を殺すことをなんとも思っていないのだ。


 父は言っていた。戦士には才能があると。


 力があれば良いわけではない。

 殺戮を繰り返し、知恵をしぼり敵を追い詰める。

 目的のためなら敵に与える痛みも苦しみも加減をつけ、剣の引き時も心得る。

 冷静な判断力と、全身をむしばむような残酷性。

 その二つの特技を持った上で長いこと「持つ」戦士はめったにいない。

 いたとしたら――それは天賦の才に恵まれた、戦場で生きる獣なのだと。


「大陸から夫が来れば弱い女王でも強くなるって、あなたの父上は信じている。夫がきたって何も変わらない。ころころと王が替わるこの国で、一旗揚げてやろうと思ってあなたを娶る男こそ、あなたから王冠を奪う男に他ならないのだから。それならばまたライオネル・グレイに王冠をくれてやった方が、国民は納得するでしょう。私も戦えるしね」


 王が弱ければ……ヴィア王朝は続かない。

 血で争い、力で争い、ようやく手にできるこの玉座。

 マーガレットはため息をつく。


「自分が王になって良いのか、神から選ばれた王とはなんなのか……そのようなことで悩んでいるような王では……あなたにはつまらないでしょう、エドマンド」

「殿下は、自分が王になっていいのか自信がない。どんな王になれば良いのかもわからない。それなのにお父上に慈愛の女帝になれといわれてモヤモヤしておられるのはなぜですか? 父上のご提案も、ひとつの王のあり方かと思いますが」

「……わからないわ」


 そうだ。父親が道を示しているではないか。

 困り事があったら有能な家臣を頼り、結婚して子どもを産めと。

 なにも指示がなく放り出されたわけではない。


 だが、心のどこかで警鐘が鳴っている。アリスの言葉が、ふとよみがえる。


「現実味、ってやつよね。あの色男がきてから、いろんな事が変わったわ」


 地に足をつけていかなければならないときである。

 おそらく父の言うとおりにしても、うまくいかないだろうという直感。

 女帝でいることは、そんな夢物語のようなことではない。


 ライオネル・グレイがいるかぎり――。

 いえ、自分に自信が持てないかぎり。


「王の在り方など、千差万別。そして少なくとも二十年間、誰も王に選ばれなかった。つまり神はリカーを見捨てた。この国に適任者はいない。そう考えてみてはいかがです?」

「なにを……」

「あなたのお父上は長い年月をかけてなんとか神のお眼鏡にかなったが、おそらくもって数年の治世。誰もふさわしくない、なら誰がなっても同じこと」


 エドマンドは、マーガレットの首にかけられた鎖を人さし指でひっかけた。

 ドレスの下から引きずり出されたロザリオが、ゆらりと揺れた。


「誰がなっても同じなら、あなたがなっても良いじゃないですか」

「かえして」


 ロザリオを彼の手の中からとりかえすと、マーガレットは再び胸元へしまいこむ。


「どのみち賽は投げられたのだ。泣き言を言うだけではライオネル・グレイにどんどん差をつけられる。それとも彼の妻になってしまいますか?」

「……彼は、私たちをおとしめようとした男よ」


 彼は偽王に協力したのだ。

 自分がライオネルの立場なら、同じ事をしただろうか。

 継承戦争を終わらせ、この世を救おうというのならやったのかもしれない。


 ヴィア家にとっては信用ならないが、自分がグレイ家の人間だったら?

 騙すのは気が引けるが、大義名分はある。


「排除されるべき人間がどちらかだったのかは、あなたがこれからの人生で証明することですよ」


 エドマンドの言葉に、マーガレットは顔をあげた。


「これから……私が」

「あなたの疑問は、人生かけて答えを見つければいいでしょう。祈って祈って神が光と共に地に降り立つまで、玉座には座らないおつもりか? 私はライオネルが神の特別な祝福を受けて生きているとは思えないんですけどね。人間のあなたの手にも救えるものは多くある。現実逃避はかしこくない」


 玉座にはヴィア家の王が座った。

 これにて一度継承戦争は終わったのだ。

 平和な世がやってくるはずだという国民の期待を裏切りたくはない。


「……そうね。私はもう、私自身から逃げられないのだわ」


 いつか、マザー・グレイスがそう言ったように。


 逃げられない戦場に落とされたのなら、その運命を受け入れ、戦うほかない。


「今の私だからできることもある。私が世間知らずの修道女であると、ずっとそのままであると、思わせておけばいい。周囲は油断するわ。そして私にさまざまな知識を惜しみなく与えてくれるはず」


 ライオネル・グレイは少なくとも代替わりの際は必ず行動に出るはずだ。それまでに己の王としての在り方を見つけ、足場を固められていたら。


「面白い。ジギタリスの花のように、というわけですか」


 聖女のように見せかけ、魔女のような力を使う。

 もとより神の教えにそむく魔女でも、民のために聖女に変われる。


 どちらでもよい――。


 ただ、国全体がこの戦で疲弊しているのは、この目で見ている。

 女子修道院に多くの貧民が詰めかけてきたことは、アリスの手紙で知った。

 王宮に行くまでの道すがら、物乞いや子どもの労働者に出くわし、餓死者の遺体を避けて馬を走らせた。


「父の言うとおりにしても、おそらく民を救うことはできないでしょう」


 たとえこの血筋に王の資格がなくとも。偽王が出たときに思ったではないか。

 ヴィア家でもグレイ家でも、リカー王国を平和に統治してさえくれるなら構わないと――。

 自分がそのようにできたなら、玉座に座ることに対し後ろめたさを感じずにすむ。神の存在を疑わずにすむ。

 内乱で傷ついた国民を、救うことができたなら。


「……少しは、前向きになれたわ。あなたって何を考えてるのかわからないから、そんな風に激励してもらえるのは意外だったけれど」

「興味があっただけですよ。私はもとは鍛冶屋の息子で、泥棒で、犯罪者だ。失うものはなにもない。どうせしがない命、あなたに賭けましょう。アナベラ・ヴィアの子孫が歴史を変えるところが見てみたい。命の炎を燃やし尽くすその日まで」


 エドマンドは舌なめずりをした。きっとマチルダはその仕草をいやがるだろうと思ったが、あえて注意をしなかった。

 王宮に帰ってから、か細い声で必死に呼びかけ、夫を何度たしなめていたことか。苦労がしのばれる。


 なにから始めよう。

 国の動かし方を学ぶには。


 父の息のかかった家庭教師を、うまく利用することができれば。

 諸外国から見識のある学者や政治家をまねきたい。

 そうだ、アリスの伯父は大司教であった。

 一度会っておかなくては……。教会との関係は、これから非常に重要になる。


「マチルダを呼んで。私の予定表を確認しないと」


 マーガレットは次の段階へと、自分の人生を進めることにしたのである。

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